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メイン・インデックスまこりんのつれづれなる日々>まこりんのつれづれなる日々  2005年12月



まこりんのつれづれなる日々



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2005.12.31

2005年、おつかれっ。

今年度のレコード大賞は、年間ランキング85位、12万枚を売り上げた倖田來未「Butterfly」が受賞したようで……って、 うーーぁーー、こういうことですか。
この曲、ウッドベースがぼこぼこいってて、嫌いじゃないんだけれどもなぁ、 とはいえなあぁぁ、無理だよなぁ、どう考えても無理だよなぁーー。
「愚か者」やら「Wanna be a dreammaker」やら「無言坂」やら、これまでにもわりと無理メの受賞はあったけれども、 年間85位、って……さぁ。ねぇ……もう、どうしろ、と。
今下半期からエイベックスは"倖田來未ブレイク計画"をぶち上げているようなのもわかっていたけれども……。 やぁーーー、無理だっって。これは、どう見たって、無理だよぅ。 反感買うこと、必至だよぅ。ダーティーなイメージがついて、逆に潰れるよぅ。



2005.12.30

古い友人に「まこりんのサイトはPCにやさしいが、ひとにやさしくない」いわれた。
や、そんな人にやさしくするつもりなんて毛頭ありませんからっっ。 むしろのぞむところですからっっ。 時にあなたを甘えさせたりなんてぜったいしない、いつだってスパイシーなサイトでいたいのです。 んので、そこんところ、ひとつ。

そんなことよりもビデオのコンセントをうっかり引きぬきおって「阿久悠40周年記念番組」の留守録を阻止したうなぎのほうが問題だっ――の。 もう、こうなったらうなぎのつるしあげをするしかないか。 組合員に集合かけて、総団結で取り囲むしか、追い込みかけまくるしか、ないか。
……うなぎ、ときどき、こういう「いい仕事」するんだよなぁ。つかえなさすぎてびっくりするよ、もう。 ジュリーが見れなかったじゃないかっっ、馬鹿ぁぁっっ。こうなったらかわりに良ちゃん見てやるっっ。
「……野々村さん、その話は聞き飽きたよ」



2005.12.28

忙しいからといって、更新をサボっているつもりはないのだが、 些細な日常をあえて言葉にしてのこすということが、いまのわたしには、なんだかひどくおっくうだ。

気がつくと、2005年も、もう終わりをむかえようとしている。
とはいえ、いまあらためてふりかえって、どうこういえるほど、そんな有意義な1年だったわけでもなく、 あぁ、また無駄に年を重ねたなぁ、という虚しさがわたしを襲う。

いつか大人になれば全てが変わるだろうと、無邪気に信じていた幼い日々も遠く、 大人になって、けれども大人になりきれず、いまだ何者でもないわたしは、ただ、日々を浪費している。
もうすこしよくなれと、励むでもなく、希うでもなく、 ただ、九月の消化試合をつづけている。

わたしは、すべての勝負は終わったものだと、決めつけているのではないか。
それでは、いけない。
できれば、来年は、なにか新しいことをはじめたい。
それがこのサイトにフィードバックされるものなら、いいかもしないけれども、それはいまのわたしには、よくわからない。



2005.12.23

【「ドラえもん」と「オバQ」の最終回】

最終回のない漫画の"噂の最終回"――。
それは、ちょうどわたしが小学生の頃、都市伝説として流布されたもので、その双璧が、「サザエさん」と「ドラえもん」だったのだけれども、 近頃はそれがネットを媒介にして、少しずつ物語を変えてまた流れているらしいよう。
その、"噂の最終回"を同人誌で漫画化したものがある。 こちらのサイトにその漫画がアップされている。

http://csx.jp/~vaiosqare/doraemon/01.html

この「最終回」を描いたのは、漫画家の田嶋安恵さん。
また、実際に藤子・F・不二雄の描いた「ドラえもん」の最終回については、ウィキペディアに詳しい記述がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E

