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2007.04.19 なんかもうどうしたことか、近頃夢がめっぽう面白い。 佐々木淳子が人間は年を取るほどその分夢が面白くなる、とかなんとかいうていたけれども、 いやはや、子供の頃と比べると、妙にストーリー性があって、確かに質があがってます。 わたしの夢のポイントは、なぜか大して思い入れのない、好きでも嫌いでもない女性タレントがでてくるところ。 最近も殺人鬼と化した石田ゆり子に追い掛け回されたり、バスの中で飯島真理になぜか因縁つけられたり。 いやあ、マジ怖かったね、ゆり子は。追いつめられ追いつめられ、ついに人の仮面を剥ぎ取った時の彼女の豹変っぷりときたらっ。 飯島真理は、なんかヒステリックで可哀想な中年のおばさんで、因縁つけられつつも、なあんか不幸そうな人だな、この人、誰か彼女を愛してくれる人いないのかなぁと思ったり、――て、これ全部夢ですよ、夢。 しかし、そんな中、なぜかっ、なぜか明菜様が出てこないんだよぉーーっっ。と、思っていたら、出て来ましたよ明菜様が。 横浜のみなとみらいで偶然に明菜様にばったり会って「ファンです。応援しています」といったら、 「(人気のあるこういう場所でいってほしくないなぁ)」みたいなすんごい嫌な顔されて「あぁ、やり方失敗したなぁ」と反省した、って、夢なのに全然夢がねぇよ、自分。 これじゃ本当にありそうじゃないか。 しかし、今あげたみっつの夢、どれも女性と全然いい目にあってないな、自分。これは一体なんの暗示 ? 2007.04.16 ◆ Kyoko Sound Laboratoryは大丈夫か ってわけでwebってのは、やっぱり凄いよね、PCがあって、ネットに繋いでいれば、誰でも公に情報が発信・受信できる。 そこには経歴も才覚も年齢も人種も性別もない。 既存のマスコミではふるいにかけられ、決して公に知られることのなかった"気違い"さんの文章ですら私たちは容易にアクセスすることができる。 原理原則でいえば、その平等主義は素晴らしい。大変結構。 だけど、実際に気違いさんの文章に出会うとげんなりする。 なぜ気違いさんの文章というのは、ああもこちらの精神力を奪うのだろうか。 不思議なもので、気違いさんの文章というのは、どこか似ているのね。 ぱっと見ですぐわかる。 行間から腐臭がするというか、一瞬で明らかに私たちのいる世界と一線を画していることがわかる。 この春、ジャニーズオタク界や2ちゃんねる界で話題をかっさらった篠原"ジブリール"聡子にしても、そう。 異様なる熱意、異様なる長文、煽り立てるがごとき言文の繰り返し、執拗な描写、しかし悲しいかな、その文章には客観性と目的意識がまったく欠如しているので、まったくもって伝わらない。 しかし漫然とした悪意やら傲慢さやらだけは剛速球で伝わってしまう。 だから不愉快でたまらない。 ゆえに、車に轢かれた猫の死体に目をそらすように「可哀想だけど、グロいから無視」とばかりに、 気違いサンっぽいサイトはできるかぎり訪れないように、 気違いサンっぽい人からのメールはうす目でさらっと流して読んで破棄しているわけだけれども。 自分の好きだったアーティストがそんな気違いさんみたいな文章を垂れ流していた、と知った時、一体どうすればいいんでしょうか、神様。 Kyoko Sound Laboratoryというアーティスト、知っている方、いるかなあ。 現在は木屋響子という名で活動しているんだけれども、系統でいえば、ZABADAKとか谷山浩子とか新居昭乃とか、いわゆるアニメファンタジー系サウンドで、 打ち込みビシバシ、多重コーラスで、荘厳でハイエナジーなかなりかっちょいいサウンドメイクをされるアーティストで、 わたしは手塚治虫の「火の鳥」をイメージした「無題 〜鳳凰の彫像〜」とか「ジャスミンの眠る黄河の泡」「Walking in the Blue sky」「TRUE」とか好きなんですが、まぁ、それはいいとして、 そんな木屋響子さんのサイトの「炸裂地獄絵日誌」というコーナーなんですが。 