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まこりんのつれづれなる日々



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2005.04.28

まいった。
一本とられた。

「山さ行がねが」というサイトがある。( http://yamachari.parfe.jp/ )

わたしはひそかに廃墟・廃道・廃線のたぐいが好きなのだか、 こういったマル廃な趣味というのは、もっと内向的で陰陰として鬱な趣味だとわたしは思っていた。
が、もうこのサイトの方(――ヨッキれんさんという)ったら、徹底して明朗、アクティブに外向的に「廃」なところを攻め入っていく。
ゲーム感覚といえばいいのか、まるでRPGのダンジョンを攻略するかのような、そういった軽さが全体的に漂っているのね。(―――これは褒め言葉です)。
軽いといってももちろん廃墟でお化け屋敷ゴッコをするような者どもとは一線を画していて、きちんと廃墟にたいして敬意を表しつつ自己を廃墟とを対峙させているのだけれども、 それにもまして、印象が軽いのね。 いままでマル廃な趣味は背中に子泣きじじいを背負うようなだるさ、祭りの後のピエロの道行きをみつめるような孤独で重ったるい感覚を伴ったモノだと思っていたけれども、 こういうアプローチもあるのか、と、自分的には意外だった。

それにしても「十和田湖八甲田山連絡道路」の回には笑った。
サイトの紹介によると、この道は昭和初期の東北大凶作時に県が建設した道路で建設後は軍用道路あるいは産業・観光道路、としての活用も考えられていたのだが、 元々需要のない救農対策が最大の目的――道路を作ることが目的で作られた道路だったので、建設後すぐに放棄されたのだそうだ。
そんな今となってはほとんどが大自然にかえってただの「藪」となっているところを「ただ昔道であった」というそれだけの理由で、自転車で踏破しようという、この酔狂。 馬鹿馬鹿しさもここまでくると、拍手を送るしかない。


――あ、こちらのサイト、道マニア、マル廃マニアだけでなく、秋田・山形・岩手あたりにお住まいの方もご覧になったら面白い発見があると思いますよ。



2005.04.26

「男性=理知・女性=感情」という意識が強いのか、直観力の鋭い男性や、理論構築がうまい女性にあうとちょっとばかり驚く。
とはいえ、大抵一方が得意だったら一方は不得手というのが普通なので、そういうズレのある人も「脳の構造とセックスがずれてるだけなのね」って理屈で軽くスルーできたりするので、あくまでそれは「ちょっと」くらいの驚きにすぎない。 しかし、時々いるのよ。オールマイティー型。どっちもいけるというタイプ。これには手放しで驚いてしまう。

情緒を理論で説明し、理論を情緒化できるタイプ。フルパワーで感情で溺れる一方でそれを冷徹な理知で統御できるタイプ。カチッと秩序で構築されているようで、どこか混沌としていて。じゃあ混沌なのかとそれをよくよく見てみるとそれもまたきちっと理論で構築されたもので。と、まぁ、どっちでもあってどっちでもない。 もう、こういうタイプには素直に憧れるしかないじゃないかっっ。とわたしはつい叫んでしまう。
私が好きなクリエイターでいえば、萩尾望都、筒井康隆、書上奈朋子なんかは、このタイプなんじゃないかなぁ。

わたしは「理屈っぽい部分と、感情的な部分が混交した人間」と自己認識しているのだが(―――相手にどう見えるかはしらんよ)、 ただわたしの場合はその両方がとても低い次元で融合しているので、とてもオールマイティー型とはいえそうにない。強いていうならオールナッシング型。つまりただの馬鹿である。
論理的なテキストを読んでは「あったまいい――ッッ」と率直に感心し、直感の鋭いテキストを読んでは「なんでそんな物の見方ができるの」と指をくわえて憧れてしまう。そんなわたしなのである。



2005.04.25

福知山線脱線事故


今の時代、鉄道事故でこんな事が起こってしまうのか……。
現段階で死者数50人という。
死者数だけで言えば、2000年日比谷線中目黒の脱線事故、1991年信楽高原鉄道の列車正面衝突事故、さらに1972年の北陸トンネル「急行きたぐに」火災事故、1971年近鉄特急正面衝突事故を凌いでいる。 実に1963年の鶴見事故以来の規模ということになる。

