◆ 高橋鮎生(AYUO) 「Songs from a Eurasian Journey」 ◆ 井上鑑 『架空庭園論』 ◆ 高橋幸宏「Saravah !」 ◆ かしぶち哲郎 「彼女の時」 ◆ かしぶち哲郎 「Le Grand」 ◆ 山梨鐐平 「Arrivederci amore ciao」 ◆ 宮本文昭 「AIR」 ◆ 久石譲 「View of Silence」 ◆ TAO 「FAR EAST」 ◆ EUROX 「Dig from the past」 ◆ EUROX 「Megatrend」 ◆ 角松敏生 「GOLD DIGGER 」 ◆ 「松田優作 1978〜1987」 ◆ 藤井隆 「ALL BY MYSELF」 ◆ 藤井隆 「OH MY JULIET !」 ◆ マシュー南 (藤井隆) 「大草原の小さなマシュー」 ◆ 土屋昌巳 「Life in Mirrors」 ◆ 清春 「TATTOO」 ◆ 織田裕二 「Last Christmas」 ◆ シブがき隊 「情熱的新世界」 ◆ 修二と彰 「青春アミーゴ」 ◆ タッキー&翼 「One day, One dream」 ◆ タッキー&翼 「愛想曲」 ◆ 滝沢秀明「愛・革命」 ◆ エコノミック・アニマルズ 「帰ってきた港のヨーコ」 ◆ BARBEE BOYS 「蜂 〜Complete Single Collection」 ◆ 安全地帯 「碧い瞳のエリス」 ◆ 安全地帯 「蒼いバラ」 ◆ 近藤真彦 「ざんばら」 ◆ 布施明 「古い上着をぬいで」 ◆ JULIE with THE WILD ONES 「渚でシャララ」
日本に現存する最古の楽譜は東大寺・正倉院に眠っている、という。そこには、中国の隋や唐をはじめ、中央アジアやペルシャなど、7〜8世紀のユーラシア大陸の様々な宮廷音楽が収められている。 それらの楽曲を、従来の雅楽という形を一切取り払い、作家的創造力でもって現代的に再構築している。 ケルトに始まり、東欧、トルコ、ペルシャ、中央アジア、中国、日本に至るまで、ユーラシア大陸の西のはじから東のはじに至るあらゆる音楽が、この一枚にはミクスチュアされている。 日本雅楽の「越殿楽」とドイツの「カルミナ・ブラーナ」を融合させた「Etenraku Jig」、中国・唐代に譜面の残っている「弊契児」をベースにアイリッシュアレンジを重ねた「Froating Dream」など、それらは本当に意外なクロスオーバーなんだけれども、決して悪趣味に陥ってはいない。それは、作者に音楽と歴史に対する達識があるからだろう。 作者は、古い音楽を手がかりに、人類と文明、その歴史を考察しているのだ。 今作で取り上げている音楽のベースは、およそ1300年以上前の音楽ではあるが、ある面においては極めてポップで現代的に響くし、またある面においては、はるか過去、古代エジプトやメソポタミア、黄河文明の音楽とは、どのようなものだったか、そんなことに思いに馳せることもできる。 小難しいテーマだけれども、耳心地が良く、実にイマジネイティブでファンタジック。まるで剣と魔法のおとぎ話を読むように、耳に楽しいのだ。 歴史の縦糸と地理の横糸の中の、ある一点にわたしたちは暮らしている。そして、わたしたちの文明は実に融通無碍で、国家や民族という枠組みをあっけなく溶解して、色んな方向へ向けてお互いを浸潤しあうのだ。 そのようにして音楽もまた風媒花のように、人伝いに口伝いに、大陸の長い回廊の上を、実に自由闊達に漂い、その土地土地で根づいていく。その様子がこれらの音から確かに感じ取られるだろう。 世界に散らばる神話にあらゆる相似性が見られるように、音楽もまた根幹にあるものは同じなのだ。 そして、歌は何千年も歌われつづけた 夢のように、夢の中からわたしたちの耳の中に跳ね返る 昔、遠き異国で別の言葉で歌われ 今も世界に響いている 不思議だとは思わないか 歌のように取るに足らないものが こんなに長く、宝のように残っていることを その歌をはじめて聞いた帝国が滅んでも 歌は広まり、生きつづける (「Air」 ピーター・ハミル 詞/原曲は唐代「昔昔塩」) ちなみに高橋鮎生のお父さんは、ピアニストで様々な音楽論の書を残している高橋悠治氏。学者肌の音楽家というところは、実にお父さん譲りです。 (記・08.11.30)
現代に生きるわたしたちのつきせぬ欲望、はかない祈念。 文明という肥大した大脳に、わたしたちは、束の間の庭園を築きあげる。 あなたはその美しく茂った草叢で、小川のせせらぎのほとりで、静かに深呼吸する。 漂う甘い絶望の気配に、あなたはむせ返るだろう。 こんな感じの作・編曲家、井上鑑の85年のアルバム。横尾忠則のカバーイラストが印象的。 「架空庭園」とは「バビロンの架空庭園」のことか、それともビルの屋上などにある人工的庭園のことか、それとも人の脳内にある観念的な「庭園」のイメージそのものだろうか。 都市という毒された揺籃から、手を伸ばしても届かない無垢の辺境をのぞみ見る文学的で難解な傑作。音によるポスト・モダニズムといっていいかと。ブレードランナー的な閉塞的近未来の風景。伝統的な和楽器の使い方が、心地いい。ライバルは坂本龍一か。 (記・07.06.19)
ファーストアルバムにして、この余裕と、このシャレっ気って、一体、なんなん? と思わず叫ばずにいられない78年作品。 サンバやボサノバなど、ラテンミュージックをさりげなく取り入れた70年代後半のフュージョンサウンドで描かれる都市生活者の心の機微――って、あぁ、田舎者の私には絵空事の世界。 参加陣もYMOの細野・坂本両氏に加藤和彦、高中正義、鈴木茂、山下達郎、吉田美奈子、今井裕、大村憲司と、いちいち豪華。 しかもこの豪華面子がただのお友達つながり――っていうのがっっ、く、くやしいっっ。でも、感じちゃうっっっ。びくっ。びくっっ。 というわけで、いいところのぼんぼんの幸宏さんのセンシティブで才知のきらめくアーバンな世界に、 コネも金も才能も家柄もなにもないわたしのような人は、嫉妬しながらうっとりすればいいのでは。名盤。 このアルバムの精神的兄弟が、加藤和彦の「ガーディニア」と、南佳孝の「南回帰線」とみたっ。 (記・06.08.27)
