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まこりんのつれづれなる日々



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2009.12.29

■ ことしもおしまい

 ちょっと前に小室哲哉がみのもんた相手に懺悔する番組をやっていて、それを見ていて色々と思うところがあったんだけれども、なんかうまく文章に出来ないからいいやと放り投げて、wiiのコントローラーをぶんぶん振り回してゲームやっていたら肩をいわせてしまって、自分の貧弱ぶりにあ然としてたらいつの間にかもう年越しです。
 今年は振り返るまでもなくサイト的には同人作りに勤しんだ一年だったけれども、実際に手にとった人の感想はともあれ、自分的にはひとつのメモリアルだったな、と。
 もちろんただ「よかった」だけじゃなく、自分のダメな部分、反省すべき部分もたくさん見えたし、少しは今後の指針にもなったと思う。いやあ、もう、たいへん謙虚な気分になりましたとも。
 ってわけで、今後、サイトの方向性も随分変わるかもしれないし、そうでないかもしれないし、来年はどうなるのかはまったくわからないけれども、ま、ひとまず、今年もありがとう、来年もよろしく、っと。



2009.12.10

■ 文フリ 雑感

 文学フリマにサークル参加して、一番驚いたのは、一般参加の方、いわゆる買い手がとにかく話しかけるってこと。
 もちろん声掛けは普通のイベントでもあることなんだけれども、まあ、大抵は「ファンですぅ、いつも読んでますぅ」とか「前の○×本すっごくよかったぁ〜」とかなんとか、まあ、ファントークだったりするわけですよ。差し入れのお菓子なんか渡したりしながらね。
 そういうのももちろん多かったんだけれども、そうでない、さしてサークルの素姓を知らずに意図もさしてなく話し掛ける、というのも結構あって、一番驚いたのが以下のふたつ。
 「なんのために中森明菜本出しているの?」
 「中森明菜って歌うまい?」
 これ、別の人、ね。どちらも女性だったかと。自費で中森明菜の同人誌作っている人に、直接これを言うってね、失礼だし、愚問ですよ。
 ま、世間一般では、こういう発言する人っても往々にして居るものなんだけれども、同人イベントでってのは、自分が味わったのはもちろん、見かけたこともなくってね。
 きもかろうが下手だろうが、自分が好きなものを情念の赴くままに好き勝手に作るのが同人――ってコンセンサスが取れていれば、まあ、普通出てこない類の発言ですよ。
 例え、自分的になんじゃこりゃなトンデモ同人見つけたとしても、サークルの当人に向かってってのは、フツーない。せいぜい友達同士で「○×◇の本ってありえない、マジウケル」とかいいあうだけで。誰得なカウンターとか、仕掛けませんよ。
 だから、失礼だなとか憤慨するというよりも、なんか、こう、新鮮な驚きを感じた。こういうこという人がイベントでいるんだー、と。
 んで、このイベントはコミケ文化圏とは違う所にあるんだなーと、おもった。
 昔はそうだったのかもしれないけれども、いまやコミケ発信の同人文化ってのはトライ・アイド・エラーの蓄積で洗練されきっていて、即売会のマナーやルールに関しても浸透されつくしているのね。けれども、それがここになかった。
 前述した買い手の気質を含めて、他にも、例えば、通路に荷物が平気ではみ出まくってたり、列が近隣サークル前を浸食していたり、そもそも壁・誕生日席がなくって大手サークル対応に不適切だったり、イベント用のゴミ箱が設置されてなく、館内の常設のゴミ箱が溢れかえっていたり、と(……一般もサークル参加もゴミは全部持ち帰り、というのは理念としては正しいかもだけれども、現実的ではないなーと感じた)、現在のコミケではありえないような諸々のカオスな状況、それらはコミケとは文化圏にあるからこそなのかなーと。
 雑でカオスで、若く、練れていない。良くも悪くもそれがこのイベントのカラーなのだろう。個人的には、それはそれでいいんじゃないかなと思うけれども、まあ、きっと、続けていく限り、このままというわけにもいかなくなって、変化していくんだろうな。