現段階では置石?速度超過?などの説があがっている。 ―――福知山線の東西線乗り入れ列車は次の停車駅の尼崎で東海道線の普通とホーム対面で連絡をとるのがいつもだから、遅延を取り戻そうと無理な走りをしたのでは、という説にある程度の説得力はあるが、では実際どうだったのか、というのはわからない。

鉄オタとしてちょっとおもったこと。
―――それにしてもあいかわらずマスコミは鉄道の信号システムってのがわかってないなぁ。
「現場のATSは速度オーバーには対応しない古い型だった」とか……。
そもそもATS自体がそういう思想をもって設計されたものじゃないし、とか、お前ATSとATCを一緒にしていないか、とか、ぶつぶつ言いたくなる。
こういうのをオタの戯言と言う。



2005.04.24

個人的にものすごい好きなエピソードがある。
宇崎竜童と阿木燿子の二人のなれ初めは、大学時代のサークルなのだが、 宇崎が阿木に出会ってはじめていった一言は「君は僕と結婚すると思うんだ」だったのだそうだ。
阿木は「なんて変な冗談をいう人なのだろう」とその時は流したというが、彼の求愛はその後もまったくおさまらず、結局ほだされるままにふたりは結婚する。
それからしばらく――、27歳にしてバンドをはじめてしまった宇崎と阿木は鶴見のつましい木造家屋を借りて住むことになるのだが、宇崎は帰宅する時「ただいま」のかわりに「桃源郷――っっ」といって玄関のドアをあけていたという。 そして売れないバンドが少しずつ芽を出してくると「桃源郷――っっ」は「極楽浄土――っっ」にまで変わったという。


溺愛するのは男性に限る、と私は勝手に思っている。
女性の溺愛というのは、ちょっと身を切るような痛々しさがある。 それが我が子にたいしてならまだ美しいものなのだが、惚れた男に対してとなると、さすがに悲愴さ、シリアスさというものは隠しきれない。
それに比べて男性の溺愛ってあっけらかんとして裏がなさそうで、なんとも能天気でしょ。
27歳になっていきなり夢見出した男がちっちゃな我が家にかえってくるたびに「桃源郷」って――なんか可愛いやっちゃなって思うでしょ。誰でも許せちゃうシチュエーションでしょ、それって。

男性がベタぼれして求愛しまくり、女性は「ちょっとこの人、行きすぎ」と嬉しさと恥ずかしさと鬱陶しさをない交ぜにしながら軽く受け入れる、という構図が1番しっくり来るこわれにくい男女の構図なんじゃないかなぁ、と、私は思う(――や、お互い溺愛しあうバカップルでもいいけれどもね。ただバカップルって長続きしないような気がするんだよね。そこで完結しきっちゃってる感じがするから)。
ということでわたしも率先して溺愛していきたい。そんなわけなのである。
今は当の相手がいないから、作品相手に「桃源郷――っっ」と叫んでいきたい。



2005.04.22

「ミュージックステーション」

番組冒頭で郷ひろみとモー娘が「今回の件」について釈明めいたことを言っていたけれども、なんだかなぁ。
それにしても、郷ひろみにとっての2度目の結婚生活って一体なんだったのだろう……。(――あ、GOの新曲に関してはフツーの歌謡曲という感じ。800曲探してこれかよ)
モー娘はどこまで続けるか、というのがいよいよ大命題になってきたよう。いっそのこと「制服向上委員会」のところまでいってくれたほうがすがすがしい。
あ、安室センセイは相変わらずカッコよかったです。今の彼女、浜崎あゆみといい対比だと思う。


あ、明菜サマの友近との共演ラジオもありましたが、まぁ、特にあたりさわりなく。楠田枝里子に「パソコンやりましょう」とさそわれているけれどもどうにもパソコン苦手、ぶあつい説明書で挫折するとかそんな話。 ネットとメールのやり方くらい誰か教えてやれよ。



2005.04.19

今日も朝まで真剣10代しゃべり場の「まこりんのわがままなご意見」にようこそ。
いやあ、俺も「てめぇの好きにすれば」というようなテーマで熱く語りてぇ―――っ、ってこのサイトでいつもやっていることかそれは。