当時かしぶち氏は既に、石川セリ「ファムファタル」、梓みちよ「黄昏のモンテカルロ」、岡田有希子「ヴィーナス誕生」など、他歌手の作曲やプロデュースに手をのばしており、 それらの作業は、一定の評価を得ていた。 そうした状況下から生まれたアルバム、といっていいかな。ミニアルバムながらも、濃密で妖しくロマンチックな、かしぶち氏の自信と矜持にみちたアルバムといっていい。 作詞・作曲・編曲の全てがかしぶち本人の手によるもので、弦アレンジは坂本龍一が担当。 矢野顕子とのデュエットアルバムという形式であった前作「リラのホテル」を発展させ、今作は矢野顕子、大貫妙子、石川セリと三人の歌姫とデュエット、「柔らかいポーズ」では三歌姫のコーラスをバックに歌うという豪華ぶり。 プレイヤーは、YMO、ムーンライダース系のいつもの豪華面子。 かしぶち氏の歌唱は、ぽへっとして朴訥な、印象の薄いものだけれども、これが ヨーロッパ的な洗練を感じる官能的な、かつエキセントリックなトラックとあいまるとなかなか魅力的。 気弱な美青年が、妙齢の美女に誘惑されているのをとまどっているような、しかし、最後は誘惑のままに白い柔肌をまさぐってしまい、というか、そんな佇まいがある。 エキセントリックなアレンジ(ー―白井良明のひずんだギターの音が素敵)が妖しい、石川セリ「彩・夏・夢」のセルフカバー、 矢野顕子との対話のようなデュエットが面白いタイトルもそのまんまな「DIALOGUE」、坂本教授の典雅な弦アレンジがやっぱりすばらしい「眩暈」、など、聞きどころは多数。 以降、プロデュース、映画音楽などに傾き、リーダーアルバムは、次作「fin」までの三枚しか、メジャーレーベルではリリースしていないが、 もっともっと、ソロの歌モノが聞きたい人のひとり。 (記・06.05.30)
彼のアルバムでは毎度お馴染み、フィメールボーカル(――今回は石川セリ、クレモンティーヌが参加)と流麗なストリングスのバックアップを受けながら、繊細で文学者的ちょっと頼りのないかしぶちのひょろっとした声が南欧の街並みを逍遥するように彷徨う、というヨーロピアン・エレガンスな世界。「彼女の時」や「ファム・ファタル」(石川セリ)、「黄昏のモンテカルロ」(梓みちよ)などの、80年代のソロアルバムやプロデュース作品がお好きならば是非モノかと。高橋幸宏・加藤和彦とともに、80年代テクノ・ニューウェーブ部門のロマンチック担当だった彼の面目躍如たる一枚。 この不景気な今の時代に、さりげなく贅沢で夢見の甘さの漂う大人のアルバムが堂々と新作としてリリースされたのが何よりも嬉しい。バブル前夜の80年代中頃まではこういう作品って結構あったんだけれどもね。 金儲けの匂いのしない、なのに音を出すまでの間に贅沢なプロセスを感じさせる――名画や名唱を飽きるほど楽しんだ有閑貴族が手遊びで作ったかのような、こういったサウンドというのが、今の時代には足りなさ過ぎるよね。 (記・10.05.17)
見た目もっさいおっさんがシルキーボイスで聞かせるロマンチックなヨーロピアン歌謡って、つまり佐藤隆路線。 南欧のカフェでひととき寛ぐような感じ、メロウにもほどがある。このアルバムならではっ、という部分がないのが惜しいッちゃ惜しいけれども、平均点は軽くクリアしております。 ちなみに今、彼はなにをしているかというと、歌手活動を再開した石野真子のサポートを、って意外な展開。 こんなところでブチと真子が繋がるとはっっ。 (記・07.03.17)
これは「宮本文昭 with 書上奈朋子」という名義でよかったんじゃなかろうか。 全10曲中8曲が書上奈朋子の作・編曲・ボーカルである。 書上嬢の超現実的なアレンジメントと妖しいウィスパーボイス、そこにさわやかな宮本氏のオーボエの音が乗る。 宮本文昭名義で出すには少々オーバープロデュース、という感じ。でもいい。 書上プロデュース作品には、全て「based on "○○"」と元ネタが記載されているのだが、これが、あの曲 ? と驚きの連続。 「アメージンググレース」やチャイコフスキーの「白鳥の湖」、ラフマニノフの「ヴォーカリーズ」、ブラームスの「ハンガリアン・ダンス」、エルガーの「威風堂々」など、 衆知のクラシックの名曲を大胆に改変、現代的な意匠をそこに纏わせながらも、しかし原曲の気品を決して損なわせないのがさすが天才・書上奈朋子。 YMOの「BGM」バリに重々しいテクノにしちゃった「アメ―ジンググレース(techno hymn)」なんて、意外すぎるけど、面白い。 クラシックは、伝統があるから、評価が定まっているから、いいわけではないのだ。 普遍的な官能と興奮がそこにあるから、いいのだ。 いいかえれば現代に通じないクラシックなんて、ただの古ボケたガラクタに過ぎない。 クラシックを額縁に飾って拝みたおしたい権威主義者には決してお薦めできない1枚。 こういうのを楽しめないクラシックファンは、似非だね。 (記・07.04.18)
89年の「PERTENDER」という久石譲自らが歌ったAOR系アルバムの最後を飾るインストゥルメンタルなのだが、ナウシカよりもラピュタよりももののけ姫よりも菊次郎の夏よりHANA-BIよりも、わたしはコレなのだ。 最初に聞いたのは高校生の頃だが、いまだに聞くたび、眩暈のような感覚に襲われる。 平明でポジティビティーに溢れるオーケストレーションが魅力の彼にあって、この曲はめずらしくも荘重で悲劇的。ピアノと弦が追い掛けあうように展開する後半部は、感情だけが身の内に波打ってなにも言葉にならない。 ただひたすらに、哀しいのだ。 この曲で表現されているのはオイディプス王のような宿命的な破局なのでは、と思っている。逃れられぬ運命のままに滅び行くものの美しい哀しさ。わたしは「破滅の美」というのに、とことん弱いのだ。 某有名動画サイトにライブ映像があるので、もしよかった聞いてみていただきたい。――でも、これでなく「PERTENDER」版が一番好きなんだよなぁ。 (記・2008.1.28)