http://kiya-kyoko.heteml.jp/gokuakuchikusyouyamiyoukai.html ※ 気違いテキスト。目にも心にも悪いです これは、ネタだよね、ネタだといって――お願い。 でも最下層に以前のテキストとか続きとか、あるね。 他のページでも、「PCを使ってクリエイティブな仕事をしている私のような作曲家が売れないのは、PCからの先取りにより情報を地下組織的に盗まれているのかもしれない、とまで直感する」とかいってるね、 元ZABADAKの上野洋子さんに対して「もし顔をあわせたら水をふっかけて海の底へしずめてやる!というぐらいの怒りだ」とまで、いっているね…………。 嗚呼、嗚呼、嗚呼。もう、手遅れの感じが……。 ものすごい勢いで芸名を変えまくったり、HPの構成が前々からおかしかったり、たしかに昔っから香ばしい匂いが漂っていた方ですよ。 しかしなぁ……、どうしてこんなことに。 しかも、これで新譜「Wind〜For Driving」が試聴する限りかなりいい感じなのが、もう、どうすればいいっちゅうねんっっ。 近作の「火の鳥 〜EDENA創世記〜」とか「Prayer」とかも、決して悪くなかったしなぁ……。 確かに前々から音楽性の割にいまいち認められない方だなぁ、と、もっと評価されてもおかしくないのになあ、と、 深夜アニメの主題歌とかでいいから、アニオタの人に知ってもらえれば、新居昭乃や菅野よう子や梶原由記のような形である程度受けいられるんじゃ、と、思っていましたよ。 売れなさ過ぎて腐ってしまったのか、あるいは元々イタい方だったのか、 そのどちらかは知りませんが、あぁ、ううう。なんとかならんものか。ならんかぁ。終点の匂いがするものなぁ。 こんな形でサイトではじめて彼女の名前を取り上げるのが、わたしはとても悲しい。 ※ お祭り好きの人へ。あんまり彼女を面白がらないでくださいね。音楽家としての彼女は今でも優秀なんですから。 2007.04.14 あれ、また谷山浩子さんのプライベートサイトから、訪問する方がまた増えているな。 訪れてみる。 トップページ、谷山さんの相棒の石井AQさんのサイトやご主人のN氏のコーナーへのリンクの中に、わたしのサイトへのリンクが張りつけられているのを確認。 や、もう、ホント、恐縮、ありがとうございます、谷山先生。一度メールください(笑)。 谷山さんに限らず、ここ一年近く、私がこのサイトに残した文章が作り手側に受け入られることがとても多く、 それに驚き、ありがたいと思いながらも、なんだかとっても面映い。 そんなわたしなんて、その辺に転がっている一介のファンに過ぎないですから。と。 私がサイトであげているレビューというか感想文というか、そういった文章、 ぐちゃぐちゃと言葉をひねくりまわしているようで、煎じ詰めれば 「この人が、この作品が、好きなの好きなの好きなのぉー―っっ。これを味あわなきゃ、損。損ですよっっ」 てだけだったりするのですよね。 好きな本とかアルバムを友達に紹介する感じっていうか、ああいうノリ。 気軽にきゃっきゃと好きな作品を萌え語りするのって、とっても楽しいじゃないですかっっ。それに、アカデミックで小難しい評論は書きたいとも思わないし、そもそも書けない。頭よくないから。 だから、まあ、自分のテキスト、一定の同好のファンの人には受けいれてもらえるかなぁ、とは思ったけれども、それが作り手にまで届くとは、というのは、予想外の展開。 webって凄いよなぁ、改めて。 2007.04.13 明菜ファン以外のかたも、このサイトをご覧になっていると思うので、告知。 <中森明菜 演歌カバーアルバム「艶歌」 6/20発売> ・ 中森明菜に歌って欲しい演歌楽曲を大募集! http://www2.universal-music.co.jp/form/akina_enka/ なんでも、アンケート結果の上位10曲をレコーディングするそう。 おおおおっっ。演歌かぁ。早速リクエスト楽曲を思案。 って、この一週間ちあきなおみと溝口肇しか聞いていないので、ちあきのレパートリーしか出てこないよ。 そうだ。そういえば、自分昔こんなテキストあげていたんだな、と思い出す。 アルバム「歌姫」シリーズの再始動の願いをこめた妄想的な選曲 ここにあげたものの多くが歌謡曲・演歌の範疇に入るものかな。 この他は、そうだな、 「フランチェスカの鐘」 とか 「港の見える丘」なんて、楽曲に漂うルーズな良さが今の明菜にあうんじゃかな。 あと、ちあきなおみの 「ねぇ あんた」。あれを明菜で聞いてみたいかも。藤圭子なら「別れの旅」がいいなあ。 研ナオコだと、「雨の日の映画館」とか。あ、研なら「旅立つ男」、これもいい。誰も知らないだろうけれども、これ名曲なんだよね。 そうそう「ざんげの値打ちもない」を収録するなら、幻の「10月の夜に刑務所の鉄格子から月を見ている」4番 (あんまりにも直接的で過激なので、レコーディング時に省いたんだとか) を収録した完全版が聞きたいなぁ。 と、ぐだぐだ考えつつわたしが応募したのはこの3曲。 ・ 雨の日の映画館 (研ナオコ) ・ 港の見える丘 (平野愛子) ・ ルージュ (ちあきなおみ) 「ルージュ」は、入って欲しいなあ。 ちあきなおみの歌だし中島みゆき作詞作曲だしフェイオンのカバーもアジア圏で大ヒットしたし、 今回のアルバムに組み込み安いキャッチの強さがあると思うんだけれども。 とはいえ。 レコーデイングに入ったら、作業の早い中森明菜とはいえ、発売約2ヶ月前の告知でしょ。 本当にアンケート結果を反映した10曲になるのかしらん、と、ちょっと疑ってみたりして。 まあ、今後の資料になるでしょうから、いいんですけれどもねっっ。 みなさんも今後の明菜サマの為にリクエストをかけてみてはどうでしょうか ? 2007.04.09 ◆ NHKスペシャル 「松田聖子 女性の時代の物語」 なんだ、これ。 松田聖子特集の皮を被ったフェミニズムのプロパガンダ番組じゃねーかっっ。 しかも、20年くらい前の小倉千加子「松田聖子論」とアウトラインさして変わらないしぃ。もうっっ。 80年代の自己満足的フェミニズムの残党がここにいたのかみたいな感じで、ある意味古臭い。 逆説的に松田聖子を80年代に呪縛しているような……、と。どうなんだろ。松田聖子はイタいフェミおばさんのマスコットですよ、ってことでいいのか ? 本当にいいのか ? ま、ともあれ、フェミだろうがなんだろうが、作品や作家に事寄せて、自分の信奉するイデオロギーを布教するような、そういう評論まがいの言説、だいっ嫌いですからっっ。ぷんぷん。 2007.04.02 業務連絡。3/12にネタにした通り「毎日更新の輪」が3/31日付で閉鎖しましたので、リンクを外しました。さらば。 もうひとつ連絡。またまた松本隆さんの「風待茶房」の風待コラム駅伝コーナーでテキストを書かせていただきました。 今回は近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」です。拙い文ではありますが、お時間のある方はご賞味ください。 http://www.kazemachi.com/ 2007.03.31 春なんです。 ぞくぞくといろんなアルバムがリリースされて、嬉しい悲鳴。 ひとまず、八神純子のコッキーポップのDVDと、加藤登紀子の新アルバムは予約したぞ。 そうだそうだ、久保田早紀の旧譜も全作が紙ジャケットで再発売なんだよな。 というところに、ついに来たっっ。美奈子が来たっっ。 