ちょっと笑った話。
「エヴァンゲリオン」の完結版が出来あがる前、庵野秀明と萩尾望都が雑談したんだとか。
「あの話の終わらせ方ならわたし、五つくらい考えつく」と萩尾望都。
「あんな無茶苦茶なストーリーでラスト五つも思いつくなんて」と庵野秀明。
……や、無茶苦茶って自分で言うなよ。確かに無茶苦茶だけれども。
――しかし、萩尾望都が思いついたその五つのパターン、聞いてみたい。


そういえばその昔萩尾望都と松本隆が二人して「破綻した物語が自分ではどうしてもつくれないから、憧れる」 なんて「エヴァンゲリオン」の話をしていたけれども、庵野さんは破綻しない物語が作れないだけだと思うぞ。



2005.04.17

お気に入りにいれているサイトのほとんどがニュードラえもんの声優に対する違和感を語っていて、 みんなドラえもんが好きなんだなぁ、と妙に感嘆してしまったまこりんです。

や、自分も好きだったんだけれどもね「ドラえもん」。ただ私の場合、原作至上主義だから、 藤子・F・不二雄の書いてないストーリーのドラえもんは認めていないというか、劇場版とかも「ドラえもん のび太と竜の騎士」までしかみとめていないわけですよ。 ましてや藤子・F・不二雄が亡くなって以降の意味不明にメディアミックスし、タイアップしだした「ドラえもん」ってのはもう私のなかでは「ドラえもん」じゃないんですよ。
なんだよ×××って本、とか、○○○のCFとかありえねーよ、とか、主題歌が△△△ってどうやってもげせねぇ、てわけだったのですよ。あんたら、作者の作品に対する愛やこだわりを理解してんのか、ちゃんと、と聞きたくなるわけだったのですよ。 ってなんかすごいファンみたいだな、俺。―――や、作家・藤子不二雄に関してはFとAともに充分ファンなんだけどね。

うーん、とにかくわたしは「ドラえもん」とはゆっくりさよならをしてしまったので、今ここで大山のぶ代の演じる、馬鹿息子を愛するように生温かくのび太を愛する肝っ玉お母さんのドラえもん像、というのが崩れても「あぁまたひとつさよならだね」と思うだけなので、そんなショックじゃないなぁと、いう話で。
まあ、あれだけ築きあげたものを継がなければならない新声優陣の方は大変だろうな、とは思いますけれども、彼ら声優陣の努力いかんに関わらず、原作者が亡くなってしまったからには、こういうものは崩れるしかないんじゃないかなあ、と私は思ってしまう。
もちろん今の解釈による新しい「ドラえもん」というものは人気がある限りひとまず生まれ続けるんだろうけれどもね。



2005.04.16

身の回りで起こるいやなトラブル――つい、何がいけないんだ誰がいけないんだと不毛な犯人探しをしてしまって、余計泥沼にはまったりするけれども、 そんな時は全てこう言い聞かせている。
「これは小角様の試練だ」
って「宇宙皇子」を読んだことない人にはなんにも面白くない前文でこんにちは。まこりんです。
それにしても小角様、細かく俺に試練与えすぎっっ。
自転車をこまめにパンクさせたり、乗り継ぎの電車をすんでのところで間に合わなくさせたりとか、ちっちゃすぎるよ、俺の小角様。そういう試練はいいから。


あ、そうそう、「中森明菜のカバー・競作作品について」のテキスト作っていて、知ったんだけれども、 「Tokyo Rose」時に明菜のバックをつとめた元MAGICの上澤津孝さんと山口憲一さんが中心になって「JAZZBILLY」なるバンドを結成していたのね。
で、「ふーん、何やってんだろ」って公式サイト(――http://www.jazzbilly.com/pc/top.html)を調べて見てみたら……「このバンド、去年の中森明菜のディナーショー」のコンセプトと同じやんっっ、と驚いた。