2009.12.07

■ 文フリ 終了

 当サークルに足を運んでくださった方、ありがとうございましたっ。
 いんやぁー、疲れたっ。でも、一般的な同人イベント(――コミケとかシティとかね)と、色々と違いのあるものだったので、興味深かった。
 イベント閉会直前の午後三〜四時にいちばん会場が盛り上がってたのも不思議だったし、こんな人だかり状態で閉会しながらも閉会直後から椅子やテーブルの片づけが怒涛のごとく進捗したのもびびったわ。宅急便発送して戻ってきたら、テーブルなくなってんだもん。色んなやり方があるんだなー。
 当日新刊の栗本薫・中島梓追悼ファンブックの通販・発送も開始したのでよかったらら。
 あ、通販。最近、住所間違えたり、変なペンネームで申しこんだり、ちょっと目立ちます。
 配達のおにぃさんおねぇさんを困らせることのないようにっ。小中学生じゃないんだかんね?

2009.11.30

cover
 気がついたら、こんなに大きくなってました。おそるべし。普段はこの写真のように可愛くないです。

 文学フリマまであと一週間なので、ひとまず告知。
 会場は大田区産業プラザPio(最寄駅/京急蒲田駅)で、11:00から。入場は無料。イベントの詳細は公式サイトを。 http://bunfree.net/
 うちらのサークル名は「なかとも会」でスペースは「R―13」、新刊は《中島梓・栗本薫 追悼本》になります。
 既刊のものはひとまず持っていけるだけ持っていきますけど、イベント初参加でどれくらい捌けるのかまったく不明なので、売り切れになってしまったらごめんなさいです。
 この「文学フリマ」ってイベントは、文章系の同人誌即売会だそうで。その昔、筒井康隆「大いなる助走」で揶揄された類の、いわゆる伝統的な文芸同人の系譜と、いわゆるコミケ発祥のオタク文化の延長にある文芸同人(――ってかラノベ)のふたつの潮流があるっぽい感じです。
 オリジナル中心で二次創作は少ないかな。オリジナル同人漫画中心のイベント「コミティア」の小説・文章バージョンと考えるとわかりやすいかもしれない。
 ちょっと前に講談社が東浩紀と一緒にいわゆる評論家の《スター誕生》企画、「ゼロアカ道場」ってのをやっていて、その第○審査かなんかでこのイベントとコラボしたりして、一部では有名らしいです。
 ――って、知ったように語っていて、わたしは以前にこのイベントに参加したこと一度もないんだけどなっっ。
 ま、そんなこんなで、12/6 蒲田 もし、よかったら、どうぞっと。


2009.11.23

「追悼・栗本薫/中島梓 ファンブック 《うなグインサーガ》」と短編小説集「くねくね」の通販予約開始しました。  中身はほぼ全て浜名湖うなぎさんの執筆です。わたしは主に編集の作業で携りました。  赤字覚悟の低価格での頒布ですし、栗本薫・中島梓追悼本として他の追随を一切赦さない内容の本になっていると思いますので、よかったら買ってやってください。