http://www.toshiba-emi.co.jp/domestic/release/200704/toct26255-56.htm コロンビア時代の「心を込めて」、マーベラス時代の「I love you」、バンダイ時代の「優しい世界」と、まぁ、よくぞここまで眠っていたかと、 アルバム未収録・未発表音源アルバムが連続リリースされている故・本田美奈子、 東芝EMI時代の未発表音源を収録した3枚組アルバム 『Angel Voice』がついにリリースされる。 おそらくDISC.2は、90年にリリース予定だったオリジナルアルバム、そのまんまなんじゃないかな。 先行シングル「SHANGRI−LA」の惨敗を受けて、オリジナルアルバムからベストアルバムへと変更、お蔵入りになった不運な楽曲たちがようやく陽の目を浴びるようです。 やったね。――と、言いたいけれども、ベストコレクションなDISC.1が、い、いらないかも。 ってか、東芝時代の美奈子のベストは、05年発売の「CD&DVD THE BEST」とか、03年の「ゴールデンベスト」とか、結構今でもカタログ豊富なんだからぁ、ねぇ、あえてここに入れる意味があるのか、と。 17年も前の未発表音源メインのアルバムで価格が5000円――。こういうパッケージは、どうやろうともコアなファンしか買わないんだから、 いっそDISC.1は、「暗闇に緋いドレス」とか「If……」とか「Tokyo Girl」とか「HEARTBEAT AWAY」とかアルバム未収録のシングルB面曲をメインにしたレアトラック集にしてくれればよかったのにぃ。 DVDも、「DISPA」とか「Dramatic Flush」とか「ヴァージンライブ in 武道館」とか既発売DVDの編集っぽくって――。 まぁ、買いますけども、一番よかったのが、DISC.2のみのパッケージのような。 2007.03.30 明菜様の「バラードベスト」やっと昨日とどいたよぅ。おせーよ、amazon。てわけで早速DVDから鑑賞。 ――わかった。 アイドル・明菜の魅力が今、わかったよ。 ぷにっとしてロリっとした美少女が悪ぶってメンチを切る。 このギャップがデビュー当時の明菜の味だったんだね。 三原順子+伊藤つかさ=中森明菜。これね。 てわけで"見た目ロリロリ、けれどホントの私は悪い子"だった加護亜依にも活路があるっ。ある? あるのか? うーん、法則としては間違ってないんだけどなぁ。 ――あ、そうか。 あくまで"悪ぶっている"であって、本当に悪くちゃダメなのか。むしろ悪くちゃ萎えるか。 そのあたりのさじ加減、なかなか難しいものです。 2007.03.27 ふがぁっっ。 手嶌葵の無料ライブの抽選、外れたぁっっ。 くじ運で自分の運気で目減りさせないまこりんです。負け惜しみじゃないもんっ。 そういえば、去年の夏の明菜様のパチンコ披露のミニライブの抽選も外れたんだよな、俺。 2007.03.24 しょせん この世は ひとりなり 久保田万太郎のこの小唄が時折わたしの心の奥底で響く。 どういう話の流れだったか、わからない。 「わたしだって、本当はもっと情緒的にだらしなく人と凭れあって生きていきたいですよ。愚痴っぽい話をだらだらしあって傷を舐めあったりとか、鼓舞しあうために褒めちぎりあったりとか、そうやってずるずると仲良しこよししたいですよ」 わたしがそうというと、友人は、 「そうは、けっして見えないけど」 と、返した。 また違うある友人は、 「基本的にATフィールド張っているよね。これ以上俺のテリトリーに入るな、みたいな。そういう警戒心が強いよね」 と、私に言った。 むしろずけずけと私の領域を侵犯して欲しい。そっとしておいたりなんてしないで、がんがん暑っ苦しく馴れあいにきて欲しい。 私は、意識の上ではわりと本気でそう思っているのだけれども、無意識では真逆のことを思っているようだ。 近頃、やっとわかったことがある。 個々人みんなが、それぞれ一生背負っていかなけばならない、一生をかけてクリアしなければならないテーマをもっている。