だいたい公式トップページの言葉の禁酒法がアルカポネが、ジャズエイジのあたらしいステップが、って。もう、去年の明菜のディナーショーに関してそっくり自分が掲示板とかテキストで書き散らしていたようなことだったし(――だよね)。 ジャズ→ロカビリーの流れ(わたしが面倒くさいからいつも「進駐軍音楽」っていっているのはこのあたりの流れね)ってのは、もう日本歌謡史的に見ても大正解で、明菜ベタはまりなわけですよ。(――あ、バンド名のJAZZBILLYってジャズ+ロカビリーね。いわずもがなどろうけれど)

いや、明菜様――むしろJAZZBILLYのライブに行ってあのショーのコンセプト立てたんじゃないの?と聞きたくなるくらいで。
そういえば「Tokyo Rose」の頃も「ロカビリー大好きで、個人的に『MAGIC』のライブに行ったこともある」とか言っていたしなぁ。
それにしても気になるJAZZBILLY。



2005.04.15

坂本龍一「CM/TV」

タイトル通りデビュー以来のCM/TVテーマを集めたコンピレーション。 正直いってあんまり期待していなかったんだけれども、結構面白かった。
その時々の彼の音楽嗜好が垣間見えて微笑ましかったり、またソロ作品などではできないような遊びや実験なんかもしている。
プラス、あぁこれ教授だったんだぁ、と思うものが結構あったりして新鮮な驚き。明星「中華三昧」とか、サントリー「SASUKE」とか、東芝「BS アリーナ」とか、聞いたことあるある。
ドリームキャストのサウンドロゴには「愛」そして「哀」。

1番好きなのは鹿島建設のイメージソング「The Echoing Blue」かな。
ちなみに全50曲で最小の曲が4秒のサウンドロゴ。色々と細かい仕事しているんだなぁ、教授も。
あ、そうそう解説文をみる限りだとM-7「西武スペシャル ゴーマンミチコ」とM-13「西武スペシャル B-3」の収録がテレコになっているような気がしますけれども、気のせい?



2005.04.14

昨日は明菜ファンサイトのマップなんかを出したので、続きでその辺の話を……。

例のマップに載っている「Akina Nakamori Fun Site」さんと「みんなが作る中森明菜レビュー集」は相互リンクをしているので、月1ペース以上で確実に拝見しているけれども、それ以外の明菜特化のサイトは、今はほとんどといっていいほど回遊していない。
結局ファンサイトの空気が元々自分にはあわないんだろうなぁ、と今は思っている。 ほら、やっぱり「同じ誰それのファン」といえども所詮烏合の衆。色んなタイプの人間がいるし、そうなると自分とは相容れない人ってのは必ずでてくるわけで、そこを御して「仲良しこよし」ってのは私にはとてもできないんだろうなぁ。

とはいえ、ネットし始めは誰しもがそうだと思うけれども、検索しまくって色々なところを見つけてはよく楽しんでいた。
このマップに書かれている「みのるWorld」さんと「流れ星76」さんは確実に二桁回数は訪問したと思う――ま、書きこんだりというのは確かなかったと思うけれども。

「流れ星76」の殺伐ぶりにはビックリしたなぁ……。確か自分が見ていたのは2000年頃だったと思うけれども、なんかもう訪れる人が攻撃欲求の塊みたいな人ばかりで、 「鬼に会うては鬼を斬り、仏に会うては仏を斬り、親に会うては親を斬る」って感じのサイトだったと記憶している。本気の人が多かったぶん、ひと昔前のにちゃんねるよりも性質が悪かった。
見るたびに「ここはひどいインターネットですね」といいたくなるような暗澹たる感情が残るだけなんだけれども、ひと月くらい経つとなぜかそれを忘れてまた見て、また鬱になって、の繰り返しを1年弱はぬるーく続けていたと思う。 「これは不毛だ」と気づいてある時期から意図的にロムするのを止めてすっかり忘れていたけれども、もうあのサイトもこのマップによるとないのかぁ。なくなったらなくなったで淋しいものだなあ。ずっと住人は殺伐とした明菜論議を繰り返して欲しかったのに。――ってひとごとだからいう私。

一方、このマップに載っていないけれども、「Academic Akina」というサイトが結構色々な面白いテキストがあってよかったと記憶している。 確か中森明菜の全てのシングルのそれぞれのメロディーの最高音と最低音を抽出して「中森明菜は年々音域が狭くなっている」というよくある意見にデータで反論していたと思う。それを「へぇー、そうなんだ」とひとり勝手に感心したりしていた。 あの企画よかったですよ(――とあのサイトの管理者がうちのサイトを見ていることを前提に話しかける)。