2009.11.22

 やっっと終わったぁ。「追悼・栗本薫/中島梓 ファンブック」入稿したよぉ。
 わたしの文章は、「栗本薫・中島梓 略歴」と、「グインサーガ」や「朝日のあたる家」「小説道場」の作品紹介の短文と、あと小説道場門番の文章だけで、原稿執筆以外の装丁とか構成とか校正とか、印刷屋さんへの連絡とか、編集関連の諸々の雑事が担当だったんだけれども、やっぱり疲れた。身を削った。
 前回の二冊の中森明菜本の時もそうだったけれども、ラストスパート数日は「しんどい」「つらい」「逃げたい」「やめたい」と思いながらの作業。
 スケジュール的にどうとかでなく、精神的に追いつまってしまう感じでね。最後は、もう、原稿これ以上見るのが辛いから入稿、みたいな。
 自分が書くにはまだ気力が満ちてないなー、と思って冬の新刊は、プロデュースメインにまわったんだけれど、ま、確かに今回の作業、明菜本の時ほどのしんどさ(――や、もう、あれはしばらく味わいたくないわ。淀んだ意識を何度も蒸留させて、それをキープしたままナイフの上をそろそろ歩くような、そんな苦しさがずっとあって、本当に精神が死にかけた)からは多少和らぎはしたけれども、いや、楽なんてものからは程遠かった。
 サイト運営で文章を書くことに多少はなれて、なんやかやとだらだら書いたりしてるけど、本作りはそれにより遥かに精神力を使う。ホント、是非一度皆さんやってみたらいいよ。どんだけ自分いじめるんだっていうね、そういう作業っすよ。才能ある作家とか編集ってのはドMだなとおもったよ、わたしは。
 とかグチグチいってたら「同人誌なんて勢いとノリで気楽に作るものじゃん」って知り合いに云われて。んで、まあ、実際そういうスタンスでも正解なんだと思うけれども(――誤字脱字てんこもり、仕上げ雑、本薄い、しかも時には鉛筆コピー本、みたいな同人作家は山ほどいるし、その中に好きな人もいっぱいいるしなー)、自分が作り手となると、どうにもそうもいかん。文章量も内容も薄い本なら別にサイトに載せりゃいいじゃんね、とか思ってしまう。
 だって、世の中には腐るほど本が出ていて、しかも安くて、本屋ですぐ手に入って、それらを押しのけて「いい」「これが欲しい」と思って買ってくれる本でなければ、同人誌で出す意味がないじゃない、と。
 ま、つまり。才能がないのに、自分へのハードルが高すぎるだけって話で、これからも本作りするとしたら、こんな風にやっていくしかないのだろうな、きっと。
 あ、今度の新刊に関しての細かい情報はいつもの通販サイトに。予約もおいおい開始します。


2009.11.17

あッ、昨日のエントリ、唐沢俊一検証サイトさんのところにトラバ飛ばしたことになっちゃってるっ。
ぐ…むう、はてなダイアリー同士だと、アドレス表記しただけでそうなっちゃうのか?
やだなー、昨日のエントリがエントリだけに、これじゃ、まるで本の宣伝でトラバ飛ばしたみたいじゃないかっ、もう。
唐沢検証サイトさんとは、王侯貴族の舞踏会を憧れながら遠くでながめる平民のような、そんな距離感を保っていたかったのにぃ(――好きでもないもんに対してあんな理知的で冷静な検証、わたしゃ絶対できないもん)。うっかり土足でずかずか上がりこんでるよ、自分、まったく。
――ってわけで、うっかりうちに流れ込んで来てしまった人、ごめんちゃい。そういうつもりじゃ、なかったんです。


2009.11.16

 おいっす。修羅場のまこだずぇ。
 例の二冊の中森明菜本、委託販売してくださる書店、増えましたので、ひとまず報告。
 まず一軒件めは、60年代の学生運動の時代をいまだに濃厚に漂わせている、社会運動系の同人、ミニコミに強い書店模索舎。店舗は新宿二丁目にあったりします。
 21世紀を迎えてもなお「闘争」したり「粉砕」している方々や二丁目お勤めのお姐さん方、よろしかったら、どぞー。
 もう一軒めは、サブカル系の同人・ミニコミに強い、中野ブロードウェイの書店タコシェ。サブカルっ子や唐沢俊一を検証している方なんかはこちらが便利。
 (――あ、唐沢俊一で思い出しちゃったっっ。からさーさん、あぁた、加藤和彦をなんも知らん癖してテキトーに語るなよなー、もー。もし万が一うちの10/22の日記を読んで、その内容を丸呑みで知ったか語りしてるとしたら――ないと信じたいけどさ、怒っからね、ホントに。――って意味のわからない方はひとまずこちらとかを参照 http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20091116)
 今、それぞれの書店さんのサイトを確認した感じだと通販の方には商品アップされてないみたいですね。もしあげられたら、あとで、そっちへもリンクしときますね。
 あ、もちろんまんだらけ・中野店さんにも商品はありますです。
 んじゃ、そういうことで、栗本薫・検証本(ん?)の編集作業に戻りまっす。
 今回は自分が書いてないから「いい本だなー」「愛があるよねー」「泣けるねー」「世界で一番の《栗本薫・中島梓 本》じゃなかろーか」とかなんとか、能天気によがりながら編集作業しているまこでした。


