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まこりんのつれづれなる日々



2006年2月>   2006年3月   >2006年4月

2006.3.31

 私が小学生の頃すんでいた町内には、育児院があった。
 育児院、つまりは孤児院だ。
 その育児院から通っている児童は、各クラスに、一人乃至二人という感じで散らばって組み込まれていた。 なぜなら彼らは、大抵、クラスメートからいじめられるか、無視されていたからだ。
 冬になるといつも青洟をたらしていた子、いつまでたっても膝の傷が赤黒く汚いままで治らない子、などなど。 彼らはいつも、着古した汚らしい服を着ていたし、髪も顔も手入れのしっかり届いていない臭そうな感じだった。
 子供は、そうした「チガウモノ」に対して大人よりも、残酷である。 賢いものは冷ややかに遠ざけ、そうでないものはこれみよがしにからかう。

 わたしは、というと、一見親しそうなそぶりで近づくものの決してほんとうに心を開かない偽善者であった。
 グループが一緒になったりなど「いっしょに行動しなくてはならない」時などは、友達のような気安さで積極的に話しかけるものの、ある一線以上を踏み越え、ほんとうの友達になることはなかった。 わたしは彼らをからかうものとほぼ同等に、彼らを遠ざけていた。
 彼らが心を開き、育児院の生活の一端を話すのを――入浴がある日は、年少の子の面倒を先に見てからだからめんどうくさい、小さい子はいうこと聞かなくて困る、とぼやいたり、 今度の日曜は一年になん回のかあさんにあえる日なんだと、喜ぶのを、 わたしは親しいそぶりで聞いていたが、それらの話はわたしにとってどこか気持ちのよくないものであった。
 地域の自治会の子供向けの催しは、その育児院の広場でよく行われていたが、わたしはその育児院の門を潜るのが、どこか厭だった。 なるべく関わり合いになりたくない、ここにいると暗い気持ちになる、と、その頃の私は思っていた。

 そんな記憶からしばらく後、大人になった私は、その育児院で職員による恒常的な虐待が行われていた、という報道を聞いた。 その報道と、わたしのなかにあった暗い感情が、その時、結びついた。
 私は、彼らをそのものを嫌悪していたのではなく、彼らの持っていた拭いようもないアトモスフィア――彼らを取り巻く状況、彼らの不幸と、その不幸が彼らを彼らたらしめてしまう、そのことに嫌悪し、それを直視するのが苦痛であったのかもしれない。 それは彼らの責任によるところはまったくないものである。

 その頃親しいそぶりをしてつきあった彼らがどう成長したか、私はそれを知らない。 中学になるとわたしは都内の私立学校に通うようになって、そこで彼らとは離れ離れになった。
 「父さんが『中学生になったら、一緒に暮らそう』っていっていてから、ここはそれまで」
 そういっていた子が、小学校のとなりにある中学校の制服を着て、通学していた。その姿を一度だけ偶然見たことがあった。 それだけである。



2006.3.30

 私には、私とまったく血のつながっていない叔母がいる。
 血のつながってないどころではない、 その叔母には、日本人の血が一滴も流れていない。 叔母の血には、スラブの血が流れている。
 もちろんこれはなにかのレトリックというわけではない。そのままの事実である。 その叔母は、私の母の妹にあたるだが、 彼女の肌は白く、鼻筋は高く、瞳は灰色で、髪は栗色だ。 一見して、明らかにモンゴロイドではない。

 私の母の一家は戦前、樺太に住んでいた。
 祖父は日通に勤めていて、祖母は小学校の教師をしていたという。
 ある日、近隣の親しくしていたロシア人の女性が子供を産んだのだが、 産後の肥立ちが悪く、子供を残して儚くなった。 子供に身寄りがなかったのか、祖父母は、彼女を引き取って、育てることにしたのだそうだ。 それが叔母である。

 これが、終戦前のことか後のことか、というのは、よく知らない。
 ソ連の終戦後の樺太・千島への侵略の事実などをひも解くと、もしかしたら、もっと違う理由もあるやもしれないと思ったりもするが、 惧れがあって、わたしは祖父母には訊けない。 母も自身の物心のつく以前の出来事であるので、ひとまず親の言葉を事実として受け止めてい、それ以上掘り下げようとはしない。

 ともかく、私の叔母は、血の色でいうと完全にロシア人である(――戸籍上は、戦後直後のごたごたにまぎれて祖父と祖母の実子ということになっている)。
 海外旅行に行くと間違いなく外国語で話しかけられるし、日本でうろうろしていても、時々外国語で話しかけられる。 のだが――マインドは、高校野球と長島茂雄が大好きで、おせっかいで、人の世話をするのと、噂話が好きな、陽気でちょっとずれている日本のおばちゃん。 どこをどう切っても、そうとしかいいようがない。
 母方は母、叔母含めて四姉妹なのだが、この四姉妹揃うと、あらゆる言動がそっくりでおかしくなってしまう。 全員、おんなじベクトルでズレてるのな。でも、全員がずれているから、そのズレこそがこの場においては王道、という。 うわーー似たもの姉妹だ、と、取り囲まれた子供たち(――それはわたしたち兄弟のことだが)は人格の多重サラウンドにおののくのだが、 ここで、叔母だけまったく違う民族の血が流れているとは、到底思えない。