それにしても、こう考えると、サイトの寿命って、案外短いものだなぁ。
まだネットが普及してから時がたっていないので、色々と状況が変わり易いというのもあるだろうけれども、やっぱのサイト運営って大変なんだろうな―――ってなんで他人事かな自分、大変に決まっているだろうがっっ。



2005.04.13

昨日に引き続いて、「外部からの評判を気にする私」な話。

サイトの評判っていうのは実際管理している人からはほとんど見ることができない。せいぜい書きこみやメール、あるいはアクセス解析の結果を見るくらいしか指標はないんじゃないかな。
確かに書きこみやメールっていうのは、その人が自分のサイトをどう思っているのか、というのがダイレクトにわかるけれども、とはいえ、概ね好意的でないとわざわざ文章をしたためるわけないので―――まあ、いいことばかりしか書いてない。
一方、アクセス解析となると、これは確かに客観的だけれども、客観的すぎて、じゃあ実際どういった目的でうちのサイトを閲覧し、結果どれくらい満足しているか、なんてことはまったくわからない。 視聴率と視聴質じゃないけれども、多くの人が見ているから、それが質がいいってわけでもないし。

そんなわけで、自分のサイトの評価ってのは、その実、よくわからない。
だから、運営にはぼんやりとした言葉にならない不安がいつもはりついている。
そんなわたしなので、まったく私の目の触れないようなところで、私のサイトに対して率直な評価を聞く、しかもそれが好意的な意見だったりすると、私はとても嬉しくなる。
あ、どうも、なんて挨拶したくなる。―――したらしたで色々面倒くさいし相手も困るだろうから実際はしないけれど。

最近うちのサイトのユーザーからいただいたものなのだが、2ちゃんねるのある中森明菜スレッドで住人の方が作った 中森明菜のファンサイトマップ というのがあって、それに数ある明菜ファンサイト(――っていってもよく知らないんだけれどもね)のなかから有名サイトのひとつとしてうちのサイトが載っていたのもなんだかとっても嬉しかった。
(―――あ、このマップ作った方、にちゃんなので連絡つけようがないので無断であげちゃいます。もしアップするのは勘弁っていうのなら、連絡くださいな。)

別に中森明菜サイトのつもりでやっているわけではないけれども、どこかの誰かの明菜ファンには認められているのかな、と思うとやっぱり嬉しいのですよ。精神年齢も現行のなかではトップみたいだし。

そんなわけで嬉しくなった私は久々に明菜のレビューを5作も上げてしまった。

いやあ、久々にリキ入れましたよ。
全てのテキストが独立しているけれども、それぞれ有機的に絡み合っているし、なにより書いていて、久しぶりに手応えがあったね。「こりゃ、傑作」って書いてるそばから思っちゃったもの(――って自分でいってどうするよ)。
というわけで、わたしのやる気を引き出させるには、私の目にはなかなか届きにくい、とはいえ、ギリギリ届きそうなところで褒めるといいみたいです。



2005.04.12

サイトを運営しているから、ネット世界にどっぷりなのか、というとあまりそうでもなかったりする。

今まで取り上げた歌手や作家に関してもファンであることにはかわりないけれども、そんなにファンサイトをじっくりと見たり、というのこともないし。
とはいえ、「そういえば、この話ってネットの中ではあまり知られていないよなぁ」とか「こういう切り口で語るのって少ないのよなぁ」と思って以前あげたテキストの内容に近い事柄を 後日ファンサイトをなんとなく覗いた時に見つけたりすると「あ、もしかしてうちのサイトこの人は見たのかな」なんて思えてちょっと嬉しくなったりする。
つい最近もにちゃんねるの書きこみで「これを書きこんだのは俺か」と思うほど似たような書きこみを見つけてしまったし(――あ、もちろんコピペではなかったですよ)。 ま、自意識過剰といわれればそれまでだけれども、こういう小さなところで管理人は色々思ったりしていたりするものなのです。やたら偉そうな口ぶりだったりするけれども、案外そんなモンなのですよ。



