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まこりんのつれづれなる日々



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2005.09.30

ある知人から聞いた話なのだが、 ネットでは、迂闊に触れてはいけないテーマが三つある、のだそうだ。 ひとつが「宗教」で、ひとつが「政治」、最後のひとつが「主婦」だという。

こういってはなんだが、「宗教」と「政治」というのは、なんとなく、わかる。 キャッチの強い話題であるし、なにより、そういったことに対して狂信的な人というのが少なからずいるということはよく知られていることであるから、 私自身も取り上げる時は不用意な発言で思いもよらずに衆目を浴びたりしないように、いつもより気を使うし、というか、めんどーくさいからそんな話題しないよ。 まあ、打ち上げ花火のように瞬間的に耳目を集めるのであれば、格好の話題ではあるけれどもね。
が、そこにプラス「主婦」というのは、ちょっと意外だったのだが、ふと思い返して、ああぁぁ、と納得すること、しきり。 たしかに、めんどうくさい主婦の方につかまると非常にめんどうくさい。

こういう話題なので名前をふせるが、某サイトに、料理の献立に関する夫と妻の些細な会話の端々から、日常生活にありがちな男女の価値観の違いやそこから生じる会話のニュアンスの微妙なズレを男性側から描写したテキストがあり、 それ自体は「あるある系」のペーソスと微笑ましさのあるものだったのだが、 これに「主婦は料理の献立を考えるの、大変なんです、何でわからないんですか」といったような、 なんというか、ちょっとピンぼけで妙にルサンチマンに満ち溢れた、おそらく女性側からの書き込みがあり、 管理人氏が「こまったなぁ」といわんばかりに穏便にあしらっていた、というのがあった。

こういったものは、つまりは、いわゆる「PTAのおばさん的なご意見」というものであって、 強烈な自己肯定と、被害者意識と、偏狭な視野と、可塑性の低い抽象的な常識や善によって塗り固められた 「正しいのかもしれないけれども、わかっていない、大きなお世話なご意見」なわけだが、 確かに程度の差はともあれ、方向性としては「政治」や「宗教」に狂信的にのめりこむ人と同じっちゃ、同じだよな。 ともに、己れの小さい物差しで、はるか無限大の彼方まで計ろうとするような、そんな無知と尊大さが被害者意識の裏に見え隠れしている。そんな自分にしか通じないルールで全宇宙を捉えようとするなよ。

自分は絶対に正しい。なのになんで誰も認めてくれない。世の中はどうかしている。むしろ正しいからこそわたしは世の中で上手くいかないのか。 でも間違ってはいない。間違っていないのに。――どんなジャンルだろうが、こういう偏狭なルサンチマンに満ち満ちた方とはお近づきになりたくないものです。

それにしても、「宗教」と「政治」がそうした困った人たちの受け皿になるというのはわかるけれども、何故そこに「主婦」なんでしょうか? ちょっとそのへんわたしは、わからないなーー。 そんなに主婦って―――てこれ以上、がたがた言うと誘蛾灯のように色々とおびき寄せてしまうので(――って、もう、手遅れ?)、今日はここまで。



2005.09.29

ことあるごとに、甲斐よしひろのハスキーすぎる歌声がどうにも受け付けられないいうていた小生なのだが、 つい最近、甲斐バンドの二枚組シングルベストをふたたび聴いてみたら……あれ、案外いける?

「観覧車 '82」とか「破れたハートを売り物に」とか、「フェアリー (完全犯罪)」とか、もしかしていいかも?
つーかさ、甲斐くん、詞がいいんだよね。「少女漫画的な男のロマンチシズム」って感じというか、あんまりお下劣なところのない男くさい男って感じで、こりゃ、梓もモー様もみゆきも気に入るな、という。 それに後半のニューヨーク三部作はなんか音がビシバシ走っていて、カコイイし。ってゆーか俺、みゆきの『36.5℃』が好きなんだから、そりゃこの辺の音は気に入るか。
「そばかすの少女」をちょっと蓮っ葉で不良中年な女性シンガーに歌って再生してもらいたいです。 明菜様とかっっ。静香様とかっ。みゆきが歌ったら……、あ、これはそのまんまか。
あと、あえて「冷血(コールドブラッド)」を明菜様が歌うというのも。 「♪ やつのガールフレンドが狂言自殺を謀った晩 街はスコールのように激しい雨 悪い予感振り払い ドアを蹴破って 部屋に入ると フロアは血の海 彼女は横たわるーー」 って。あぁぁぁぁぁ。ごめんなさい。純粋な明菜ファンの皆さんごめんなさいぃぃぃ。