 母の一家を見ていると、血のつながりによるコミュニティーって、一体なんなんだろうな、と思う。
 人種とか民族とか、あるいは血族とか、そういったものってのは、一緒に暮らしているからこそ培われるものであって、 血の色がどうであるか、という生得的な部分はけっして根拠とはならないんじゃないかな、と。

 だから、みんな血で争うのは、もうやめようじゃないか。 どちらの血であろうと、きっと一緒に暮らしたら、いつかみんなキャラ被ってくるんだしさ、絶対。 ――と、わたしは能天気に思うのだけれども、世の中そうもいかないみたいで。



2006.3.26

 伊丹十三のエッセイを久しぶりに読む。
 やっぱりこの人の文体は面白い。
 俳優・監督・作家の三つの顔で、いったら、わたしは断然作家としての彼を評価しちゃう。 軽妙洒脱ながらも、一緒に暮らしたらこれはもうたまらなく鬱陶しいだろうなあという、インテリの美意識。 こういう気難しい人って、最近、いなくなったよなぁ。 みんな物分りがよくなって、それはまぁ、楽なんだけれども、ちょっとばかり退屈。
 ちなみに、伊丹十三は、私の高校の先輩にあたる。 って、わけで、わたしはひそかに、先輩、と私淑している。

 それにしてもよくわからないのが、彼の最期。
 「人生は実に中途半端な道ばたのドブのようなところで、突然終わる」
 って、いったからって、何もほんとうに、どぶにハマルみたいにどうでもいいことで死ぬことないじゃないのよ、先輩。 写真週刊誌に不倫スキャンダルがすっぱ抜かれたのを、「潔白を証明するため」に自殺、って心底、どうでもよすぎるよ、先輩。
 あんまりにも突飛すぎて、わりと伊丹十三が自殺したという事実、世間に忘れかけられてるし。 まぁ、インテリゲンチャってのは、わけのわからない時に、わけもわからない死にかたをするものだし、 彼の残した文章も、いかにもあっさり自殺しそうな、そういう文章なわけで、まぁ、わかるっちゃわかるんだけれども、 それはあくまで、気分、なわけであって、やっぱり、理屈が通らないと、なんとも後味は悪い。

 他者の自殺ってのは、理屈が通って欲しいものだ。
 生活苦とか病苦とか失恋とか仕事のトラブルとかいじめとか、そういう、わかりやすい理由が欲しい。 こちらが、あぁそういうことね、と納得して消化できる、下世話な理由が欲しい。
 ≪ぼんやりとした不安≫で死なれちゃ困るのだ。 そんなふうに死なれちゃ、なんだか自分の生きている意味がないような、そんな気がして、困ってしまうのだ。
 だから、これから自殺する人は、是非とも、きっぱりと「これは死ぬしかないよな」という、 そういう理由付けをして、亡くなってください、お願いします。――って無茶苦茶なことをいっているな、おい。



2006.3.25

 春。草木も萌えいずれば、わが妄想も萌えいずる。

 エート、「海のアリア」の終わった後のエピソードね。
 アベルとアリアドのふたりはベルンモリンの演奏家と楽器として、宇宙をまたにかけて活動しようか、という頃かな。
 いつものアレな感じで、喧嘩をはじめるわけね。
 「なんで俺のいうことを素直に聞けないんだ」
 「なんで俺の話に耳をかさないのさ」
 てな、感じでね。
 で、アベルが家出をするわけよ。
 「好きにしろ」
 「じゃあ、好きにするよ」
 とかいって。
 で、家出するのだけれども、今回はアベルの悪戯心で、アリアドの宇宙船に乗りこんじゃうのね。
 何回か、アリアドが操作しているのを見ていて、
 「(好きにしろっていうなら、円盤だって好きに使っちゃうもんね)」
 と。で、飛び立つ。
アリアド、あわてて外に出るも手遅れ。
「バカヤロー」と大声で叫ぶのを、窓から舌を出してからかうアベル。

 ――てわけで、宇宙へ飛び立ったはいいものの、やっぱり操作がわからないアベルは、 自動操縦にまかせたまま、不貞寝。 まぁ、向かっている先で考えよ、と。
 で、着いた先は、アリアドさんの故郷の星・アダン、自動操縦で一番に登録していたんだね。

 「(ふーーん、ここがアリアドの故郷なんだ)」
 と、アベルは、家出のはずが思わず観光モードに入るわけですよ。
 と、観光して色々とアベルは見えてくるわけね。アリアドの色々なことが。
この星は、アリアドがいうように、すべての人間関係が支配と服従で成り立っていて、 「友人」というカスタムがない星なわけで、 そこで「なんじゃそりゃー―」とアベルは、カルチャーショックに陥って、 で、アリアドはあれでも充分俺と馴染もうといろいろ合わせているんだなぁ、と、慮ったり。
 また、アリアドの幼い頃を知る人と会って、プレイヤーとしての彼の類稀なる才能やら繊細さやら、あるいは才能ゆえの彼の孤独に触れたり、 そこでアリアドの楽器である自分への矜持が芽生えたり、それを
 「(馬鹿、俺なにあいつを認めようとしているわけ?)」
 と否定したりするわけですよ。