『さようなら、ドラえもん』の他に、てんとう虫コミックス未収録の最終回があるとはしらなかったなぁ。

ちなみに、藤子不二雄のもうひとつの代表作「オバケのQ太郎」には、最終回といっても過言でない後日談「劇画・オバQ」がある。
あれから15年後、サラリーマンになった正ちゃんとQ太郎の再会を描いた短編なのだが、 これが、もう、ビターで、切ない。
「と、いうことは、正ちゃんはもう子供じゃないってことだな……な……」
ラストシーン。ひとり呟いて、空の向こうに消えてゆくQ太郎。オバQ天国の旗―――かつての少年時代のあどけない夢が、破り捨てられたポスターのように、虚しく風に舞う……。
「劇画オバQ」はこのサイトに詳しい。

http://www1.odn.ne.jp/cjt24200/yamada/text/q/

短編集「ミノタウロスの皿」収録。



2005.12.21

 【捏造された記憶】

外が冬ざれた景色を見せるこの頃になると、脳裏をよぎるひとつの記憶がある。

昭和30年代の、冬の東京の西のはずれ――まだあたりはキャベツ畑が広がっており、そこに武蔵野の雑木林や、軒の低い家々がぽつぽつと建っている、という感じなのだが、 その一角にある大きな中高一貫の学園――そこは、私が中学時代を過ごした学園である、 に通うひとりの少年がいる。

彼は、高校一年か、二年。
彼は、絵を描くのが好きで、美術部にはいっている。
彼は、時間が空いているときはいつも画布に向かっている。
彼は、成績もよく、理知的で、この時期の少年らしい快活さももちろんもっているのだが、 ふとした瞬間に教室のざわめきを遠くに感じるような、内向的で、物思いに沈みがちな部分も持っている。

そんな彼が、なんのきっかけかわからないが、自分の心の落窪に滑り落ちていく。 彼は、まるで、カメラのズームがどんどん離れていくかのように、現実から取り残され、ただ、自分だけの世界へと没入していく。
そして彼は、ある冬の日、自殺する。

彼は、通学電車と反対の行き先の電車に乗り込む。 彼が向かったのは、小平霊園である。 彼はその中のひとつの墓所に佇み(――おそらくそこに肉親の誰かが眠っているのだろう)、目を閉じずに手を合わせる。
深呼吸とともに、大きなまばたきをひとつ。 意を決すると、彼は身を翻し、柵を乗りこえ、小平霊園の脇を走る西武線の線路に。 近づいてくる茶色の列車。
――そこでこの記憶は終わる。

彼が通っていた学校が、本当に私の通っていた学校であるか、どうか、というのは、わからない。 そもそも、その学校は、私が入学してまもなく全校舎を新・改築したし、それに昭和30年代というのは、私の知らない時代だし、 わたしは小平霊園など一度もいったことがない。
けれども、その学校は、私の通っていた学校であって、時は昭和30年頃――終戦のごたごたの後の、しかし、いまだ世の中が貧しさから抜け出せない、どこか白っちゃ茶けた時代であって、 かれが向かったのは、小平霊園である。と、まったくの直感で、そう私は記憶している。

冬の美術室の、しゅんしゅんと音のなる石炭ストーブや、窓の向こうの、空を突き刺す針山のような枯木立ち、その風景のまんなかで黙々とスケッチノートに何かのデッサンをしている、彼。
大雪のあった日の翌朝―――、真っ白な雪が一面をおおって、まだ誰も足跡のついていない、静まりかえった運動場を、目的もなく、黙々と、ただひたすら足跡をつけるだけのために歩きまわる彼。
死を決めた後に友人に見せた、どこか晴れやかで虚ろな彼の笑顔。
彼は、全てを受け入れているように見せかけ、その実、全てを諦め、いつも冷たく、人を拒んでいる。 その彼の、些細な日常の点景を、わたしは、彼の友人として、でなく、もちろん、彼自身として、でなく、 カメラ・アイとして、第三者の視線で、記憶している。

もちろんこの記憶は、わたしが、生まれたときから持っていたものではない。これは確信でいえる。 おそらくわたしがその学校に通っていた時期、中学生の頃に、捏造されたされた記憶であろう。これも確信でいえる。
ただ、何故このような記憶の捏造がおこっているか、それが皆目検討つかない。 わたしは、この記憶に似た経験もないし、そうした話を聴いたこともない。 こうした話を、ああだろう、こうだろう、と創作した、という記憶もない。
まるで空から何かが落ちてくるように、気がつけば、この映像が、中学生の頃の、わたしの記憶領域に、落ちてきたのである。

私は、何故彼が死を決めたのか、よくわからない。 そもそも、この物語に、どんな意味があるというのだろう。 ただの、ひとつの、意味のない、死。それだけである。
ただ、彼が、まるで舞台から去っていく役者にひとりずつあいさつするように、 自分を愛したひとつひとつに、言葉なく静かにさよならをするさまが、なぜかもの悲しく、わたしの心を痛ませ、 わたしは冬になると、この記憶をいつも甦らせてしまう。



2005.12.18

【人間性バトン】

なんかまたヘンなものが届いた模様。 ニナさんから、「人間性バトン」だって。

●回してくれた方に対しての印象をドゾ☆

うなぎのテキストにレスしまくっているのをみて嫉妬しています。嘘。

●周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?