ジャケットはロシア構成主義的なTAOというロゴ――Oの部分が陰陽マークになっている。 タイトルやジャケットなどから、『不思議』と同様のエスニック色の強いゴテゴテのプログレッシブロックなのかな、とおもったら、そうでもない。 意外とシンプルなサウンドワーク。 80年代中期らしいテクノ・ニューウェーブ臭も強いが、とはいえ、そこまでズブのそれでもなく、 ビートリーなシンプルさがむしろ際立っている。 全曲英語曲で、日本人らしくない、乾いて理知的なサウンドが、なかなか好感触。 当時の、デュラン・デュランとかあのあたりの、ブリティッシュ系ロックバンドの作品といっても、これ、気づかないな。 全篇で鳴り響く関根安里のバイオリンも優雅(――『不思議』でも彼のバイオリンは絶妙であったけれども、『不思議』での悪魔的なそれとは感触は違う。こちらはなんとも爽やかです。)。 このアルバムリリース後、海外デビューの話も浮上したというが、それもさもありなん。このアルバムを聞くかぎり、このバンドは、日本というフィールドのみに限定する必要というのは、ないな、と。 とはいえ、その海外デビューするかという時期に、バンドは空中分解するわけで、まあ、世の中というのはうまくいかない。 ※ 備忘録。明菜の『不思議』と同時期にEUROXは、ニャンギラスの「自分でゆーのもなんですけれど」を「岡原勇里」なる名義で担当している。 メンバー四人の名前を合わせた変名なのだが、同時期に明菜とニャンギラスですか……。 (記・06.03.23)
タイトルにあるようにコンセプトは「過去からの発掘」ってわけで、アニメ「機甲界ガリアン」主題歌の「ガリアン・ワールド」をはじめ、過去の曲をお色直しがメイン。当時リリースのかなわなかったミキハウスCFソング「Come on say Hello」のみが初ソフト化。 時代の経過とともに音の質感の様々な変化はあるけれども「音の壁」とでもいうべき、圧倒的なサウンドプロダクションはかつてのまま。金属的なデジタルサウンドと、その間隙を縫うように歌うバイオリン。このロマンチシズムがEUROXなんだよなぁ。 かつての音源はもっとボーカルとバッキングの音像がわかりやすくわかれていたけれども、今作はリバーブも深く、サウンドとボーカルが渾然一体となっていて、中森明菜の「不思議」を髣髴とさせるサウンドメイクになっている(あそこまでボーカルが聞こえないということはないけどね)。 メンバーのプログレ魂の炸裂した「ガリアン・ワールド」はマストだし、意外やビートリーな「Come on say Hello」もいいし、デジタルサウンドの牢獄という感じで、妖しく冷たい輝きのある「Cold Line」も素敵。美意識が高いよね、このバンドは。 それにしても、歌詞カードにある再結成に至る経緯が泣けるんだ、これが。TAO時代から解散に至るまでずっとディレクションを執っていた藤倉氏はEUROXを「自分の知る最高のバンド」とその復活と再活動を熱望していたという。 とかくメンバーの異動の多く、安定した活動のかなわなかったTAO→EUROX。第一期EUROXもアニメ主題歌で名をあげ、海外デビューのチャンスを掴みながら、結局一枚もオリジナルアルバムを残すことなく、わずか一年で空中分解という結果に終わっている。そういった様々なトラブルを味わいながらも、藤倉氏の彼らの音楽に対する信はかわらなかった。 20年以上の時が経ってメンバー達のわだかまりが全て解け、再活動を決めた時に見せた藤倉氏の笑顔。音楽って愛なんだよな、ホントに。 当時ワーナー藤倉組の仲間だった中森明菜にも是非聞いてもらいたいな。彼ら、また一緒に音楽してるんだよって。 さて次はフルアルバムですねっっ。EUROX、藤倉さん、期待してますようっっ。 (記・2009.03.25)
欧州発の耽美系ニューウェーブサウンドが日本に輸入され後、様々なローカライズを経て生まれたのがいわゆる「ヴィジュアル系」なわけだけれども、その改良の過程にある作品といっていいかも。当時の本田恭章や土屋昌巳の感じに近い。テンパリ気味な熱唱スタイルの第二期のボーカル・長谷川勇は、アルフィーの高見沢やLUNA SEAの河村隆一っぽく聞こえたりもして。少年のようにナイーブで線の細い声質で、それが不安定にゆれながらも絶唱する。時折、せつなそうに息の抜くのが妙に色っぽい。 ボーカルの失踪という突然のアクシデントによって空中分解し海外進出に挫折した第一期EUROX。常に海外市場に視線を向けていた彼らが新ボーカルを迎え国内向けに全篇日本語詞の作品を作ったのは、その前年に中森明菜の楽曲制作に大きく携わったというのが大きいんだろうな。ってわけで、アルバムの世界観は中森明菜と共同制作した「不思議」の延長。「『不思議』の双子の弟のアルバム」と換言してもしっくりくる。ボーカルエフェクトがかかっていて、サウンドを聞かせるミックスにしてあるところもおんなじだしね(――とはいえ「不思議」よりは、ボーカルに芯があって聞きやすいミックスにはしてある)。「Megatrend」のデモテープからアルバム「不思議」が生まれて、さらに「不思議」の成果をフィードバックして、「Megatrend」の完成盤が生まれ、という感じで、二作がちょうど相互補完のようになってお互いを高めあっている印象を受ける。 「Dream of(back door night)」「Please Wait for me!」「Adulation(ニュー・ジェネレーション)」といった「不思議」収録作のセルフカバーをはじめ、激しい波涛のようなメロディーラインに壮絶なオケヒットの乱打に眩暈のような感覚を聞き手に引き起こすタイトル作の「Megatrend」(――大サビで裏メロに入るところなんざ鳥肌モノ)、妖しげで淫靡な気配が中途のリズムのブレイクでまさしく破裂する「CHERRIO」、唸りをあげて咆哮するギター、妖しげなベース、激情迸るボーカル、鳴り狂うバイオリン、とそれぞれのパートがほとんど喧嘩腰となってぶつかり合う「Where you are ?」、映画「エクソシスト」のテーマのようなオカルティックで耽美なピアノのイントロが印象的な「ATTITUDE」、などなど、「不思議」に収録されてもなんらおかしくない世界観を同じくした力作が並んでいる。ゆったりとしたシノワズリなメロディーで東南アジアのリゾートポップ風――これはいわゆる箸休めのバラードかなと思ったのが一転、突如にリズムが破綻する「Shining Time」なんかも壮絶で、全篇、一曲の制作に二、三曲分のモチーフは潰してるだろうな、という過剰な作りこみ。ここでこう展開するか、という音の驚きがいろいろつまってる。なかには「What is your wish !」なんていう、頼まれてもいないのに富野ロボットアニメ風テーマがあったりして(――富野アニメとEUROXは深い関係だから、わかりゃするけどね)微笑ましかったりもするんだけどもね。 中森明菜の「不思議」のサウンドが大好きと言う人はもちろん、80年代のニューウェーブ好き、V系好きにはちょっと聞いたもらいたい力作かつ傑作。 エスニック要素をふんだんに散りばめ、ゴシックで耽美的で、妖しく湿っていて、不条理な音の塊。海外の流行りモノの真似事から先の、独特の個性がある。ちょっと早すぎたんじゃないかな、彼らは。 当時の中森明菜の担当ディレクター・藤倉克己が自らのリソースを山ほど裂いて彼らをバックアップした、その理由が、この音なのだろう。納得の一枚。 (記・2011.05.29)