2009.11.12

 在庫切れになってました「中森明菜 歌姫の軌跡 1 歌謡曲最後の時代 1982〜1989」の再版分、完成・到着しました。
 通販も本日より再開しますので、もしまだお買い求めでない方、よろしかったらよろしくです。
 中味は誤字・脱字の訂正を中心におそらく自分しか気づかないだろう細かい所の修正のみで、基本は初版とおんなじです。二、三日内には「まんだらけ」の委託も再開すると思います。
 しっかし、あぁ、もう、これ、絶対再版貧乏だよなぁ。いいんですけど。
 あ、そうだ。もしここをご覧の、書店やCDショップにお勤めの方で、ISBNナシ、バーコードナシのこんな本でも置いてもいいよって方、いらしたらご一報ください。


2009.11.09

 三十の齢を過ぎて幾ばくか経って、最近しみじみ思う。自分の感受性がどんどん鈍くなっているなって。
 色彩が、言葉が、音の響きが、雷撃のごときに我が小さき脳内におりてくる。
 小賢しい理屈の全てを撥ね退けて「わかってしまう」「見えてしまう」。世界を瞬間に、全的に、理解してしまう。
 大きな何かが、透明な矢のよう、まっすぐに全ての物事を突き刺して自らの心に届いてくるような、瞬間、があった。
 それはなにかの絵や音楽や物語や芝居に触れた時だけでなく、ふとした風の気配や陽の翳りを感じた時など些細な日常にも宿っていた。そのメッセージを言葉を超えた所で私は享受していた。
 それは本当にそうだったのかもしれなく、あるいは何か大きな勘違いだったのかもしれなく、もしくは誰しもがそういう時期が一時あるのかもしれないけれども、十代後半、特に二十歳になるかならない頃のわたしは、そんなめくるめく体感に、始終翻弄されていた。
 その、何者からか受け取った何かを自分でもうひとつの何かの形にするにはあまりにももどかしく、そしてそんな面倒な事をしなくても次々とその素晴らしい時は向こう側からやってきたので、わたしはただ、ぼんやりと阿呆の顔をして待っていさえすればよかった。
 そんな時期はもう、随分遠い話になってしまった。
 心が躍る。否応なしに体が反応する。言葉が自然と溢れ出てくる。そんな経験は久しくない。そして気がつくとつまらぬ小理屈ばかりが頭をしめている。
 もっと私は、翻弄されたいし、酩酊としていたいのに、素晴らしい音楽も素晴らしい物語も、なぜか私を冷静にさせてしまう。
 要は私はもうダメなのだ。つまらぬやつになってしまったのだ。
 結局、こんなサイトやらなんやらで、求められもしないのに愚にもつかない何かを表現しているというのは、その頃の感性が死につつあって、そしてそのことをどこかで自覚をしていて、それでいて、あの時のなにかを必死で再現しようとしてもがいているだけなのかなぁ、と、思う。
 まあ、とはいえ、自分を見捨てるわけにもいかないので、それなりにやっていくしかないんだけれどね。


2009.11.01

 んーーー。なんか猛烈に眠いぞ。
 ここしばらくはまた同人誌の制作に没頭しています。
 今回は編集とか全体のプロデュースメインの作業なのですが、今年五月に亡くなった作家・栗本薫の追悼本を作ってます。
 「栗本薫」とか「グインサーガ」とか「小説道場」とか「JUNE」とか、それらの言葉にキュンっとなった経験のある方なら、是非読んでいただきたい本になるかな、と。
 今度も150ページオーバーの異様に分厚い本になるのですが(――下手したら200ページいくかも)、これを12/6の「文学フリマ」に初売りできるようにしたい。いや、する。というところです。
 ちなみに。12月には以下のふたつのイベントの参加が決定しています。