 で、アベルは、アリアドの少年時代を追いかけるように星を探訪したすえに アリアドの少年時代、彼がいつもそこにいたという、森の空き地の大樹の木陰に、たどりつくわけですよ。
 で、アベルは樹の根元に寄りかかるように座って、葉の重なりや緑の影や木洩れ日を見て、かすかに聞こえる鳥のさえずりや風の音を聞いて、ふと思うのね。
 「(歌いたいなぁ)」
 と。
 「(この美しい風景を歌にできたらどれだけ素敵だろう)」
 と。
 で、アベルは、喉を震わせて歌う。と、その瞬間に気づくのね。
 「(あぁ、そうか。おれは、アリアドがいないと『歌う』ことができないんだ)」
 と。
 「アリアドに、会いたいなぁ」
 アベルが、初めて声に出して呟いたそのときに、緑影の向こうからアリアドさんがちょっと恥ずかしそうな困った表情をして登場するのですよ。
 で、再会。
 「俺、今、なんだか、『歌』が歌いたい気分なんだ」
 と、座ったまま、アベル答える。
 「じゃあ、歌えばいいじゃないか」
 と、かがみこんでアリアド、返す。
 「でも、俺、アリアドがいないと、歌えないからさ」
 アベル無邪気に笑う。
 アリアドは嬉しそうにアベルのとなりに座り、アベルの喉をゆっくりと撫でる。
 アベルの体と心は静かに解放され、 そしてみずみずしい『歌』が、アリアドの森に響き渡った。

 ――て、いう。こんな「海のアリア」のアニパロ同人短編を誰か作ってください。
 てか、このまんまを漫画にしてわたしに見せてください。
 てか、アニパロはプロット考えるのは、楽なんだけれども、きちんと小説として書くのがだるすぎです。
 てか、萩尾望都の同人はなんで少ないのですか?
 やはり聖域ですか?
 おれは萩尾望都で萌えたいんだっつーのっっ。



2006.3.24

 三島由紀夫の、彼が秘匿していた10代の頃の作品や、変名による作品が発見され、全集に補巻というかたちで収録されることになった、という話は前回したと思うが(――って、そこまで詳細に書いてないか。そうなんですよ、奥さん。)、 没後の文学者の全集というのはだれかれ関係なくすごいもので、おそらく作者にとしては、世に出すつもりなどさらさらなかったであろう日記やら書簡などまで麗しい装丁で世に出されてしまうのだから、なんというか、呆れるやら驚くやら、 純文学の編集者や研究者・評論家というのはストーカーなのかね。
 森茉莉なんて、新聞のテレビ欄に残した書きこみ――朝から深夜まで、今日はなんのテレビを見るか、ぎっしり赤鉛筆で書き込まれていた、までさらされていたものね。

 とはいっても、わたしも、  「萩尾望都がひっそりと自分が楽しむ用に描きとめていたのどえらいやおい漫画がじつはあったんだけれども」  とか、  「『海のアリア』のやおいバージョン見つかったよ」  とか、  「萩尾望都の甲斐よしひろ総受けのナマモノやおい漫画がみつかったよ」  とか、  「萩尾望都の落書き用のクロッキーブックにこんなひわい絵がっっ……」  とか、  萩尾先生の没後に色々と発見されたとしたら、もう、飛びつきます。
 わたしは別に、研究者でもなんでもない、ただの知りたがりの品のないいちファンですから、とかいって、 意地でも目を通します。ストーカーでいいもんっ。
 そして、
「あんな高雅な作品を創作していても、モー様だってやっぱり人の子、やおいの子なのね」
 と、よりいっそう、親しみを感じますね。
 ま、それ以前に、萩尾望都がそんなものを描いているかどうかは定かでないし、そもそも亡くなられちゃ困るのっっ。 100歳なっても、漫画描いてくれなきゃ困るのっっ。ずっと、追いつづけていたいのっっ。

 ――っていう、ファンのたわごとはまぁ、いいとして、だ。
 やっぱり、熱狂的なファンって云うのは、ジャンルを問わず、ストーカーに行きつくのかね。

 気に入った作家には「あんたの描(書)いたもの、ひとまず全部みせなさいよ」という気分に、まあ、私はすぐなりますね。
 「これは人に見せるものでないから、とかいって隠さないでさ、クオリティーとかそういうことは全部いいから、ひとまず、見せてごらん」と。
 「そこになにがあっても受け入れる用意はとっくにできているからさ」と。
 同人誌の、フリートークの、どうでもいいような、こちゃこちゃしたコメントとか、 あきらかにページ埋め合わせ的にひっぱってきたデッサンとか、そういうのも、楽しむクチですから、私は。

 それが昂じて作者の私生活に踏み込んだり、「私の望む○○先生以外許さない」なんてなったり、いわゆる「ミザリー」状態にいっちゃまずいでしょうが、 でも、まぁ、そこまでファンを狂気の領域に引きずり込むなんて、作家冥利に尽きるともいえるわけで――、ってそうでもないか。
 自分が有名作家の立場になったなら、高校生の頃に書いた中島みゆきバリの被害妄想な詩とか、いのまたむつみそっくりに描いたイラストとか、 星矢のアニパロやおい小説とか、 書きさしの原稿に何とはなしに書いたへぼい落書きとか、CDの編集をどうしようか、曲目をずらりと並べたのだとか、 「イアンにご飯つくったげたい」とか「ちはや、清純なのにエロかわいいよっっ」とかほざきまくっているこのサイトなどがさらされるわけで、 プラス、変な手紙が届けられたり、家の前でファンが待ち伏せたり、よしんばわけのわからないことを口走られたりとかするわけで、耐えられない。絶対無理。屈辱的。恥ずかしさで死ねるなら、その時俺は死んでいる。 って、これ、没後の話か。