2005.09.26

先日、いつもサイトで一緒に遊んでもらっている某氏と「槇原敬之の新曲のタイトルを勝手考えよう」ごっこをした。

「僕は繊細な人と思われたいわけじゃない」とか、 「愛していると今いわなければ僕は嘘になる」とか、 「この恋が悪いなんて神様も決めていない」とか、 「弱い僕は君を壊して君を失った」とか、 いかにもアレなタイトルをだしつつ、マッキーも「僕は太陽になるんだ」とかわけわかんない自己肯定して、道徳的な歌で自己防衛しないで、なんで素直に金太郎君との愛の日々の歌を作んないのかなぁーー、とか、 マッキーはここは素直にジョージマイケルや美輪センセーのようにゲイシンガーの道を歩んだ方が身のためでね、とか、好き勝手いいまくっていたのだが、 その昨日の今日で、マッキーの「travelling」を偶然にコンビニで耳にして焦った。

イントロが流れて、あ、宇多田だ、でもアレンジ違くね?  で、歌い始めたらマッキーーだったぁ。 や、またカバーアルバム出していたのね。もう、なんか、変に見抜かれたみたいで、ちょっとびっくりしたよ。俺、今、ブラクラ踏んだ? という。

それにしてもマッキーのカバーはよくいるやたら歌の上手いおかまさんの歌そのもの、って感じで、なんか、こう、ね、アレですよね。と奥歯に物の挟まったようないい方をする。
っーかさ、はっきしいえば、これをどう受け取ればいいのよ、と。 そんな手に余るものをプレゼントするなよ、と。 そんな自分には不必要なのに、相手の思いが無駄にこもって捨てるに捨てられないはた迷惑な贈り物的なんですよっっ、マッキーのカバーは。 非常に扱いに困ります。
自分好きなのはわぁったから、 もっとプレゼントは相手の身になって考えようぜ。

あ、ちなみに美輪センセーの「ヨイトマケの唄」とエルトン・ジョンの「Your song」もカバーしているそうな。 これはマッキーなりのカミングアウトってことなのでしょうか。先生。



2005.09.24

昨日たまたま、ボブ・サップの試合をテレビで見た。 というか、なんか逆切れしたいじめられっこみたいな涙目で試合していたよ、彼。 それでいいのか。ボブ・サップ。
彼って、サービス精神過剰で、可愛気があって、そのせいか、ちょっと線の細い人なのかな?  と思っていたけれども、どーも、そうみたい。

っていうか、わし、格闘技まったく知らんのだけれども、この世界って、もしかしてでかいもの勝ち?  と、ふと、この試合を見て思ってしまった。
や、なんか、でっかいボブ・サップの今回の相手は、彼よりもさらにでっかい韓国の格闘家だったんだけれども、 これが、まあ、愛想のないジャイアント馬場みたいな人で、なんかこの二人がのそのそのそのその、なんか、こう、あまり見栄えのよくない試合を繰りひろげていて、 で、後半は二人して体力切れして動けず、だらだら汗流しているだけ、という。素人目から見ても、スリルがないなぁ、という。 で、でっかい韓国の格闘家が、結果、判定勝ち、って。これって面白いか。
や、まあ、いいんですけれどもね。わたしはまったくの門外漢だから、このプロレスとか格闘技とか、そういう世界はぜんぜっわからんし。
その筋の人からしてみたら、素晴らしい何かがあるんでしょう。きっと。



2005.09.21

さだまさしのニューアルバム「とこしへ」が何気にテレビスポットを打って売る気まんまんなのには驚いたが、 さらにそれが効をそうして、オリコン初登場八位という好成績にはもっと驚いた。 それよりも驚いたのは、そんなニューアルバムに「MOTTAINAI」という曲が収録されている、という、今日のまこりんです。