みんながみんな、ハイクラスでラグジュアリーな生活をポテチをかじるようにたしなんでいた――ような気がしていた、 金と夢が下世話にごろごろころがっていたあの時代の夢、ですなぁ、コレ。 あの頃、みんな、無根拠に自信満々で、未来を信じていたよね。 でも、この音源全体から感じるアゲアゲテンション。21世紀には、あんまりにもあんまりなこの「アーバンさ」。わたしは大切にしたいです。 よーし、オトーサンも、角松みたいに、スマートにおねぇちゃんと夜遊びしちゃうぞ、と。 摩天楼の夜景を見ながらワイングラス傾けちゃうぞ、と。 あ、ちなみに、角松本人初のベストテンランクインアルバムだけあって、音の勢い、完成度は抜群なので、バブル的キラキラ感を楽しめるというのなら、今聞いても損はないアルバムか、と。 (記・06.06.06)
松田優作は、歌の上手い歌手というわけではないが、個性的な、いい歌手だと思う。 特に、ビーンとのびた高音でたちあらわれるルーズな感じとうらはらな哀調は、とてもいい。 どこで学んだのか知らないが、相当黒っぽいフィーリングを持っている。曲調もあいまって、日本の歌手だと、上田正樹を想起させる。 (――そういえば、彼の盟友・桃井かおりも、なぜか知らないが、歌わせるとやけにブルージーだったな)。 後期になるとインナーワールドを歌ったような難解な作品が並び、評価は難しいが、このあたりは、彼の役者としての履歴とまったくリンクしているともいえるわけで、そう見ればこのわけわからない路線もまたいとおかし。 とはいえ「Yokohama Honky Tonk Blues」(――作詞が藤"愛のコリーダ"竜也なのは、なぜ ? )は名曲だ。これ一曲のため、このアルバムを聞いてもいいかも。 これが彼の代表曲といってもいいよね。 (記・06.10.31)
先行シングル「わたしの青い空」があんまりにも傑作すぎたので、期待したけれども、思ったよりもフツー。もっと裏切られるかと思ったらわりと前作「ロミオ道行」の世界観の延長にあって、松本隆のいない「ロミオ道行」という感じ。松本隆のいないぶんだけテンションは低いかも。 メロウな大人のポップスしてしまっている。線の細く実直そうな藤井隆のボーカルも相変わらず。「わたしの青い空」でみせたちょっと投げやりで冷たい"歌わない"ボーカルをもっと聞きたかったなぁ。あの声、可能性あると思うんだけれども。 アルバム曲ではYOUとのボーカルの掛け合いが最高な「赤と黒」がベスト。藤井隆は、松本隆とかYOUとか、精神的につながりのある人と音楽作った方が光ると思う。 "いじられてなんぼ"の芸能系歌手を演じきるには、彼はちょっと図太さが足りない。これからも歌手としてやっていくには、繊細なハンドリングが必要だと思うぞ。 (記・06.2.23)
ま、これはいわゆるマシュー南ラインというか、そんなわかりやすいネタ臭が、も聞く前からただよっていたわけだけれども、じゃ、実際聞いてみて、というと、うーーん、ちょっと弾けきれていないような。これは「実は好青年の藤井隆」ってキャラで行くよりも、もっとおかま全開で、それこそマシュー名義で行く勢いでいったほうがよかったかな。 (記・2005.11.03)
4曲入りCDS+スペシャルDVDで1500円と、チョーお買い得盤――なんだけれども、これCDSはいらなくなぁい? 別に完全版「なれそめ・ジ・エンド」とか、いらんわ。――といいつつも、番組愛で聞いてしまう私。 特典の「Best hit TV」の秘蔵映像――主に深夜時代の彼の勇姿が一番のみどころかと思われ。レイラ、大フューチャリングだし。それにしても、改めてみても、レイラ、きもいなぁ(笑)。好きだけれども。深夜の頃は、妄想と虚言だけで成り立っていた究極の自己完結番組ですな。 あと、歌詞カードの擬似対談。これもクオリティー高い。「コラボスクリュー」とか「美保純」とか、「生まれると思ったらそこが分娩室なわけ」とか「マシューは桃を信じるね。桃以外のフルーツを信じきれないといっても過言でない」とか「生命保険のCM。『掛け捨て』っていいたい。あえて『掛け捨て』をアピール」とか、名言連発。 買い逃した「マシューの真実」もこの際、買っちゃおっかなぁ。てか、深夜時代のDVD、出してくださいな。絶対買うからっっ。 (記・2006.09.25)
エキゾティックな装いの漂う妖しいシンセ音の群れに硬質なギター、煽り立てるようなブラスセクション、それでいて、曲はメロディアスで、曲順の緩急も絶妙で、実に聞きやすいのだ。一曲目「STAY IN HEAVEN」の疾走っぷりからもう飲み込まれてしまう。すべてが蜃気楼のように幻想的なのだ。 とはいえ、思わせぶりで妖しく耽美でありながら、よくよく見るとさしたる内容があんまりなさそうなところもあって、それはニューウェーブというよりも実は後のビジュアル系に通じる感じ。良くも悪くもどっか根がミーハーなのだ。一瞬、ラルクとかバクチク聞いている錯覚に陥りましたよ、ええ。 実際後に土屋氏は、GLAY、BLANKEY JET CITY、櫻井敦司などなど、いわゆるビジュアル系に深くコミットしていくところから鑑みるに、80年代のテクノ・ニューウェーブブームと90年代のビジュアル系ブームを繋ぐミッシングリンクのようなアルバムといっていいかもしれない。 ビジュアル系のお手本といっていい傑作。耽美好きなら是非。特に「水の中のホテル」「一日千夜」あたりがオススメかな。 (記・07.02.22 09.02.20)