それが「業」というもので、 そして、わたしの業(テーマ)はおそらく「孤独」であろう、と。 わたしは人一倍淋しがり屋の癖に、ひとりが大好きだ。 誰かのため何かのために縛られることを一等嫌がるくせに、人の輪から外れている自分を悲しいと思う。 かまって欲しいのに、かまわれるとむずがる、わがままな子供なのだ。 なにがしたいのか自分でもわからない。明らかに矛盾している。 だから、どうしても人との距離がうまく取れない。 ずけずけと相手の領域を無視して入り込んで失敗したりする反面、 どうぞ仲良くなりましょうと、誰かが歩みよってくると空恐ろしく感じて後ずさりしてしまう。 だからわたしは、いつも孤独だと思う。誰といても、なにをしていても、そう思う。 孤独は嫌だ、何度もそう思う。しかし孤独は、いつのまにかなによりわたしそのものになってしまった。 いや、いつのまにか、ではない。生まれた時から、そうだったのだ。 昔からわたしはそうだった。 幼い頃の私を思い出す。 六人家族のなかで、いつもわたしはひとりだった。 団欒のさざめきのなか、どこか、わたしは一線を引いていたのだ。 なにが理由というわけではない。馴染めない、と思った。 このまじりッ気のない情緒の繋がりにあって、私は違和だ、と、感じた。 しかし私は、その団欒の風景が嫌いではなかった。 壁一枚向こうのさざめきを聞きながら、ひとり眠るのが好きだった。 向こう側の幸福な気配を感じながら、ひとりで満たされる。 それが居心地よかったのだ。 それは今でも変わらない。 人の心にべったりと近づくことが出来ず、しかし、あからさまに遠のくいて孤高を気取ることも出来ない。 だから、わたしは人の輪の内と外の境界のようなところにいる。 そこでぼんやりと楽しげな空気を感じるのが、一番落ち着く。 ここが自分の居場所だ、と感じる。 私の孤独を否定することは、私を否定することになる。 だから私は私の孤独を認める。孤独だから私なのだと、諦めながらも認める。 そして満たされることのけっしてない欲望を抱えながら、それでも生きていくのだ。 2007.03.23 大貫さんの新譜のテキストをアップ。 いやぁ、ほんと、大貫さん、「LUCY」以降、ここ十年近く、ハズレなしだよね。てわけで、次。 先日話しそびれた加藤登紀子さんの話。 今回も加藤登紀子さんのファン会報 Seeds Netに書かせて頂いて(――あ、それも今日アップしました「80年代の加藤登紀子 後編」です)、で、その流れで、今までの会報やパンフレットなど数冊見せていただいて思ったのですが、加藤登紀子さんのファンは恵まれているっっ。 こういっちゃなんだけれども、ファンクラブ運営って、けっこう殿様商売的な側面があると思うんですよね。 ファンとしては一種"貢いでいる"という感覚が強く、またスタッフとしては"してやっている"という面もあったりして、 そんな感じで情緒的にもたれあって成立している部分って強いと思うんですよね。 が、登紀子さんのファンクラブはそういう感じじゃない。 なんと言うかですね、ファンとのコミュニケーションがとっても密で充実しているんですよね、登紀子さん。 最新号の会報を見ても、ゴールデンウィーク発売の新譜のレコーディング風景やら、セルフライナー、あるいは楽曲提供者の紹介などをさっそくファンに伝えているのはもちろん、 歌の世界だけにとどまらず、今自身が思っていること、見た美しい風景、出会った素晴らしい人々を、ファンに惜しみなく次々と紹介している。 それは、「わたしはいま、こんな感じでこうこう思っているけれども、あなたはいま、なにを見てなにを感じているの ?」と、加藤登紀子さんが会員に問いかけている感じがあるのね。 ファンクラブの会報が登紀子発信の「登紀子倶楽部通信」とファン発信の「Seeds Net」のふたつ作られている、で、それらがすべて、ネーム主体でボリュームたっぷりってあたりが、じつに象徴的だと思う。 