 あーー、自分が有名でなくって良かった。
 だからこうして、適当なことを口走ってウェブ上に残しても、誰からもスルーされて、誰の心にも残らないのだ。
 これで俺が大作家なら、大変だよ? もう、毎日がいやな意味でフェスティバルですよ? ――と、わけのわからない現実肯定、というか負け惜しみで今日は話をしめる。



2006.3.17

 由紀夫ちゃんに続いて森茉莉の話。
 父性の不在が三島ちゃんをホモセクシャルにはしらせた。 しかし三島ちゃんは、ホモの世界においても、擬似的な父の立ち位置である念兄の立場をとろうとした。 だから彼の「父に愛されたい」という欲求は永遠に消化されることはなかった。みずからの美学に殉ずるかのように偽装した自殺は必然といえるものだった――という話をしたと思うけれども、 ――って、ぜんぜん云っていないな、そんな話。まぁ、そういうことだとわたしは思いますよ?

 ――で、お茉莉の話。
 お茉莉で面白いのは、「この世には、父と自分しかいない」という徹底した世界観にあると思う。 彼女にとって世界で必要な要素というのは「パパ」(――お茉莉風に言えば「パッパ」)と「わたし」それのみ。
 エッセイを読んでいても、いかに私が父・鴎外に溺愛されていて、わたしも父を愛していたか、という話のオンパレード、 時に、三島由紀夫や室生犀星なども登場するが、彼らをも、森茉莉は、「父」としてみている。
 小説となると、これまた露骨で、東大教授や小説家など、いわゆる知識人層の年配の美丈夫と、人を誘惑することしか能力のない無知で魅力的な少年を主人公にした、やおい小説の原型のようなもの(「恋人たちの森」「枯葉の寝床」)数編上梓した後 に父子相姦をテーマにした一大長編「甘い蜜の部屋」(――主人公の藻羅(モイラ)は「茉莉」のアナグラム)につづくわけで、もうガチでパパ命です。お茉莉さん。
 実際、鴎外というのは、彼の作風やら経歴とはうらはらに徹底的に子煩悩だったようで、四人の子供全員が父の思い出を綴ったエッセイを残しているのだけれども、 とはいえ、このお茉莉の世界観というのは、異質。

 お茉莉にはもちろん母も兄弟もいるし、結婚だって二回もしたし(――どちらもあってまに破局したけれどもね)、子供も二人いる(――産んですぐに離婚して夫側に捨てるように預けちゃったけれどもね)。 しかし、子供や、かつての夫の話など、父以外の身近な血縁の話などほとんどといっていいほどでてこない(――夫と夫の友人をモチーフにしたやおい小説を書こうとしたというエピソードはその馬鹿馬鹿しさに私は印象深いが、まぁ、少ない)。 およそ、森茉莉の舞台において、彼らは脇役。
 森茉莉にとって、人生とは、イコール父・森鴎外との日々、といって過言でない。 端的に云えば、森茉莉の人生は、鴎外の亡くなった1922年、お茉莉が19歳だった時にすべてが終わっていて、あとは余生なのである。

 彼女は、54歳の時、鴎外との思い出を綴った「父の帽子」で文壇デビューしている。 普通の人間であれば人生においてもっとも充実した時であるはずの20、30、40代が、彼女の場合からっぽである。 そのあいだに震災も戦争もあった。二回の離婚もあった。しかし茉莉にとっては、それらは硝子窓の向こうの、とおいどこかの出来事なのである。
 わたしは森茉莉の、この、少女めいた貴族性がとても好きだ。

 飴玉を口に放り込んでは取り出して、また口に含んでを繰り返す子供のように かつての黄金の日々――父という絶対的な存在にすべてを庇護された甘い蜜の日々を、ためすすがめつする。 森茉莉は、とても幸せだったんだろうなぁ、と思う。
 例え傍目から見て、悲しい人だろうとも、本人はいつも幻の薔薇と愛に囲まれた幸福な日々だったのだろうなぁ、と私は思うのだ。

 ――と、いうことで、三島由紀夫ちゃんのパパが鴎外先生だったら、子供の頃に「こぅちゃんは最高」って、思いっきり溺愛され、パパ成分を充分補充して、 エリートであり文学者という二足のわらじをつつがなくこなしたかもよ?  で、パパ大好きっていう、「枯葉の寝床」みたいなやおい小説みたいなのをいっぱい残したかもよ?  って、やっぱそこはホモなん?  ――と、三島オチで今日は落としておく。



2006.3.16

 ネット上をうろついていると、時々ひょんなことに詳しくなってしまう時がある。

 三島くんちの由紀夫ちゃんが、その昔、中井英夫や江戸川乱歩、塚本邦雄、堂本正樹らと会員制ゲイ・ミニコミ誌「アドニス」を作っていたこと、 そこで変名で切腹愛なゲイ小説「愛の処刑」(『三島由紀夫全集』補巻所収)を上梓していたこと、 若き日の堂本正樹と関係をもち、岩風呂のある温泉宿でふたりでコスプレ切腹ごっこをしていたこと(堂本正樹著「回想・回転扉の三島由紀夫」)、 その昔ファンのひとり(――もちろん男性)を食っちまったのを、私小説として暴露されこと(福島次郎著「三島由紀夫―剣と寒紅」)、 などなど、いろいろな由紀夫ちゃんを今日一日で知ってしまった私なのですが、うわーー、なんかお腹いっぱい。