ひとまず子供じゃないです。
きもい子、きつい子、ヘンな子、強引な子、面白い子、元気な子、 いつも楽しそうな子、ひとりよがりな子、寝てばっかいる子、ずっと起きている子、 率直な子、本音を言わない子、消極的な子、なに考えているかわからない子、まぁ、このうちのどれか。

●自分の好きな人間性について5つ述べて下さい。

「天の華 地の風」の魏延のように残酷さと包容力を兼ね備えていて、 「王都妖綺譚」の将之のように曲がったことが大嫌いの直情型で、 サーモンのダダ一也シリーズの一也のように過激なツンデレで、 「辺境警備」の神官さんのように凛とした癒し系で 「海のアリア」のアベルのように無邪気なトラブルメイカーな、 そんなキャラクターがわたしは好きです。(え !?)

●では反対に嫌いなタイプは?

頭よさそうにみせようとする馬鹿な人とか、自分に嘘を重ねてそのことに無自覚な人とか、 あと、わたしとのことが嫌いな人。

●自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか?

ビールのCFの中島みゆきのように、年をとってからあえてかわいこぶってみる、 「キャハ☆」 とかいって周囲から生暖かくみまもられる、そんな老人にわたしはなりたい。

●自分の事を慕ってくれる人に叫んでください。

おれを好きになるなんて、おれもずいぶんなものだけれども、あんたも相当なろくでなしだね……。 (キ、キマッタ……か?)

●そんな大好きな人にバトンタッチ15名!(印象付き)

ってことは、ここで紹介した人はわたしが大好きな人って、そういうことなのですかい。 そういうカミングアウトも含めて、なんですかい。ハードル高っっ。 「誰もいません」 と最高にツンでいくのもなんなので、デレっと、その高いハードルの下をくぐる感じで、いつもの人に回します。

サイトが仮死状態のアダルトチルドレン、"何が憎いって、この世界で一番憎いのは自分自身だ"のTSUKASAさん。
うちのプログへの書き込みと自サイトのテキストではなぜか文体が違う"毎日更新ごくろうさま"なtak-shonaiさん。
気がついたらいつも「俺論」語りまくってすみません"次は「萩尾望都」テーマでいきましょう"のhisuiさん。
ツンな私にやたら気を使って話し掛けてくる、まるでエロゲーの主人公のような、"韓流大好き"BILITISさん。
自サイトでキモオタの人に明日の希望をなぜか与えている"20歳越えると兄妹でもよくわからない部分って出てくるものなのね"な柚菜

バトン渡して意外な顔されないのは、こんくらい。 どうせあたいなんて、ネット界でも顔は狭いですよ。ツーーン。



2005.12.16

うなぎと昔の甲斐よしひろのビデオをボーっと見ていて、 なんで萩尾望都は甲斐よしひろが大好きなんだろうね――、とか、 栗本薫もよくタイトル借用したりして、なぜか昔のやおい界で人気だったよね――、 とか、つらつらくだらないことを話していたのだが、そこでうなぎの、
「でも、長髪の甲斐くんが一瞬イアンに見えたりということも」
という冗談めかした一言を、
「絶対ない。あっっっりえっっないっっ。どう見てもありえないっっ」
と、即座に、かつ力いっぱい否定したまこりんです。
や、なにもそこまでむきになって拒むなよ、俺。

まーーーでも、「ゴールデンライラック」とか、あの頃のころっとした顔立ちの頃の萩尾望都キャラだったら、アリ……かも。 てか、長髪だからってイアンさまといっしょにしないでっっ。イアンさまは聖域なんですからっっ。



2005.12.15

ふと「榊原史保美の全作レビューをしよう」と思い立ち、書棚をひっくり返していたのだけれども、 なんというか、どれがどの話とか、なんかもう混ざりまくっていて、ひっじょーーーーっにいきづまっています。