◆ 清春 「TATTOO」 (07.08.22/第25位) ジュリーの「ダーリング」の衣装で明菜ちゃんを歌っているきよっぱるなんだけれども、自然すぎて笑ってしまった。 ま、きよっぱる、黒夢時代から明菜のファンであることを公言していたから、いつものラリラリフェロモン過剰唱法で自分のものにしてることに関しては驚きはなかったけれども、 フツーに新曲ですといわれて違和感がまったくないVな仕上がりまでたどり着いていて、それでいてどう聞いても明菜ちゃんの「TATTOO」なのだ。 明菜とジュリーのV系への影響力の大きさを再確認した。V系の源流って、絶対このふたりだよね。 中森明菜のトリビュートアルバムを作るとしたら、すべてV系アーティストで揃えると面白いんじゃないかな。 「TATTOO」はきよっぱるにあげるとして、hydeなら「Apetite」かな「Tokyo Rose」でもいいな、B-Tのあっちゃんなら絶対「I missed "the shock"」っ、 がっくんはいっそのこと「TANGO NOIR」とかっ。 アルバム曲まで探せば「Fire Starter」とか「Paradise Lost」とか「Labyrinth」とか、いかにもコアなV系なソングいっぱいあるしっっ。 結構、ファン層的にも被っていて、間違っていないと思うんだけどな、明菜+V系。 いっそ、明菜のニューアルバムがV系ロックでも全然問題ないくらいか、と。誰か企画しませんか? 明朗なバラードシンガー・カバーシンガーというカラーがつき始めている近年の明菜様を、ふたたび下世話で淫靡で華麗で脂ぎったかつてのカラーに染め直すために、一度V系やってみるというのも手段だと思うんだけれどもな。 (記・07.12.14)
◆ 織田裕二 「Last Christmas」 (04.11.03/第6位/11.3万枚) 本人主演のドラマ「LastChristmas」主題歌。って、Yuji Oda with Butch Walkerてなんやねんっっ。 今更ワムの「Last Christmas」のカバーという赤面モノのプロダクトにもなんっつ―か、ちゅわちゅわ気分。反町隆史の「ポイゾン」とかと同じラインなわけで、ひとまず「俺っていい男」というフェロモンが全ての世界で、ホストクラブのカラオケとなにが違うのか小1時間問いつめたい。それにしてもそんな状態を10年以上キープして片手間歌手稼業を続けている織田裕二って、一体何者!? その型破りのナルシスぶりに、おばちゃんパンツに諭吉つっこんじゃうわよ、という気分になる。 ゲーノーカイの馬鹿馬鹿しさを楽しめるか否かの分水嶺にいつも彼は立っているのだ。 (記・2004.11.15)
シングルヒットの尻馬に乗ったようなアルバム制作というのは下策中の下策といえるけれども、やりすぎれば、それもまた良し。 このアルバムでは「スシ食いねぇ」の盆踊りバージョン・クラシックバージョン・演歌バージョン・ハードロックバージョンと計4パターンも収録。悪ふざけが過ぎている。どうみても、確信犯だよね。 前川清風に歌いこなす「銀座のスシの物語」とか、デーモン小暮閣下な「地獄のスシ職人」とか、どう考えても、宴会芸のノリだろ。こんなものを売り物にしてしまうなんてね、反則ですよ、反則。シブとそのスタッフ、すげーなぁ。 ――と、ここで敢えてシングルの「スシ食いねぇ」が収録されていないのがポインツですよねー。わかってるっ。腰が抜けそな脱力感いっぱいの「スシ食いねぇ」の連打は、シブだからこそ成立するギャグなのだ。 その他、モッくんがなんか変なものを食べたのか、うなされてますというモッくんのポエトリー―リーディング「20歳のピノキオ」(――もしかしてこれって同期の明菜の怪作ポエム「明菜から」へのオマージュ?)は、これ、モッくんの代表作といっていい最高の怪作だし、一方のフッくんの自作詞によるソロ「真夏の出来事」も、「夏っていいな、けど夜、裸で寝てたら蚊に刺されたよ、痒いな、かいかい」っていうフッくんの足りない子っぷりが、大炸裂。自分のキャラ、わかっているなあ。「三歩下がって令嬢の影踏まず」も、「飛んで火に入る夏の令嬢」のシングル選考オチ作品なのかな、という感じだけれども、シブでしかありえないハイテンションのブギウギで最高だし、Charの作詞・作曲・編曲の「ナスティボーイ」はフツーにカッコいいぞっ。 個人的には「Booming!」のサビの決めの「ざけんなっっ!」のあとの無駄なオケヒットの連発にわらけた。最初音飛びしたのかと思ったよっ。わらけるからこそカッコいい、ダサさがとっても素敵な、シブファンなら納得の1枚です。 このあとのシブは、秋元康が絡むようになってなんかつまんなくなっちゃうんだよね。 (記・2004.09.26 2009.02.20)
◆ 修二と彰 「青春アミーゴ」 (05.11.02/第1位/162.6万枚) やおい版「アンダルシアに憧れて 2005」というか、そんな作品。スパニッシュで不良っぽくって、で、友情、というか、やおいというか。 "腐女子"ってのはどういう志向を持っている人種なのか、いまいちぴんと来ない、という人には「つまりは、こういう歌の世界が好きな人です」と実にわかりやすく説明できる、そんな作品かもしらん。 80年代までのジャニーズとそれ以降のジャニーズの違いを挙げるとした時、「バラエティー色」とか「合宿所の有無」とか「ストリート感」とか、色々な要素があると思うんだけれども、そのひとつに「腐女子狙いをするか、否か」ってのも、ひとつあるんじゃないかなと思う。「人間・失格」とか「ミュージカル・聖闘士星矢」とか、大ブレイク前夜のいいポイントで腐女子狙いに走るんだよね。近年のジャニーズって。ジャニーズとビジュアル系の戦略に"ブレイク前夜は腐女子を狙う"ってのは、絶対あるな。と。 あ、あと歌番組で必ず山下と亀梨の間に"俺の舞台だぜ☆"って感じで自信満々に踊り入ってくる小学生くらいのジュニアの子が、凄く気になります。どちらかというといやな意味で。あぁ、「越後獅子の唄」だなぁって、芸能界って大変だなぁって、そんな感じで。 (記・2005.11.20)