で、それはなんでか、っていうと、会員を"ありがたいお得意さん"とだけみているのでなく、一個の個人としてしっかり見ているからだと思うんですよね。 ファンである以前にいち人間として、あなた、どう思いますか、と登紀子さんは常に問いかけている。 だから、もちろん会報だけでなく、登紀子さんは積極的に会員と会うイベントを設けているし、そこで行われるのは"会うのが目的の楽しいお茶会"でなく、常に会って何をするか、という目的がある。 もちろんファンは人それぞれ。 千葉の山奥で田植えなんてしたくね―よ、とか、なんで干潟を見に新潟くんだりに行かなきゃなんね―のさ、と思ってもいい。受け止め方は自由。 でも「この干潟の美しい風景を見て欲しいっっ」という、それが今の加藤登紀子の心の風景、なのだ。 ファンと歌手がそれぞれ自立していて、それなのに親交が篤いっていうのは、理想的といっていいんじゃないかなぁ。 ああ、うらやましいっっ。 願わくば○○のファンクラブもこの半分くらい積極的にファンとコミュニケーション取ってくれれば、と思ったりもするのだが、 こういうのはファンの成熟度にもよるので、他のアーティストには難しいだろうな。 2007.03.22 ってわけで、毎日更新できなかったまこでありんす。 だって、眠いんだもん。 ってわけで、早速、加藤登紀子さんのお話を――と、思ったのですがっっ。 昨日入手した大貫妙子の新譜「Boucles d’oreilles」が、傑作すぎる。 しかも今の季節にぴったりでしてね。色でいうと薄紅って感じで。 もうずっー―とリピートしまくり。既に軽く十回以上聞いている。 これはもう、書かねばっっ、という熱い思いに駆られちゃいましたので、ちょっとごめんごです。 ほんと、ここ数年の大貫妙子のアルバムのクオリティーには目を見張るものがあるよなぁ。 それにしても今度の大貫妙子のディレクターが80年代の南野陽子や原田知世担当の吉田格さんなのにはびっくりした。 2007.03.20 わーい、お登紀さんから直筆のはがきもらったよっ。 「もう自分、生きてく気力、ないわ」 と、ついさっきまで落ち込みまくっていたのに、我ながら現金なものだ。 で、なんではがきもらったかというと、お登紀さんのファン倶楽部の会報の「Seeds Net」にまたまた寄稿したから、なのですね。 ってわけで、それ関連の話をしようかとおもったのですが、眠いので、明日っ。 2007.03.19 ねむい。だるい。おなか、すいた。 いま、私の頭の中をしめているのはただこれだけ。 毎日更新って、ハードルたけぇよなぁ。改めて思う。 そんなさ「これだけはいいたい」なんてぇものが毎日あるわけもなく、まぁ、瑣末な欲望だけで生きているものですよ。少なくとも私は。 せっかくのお休みだっておれはDS版「もじぴったん」で潰してしまう、そんな人間ですよ、まったく。 ってわけで、もう寝ます。 2007.03.14 【 もう笑うしかない 】 マ、マークよ……。 http://www.marc-2.com/mlm.html マルチやんけっ。思いっきりマルチやんけぇーーっ。 嗚呼、なにが彼をこうさせたのか……。 しかし「違うよ。全然違うよ」って。ここまでいろいろ面白すぎるとむしろ引っかからないだろ、ぶっちゃけ。会社名、マーク2だし。 隠しようもない薄っぺらさがむしろ可愛気だったマーク・パンサーだけれどもこれはさすがに馬鹿過ぎて、引くわ。 さようならだね。 2007.03.13 【 面白うてやがて悲しき人生相談 】 多くの男性は女性の相談事を真面目に聞かない。 なぜなら、それは相談ではないからだ。 それでもあえてその相談にのってみる、と、大抵以下のようになってしまう。 ◆ 07年2月8日放送「テレフォン人生相談」の模様。 