彼女の作品を熱心に読んでいたのって、もう10年以上も前の話だし、しかも、当時、彼女の作品を一気に読んでしまったからね。作品の印象がまざりまくってしまって。
高校生の頃のわたしは、彼女の作品の熱心な読者で、それぞれの作品、ひとつひとつをしっかり覚えていたし、そこにあるテーマとか、作者の意図や思想性、以前の作品と以後の作品の相違、作品の系譜といったものも明確に見えていたのだけれども、 今のわたしには、あぁ、もうすべて霧の向こう。なにもかもがうすらぼんやりとしか見えない。
かといって再読するには、結構な分量があってなかなかそこに踏み切れなくって。 あの頃のわたしなら、きっとすばらしい榊原史保美論が書けたろうになぁ……。

榊原史保美の作品の周辺であんなにいろいろなことをぐるぐる考えていたのに、今は「それを考えていた」ということしか覚えていない。書いときゃよかったなぁ。 あの頃のわたしは、あらゆる物事に対してインプットすることだけで満足していて、それを再構築してアウトプットしよう、ということにまったく熱心でなかったからなぁ。あぁ、もったいない。

ただ、榊原史保美が「かつていたやおい作家のひとり」としてこのまま周囲から忘れ去られるのは、ひっじょーーーっに耐えがたい。耐えがたいんだよねーーー。 や、実はすごい作家でしたよ、と。魂にひびく作品を多く残したすぐれた作家でしたよ。 「やおい」というレッテルだけで、彼女の作品を読まないのは、もったいないですよ。 そういいたいんだけれども、いかんともしがたい。



2005.12.14

世間話をしていて、一番、困るのが、この質問。

「ひとり暮らしだと、家に帰ってもなにもすることないでしょう?」

――え? やることなら、もう、腐るほどあるんですけれども。

やりたいゲームも、見たいビデオも、聞きたいCDも、読みたい本も、家に腐るほど、 もううんざりするほどあって、わたしを待ち受けているんですけれども。
他にも、いとしの○○さまのお話をサイトにアップしたいし、 だれにも云えない萌え話を小説にして書きなぐりたいし、 チャットやらなんやらで、友人とおしゃべりもしたいし、 この時期なら入浴剤入りのお風呂にゆっくり入ってくつろぎたいし、 髪の毛もゆっくり丁寧に乾かしたいし、 寝るときも布団に入ってしばらくは本を手にとったり、お茶飲んだりと、くずぐずしたいし、 寝るのも八時間は睡眠時間としてとっておきたいし。
けれども、炊事や掃除や洗濯や買い物や銀行の振りこみといった社会生活維持のための家事全般だって家には待っているわけで。

もうはっきりいって、家に帰ってやらなきゃいけないことと、やりたいことがてんこもりで、困っているんですけれども。 もう、どの要求をまず削っていくか、ということばかりの日々で、 ひとまず、時間潰すためにパチスロしたり、たいして面白くもないテレビ見たりとか、そんな時間、まっっったくないんですけれども。 ありえないんですけれども。 ――てか、そんな質問するあなた。あなたの私生活って、そないに無内容で、スカスカなわけ?

でも、そんなオタクで自己完結で幸福な日々をさらっとカミングアウトすることも出来ず、 適当にお茶を濁した言葉でその答えを流してしまうわたしなのであった。



2005.12.13

ちょっとばかり昔、親しくしてもらった仕事場の先輩に、30半ばの、昔バンドをやっていたという、そういう人がいて、 わたしが彼に、くだらない話のつれづれに"このアーティストは、こうこうだから、このジャンルは、この志向が"などと難癖つけて、あれはイヤ、これはイヤだといっていたのを、 彼は、
「ま、でもね。不思議なもので、年食ってくると、どんなものでも、どんなジャンルでも、それなりに楽しめるようになってくるものだよ。それこそ、今は、こんなもの、とはなからひっかけないようなものでもね」
と返した。
そのときは、そんなものなのかね、と思ったわたしだけれども、 今ではその言葉が、わりと実感に近いものとしてわたしのなかにあることに驚く。
その昔、1度聞いたことある、そのときのわたしはけっして足をとめなかった歌が、 なぜか、今ふたたび聞くと、慕わしく、好ましく感じられたり、そんなことが近頃なんだかとても多くなって困ってしまう。