 12/6 文学フリマ
 12/31 コミックマーケット・3日目

 サークルスペースとか細かいことははおいおい連絡しますが、新刊の栗本薫本と二冊の中森明菜本(――上巻は、イベントまでには必ず再版します)を頒布する予定です。
 それにしても。今年はなんかもう、同人作りばっかりですなっ。


2009.10.22

 加藤和彦が死んだことで、一週間近く、ずっと考えているのだけれども、うまく言葉に出来ない。ただ、最近、死に様というのは、その人がいかに生きたかというのを象徴していることなのだなと、よく思う。そのひとつとして、加藤和彦の自殺も、すとんと腑に落ちるようなものを私は感じた。
 彼のスタイリッシュで貴族趣味的といってもいい音楽のその裏には、いつも群衆からはぐれたところでぽつねんと佇む孤独の気配がいつも漂っていた。「うたかたのオペラ」の「50年目の旋律」、「ベネツィア」の「水に投げた白い百合」などがそうだ。
 さらに誤解を恐れずにいうならば、彼の音楽そのものが虚無であったようにも思える。
 フォークを端緒にロック・テクノ・レゲエ・ジャズ・ボサノバ・クラシックなどなど、バンドごと、時代ごとにコンセプトごとに変幻する彼の音楽――それは常に時代の半歩先を読み、後の世代に様々な影響を与えた作品ではあったのだけれども、ざっくりいえば、それは時代のごとの洋楽のシーンに即応し日本化したもので、まったく自らの内面から滲み出るものではなかったように思うのだ。
 そういう意味合いにおいては彼は筒美京平に近しいタイプの音楽家なのではと思っている。もちろん、それは彼の音楽的功績においてなにひとつ傷にはならない。
 しかし自らの音楽の限界を感じて自死するとの遺書を知ると、彼もまた夏目漱石らと同じように西洋と日本の狭間の虚無の淵に落ちていったようにも、また思えるのだ。
 そしてそれは、ポップスを作り出す、愛する日本人の誰しもが隠し持っている宿命的な虚無にもまた、思える。

 ま、とはいえ、本当のところは、金銭的な逼迫や病気などの肉体的な困難もあったかもしれないわけで。そんなご大層なものではないのかもしれない。けれども、人がましく、泥臭く、地べたを這いつくばってでも生きるよりも、高雅に自死するほうが、彼らしい。彼の美意識に則るのならば、ここが幕引きとおもったのだろう。

 もうひとつ、あるCFのこと。
「モーレツからビューティフルへ」
 1970年に彼が出演した富士ゼロックスの名テレビCFだ。
「これからはただがむしゃらに頑張るのではなく、ゆとりや自由や贅沢を楽しむ時代ですよ」
 そのように、彼はマス向けてメッセージを放った。それは60年代の高度経済成長期から次のステージへと日本全体が向かう、象徴的CFとなったわけだけれども、結局その後の日本は、「ビューティフル」とは名ばかりの富とこころを乱費するバブルへと辿りつく。
 そして加藤和彦もまた自らの求める「ビューティフル」へ向けて、豪奢に優雅に創作しつづけ、そしてその末にこのような形で自らを終えたわけである。そこに日本のひとつの時代の終焉を感じたりもする。