これは、もちろんノーベル平和賞を受賞したケニア副環境相、ワンガリ・マータイが提唱する「MOTTAINAI」に賛同して作った新曲に違いないんだろうけれども、 なんつーか、いや、確かにさだまさしが取り上げそうなネタだけれども、まさか本当にやりますか。いやはや。
ここまで来るともはや、何もいえないというか、なんというか、やーーー、ねぇ。さだまさしはさだまさしを貫いているっ!  さだまさしは一本筋が通ってるっっ! さだまさしほどさだまさしい(※)奴はこの日本で見たことないっっ!!!! と、おもわずジャンプ漫画のように、エクスクラメーションマークを連発したくなる。
やっぱり、さだまさしはさだまさし。さるまたしでも、さらまわしでも、さるまわしでも、さるまたけでも、たらいまわしでもなく、さだまさしなんですよっっ。

ちなみに前々作のアルバムのタイトルが「すろうらいふすとーりー」って、これまた、さだまさしを貫いておりまして、この「スローライフ」を取り上げるのもさだまさしなら、それをひらがな表記というのが ぷんぷん匂うほど、さだ、という。♪ パンプキン・パイとシナモン・ティー〜、薔薇の角砂糖ふたつ〜 って感じで、 田舎モノ騙しも大概にしろ、っという。

こういう善意の押し付けを臆面もなく享受できる人間には絶対なれないし、なりたくない小生まこりんではありますが、 そんなさだまさしい人達にとっては欠かせないんだろうなあ、さだまさしという存在は。非常に勉強になります。
比べて松山千春は、そのへんどうにも読みきれていないというか、「そこでムネオを応援しちゃまずいだろ」という感じで、策士としては劣っているのかも。 って、また相変わらず殺伐とした毒を吐いております、自分。

(※・さだまさしい 【形容詞】 偽善的な態度で人に阿るあさましい様子。「彼の態度はさだまさしいばかりで、本音が見えない」)



2005.09.21

「日記の更新がないから、テキストの更新もないだろ」 なんてタカをくくっている、そんなお前を出し抜くぜ。いつだって油断のならない、俺は切り出しナイフの、そう、まこりんです。

というわけで18、20日と日記を書かずにひっそりテキストだけアップしてみました。 つーか、まあ、日記書くのがだるくって、さ。 テキストにつきっきりで。そんな時もあるのですよ。 今日は、対談テキストをアップしたので、ちょっと一応いっとこうかな、という感じで書いております。

今回は「ヒスイブログ」のhisuiさんと一緒に「JUNE」について暑っ苦しく長々と語りあってみました。 今回も面白い対談になったかな、という自画自賛モードにはいっております。
歌謡曲サイドはわりと充実したテキストをそこそこ書いたかな、という感じだったのに比べて少女漫画サイドが手薄、びっとしたお薦めできるテキストがないなあ、なんて思っていたけれども、 これでようやっと目玉テキストができたかなあ、なんて、そんな感じです。興味のある方は見てやってくださいね。 とにかくもっともっとこっち系も厚めにやりたいな。



2005.09.16

先日発売した「ゲームボーイ・ミクロ」のテレビCFの「Dr.マリオ」のテーマが流れるバージョンが妙に気になるまこりんです。 これは僕らのオレンジレンジへの嫌味なのか? そうなのか? って、それはちょっと被害妄想。
ともあれ「♪ 僕らはいつも以心伝心〜 」っつーことで。

まこりんってば、サイト、サボっているんじゃないの?
というお叱りを受けそうな昨今ですが、実はサボってます。 堂々と、そこはカミングアウトしていこう。
確かに春先頃と比べると、モニターの前に座っている時間が、短くなってはいるんだけれども、 ただねーー、なんでだろーー、まったく作業していないってことは、ないのよ。 ほぼ毎日、一時間以上はサイト関係のことでこちゃこちゃやっているし。
でも、そんな努力が、なんだか今は不思議と実を結ばないんだこれが。 原稿用紙で換算すれば余裕で30枚以上はいっているようなテキストが、アップできない。できそうもない。 って、こっからは愚痴の無限ループなので、アレだけれども、そんな感じです。隊長。