感受性というのは、読んで字のごとく、心の「感じて受ける」部分であるわけだから、精神的に成長し、心の器が大きくなればなるほど、受け止められるレンジが広くなって、 昔はつまらないと思っていたものが、その面白みがわかったり、と、そうやって、よりいろんなものが楽しめるのかもしれない。

そんな、いつかはすべてを、なんでもかんでも楽しんでしまうぞ、という、つまりは感受性が面的で拡大方向に動いているわたしのよう人間にとって、まったく理解できないのが、
「昔は、あんなに好きだったのに、今聞くと(乃至、見ると、演ると、遊ぶと)全然面白くない、退屈」
という意見であって、こういうことをいう人の感受性というのは、 いうなれば、線的、垂直的で、収束方向というか、そういうものなのかもしれない。 過去の自分が是としたものを踏み台にすることと、自身の精神的成長がパラレルに起こっている、というか、そんな感じがする。

過去の自分の是としてものをあえて否定することで、だからこんなにもわたしは成長したんだ、と自らと周囲に主張しているという、そういうたくらみをわたしは感じてしまう。
わたしのような側の人間からしてみれば、なんで別の楽しみを手にする代わりに、その昔は手にしていた楽しみを捨てなきゃならないの、 どっちも楽しめばいいじゃない、と思ってしまうのですが、そういう側の人たちにとっては、どうもそうもいかないようで、そういう側の人たちは、なんだかいろんなものを「卒業」しながら生きていくようです。 大変ですね、そういう側の人たちは。



2005.12.12

近頃、パソコンのまえに長時間座って作業するときは、加古隆のCDを何枚かぽんぽんとコンポのオートチェンジゃーにつっこんで、それを聞きながら、というのが多い。
この人のピアノ作品は、ジャズとクラシックのさじ加減も絶妙で、繊細で重厚なのに、押しつけがましさがなく、 また陽光のような軽さと明るさと品があって、変に気が滅入るようなところもなく、もちろんうわっついていてうるさいということもなく、BGMとして最適なのだ。 これはこの人の天性のものなんだろうな。
大ファンです、といったら嘘になるけれども、わたしは、いつのまにか、10枚以上もこの人の作品を手にしている。 あまり広くはしられていない人だけれども、NHKスペシャル「映像の世紀」、映画「式日」に「大河の一滴」、ドラマ版「白い巨塔」など、いわゆる劇伴・CM系でいろいろと作品を残している人なので、 聞き覚えある作品もあるんじゃないかな。
「Scene 映像音楽作品集 1992〜2001」は廉価版も出たことだし、彼の世界を知るに一番いい作品なので、 試しにちょっと聞いてみるのもいいと思う。



2005.12.09

眠い。
どうしようもなく、眠い。
なら、眠るがいいさ。
好きなように、むさぼるように、眠るがいいさ。
ただ、ひたすら、夢を見ずに、眠るがいいさ。


――や、夢は、見る。
この前は、中森明菜と握手した夢を見た。
コンサート会場で、「いつも応援ありがとう」って、いってもらったよ。 なぜか明菜は、インリン・オブ・ジョイトイみたいなきわどい衣装を着ていて、 みせてはいけない部分が見えそうで、おいおい大丈夫かよ、と思ったよ。

昨日は、妹が胃がんに罹った、という夢を見たし、その前は、ふらふらと舗道を歩いていると、黒服を着た誰かから、紙袋にはいったなにか大切なものを突然預かって、その紙袋をめぐっての大逃走劇、という夢を見たし、 ちょっと前には、なぜか、中山秀征とお友達になっている夢も見たし。なんか妙になれなれしかったよ、中山ヒデ。肩組まれたよ。

――夢のはなしって、なんだか、もの悲しいな。



2005.12.07

「もうひとまわり大きな自分」に出会うために充電期間に入っている僕らのヒーロー、吉川晃司ですが、こんど小説を出版するらしい。
タイトルは「エンジェルチャイムが鳴る夜に」。
メールとのやり取りのみで展開する恋愛小説。

http://www.daily.co.jp/gossip/2005/12/04/196783.shtml

……。
……!?
…………!?!?!?!?
…………な、なにごと!?