 ――と、とりとめのなく書いてしまったが、特に意味はない。何か言葉にしないと按配が悪いのでここに残しておく。


2009.10.11

 風邪ひいてまっす。うげぇぇ。きもいいぃ。まったく身動き取れないわけではないですけど、モニターも長時間見ていると吐き気がするわ。
 いま、アクセス解析ちらっと確認してみたら、九月あたりから、谷山浩子さんのサイトからうちのサイトチェックしている人がちょっと多いみたいですね。
 今年の「猫森集会」の感想あるかな?って感じでチェックしているとしたら、ごめんなさいぃ。もしその中にご本人がまじってたりしたらもっとごめんなさいぃぃ。今年、いけなかったんだよぅ。
 明菜本の二冊目が終わってへろへろになってて、九月半ばまですっかり忘れてて、気がついたら、ローリーさんの回しか公演残ってなくって、しかもチケット完売で……。
 ライブのチケットって、取るの、めんどくさくないです? わたしゃ、よく、うっかり忘れちゃうんだよなー。
 そうそう。谷山さんといえば、次の本は「谷山浩子 or 斉藤由貴・読本」にしようかなぁ、冬コミでスペース取れたらがんばろうかなぁ、と、うっすら思っているんですけれども、どうざんしょ。
 ――あ、ちなみにコメントであった質問ですが、私の三大歌姫は、歌手専業で中森明菜、作詞・作曲も手がけるシンガーソングライターで谷山浩子、詞・曲に編曲やミックスまで自分でこなすサウンドクリエイター兼務なら書上奈朋子。この三人で鉄板です。これはもう今後も絶対揺らがない。ここにプラスして女優兼歌手の斉藤由貴をいれて、これで四天王かなぁ。ま、これはただの《自分的好き指数》なのでなんも意味ないものなんですがっ。
 ま、そんなこんなで明菜さんの次は谷山さんか斉藤さんかなぁと思っているんですけど、でも、私が知らないだけで絶対どっかで出てるよね、谷山さんのファンジン。20年くらい前とかに。
 それに、こう、谷山さんなんか、さすがにわたしの実年齢よりも芸能活動あるわけで、絶対私よりも昔の事情を含めて色々と通じているファンの人がいると思うんだよね。
 谷山さんのシングルレコード各種とか、ビデオの「ねこ森アンサンブル」とか、21世紀の今となってはレアすぎて所持していないものも結構あるし、うーん、と。
 じゃ、わりとオンタイムで追いかけている期間のある斉藤さんなら、と思っても、斉藤さんで、本職の女優部分をほぼまったく取り上げないってのもなぁ、でもその辺、よくわかんねーしなぁ。それに役者仕事抜きの、「歌手として、文章家としての斉藤由貴」でまとめるにしても、そっち方向においては斉藤さん、今は決して現役とはいえないし、なかなか難しいものがあるよなぁ。――と、ぐちゃぐちゃしてます。
 ま、冬コミ取れてなかったら、今年中の発刊はボツなんですが。コミケで新刊ナシで机の上に本が二冊だけってなんか淋しいじゃんかよー、っていう思いだけなんで。


2009.10.01

Yahoo オークションでの取り引き、再開します。
カード決済使用出来ますので、よろしかったら、どうぞ。
あと前作同様、まんだらけの中野店にて委託販売も開始されるので(――この週明けには店頭に並ぶと思います)中野区近辺の方やまんだらけに用事のあるかたはよろしくです。
――ていう業務連絡はいいとして。

あんぎゃぁぁ!!!
今、粗探しのため、明菜本2冊を改めてみっしり通読している途中なのだけれども、死ぬる、溶ける、いやあ、誤字脱字、多すぎだろ。
なんなんだろ、これ。意味がわかんない。何でこんなにあるの? ねぇ?
知り合い・友人は「何回見直してもどうせあとで見つかるんだから」「読んでもそんなに気にならないし」「意味は通じるし」「愛嬌愛嬌」などなど、気休めを言いますがねっ、やっぱ気になるんだよなぁぁぁ。
世間一般の女子が「今日、髪型が決まんないぃぃ」とか「化粧のノリ悪いぃぃ」っていうのとおんなじように、同人漫画家が「モワレがぁ酷いぃぃぃ」「絵が荒すぎ orz」と悶絶するのと同じように。
――ってことは、それって、傍目からしたら「え、いつもと大して変わんないじゃん」ってことなんだろうけどっっ。
でもでも。完全泣き言だけれども、モニターだけの確認だと不安だからと、これでも校正のために全頁を四回もプリントアウトして確認したんよっ。全部で600枚越えですよっっ。
ふがあぁぁぁぁっっ!!!
……ま、明菜本2に関しては確認終わり次第また「正誤表」アップしますです(泣)。





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