◆ タッキー&翼 「One day, One dream」 (04.2.11/第1位/11.1万枚) なんだこのTOKIOみたいな爽やかな歌は。しかも歌詞がTWO-MIXのように当て字大合戦状態になっていてめっさ恥ずかしいし。これは違うだろ? タキツバって帰ってきた「トシちゃん+マッチ」路線が一番いいと思うのよ。カマトト系王子様・タッキーとやんちゃ系サル顔・今井翼はキンキの2人よりもはるかに「俊ちゃん+マッチ」的に、私には見えるんだけれどなぁ。 「夢物語」とか、彼らの持ち味である王道のジャニーズ的哀愁感―――若い身空で体を売ってのしあがっているかのような印象を受けるやばさ、危うさ、微かに淫靡な匂いのする青い性、と直球の歌謡感が絶妙にマッチしていて、お、やっとこいつらにも代表曲が生まれたのか、思いましたけど、まださまよいますか。 この2人はあっち路線がいいと思うんだけれど。トシちゃんのマッチでも歌える態の哀愁疾走モノ―――「悲しみtooヤング」とか、のあたりの現代解釈版でいいと思うんだよね、この2人は。こういう嘘臭いほどの健全モノはTOKIOほど人のよさを前面に出していくか、デビュー時の光GENJIほどお子ちゃま感が漂っていないと、少年隊の「stripe blue」みたく微妙な結果になると思われ。 (記・2004.02.16)
◆ タッキー&翼 「愛想曲」 (04.11.03/第3位/9.1万枚) タイトルはセレネーデと読むのだそうだ。 カッコ悪いはずなのを自信満々にこなすものだから「一瞬カッコいいのかも」と思えてしまう絶妙な衣装とステッキダンスが印象的。 去年の「夢物語」といい、タキツバは古いタイプのジャニーズアイドルを目指しているみたい。足の太い女子中生向けっつか、同人女子向けっつか。蛍光色の団扇を手にするメンタリティーがない奴には楽しめないぞという感じ。このギャグすれすれの様式美の世界は「タカラヅカ」と同質。タッキーの自分が好きで仕方ないという無邪気で傲慢な笑顔と共にいかにもジャニーズな一品で楽しめます。 (記・2004.11.15)
◆ 滝沢秀明「愛・革命」 (09.01.07/第1位) 先日Mステで聴いた。タッキーのソロでの新曲。シングル発売はしないのかなぁ。 「女と男のLOVEと書いて これを革命と読みます」 ふひゃひゃひゃひゃ。マジすか。 えーっとね、腐女子向けのゲームとかアニメとかマンガのキャラクターソングってあるじゃん。男性声優がなりきって華麗に歌い演じる、ものごっつひっどい、聴いた途端にぞぞ毛が立つような、ああいう安っぽいお耽美ソング。マリスミゼルをはじめてみたときの衝撃が走ったね。 冒頭でいきなりほとんど罰ゲームな語り、間奏ではショパンのモチーフを散々に弄くり倒し、最後はタクトを振りながらの華麗なダンス、ってこれ、お耽美コントだよね。 ブラコンのSMAP、フォークロックのTOKIO、歌謡曲のKinki、演歌の関ジャニ、HIPHOPの嵐、と、それぞれのポジションを守りながら着実な活動を続けているジャニーズアイドルに比して、知名度は高いもののいまいち本業の歌手活動で差異化がうまく出来ずに決定打の出せていなかったタッキーだったけれども、ついに、金鉱を見つけたのか!? ジャニーズでお耽美とかゴスって、ジャニーさんの趣味だかなんだかわからないけど、意外にもなかったんだよねぇぇ。 ちなみに作詞・作曲は驚きの滝沢秀明ご本人。Mark Davisこと馬飼野先生が補作曲してます。 田原俊彦の背後霊が張り付いているような古臭い王子様性のあった彼だけれども、それを逆手にとって、きらきら輝いてます。まさに革命。 次は衣装もマリス時代のガクちゃんみたいのにして、化粧も厚塗りしてみよう。うん。きみは履き違えたままでいいんだぞ。 (記・08.11.19)
◆ エコノミック・アニマルズ 「帰ってきた港のヨーコ」 (75.06/22位/7.0万枚) ダウンタウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」へのアンサーソングというかパロディというか、そういうの。 冒頭の「わたしがヨーコよ、逃げちゃったの、1年前子猫と一緒にね」という語りが、もうなんだか腰砕けになる逸品。 元歌の「港のヨーコ〜」って、「追う男、追われる女」という定型に、様々な証言からヒロイン・ヨーコの姿が仄見えるところと、何度も繰り返される「あんたあの子のなんなのさ」が男に内省の刃となって深く刺さっていくところが物凄く、核心でありながら、だからこそまったく語られない男女の心をスリリングに描いた名曲だと思うのだけれども、それがいきなり内面吐露ではじまってしまうあたり、ある意味こういったパロディーソングの本懐とも言える安っぽさが全開。 ちょっと前までのレコード業界ってのは、こういう流行モノにのっかっただけのチープな浮き草・企画盤がいっぱいありましてね、今となっては、そのチープさが逆に好ましかったりするのですが、これは「港のヨーコ〜」の発売から一ヶ月ちょっとで発売というのが、なんともはやすごい。 「エコノミック・アニマルズ」は商社マンの素人バンドということになっていたのだけれども、アマチュアバンドが発売直後のヒット曲のパロディーを作ってこんな早くメジャーリリースにこぎつけるわけもなく、実態は山口百恵と井上陽水のディレクター・川瀬泰雄、作曲家・佐々木勉、モップスメンバーで鈴木ヒロミツの実弟・鈴木ミキハル、というホリプロ在籍のミュージシャンの集まったお遊び覆面バンド。 「港のヨーコ〜」を聞いた当日にパロディーソングを作ろうという話になり、その日に曲を作り、適当にバンドをでっち上げ――という流れ。これがそこそこ売れたせいで、続いて三億円事件時効に絡んだ「消えた三億円」を発売するが、こちらは不発。ここで企画モノの色物のバンドとしてのエコノミック・アニマルズはおしまい。 この曲の半年後、メンバーの川瀬泰雄が「山口百恵に曲を」と宇崎竜童に依頼して生まれたのが「横須賀ストーリー」というのはウソのようなホントの話。 (記・09.01.31)