2005.09.09

テキストアップは気合いだ気合いだ気合いだぁっっ。 と、ネタ的にかなり遅めのアニマル浜口でこんばんは。

ふと気づいたんだが、さりげなく篠原涼子が、今いい位置に来ていないか?
小室プロデュースでブレイクの頃から定期的にドラマを出演し、歌手活動が停滞して以降は 舞台や映画にも進出し本格的に演技を身につけ、一方連続ドラマでは作品の三番手くらいの位置でいい味を出しつづけていた彼女だけれども、 気が付いたら、彼女、テレビドラマでも主役格に踊り出ている?
ここ最近、「ぼくの魔法使い」「光とともに…」「anego〜アネゴ〜」と気がつけば、彼女に回ってくるのは主演あるいは主演の相手役だし、しかも「アットホーム・ダッド」と「光とともに…」のように同時期にドラマを掛け持ちなんかもしているし、 でもって、ついに化粧品のCM――資生堂の新ブランド「マキアージュ」で「街中で浮く?」に登場なわけですよ。 売れ線女優の証のようなコスメCM仕事にたどり着いているわけですよ、篠原涼子が。
色っぽ可愛い今時の30代独身OL風、って役どころで篠原涼子が静かに再ブレイクしていることは、まあ、正直嬉しいんですが、や、世の中何があるのかわかったものじゃない。

今の篠原涼子がいいのは、「陽」と「陰」を極めてわかりやすく演じ分けていて、それがどちらも不自然でないところにあると思う。 「溺れる人」での全ての幸福を壊してしまったアルコール依存症の彼女、「anego〜アネゴ〜」での独身高齢OLで2枚目半のコメディエンヌとしての彼女、 この「陽」と「陰」の二面がくっきりでていて、このどちらもが彼女のものとしてしっくりしている。

この二面性がぐちゃぐちゃになって、その瞬間で瞬間で移ろうようになると―――翳っているのか日向なのか、湿っているのか乾いているのか、咲き零れているのか枯れているのか、艶めいているのか荒んでいるのか、なにもかもわからなくなるほど混沌としていくと、彼女は大女優として大成すると思う。
とはいえ、それよりも先に件の噂になっている人と結婚してさっさと降りてしまう気がしないでもなかったり。そこんところどうなんでしょ。
とにかく実のある形でいいところに来ています、篠原涼子。



2005.09.07

このサイトをはじめてもう二年半以上になる。 個人のwebサイトにはいわゆる「データベース系」や「ファンサイト系」はよくあるけれども、 管理人の人格が前面に出された――かといって電波やメンヘル系でない、自分の価値観や趣味趣向をカオスにつめ込んだサイトというのはないなあ、と思い立ったのが、このサイトを立ち上げたきっかけだった。

ともあれ、こうした極私的な立場で色んな物事を語ったり作品を紹介したりという「俺・レコメンズ系」(って、今勝手に名づけてみた)サイトは、 その後、Blogがその役割を担い、いまや爆発的にその数を増やしているように見える。

この状況に、私の役割も終わったかな、などとしおらしいことなど言ってユーザーをゆさぶってみたりもするが、 じゃあ閉鎖するかというか、そんなこと全然ないですからっっ。残念。

もう既にサイトが自分のもうひとつの居場所になってしまったというか、 ゆえに止めようと思っても止められなくなっているよ、という。そんな状態に陥っている。 こうした素人レビューというのは、結局それまで溜めこんでいたリビドーを吐き出したらそれまで、という面もあるわけで、 テンションの高いテキストがいつまで書けるかというのは自分でもまったくわからないけれども、ひとまずちんたら続けていきたいな。と。



2005.09.06

これは、自戒をこめて、という意味もあるが……。
この世にある様々な正論―― それは確かに正しいことなのであるが、しかし、 その正しさは息苦しさを感じずにはいられない。そんな風に思うことがよくある。 それは正論だけれども、自由じゃないな、と。
そういった「正しい言葉」は、ある面では確かに正しいのだが、たいていが空論というのか、 実情を把握していない、ある面では「正しくない言葉」であったりするものが多い。

ネット上にある「正論」というのは、そういうものが多いな、と私は思う。
blogやら、2ちゃんねるやら、チャットやら、様々なところで交わされるどこか熱病めいた「正論」。 それらは、確かに正しいわけなのだけれども、正しさの影になにか大切なものごとを忘れているような……、 と、思わず振り返ってしまいたくなるものが多い。 その正論は、わたしたちを幸福にするものなの? その正論は、わたしたちを自由にするものなの? ――と。

そういった息苦しい「正しさ」を腑分けしてみると、 「正しさ」の鎧の向こうに書き手自身の、およそ本来のテーマとは関係のないルサンチマンが仄見える、 なんてことが多くてこれまた困ってしまうわけだが。 なんだよ、私怨に理屈をコーティングした感情論かよ、と。