なんだろ、この男は。いったい、なんなんだろーーーかっっ。
何故リリカル。なんで、どうして、どういうわけで、そないにリリカルなん? ひとまわり大きな自分を探した結果が、中国の歴史小説を読みあさった結果が、なんで乙女小説なん。なんで"エンジェルチャイム"なん?
キスに撃たれて眠ったり、ジェラシーを微笑みにかえたりする吉川アニキなんだから、それはありなのかもしらん。 しらんがっ、だね。俺には理解できない。理解できないよ、ママン。

やっぱ俺みたいなちっぽけな男にはスケールが大きすぎて、「吉川晃司」という漢はやっぱり掴めないわけで。
なんというか、とにかく素敵すぎます、吉川さん。 どうしてそんなにあたいを飽きさせてくれないわけ? ねぇ、どうしてよ?



2005.12.05

音楽レビューって、どう書くんでしょうね?
なんかさ、音楽レビューって、独特のロジックとか、レトリックがあるじゃん。 なんかこじゃれていたり、いきがっていたり、 あと、音楽レビューでしかこの語彙見ないよなぁ、とか、そういうのがちりばめられていたりとか。
アレって、いったいどこでみなさん、覚えるのでしょうね? 少なくとも、ぼくは、学校では勉強しませんでしたよ。

ああいったの、うちでは書いているようで書いていないでしょ。 ってか、書いていない、というか、書けないのよ、実は。
だからさ、レビューというよりもエッセイっぽい、とか、レビューというには自分が前に出ている、とか、読み手に云われてしまうわけで。 言ってくださるかたも肯定的にとらえて、という方がほとんどなので、だから、むりに今の文体を変えることはないとは思うのですが。
しかし、みんな、どうやってレビュー書いているんだろう? 何をお手本にしているのかしら? やっぱロキオンとか、「音楽誌で言わないJ-POP批評」とかなのかしら? このへんは、ちょっと謎だよなぁ



2005.12.02

リンクしているHAGGYさんのブログ(――いつも見ています)にあった社長度テストをやってみる。

http://passpal.co.jp/uno/brain-check.html

以下が、わたしの結果。

社長度 95%

新思潮革新タイプ

あなたは既に何らかの形で、代表か社長またはリーダー的存在で活躍していることでしょう。あなたは発想が豊かというより、人とは180度違う発想をします。 言葉について強力なパワーをもち、そのひらめきによって魅力的な思想をくりだします。表現力を身につけて新しい芸術や思潮を開発 してください。 文学・哲学・美学などで能力を培ったのち、既成の仕事にこだわらず最先端をいく分野を創造してください。

●あなたの知能領域

あなたは、言葉の意味などを材料に 『概念的にとらえ』考えたり憶えたりする能力に優れています。

●あなたの知能活動

『転換的思考型』。 ひらめきが良く、逆転の発想などまったく別の角度からの視点をもって考えられるタイプ。発見・発明タイプ。


こうした性格判断の結果を見て、「あたっているね」「はずれているね」と、判断テストの出来不出来に対する感想をいうのは、 なんだか、「おれはなによりおれを分析できているぜ」という姿勢といい、かつ、ひと様がつくったテストを上から目線で評価しようという姿勢といい、 見事なまでの何様感がただよっていて、まことにありがとうございます、という感じだし、 とはいえ、「えーーーっっ、わたしって、そういう人だったのぉー―」と、全面的に受けいれるのも、 もう、なんというか、しっかりしろ、おまえ、うっかり数十万もする美顔器とか買うなよ、ヘンな書類に印鑑押すなよ、といいたくなるわけで、 非常にリアクションに困ります。

つまりわたしが言いたいのは、わたしはいま、社長じゃないし、今後もきっとそうだろうし、 よしんば、わたしが会社を経営したとしても、思春期のにきびのように、あってまに潰してしまうに間違いないってこと、それだけ。



2005.12.01

紅白歌合戦の出場歌手が発表になったわけですが、まあ、どうせいろんな人も云ってるだろうとおもいますが、 「スキウタ」アンケート、意味ねぇー―――っっっ。
さすがみなさまのNHK、民主的な日本の誇る民主的なNHK、やることが違います。 まことにありがとうございます。

ってか、アレだね。NHKは改革しようというスタンスを見せれば見せるほど、 いろいろなしがらみにかんじがらめで、どうにも変わりようがないという実態が露呈して、いかんね。
一瞬、期待させるから、よけい、性質悪いんだよね。近頃のNHKは。 なんか、こう、いろいろと裏目に出て、信を失っている。そんな感じする。
もう、いいよ。NHKはどうやろうとNHKなんだから、こっちも期待しませんってば。

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