バービーボーイズの全シングルのA面B面全てコンパイルした二枚組ベストコレクション。当時のジャケット写真にいまみちともたかの全曲解説付きと、つくりもちゃんとしっかりしてます。 80年代末期のバンドブーム勢のなかでは、いまいち再評価の光のあたらない彼らだけれども、それは彼らの作品の特殊性というのも、あるのかな。今の時代改めて聞いてもかなり、個性的なのだ。 サウンドは、シンプルで、骨太でありながら、サビなしや変拍子やヘンテコなコード進行なんて当たり前だし、KONTAと杏子の、お互いが対峙するような双璧の男女ツインボーカルっていうこのスタイルも、そういえば、彼等以前にも以降もこういうスタイルでメジャーでブレイクしたバンドっているようでいないんだよね。 イントロをパッと聴いただけで、「あ、これ、バービーだ」ってわかるのだ。サウンドもボーカルも詞も、個性的。 それってある面では物凄い強みなんだけれども、フォロワーがいない分、時代が過ぎた後になかなか思い出してもらえないのかもな。 この相克しあうツインボーカルにフィットするように、詞は、男女のエロティックな駆け引きの世界をスリリングに描いていて、なんというか、とてもエロいです。 正直、KONTAも杏子もフェロモン出過ぎだと思うぞ。ここに関しては、もう、わかりやすいまで夜の匂いがむんむん。この危険で過剰な色香、下手したら、やたらアバンギャルドな中森明菜と安全地帯、みたいになりそうでもあるのですが、それもまたいとおかし。 この辺、徹底して青春の痛みを追求していた当時のバンド系のメインストリームのソニーのロック・バンド系陣営(――プリンセス・プリンセス、渡辺美里、TMネットワーク、レベッカ、大江千里、小比類巻かほる、などなど)とは一線を画していたのかもしれない。 彼らの表現するのが成熟前の瑞々しさだとしたら、バービーは成熟しきっていて、もう枝から離れる寸前の爛れる直前の果実なのだ。 あ、あとコイソさんのバカスカいうドラミング、結構好きです――と、モノのついでに言う。 (記・09.02.13) ◆ 安全地帯「碧い瞳のエリス」 (85.10.01/第2位/38.8万枚) 85年10月発売。オリコンは二位どまりだったけれども、ベストテンではぶっちギリの五週一位で、本人出演の大王製紙の生理用品「エリス」のCFソング。 これはおそらくCMありきで生まれた曲なんだろうなぁ。CMのコピーは「エリスは安全地帯」。 ま、つまり、これを本人らに言わせたいために安全地帯に「エリス」という名のついた曲を作ってもらい出演してもらった。と。広告代理店的には、「碧い日(BLUE DAY)も色んな意味で安全地帯なエリスをどうぞ」って按配。 80年代の中期の男性アイドルTOP3といえば、チェッカーズの藤井フミヤと安全地帯の玉置浩二と吉川晃司。 当時、どちらかというと生臭くプラスのイメージのなかった生理用品という商品のイメージアップを図るために、新ブランドを立ち上げ、そのCMには、女性ファンを中心に圧倒的な支持を得ていた彼らを起用、って流れだろうな。 商品に甘い幻想の紗をかける広告らしい一曲といえばそうなのだろうけれども、さて、時代がすぎて、そういった背景が綺麗に洗い流されて残るのは、圧倒的なまでの玉置浩二の美メロなのである。 特に仕掛けらしい仕掛けない淡々と甘いメロディーなのに、真に迫ってくる。 当時は「熱視線」とか「Friends」とか「プルシアンブルーの肖像」とか、シングルではどちらかというと聞き手をねじ伏せるようなメロディーや歌唱の目立った玉置浩二だけれども、実は一番凄みがあるのが、こういうシンプルな歌なのだ。 (記・09.03.07)
◆ 安全地帯 「蒼いバラ」 (10.03.03/第9位) 長らくの休止からようやく再始動した玉置浩二率いる安全地帯の新曲「蒼いバラ」(3/3発売)が滅法良い。 どういいのか。「ワインレッドの心」や「恋の予感」の頃の、「あの」安全地帯的でいいのだ。退廃的で妖しくエロい、吐息まじりで女殺しの玉置浩二なのだ。 ここ数年の活動休止期間に、石原真理子の暴露本からまさかよもやの彼女との結婚、そして離婚という一連の騒動があった。 90年代の積極的なドラマ出演や、音楽においては「田園」などの須藤晃との共同作業で築きあげた和製ブルース・スプリングスティーン路線――純朴でやさしくいい人な玉置浩二は虚像であった。もっとろくでなしでどうしようもない奴だと彼は図らずもストリップされたわけだが、そこではたと自らのを悟ったのか。 あるいは石原真理子との短い結婚生活で若返りを果たしたのか(――P.Vでは20年近く白髪交じりだった頭髪を黒く染めている。確かに石原との結婚時のインタビューでお互いの若い頃を今取り戻しているうんぬんということを彼は語っていた)。 往年のエロティックにしたたった世界を示しながら、しかしより一層の気迫がここにある。男女が血みどろになってもつれ合っている様が旋律の向こうから幻となって見えてくるようだ。 蒼いバラ――どれだけ手をさしのべても決して手に入らない、しかし求めつづけずにはいられない幻、それが玉置浩二にとっての恋愛なのだろう。だからきっと相手をどれだけかえても、彼は答えをえることがない。 女にしがみついて生きるしか術のないジゴロまがいの弱い男の、しかし、曲を作らせ、歌わせると超絶的な男の、自らをストリップした情念の一曲と言っていい。彼となら一緒に墜落してもいい。女ならきっとそう思えるはずだ。石原との呆れるしかなかった一連の騒動もこの一曲で赦される。これだから芸能ってのは面白いよな。 ともあれ、50歳過ぎた男がここまで情念に満ちたエロい歌を作るというのは、もう業としかいいようがない。これからも彼は泥沼の酷い恋愛をして、というか女を食い物にしてエロい歌を作ってほしいし、もうそれしか彼には道はないのだろう、きっと。 (記・2010.01.22)
◆ 近藤真彦 「ざんばら」 (10.02.22/第15位) 近藤真彦の30周年記念シングル。89年、近藤真彦宛に「是非歌って欲しい」と作詞家・川内康範が提供した詞「ざんばら」、それに別々のメロディーをつけて「恋ざんばら」「心 ざんばら」としている。曰くつきの一曲といってもいい。20年以上ストックされていた理由は「当時はあまりにも生々しい内容で歌えなかった」と。 89年と言えば、近藤真彦は中森明菜の自殺未遂事件に振り回された因縁の一年、詞はまさしくそこを突いている。 愛しあう男と女、しかし女は死に男は残される。男は煩悶する。諸共に墜ちてしまえという甘い死の誘いと死んでたまるかという現世への執着。片割れを失い決して昇華されることのない泥沼の愛欲に男は狂う。これがこの歌の世界だ。 これは川内康範が68年に森進一に提供したヒット曲「花と蝶」のバリエーションと見ていいだろう。 「蝶が死ぬとき 花が散る」「花が散るとき 蝶が死ぬ」春爛けるある一日、蜜にまみれた花と蝶の情死体――。しかし花が散るときに蝶が死ねなかったら……、そういう歌といってもいい。 そしてこの歌の近藤の「死んでたまるか」の部分は、中森明菜の「難破船」の「あなたを海に沈めたい」に対応する可能性がある、ともここではいってしまおうか。 