「正しさ」は、いろいろなものを隠してしまう「めくらまし」の役割があると思う。
欲望や衝動、悪意など、人が理性で押さえ込まなくてはならないもの、それらは「正しさ」の免罪符をいただいたとたんに内から外へと溢れ出していく。 「正しさ」の鎧をまとって人は人を殺し、人は人を陥れる。 戦争は「正しさ」の麻薬的効用をもっとも有効に活用したものといえるかもしれない。

「正しい」ものであればあるほど、私たちは慎重に扱わなくてはならないと思う。 「正しい」からこそ、疑わくてはならない。 絶対的に「正しい」というものはこの世に何一つとしてないのだから、 どの段階でどの状況でどの範囲で、という限定的な「正しさ」しかこの世にないわけだから、 特に中間領域を捨象したような、原理原則的な、ある意味暴力的ともいえる「正しさ」には、気をつけて扱わなくてはならない。



2005.09.05

藤井隆が結婚したら、レイザーラモン住谷が出てくる。 いやぁ、世の中ってのは、上手くできてますね、 って、今日も皮肉、フゥーーーーッ。

今の吉本はホモキャラを随時補充していく方向なのかいな?
ともあれ、この2人が楽屋で相談していたら、面白いだろうなぁ、なんて想像したり。

自分の芸風に疑問を抱いたハードゲイが、藤井の楽屋を訪ねるわけですよ。
「僕の芸風って、正味な話、どうですか」と素の顔でレイザーラモンが訊くわけよ。
「えっ……(と一瞬言葉につまって)。でも、いいと思うよ。やっぱりインパクトあるし……。」なんてそれを藤井隆が対処に困る感じで返すわけですよ。

「やあ、でもインパクトいうても、僕っていわゆる出落ちじゃないですか。いつも腰振って"フゥーー"いうたらそれで終わり、みたいな」
「そんなことないよ」
「そうっすか」
「(言葉を確かめるように)例えいつも同じでも、続けていくということに、価値があると、僕は思うけれどもなぁ」
「藤井先輩も、こういうこと言っては失礼っすけれども、昔、俺いつも"ホットホットダンス"やってばかりやん、みたいな、そういうのっておもったりとかなかったんですか?」
「やぁ……。まったく思わなかったってのは、嘘だけれども。それを云っちゃおしまいかな、なんて、ちょっときついい方だけれども」
「(うつむいて)僕、芸人向いてないんすかね」
「そんなこと、考えちゃダメだよ。考えたら負けだよ」
「でも、なんか近頃よく思うんですよ。「俺って、そもそも面白いか。腰振るって、そんな面白いことなのか。ハードゲイって、そんなに面白いものなのか」って」
「……」
(気まずい沈黙)
「藤井先輩は、どうやっていわゆるオカマキャラ、っていうか"ホットホットダンス"の時代から脱却したんですか?」
「うーーん。特にこれ、っていうのは、ないんだけれども、気が付いたらというか。一生懸命仕事させていただいたらというか……。まぁ、でも、そういうことって今の住谷くんは考えない方がいいと僕はおもうなぁ。 本当に来る仕事来る仕事をこつこつ重ねて、っていうのが今は一番大事なんじゃないかなぁ。」
「そうっすか」
「うーん……。こんなこというのは、僭越だけれども、器を決めるのは自分じゃないわけだし。」

――なあんて真面目に相談しあっているところを想像すると笑えません?



2005.09.04

安野モヨコのようなおしゃれ漫画を描いて、おしゃれなファンをGETしようキャンペーン中のまこりんです。

単行本は980円とか、ちょっと高めの価格設定で、そのかわりに漫画にしては大型のA5判にして、おしゃれな装丁でアピールするから。 で、ひとまず吉祥寺とか高円寺とか中央線沿線に住んでいて、ひとり暮らしで、マイナー劇団の団員のおっかけをしている人とかをターゲットにしていくから。 って、おれは今の短文でどれだけのものを小馬鹿にしたのでしょうか。おお、神様。

まぁ、世の中ってのは、みんないい気なもんで、みんな必死で、みんな滑稽だったりしますが、まぁ、それでもいいじゃないか。 みんな必死で、みんな良い。と。自分にがんじらめのあやつり人形で良いじゃないか、と。 どうせ私も滑稽なんだし、その辺はお互い様ということで、もたれあっていこうじゃないのよ。