パーソナリティ・加藤諦三(早稲田大学教授) 回答者・高中正彦(弁護士) 相談者・65歳女性(元教師) 相談内容 「退職金で購入したマンションに占拠しているひきこもりの長男(30歳)を追い出すにはどうしたらよいのでしょうか」 前半 http://www.youtube.com/watch?v=DisAmLq8NTI 後半 http://www.youtube.com/watch?v=ho-b_1HH1JM ◆ 谷山浩子は「相談相手のカシコイ選び方」という少女向けのエッセイで、こんなことを言っていた。 曰く、一般的に相談相手は自分よりも大人で、経験豊かで、口が堅い、というのがよい相談相手だといわれているが、必ずしもそうではない、と。 TPOにあわせて、相談相手も賢く選ばないと心の満足が得られない、と。 いい気分になりたいだけの時は、ふだんからたいしたことないことでもいちいち「へぇーすごーーい、ほんとにぃ」などと無邪気に感動する子をマークしておいて、 彼女の感動のアイヅチをBGMに心ゆくまでしゃべりましょう。口が軽い子ならみんなにいふらしてもくれます。 自信を失ってイイコイイコして欲しい時に、正論を吐く人に相談してはいけません。あなたの長所を積極的、かつ巧妙に褒めちぎってくれる人にべたべたに誉めてもらいましょう。 自分で決められないから他人に決めて欲しい時は、相談しないで自分で決めましょう。どうせ相談しても決断がつかないものです。 後悔しないためにも目をつぶって崖から飛び降りるつもりで自分で決めるのが一番です。と。 ◆ 女性の投げかける相談。その多くが本気で問題解決を自ら願い、そのためのアドバイスを乞うているわけではなく、 自慢、慰め、依頼心、このみっつのうちのどれかを求めているだけだったりする。 そもそも、相談するほうが、問題解決する気など、さらさらないのだ。 このひきこもりの息子を抱えた老母の相談も、おそらくそのひとつ。 だまっておとなしくお話をご拝聴して、 「39年教師として勤めあげられた。そのご努力、敬服いたします」とかなんとか褒めあげ、 「そしていま、ご子息がひきこもりになられた。心労いかばかりかと思うと心が痛みます……」などとしみじみ慰め、 「マンションから追い出すなどと性急なことをお考えにならずに、ゆっくりご子息とお話になれば、あなたほどの方ですから、いつか彼も心を開いてくれるに違いないですよ」と根拠レスにポジティブ、でもその実ただの現状維持、の方向でまとめれば、 相手は相当いい気分になってお帰りあそばすことてきめんだと思います。 もちろんなぁーんの、問題解決にはならんけどね。 でも、それでいいのだ。だって、それが相手の求めていることなんだから。 わたしは悪くない。わたしはこんなに頑張った。なのにだれも認めてくれない。誰もわたしを愛してくれない。そういっているだけだもの。 つまり、女性の相談は、イコール、甘えたいなのだ。 ◆ 女性は情に任せて甘えきるつもりで相談したのに、しかし、相談といわれると男性の多くは、 問題解決のためにと、冷静かつ客観的に状況を判断し――つまり情をできうる限り断ち切って、アドバイスしようとする。 情のつながりでべたべたしたいのに、いきなりぶった切られた女性は、 「なんで相談したのに怒るの ?」 と、驚き、怒る。 男性はそれがわからない。男性はべつに怒っているわけではない。 ただ、できるだけバイアスのかからない視点で物事を判断しようとしているだけだ。 「え、だって相談でしょ。解決したいんでしょ。そのためには冷静に状況を見なくっちゃ」 男と女の間に、やはり深くて暗い河があるようだ。 つまりは、世の男性諸君は女性の相談はのらないのが一番ということ。 真面目に応対した分だけ馬鹿を見ます。 2007.03.12 はっ。 今月末で、「毎日更新の輪」が閉鎖されるっ。 ていうか、既に自分のサイトがリストから消えてる ? http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2007/03/post_addf.html ま、常々どうしようかと思っていましたよ。