 この他にも「楯の会」周辺とかもネタの宝庫なわけで、 由紀夫ちゃん、ネタの総合商社だな。 しかもどのネタもさもありなんという、由紀夫ちゃんのキャラ設定にあった伝説の数々。 なんかかわいそうで、わからいでもないけれども、あんまり褒められない由紀夫ちゃんです。

 それにしても、こんなお高いツンデレ由紀夫ちゃんを強引に奪うちょい悪セクシーガイはいなかったのかね? 
 由紀夫ちゃんはただ、伊万里すみ子の漫画の男のようなちょっと野蛮でワイルドな男性に強引に求められて、
 「あんたなんか最低なんだからね」
 と、罵るのを、
 「ごちゃごちゃうぜーんだよ。おめぇだってやりたいんだろ?」
 と、ハードにがっちゅんがっちゅんされて。で、終わった後に、
 「痛かったか?」
 と、やさしく抱きしめられて、髪なんか撫でられるのに、
 「ううん、そんなことない……」
 なんて、胸元に頬寄せてうっとりしたかった。それだけだと思うよ?  由紀夫のなかにいる乙女、わかってやれよ、みんな。
 って、まあ、由紀夫ちゃん、ビジュアル的にキモいから無理なんですが。 ボディビルで日本刀でおふんどしだし。

 しかし、死していろいろ暴かれるというのも、有名人って、ホント大変だよな。 由紀夫ちゃん、自裁する前に、やばい原稿とか全部整理すればよかったのにね。
 って、まあ、由紀夫ちゃん的には「死んでのちに色々と暴かれて、賛否両論取りざたされる俺」ってのにもうっとりしてそうなんですが。 乙女は行動力と妄想力だけは人一倍だからな。ほんと、手におえんわい。



2006.3.14

 小説でも歌曲でも絵画でも、なんでもいい。そこにひとつの作品がある。 その作品についてなにかを語る時、わたしにとって一番重要なのは、共感することだと思っている。
 もちろん、技術的な批評、あるいは客観的なデータといったものも、作品を語るに必要なものだろう。 そういったものを専門に評論する人はそれでいいとも思うし、その道をつきすすめばいい、と思う。
 とはいえ、わたしにとって、それはさほど重要なことではない。 作品を知る手がかりではあるが、それがそれ自体でなにか重要でものであって、そこに核心的ななにかがひそんでいるとは、思わない。

 わたしにとって、作品を解するというのは、作者を知ることだと思っている。
 知るというのは、なにも彼のプロフィールを知るという意味ではない。 どこどこの出身で、親の職業はなになにで、賞罰は以下のように、などなど、そんなことはどうでもいい。  ひとつの作品向こうにある、ひとりの作者――彼が、なにを思い、なにを見て、なにを感じていたか、 そのこころに、触手をしのばせることが私にとって「作品を知る」ということである。

 もちろん、人の心の複雑で、たやすく読み取れるものではない。 わたしの平板な人間観が、作者と作品を矮小化してとらえてしまうこともあるだろう。
 それに、たとえそのこころがわかったからといって、作品はそれとは関係なく独立してあるべきである。 つまらぬ想念で作品そのものを捉えたとのぼせあがるのは、作品への冒涜といってもいいだろう。
 作品は作品である。それ以上でもそれ以下でもない。
 例えどのような事情が孕んでいたにせよ、 またどのようなクオリティーであっても(――それこそ私の書いているような低レベルの雑文であっても)、 作品の絶対性は、不可侵のものである。作者すらもその聖域に迂闊に入ることは許されるものではない、と思う。

 ――が、だ。 ひとつの作品というひとつの「彼岸」を、ただのひたすら望み見るだけで、わたしたちは満足することができない。
 だから、いろいろな手段をもって、人はその彼岸へ橋をかける。 さまざまな批評体系は、その手段を、ひとつの学問・思想までたかめられたものといっていいだろう。
 そのなかにあって、わたしは、作品に共感すること、作者の見ている夢をともに幻視しようとすることこそが、 もっとも真摯に、そしてまっすぐにその彼岸への階となりうるだろう、と思い込んでいる。それだけの話だ。

 だから、わたしの作品について言説というのは、たとえ説得力のある資料を引用し、これこそが真実である、といったような言い回しをしようとも、 本質的にきわめて個人的なものである。 ただの思い込みにすぎない、といわれればそうであるものだと思っている。

 しかし、まぁ、それでいいじゃないか。
どこまでいっても、深い森のなかで、正体がはっきりとしないのをうろうろと迷いつづけるが、知的冒険(――妄想?)の面白さであって、 これこそがゆるぎない真実であり、唯一で絶対なる答えである、なんてものが石くれのように道端に転がっているようじゃ、こちらが興ざめだ。 宝物は、ダンジョンの最奥に眠っているからこそ宝物なのだ。
 だから――。一生かかっても最奥にだどりつけないダンジョンで、わたしはずっと迷いつづけていたいと、そう思っている。



2006.3.13

◆ 久世光彦追悼・寺内貫太郎 傑作選

 寺貫は、いろんなネタを噂ではしっていたものの、一回も見たことはなかったのだけれども、 やばい、フツーに面白かった。
 藤竜也が出てきたときに思わず「の、野々村さんっっ」と心のなかで叫んでしまった私。 野々村さん、良ちゃんほっといていいの?