って、わけで今日から、このサイトは自傷系露悪ナルシスサイトになりますのでよろしくッ。 「今日も、いらいらしたので手首を剃刀でなでてみた。嘘のような真っ赤な血が綺麗だった。」 とか、そういうことを書いていくからっっ。



2005.09.03

濃口は水で薄めればすぐに薄口になるけれども、 薄口を濃口にするのは難しい。
というわけで今日も濃い目のまこりんです。 カルピスのように、各自で水で薄めて使ってください。

それにしても、今年の夏も色々あったなぁ。 コミケで逆ナンしたり、メイドカフェでバイトしたり、ハガレンのコスプレしながらカラオケボックスのラルク大会、大盛り上がりだったなぁ、 って、どれだけ嘘を重ねれば気が済むのか、俺は。

まあ、ともあれ、オタの人の無駄な生命力にはこの夏も完敗で、乾杯でした。



2005.09.02

「食わず嫌い王決定戦」で扱う料理が"食わず嫌い"でないことに子供っぽく疑問を投げかける、そんなピュアな子供のハートを持ちつづけているまこりんです。 「小さい頃にいつも食べさせられてて」とか「給食で食べた時の印象がトラウマで」とか 、いつもいつもいつも、みんな一度食ってるじゃねーかよっっ。

ちなみに小生、まこりんの食わず嫌い食材といえば「梅干し」。 あの毒毒しいまでの鮮やかな赤色といい、しそのかほりといい、くにゃっとした感触といい、た、たまらん。許せん。許すまじ。殺してやるぅぅぅ。きぃぃい。 俺の背後に梅干を置くなっ、とデューク東郷バリに梅干しに対してはこのままずっとハードボイルドでいたいものです。

って、こんな枕でいったい何を語りだすのかと、みなさんどきどきわくわくして夜も眠れねーよ、な遠足前夜の小学生に なっていると思いますが、今日はなんにもありません。
いうなれば「遠足は雨天中止。教室でみんなでお弁当を食べる」みたいなそんな日です。 でも、そんな日すらもいつかいい思い出になるよね。そうだよね。だから一緒に手をつないで砂浜駆けていこうよっ。そして砂に「バカ」って字を書いて、夕日に向かっていっしょにアカンベーをしよ。
って、さっきから話の落としどころを探ししてさまよっている感じなのですが、どうでしょう。

※ 現在、本サイトの接続がちょっと困難な状況です。すまん。忍者さんの回線提供業者の設定ミスが原因なんだとか。現在復旧予定日は未定。そこんところ飲み込んでやってください。



2005.09.01

みんな、夏休みの宿題はちゃんと提出したかな? まこりんです。
提出できなかったというそこのあなた、 うな曰く「一週間くらいずっと提出をブッチすれば、先生はなんとなく忘れたことにしてくれる」らしいです。 ただし先生からの心証が極めて悪くなる諸刃の剣なのだそうで、って、そこまでしてやらないというのも逆につらくないか、おい。 っていうかそれ以前にこのサイト見ている人で「夏休みの宿題に追われる身分」の人って、いるのかいな。 ちなみにわたしは8/28あたりから計画的に消化してきっちり9/1に間に合わせる一番要領のいいやりかたをしておりました。って、こういうところで性格って出るよなぁ。

そんな夏休みの宿題で個人的に一番面倒だったのが「絵日記」。 っていうか、絵にするほどイベントフルな日ってだいたい、少ねーよ、おい。
うちの小学校は毎年、五枚の絵日記の提出を要求していたけれども、 夏の旅行か帰省で一枚、あと、プールに行ったとかで、一枚、そこまではいいけれども、 そっから先、なんもねーよ、と、いつもわたしは大沢誉志幸バリに途方にくれていた。

ま、途方にくれるだけじゃ仕上がらないので、結局適当に捏造するんだけれどもね。 夏休み以前の出来事とか、さも夏休みにあったことのように描くわけですよ、そこは。 或いは、一日にあったことを二日に分けて描くわけですよ。 「従兄弟と一緒に海に行った」というのを「従兄弟に会った」「海に行った」で別バラにしたりね。 あーー、もう、子供に変な気を使わせるんじゃないッ。と憤りながら絵日記を描いていたなぁ。 そんな小学生だったなぁ。 ということで今日も思い出語りなのであった。

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