「毎日更新の輪」。 ここ一年以上、全然毎日更新じゃないしね。 外しちゃおうかな。 でも外すと、なんか負けた感じでなんか悔しいな。 唯一登録しているリングだし。 と、そんなこんなで、かるーく葛藤、結果放置で「毎日更新の輪」リンクつけていたわたしですが、 このたび消滅されるということで、これで堂々と、更新しない方向へ――。 って、それじゃ、ダメじゃん。 つかですね、わたしバリバリ更新する気持ちは今でも失っていないんですよっっ。 ただね、ここだけの話ですが、わたし、自分の文章が好きじゃないんですよね。 てか、嫌い。それに近頃は、 「そんなね、みんなが見ている前で、あふれるパトスをだらだら垂れ流し続けること、恥ずかしくってできないじゃないですかっっ」 なんて、ふと我に返ることが実に多いのですね。 これが大人になるっていうこと ? ま、ともあれ「毎日更新の輪」が消滅する三月いっぱいまで、 日記くらいは、頑張って毎日更新しようかな、と、おもっとります。 勝手にひとりさよならフェスティバル、っていうの? 毎日更新、できるかな ? 2007.03.04 あれ、玄関の横に水溜りができてる。いつのまにか雨が降ったのかなぁ。 三日後。水溜りが大きくなっている。おっかしいなあ、周りは全然ぬれていないのに。 一週間後。ひとまず、水溜りの水を柄杓で汲んでみる。 全然減らない。もう絶対どうかしている。 さらに汲む。意地なって汲む。敷砂利の間から湧泉のごとくどくどくあふれてくる水を確認。事件です、ボス。 結論。水道管が破裂していたよ。 メーターの手前での破裂だったので、市の水道局への連絡で全てこと済んだのが幸いだけれども、いやあ、案外気づかないものですな。 見える限りはちょっとした水たまり程度だったけれども、その下の土は水を含みまくってどろどろのぐずぐず。侮れないぜ、地下漏水。 2007.03.03 女の子の日に、ふたりの女の曲がり角。 ◆ 宇多田ヒカル、離婚 やっぱり、そういう結果に終わったのかぁ。 そういえば昨年夏「ULTRA BLUE」リリース時に、ここの日記のレビューで私こんなこと言っていたんだよね。 はっきりいって、このアルバム「わたし、紀里谷さんと別れたくない。でも、もうわたしたち、ダメみたい」という、そういうアルバムだろ?「わたしから離れていこうとする不実な男、混乱する私」ってのが「ULTRA BLUE」の詞の世界だったわけだけれども。 でも、こういう私生活とリンクさせたような解釈って、下世話っ、 ほんとのヒカルと紀里谷は今でもらぶらぶのちんかもなんだからっっ、と、一方で、そんな風に願っていましたよ、わたしは。 てか、なんか、ヒカルって、可哀想な子っぽいじゃん ? 両親はあんなだし。 だから幸せになって欲しいなあ、と。そんな親心っぽい応援をしていたのですが、 やっぱりヒカルの私生活はど直球で「ULTRA BLUE」まんまだったのかぁ、残念。 「紀里谷はああみえて実はものすご懐の深いいい男で、しっかりヒカルを包んでるって可能性も最後まで捨ててはなかったんだけれども」 と知り合いに愚痴ったところ、 「そんな夢みたいなこと。あの経歴とあの職業とあの容姿、紀里谷がだめんずでないわけがない」 だって。ううーーん。そういうものか。 趣味の悪い男に引っかかるのは歌姫の宿命なのだろか ? ◆ 飯島愛、引退 これまたびっくり。テレビ的な盛り上がりではむしろこっちのほうが勝ちか ? 彼女の場合、いろいろと各方面に関する噂があるみたいだけれども、まあ、いいか。 テレビの枠の中で安心してみてられるキャラに成長した姐さんですが、まぁ、さほど惜しいというわけでもなく。 こういう「風景」と化したタレントさんって、いなくなっても案外みんなすぐ忘れるものです。 最後の最後にでっかい六尺玉ぶちあげないかぎりはね。 てわけで、さてさて、どう幕引きするのか。 |