 昔のドラマを見るたび思うんだけれども、当時のドラマって、カメラワークは穏やかでテンポもゆったりしているけれども、そのわりに情報量はしっかりつめ込まれているのな。 結構小ネタを効かせたり、細かく伏線を回収したり、内容が濃い。 このゆったりなのにさりげにつまっている、って、今のドラマはまったくないよなぁ。

 それにしても、藤さんといい、キキキキ(―――森茉莉風に言ってみる)といい、加藤治子、まちゃあき、篠ひろ子などなど、 久世ドラマは、面子をいつもかためているよなぁ。 これって、一種のスター・システムだよね。 今回放送した第一回目の、まちゃあき・希林・美代子の三人がそろって「時間ですよ」なん? ってなるところなんかまさしくそうだし。 わたしはこういうのも大好きなんだけれども、スターシステムも今は流行んないのかなぁ……。



2006.3.10

 わたしにとって、「久世光彦といえば栗本薫」。 ってわけで、亡くなった久世さんへの追悼文とか、なにか書いてないかな、と久しぶりにかおりんのHP、神楽坂倶楽部に訪れたわたし。 見ると、あったあった、やっぱりありました。

神楽坂倶楽部 06年3月4日の日記

 ――と、かおりんのテキストを拝見したわけですが…………。
 ――これって、栗本薫と同姓同名の誰かの文章ですか?

 どう見積ってもせいぜい30年前のことを「半世紀前」といってしまう計算力のなさはよしとしよう。 『やおい小説「真夜中の天使」を書いたきっかけは、ドラマ「悪魔のようなあいつ」の記憶が脳裏から消えるのが惜しかったから』とかいうてるくせに、「悪魔のようなあいつ」がDVD化されていることを知らない情報アンテナの錆っぷりもいいとしよう。 「『真夜中の天使』の島津天皇(テレビ界の実力者で、サドでバイセクシャルで、タレントを男女とわず飼いならしている鬼畜)のモデルは久世光彦」という、久世サイドからしてみたら、ひたすらはた迷惑な情報をたれながす天然っぷりもいいとしよう。 亡くなった人の、しかも自らが尊敬する人の、25年も前のスキャンダルを悪気もなく引っぱりだす社会性ゼロっぷりも、ええい、よしとしよう。 その尊敬する人の著作が何十冊でているにもかかわらず、一冊も読んでいない(――自分は小説家で評論家なのにっっ)ってのも、大盤振る舞いだ、これもよしにしてやるっっ。

 しかし、だ。
 これは、この文章力は、いったい、なんなの。

 これが、今の、栗本薫なんですか? この、年寄りの繰り言みたいな、才能のかけらもない、ただひたすら文章が長くて読みにくい――というか、文法的にあきらかに崩壊している ――「もともとは私は久世さんが演出された「悪魔のようなあいつ」というテレビドラマに激烈な影響を受けて、まよてんが生まれることになったのも、このドラマを見たせい、といっていいと思います。」――の部分はひどすぎる。 これが、栗本薫ですか?

 や、確かに、雑誌や単行本に載せる文章と、ウェブに載せる文章では意味合いが違うだろうし、おのずと作者の姿勢も変わるだろうし、文体も変わるだろうことはわかる。そこは譲歩する。
 が、だ。これ、そういったレベル以上やん。
 これ、別に「締め切り明日まで、内容はなんでもいいから、とにかく紙面を埋めて」っていう「お仕事」文章なわけじゃないわけでしょ。 書きたくて、書いているわけでしょ。 で、内容は、どうでもいい日常雑記でなく、自らが作家になるきっかけをつくった、自分にとって重要な、敬愛する先達が亡くなって、っていうそういう文章なわけでしょ。 別にプロでなくっても、ある一定の文章力――学校の国語の作文で褒められるレベルの素養があれば、共感にたる文章が書けるだろうという、そういうテーマで、これなわけなんでしょ。

 あの栗本薫が、いつも人から強引に共感をもぎ取っていた栗本薫が、 云わんとしていることはわかるが心のどの部分にもタッチしない激烈なまでの悪文を書き散らしている、だなんて、わたしは、わたしは信じませんっっ。
 ―――と、うなぎの小部屋に特攻をかけて、相談したところ、
 「え? 今の栗本薫の文章力は、こんなものですよ」
 と、即答。
 「この、プロ/素人という枠を抜きにして下手じゃん、かぎりなく底辺の偏差値じゃん、これよりしっかりして読ませる日記書いている人なんでウェブ上に腐るほどいるじゃん、っていう。これが彼女の今のアベレージだ、と」
 「あぁ、まぁ、そんなものですね」
 …………。
 私の中で、いま、ひとつの時代が確かに終わった……。
 こんな栗本薫が今の栗本薫だというのなら、早く昔になればいい。


 今からほぼ20年前、森茉莉が亡くなった時、栗本薫はJUNEに一文を捧げていたけれども、どうしてもそれと比べてしまう。 あの時の栗本薫の追悼文は、文章が文筆家のそれだったのはもちろん、ギラギラしていて、危険な刃のようだった。 才能がきらめいていた。(――この文で面白いのが、晩年「甘い蜜の部屋」を上梓して以降、小説を書くことなく「ドッキリチャンネル」などの雑文で妙にはしゃいだ老腐女っぷりを世間に晒していた森茉莉を、当時の栗本薫が苦々しく思っていたというところ。 森茉莉に感じた苦々しさとほぼ同じ質のそれを今のかおりんがかつてのファンに味あわせているというのは、なんとも……。この世は巡る輪廻の輪というか、因果応報というか。)
 それにしても、ここまで文章が下手になる作家というが、果たしているのだろうか。私淑していただけに、いまいち受け入れがたい事実だ。