とにかくこの歌は、現世のしがらみにどうしようもなくなり一緒に死ぬしか選択肢のなくなった男女のどろどろにもつれ合った心中の、しかも自分だけ生き長らえてしまった惨めな男の歌なのだ。 川内康範の詞は、近松の世話物にも通じる情死の美学がただよっている。愛欲の最中、ぐずぐずと蕩ける砂糖菓子のようにもつれ合い崩れあっていく男女の肉と魂、死という形であらゆる矛盾も障害も愛憎も、昇華されてゆく。女郎や丁稚の「奉公」もタレントの「プロダクションとの契約」もさして変わらない、川内康範はあるいはそう思ったのかもしれない。 それを近藤のスタッフは86年の近藤真彦の実母の死去と、その翌年の音楽賞レースに端を発した実母の遺骨盗難騒動に、わざわざミスリードしようとしている。可愛くないなぁ。余計な話をせずに黙って歌えば――わかる人だけにやりと笑って、いいねと言えただろうものを。 それに森進一の「おふくろさん」のミスリードを絶対赦さなかった川内康範がもし今でも存命であったなら、決してこのような意図的なミスリードは赦さなかっただろう。 「親子愛の歌なんかじゃないよ、この歌は。マッチ全然わかってないね、あんたがあの時惚れてた女との歌だよ。わからないなら返してもらおうかね」 そういってもおかしくない――が、実はマッチは案外わかってて、そしてそのように歌っているのかもしれない。 ここ20年近く、後輩の番組をバーターで時々出演するだけで、歌手とも俳優ともレーサーともつかないどっちつかずの存在意義の希薄なタレントとなっていた近藤真彦だが、この歌を歌う彼には久々にスリルがある。自らに鋭く切り込んで表現したものだけが持ちうるエロチシズムといえばいいのだろうか、相変わらず上手いとはいえない歌唱なのだが、ぐっと水際立っている。いい。「愚か者」や「青春」「アンダルシアに憧れて」「泣いてみりゃいいじゃん」といった曲を歌っていた頃の彼がちらりと見える。あの頃手放したピースを再び彼は手にしたのかとすら一瞬思える。 わたしは、表現という名においてすべてを衆目に曝すことができる者こそが、喝采というオマージュを浴びることができるのだと思っている。すばらしさや美しさだけではない、惨めさやだらしなさ、怯えや傲慢など、人として持ちうる拭えない汚点をも曝し、それでも毅然として舞台に立ちつづけた者だけが喝采の資格を得るのだ、と。 そして、そういう意味において近藤真彦は89年のあの時、舞台から降りてしまったのだ、とも思っている。無邪気に無防備にすべてを曝して嘘のない――だからこそ輝いていた80年代の近藤真彦は、自らに口を濁らせ蓋したあの時死んだのだ。ゆえに以降20年近くわたしは彼を冷笑とともに見ていたのだが、さて。彼は再び本気で舞台に立つ覚悟を決めたのか、否か。 あえてそれをさらすメリットは――芸人としてはつまらないことだが――ビジネス的観点から言えば今の彼にはまったくない。だからそのようなことはないとは思うのだが、もし万が一それをするというのなら私は彼を応援する。 (記・2010.03.06)
「火の鳥」は、コスタリカのあたりの南の島に観光に行ったら現地の少女と恋に落ちて、という物語で、曲間にナレーションなどを置きノンストップの構成になっている。ストーリー自体は、結構ベタというか酷いというか、女の子の扱いがおよそ最低なんだけれども、寺山の男性原理な酷いストーリーに、布施明のぶっとく不器用な演技がこれ、意外とはまっている。「日出処天子」の蘇我毛人的な、偽善的爽やか好青年を見事演じとリます。 布施さんは、前時代的なくっさいことを恥ずかしげもなく演じ切れるところが強みだよな。ズバーン!!とかダダダダーン!!みたいな擬音をバックに背負えるキャラというか。寺山修司の詞は「戸を叩くのは誰」とか「眠るのが怖い」とか「悲しみという名の猫」とか「さよならだけの再会なんて」とかどっかで聞いたような言葉が出てくるのは、どうなんでしょうか? 「そして26…」は、ジュリーの「僕は今幸せです」とか、アレね。地味ぃ〜にフォーキーに善人じみた世界がひろがってます。スターの作った自分用の歌って感じ。作品としてどうこうというよか、まあ、やりたいんだから仕方ない。赤坂のギター弾きのプレイボーイ「とおる君」とははたして誰のことだろうか。 (記・10.06.07)
◆ JULIE with THE WILD ONES 「渚でシャララ」 (10.02.10/第24位) 08年12月のドームライブ直後に加瀬邦彦が「もう一度夢を見てない」とかなんとかジュリーと一緒にご飯食べながら新企画の話をしたみたいだけれども、それがこれってことなのかな。 ワイルドワンズ+ジュリーという夢のGSユニットのニューシングル。作詞はちょーお久しぶりの三浦徳子(ex.「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」「渚のラブレター」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」)で、作曲はもちろん加瀬邦彦。ジュリーとしては01年以来久しぶりのメジャーレーベルのリリース(エイベックス)で、オリコン初登場23位と、高位置のスタートを切っている。 楽曲はど真ん中GSといっていいかな。あの時代のサウンドを2010年という今にリファインさせたら、どうなるか、こうなりました、という感じ。まさしくアラカン回春剤な前向きで健康的な一曲。 個人的には耽美で退廃なジュリーが好きなので、そんなにツボなノリではないのだけれども、今の脂の抜けきってまごうことなきおじいちゃんになったジュリーを輝かせるとしたらこれっていうのは、よくわかる。ジュリーソロ時代の全盛期をともに歩んだプロデューサー・加瀬邦彦の手腕は、今回もおそらく間違いがない。実際、ジュリーレーベルでリリースしてきた近年のセルフプロデュース作品群と比べると、気負いがなくつるっと抜けたところがいい味わいになっているしね。これはもう美老人ロックといってもいいか、と。フォーカスがびしっと定まっている。 やっぱジュリーは全部自分でやるよりか、ジュリー愛に燃える才人がある程度お手伝いした方が輝くんだろうな。3/24にはこのユニットでアルバムも発売するそうで、さてさて。 (記・2010.03.08)
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