 ちなみに―――。
 「でも、なんで久世光彦の著作、一冊もかおりん読んでいないんだろ。 軍服とか白痴とか夭折とか乱歩とか天皇とか、栗本好きする、いろんな萌えがぎゅっと濃縮しているのにねー―」
 と、うなに問いかけたところ、
 「だって、久世ちゃんの本には、ホモでてこないからさ」
 なんだよそれ。それじゃ今のかおりんがいろんな意味でぬるくてゆるい腐女子みたいじゃん。
 って、この答えに納得してしまったわたしがいるわけで……。



2006.3.06

 先日、「愛・地球博記念市民合唱団」から私の元にメールが届いた。 本田美奈子の遺志を継がんがために、彼女の「つばさ」を合唱団で歌い継ぐことに決めたそうだ。 そこで、わたしの書いた「つばさ」収録のアルバム「JUNCTION」のレビューを団員に配布したい。 その許可を得たい、という。わたしはそれを快諾した。

◆ 故本田美奈子さんの曲 万博合唱団が披露  (中日新聞)

◆ 愛・地球博記念市民合唱団 公式サイト

 先週末には本田美奈子追悼のと冠した「ロイヤルチェンバーオーケストラ特別演奏会」が行われたし、  四月には、本田の故郷である朝霞市の朝霞市民会館で追悼写真展とフィルムコンサートが行われる。

 また3/29にはマーベラスエンターテイメントから、同社から発売された本田美奈子の音源を集めたコンピレーションアルバム 「I LOVE YOU」が、 さらに4/20には、コロンビアエンターテイメントから、未発表音源を集めたラストオリジナルアルバム「心を込めて」が発売される。 収録予定曲を見るに、「I LOVE YOU」は90年代後半以降のポップス・アニメ系歌手としての本田美奈子が、 「心を込めて」は「ミス・サイゴン」以降のミュージカル女優としての本田美奈子が味わえる作りになりそう。

 彼女が亡くなって、このように彼女の歌が脚光を浴び、彼女の歌の輪が様々な方向へ広がっていくのを見るのは、とても不思議な気分がする。 それがいいことなのか、あるいはそうでないのか、それは今の私にはよくわからない。 ただ、いのちというのは、ある面においては、果てがないのだな、としみじみ思う。



2006.3.05

 皆さん、驚かないで読んで欲しい。

 角川春樹のインタビュー

 話は出所後初のプロデュース作品、映画「男たちの大和/YAMATO」と、わりとオーソドックスなところからはじまるのだが、 次第に春樹先生の名言が連発。

「自分はこの12年間、刑務所に入って闘争をやっていた。」
「角川春樹は刑務所に行ったって角川春樹だし、出てきたって角川春樹。」
「21世紀は角川春樹の時代だと思う」
 神々しいみ言葉に思わずひれ伏してしまう。
 ――が、それでも勢いは留まることを知らず、リミッター振り切ってエスカレーション。

「私は病気を治したり、いろんなことができるんだよね。それを使って、宗教を必要としない時代に持っていこうとしている。」
「この間までは、日本の地震を止めることに命を懸けていた。それで止めたんだよ。」
「サイバー戦争になった時に、最も大きな力を発揮するのは私だろうね。」
「この前の台風も東京を直撃するというので、迂回させたんだ。それで静岡を通って千葉に抜けた。」

 あぁ、あの時の台風。あれが逸れたのは、春樹先生のお力でしたか、いやぁ、まいった。
 ――って。ちょっ、ちょっ、ちょっーーーと、待て、おい。待てったら。
 このインタビューはアレですか。 実は角川春樹という、同姓同名の別人の、どこかの療養所の隔離病棟の患者、とか、そういうオチ? 「ここは火星植物園でしたよ」みたいな、そういうなん?(――って、んなこたない。春樹さまがこんなキャラ立てだってのは前々から知ってますがな)

 まあ、こういう部分だけ抽出すると出版社の社長として、どうなのよ? って、ところなんだけれども、次の薬師丸ひろ子(――「日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞」おめでとうございます)のインタビューを見ると、 ただの変人でなく、じつに徳のある変人なんだなぁ、ってのがわかる。

 手塩にかけて育てた女優が、まさしく人気絶頂の頃に「独立したい」という。 年間十数億の収入がふいになるのを、すんなり受け入れ、 このようなインタビューで率直に当時を語れるほど、今でも親交が深い。 これ、なかなかできないよ。 タレントの独立後も、プロデューサーとタレントがここまでうまく関係が保っているというのはかなりレアケースなんじゃなかろか。

 またこのインタビューで 「次回作は映画館で公開しないで、ネット上だけでやってやろうかと。」 といったのも早速実行にうつして、Gyaoとの提携による「ハルキwebシネマ」なんてのも始動させたり、その仕事っぷりも早いわけで、 やっぱ、春樹だよなあ、春樹しかいねぇよ。と感心する、というか、生温かく崇拝する私だったりする。 一度生でお話聞いて驚いてみたいです。

 ちなみに来春に公開予定の「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜」はチンギスハーンの一生を描いた一大スペクタクルで、 原作は「人間の証明」の森村誠一で、監督が「Wの悲劇」の澤井信一郎、 モンゴル政府の全面協力の下、政府軍5000人、さらに2万人の無償エキストラを動員し、 さらにヒロインは、エイベックスと提携して新人女優オーディションを開き、壮大なフィルムになりそうな ……って、おい。なんかどっか聞いたような気がする名前やら戦略やら、煽り方のような……。



2006.3.03

 久世光彦が亡くなった。70歳。虚血性心不全。 前日まで元気に仕事をしていたのが、夜眠って、しかし、朝、目覚めなかった。そんな死である。
 なんか、だまし討ちされたような気分だ。

作家としての彼は、いつも、死んだ人や死のことばかりを文字に残す、 もうすでに死の世界に片脚かけて、きまぐれにこちらの世界に遊びにきているような、そんな人だった。
 だから――。ずっと老人のまま、いつまでも浅い息で死の話を書き、  「あの時子供の私がいまや老境にさしかかろうというのに、なんであの人は私が生まれた頃から老人で、今でも老人で、そして生きているのだろう」
 そんな不思議な気持ちにさせる人として、ずっと生きていくのだろう、てっきりそう思っていた。
 彼は、きまぐれにこちらの世界に居残っていたのと同じように、いつもの散歩道をふいに外れるように、平成十八年三月二日、きまぐれに向こうの世界に帰った。

 作家としての久世光彦は「聖なる春」が、一番いい。 日本最後の幻想・耽美作家といっても差し支えない重厚で鮮やかな狂気が味わえる。
 演出家としての久世光彦は「向田邦子シリーズ」が一番評価が高いのだろうが、あれはお行儀がよすぎる。 テレビマン久世光彦らしい浪漫と狂気と笑いが凝縮されているのは、やはり「悪魔のようなあいつ」が一番だと思う。 是非ともこの二作は見て欲しい。



2006.3.02

 そういえば「トリビアの泉」で、黒柳徹子のセーラームーンのコスプレ姿がネタにあがっていたようですが(――放送は見なかったのよ)、 徹子って、ひそかに、昔からコスプレ大好きだったことない?
 セーラームーンなどのベタなコスプレは少ないものの、 結構民族衣装系の衣装だったり、おフランスっぽい豪華ドレスは「ザ・ベストテン」でいつも着ていたし、コスプレイヤーのマインドは、持っている方だなぁと、私は見守っていたのだが。 なにしろ「ベストテン」の収録に巫女さんの格好でやってきた(――もちろん私服)という、嘘か本当かわからないエピソードまであったりするわけで。
 ――てかさ、みんな黒柳徹子が腐女子だっての、みんな気づけよっっ。

 森茉莉の「恋人たちの森」を読んで感激して≪下北沢の魔境≫と編集たちのあいだで言われていた森茉莉のアパート(――森茉莉は、腐女子のはしりでもあり、汚ギャルのはしりでもあるっぽい。そうとうな汚部屋だったみたいよ)にアポなし特攻をしかけて、 結果お友達になっちゃった黒柳徹子だよ?
 男女とわず若いアイドル大好きで、ハイテンションで独善的な司会を「ザ・ベストテン」でくりひろげた黒柳徹子だよ?
 「窓際のトットちゃん」や「トットチャンネル」を読むに、パパ大好きのファザコン一直線の黒柳徹子だよ?

 おれには、徹子のあらゆる行動――突飛だったり、空気が読めてなかったり、感動好きだったり、そのくせわりと頑なだったり、そのすべてが「腐女子だから」で納得してしまうのだが。 黒柳徹子の生まれるのがあと30年遅かったら、彼女は絶対、盆と正月は有明に通っていた、そう断言できるね。

 ――と、なんでもやおい関連にまとめてしまう相変わらずの私なのであった。



2006.3.01

◆ 酒量多いと自殺リスク倍増 厚労省研究班が調査

週1回以上飲酒し1日当たりの飲酒量が日本酒3合以上に相当する男性は、時々(月に1−3回)飲酒する程度という男性に比べ自殺の危険性が2・3倍とした大規模疫学調査の結果を、厚生労働省研究班(主任研究者・津金昌一郎国立がんセンター予防研究部長)が1日、英医学誌に発表した。 研究班は「飲まない人で高い理由は不明だが、酒量を適度に減らすことが自殺防止に役立つということは言えそうだ」としている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060301-00000227-kyodo-soci

 てかさ、これ、明らかに原因→結果が逆だろ。
 「酒をガバガバ飲む→死にたくなる」でなくって、 「死にたいくらい現実が辛い→酒をガバガバのんで現実を忘れる」だろ。 現実が辛い時、酒で慰める。こんなの経験則でみんな知っているだろ。 飲酒を適量にしたところで、自殺抑制にはならないだろ、どう考えたって。 だって問題は酒でなくって、その人をとりかこむ現実なのだから。

 もし、社会的に意味ある「飲酒と自殺の因果関係」を研究するとしたら、 飲酒によって一時的に回復した意欲が、酔いが醒めると元通りどころかそれ以下のところまで落ち、それを忘れるためにまた飲酒に走り、という アルコール依存→自殺へと続く「飲酒スパイラル」のメカニズムに尽きるとおもうけれども。どうよ。

 言わずもがなのことをあえて研究して、しかもとんちんかんな回答を出す。 時々こういった類の研究発表記事が新聞や雑誌の紙面を彩ったりするけれども(tak-shonaiさんのとりあげた「メールの意図が正しく伝わる確率は 5割」とかね)、 研究されている方は、どういうつもりでお仕事なさっているのでしょうか。 そこんところ、是非とも知りたいような、知りたくないような……。


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