2005.04.11

中国のにわかナショナリストが日本のにわかナショナリストに燃料を投下しまくるそんな桜の花びら舞い散る今日この頃、みなさんお元気ですか。 日本ネチズンの癒しスポット、「まこりんのわがままなご意見」へようこそ。
――って、なにもこんな間違い探しな前文書いても仕方ないな。

それにしても……。
ああいう「自分たちが正しい」と思いこんで行う暴力こそが1番厄介で、世界中のあらゆる暴力とか差別とか不幸の病巣だと私は思えてしかたない。
絶対的な正義なんてこの世にはないんだよ、馬鹿。それぞれの立場とそれぞれの主張がある。それだけ。どっちも正しいともいえるし、逆をいえばどっちも正しくないの。
世の中は「正しいこと」を基準に動いているんじゃなくって、その時々の権力とか財力とか人脈とかそういった諸々の偶然のバランスで動いているの。そんなこともわからんのか。
日系企業を襲撃するどアホにも不快になるが、それに過剰反応するネット右翼どもにも、虫唾が走る。あぁ、いらいら。
ああいう行き場のないリビドーを政治で昇華しようとする安易で馬鹿な若者はなんとかならんものか。



2005.04.10

今、エロゲーム(――ま、エロ本のゲーム版みたいなの、野郎のオナニー目的ってゲーム。色んなタイプの女性キャラクターがゲーム内に待機していて、彼女らはみんな無駄に主人公にメロメロでプレイヤーは束の間のハーレム気分を味わう、というモノ)界では「泣きゲー」「鬱ゲー」といわれる感動が売りのゲームが流行っているらしい。
エロで感動が売りってなんだよ。レンタルビデオ屋行って、感動モノの映画が見たいなぁ、とおもって普通AVコーナーをチェックするか、エロゲーユーザーのメンタリティーって全然わからんよ―――。

その話を聞いてそんなことをうっすらと思っていたのだが(――や、エロゲーとかまずやらないのよ、自分)、つい最近、話のついでに「泣きゲー」といわれているもののゲームのスト―リーの有名どころを2、3知ってしまった。
ま、ここでそのゲームのタイトルや、あらすじを述べると棘かあるのでいわないが――ていうかだらだらしたおしゃべりだったのでよく覚えていないのだ。

「なんじゃこりゃ。このご都合主義のストーリーはっっ」

妙に憤慨してしまった。
ひとことでいえはキモチ悪い。

虐待されている少女とか、植物人間の少女とか、どの角度から見ても悲惨な少女が出てきて可哀想ね可哀想ねって、そんなの可哀想に決まっているじゃん。
しかも、そんな悲惨な彼女らの悲惨さのリアリティーってのが徹底的に欠如しているし(――なんでそんな現実をさらっと甘受しているのか毛頭わからない)、主人公も可哀想可哀想思いながらセックスしているだけで、なんも彼女の本質的なところに関わろうとしない。あくまで、他人事がベース。最終的には、なにも起こっちゃいない何もしちゃいないのに、周囲のお膳立てでハッピーエンド。ってなんだよそりゃ。
お前、男だったら、立ちあがれよ。意地でも動けよ。一緒に落ちるかもしれないけれども、それを覚悟に手をさしのべるんだよ。いざとなったら二人で心中するくらいの気合を見せるんだよ。 そこをなんだよ、セックスまでしときながら他人任せって。 自分の心のケリのつけ方だけが問題で、結局なんもしないやつの話のどこが感動やっちゅうの。こんなんで感動できるか。ボケ。 そんな安易な感受性の持ち主は「セカチュー」でも見て感動しとけっっ。あほっっ。

と、無駄に怒りを噴きあがらせていると――会話をしていた相手が
「やおいの感動と同じといえなくもない?」

………………。
――――えぇぇぇぇぇぇ――――っ。やおいと一緒かよぉぉっっっ

しかし一瞬、「全然違げぇよ」といえなかった自分がいるわけで。
いやいやいや、やっぱり違うだろうよ。やおいとは。
まぁ、自己救済的恋愛ってノリは同じかもしれないけれども、やおいはもっと登場人物同士が深くかかわり合うし。いざとなったら心中するくらいの覚悟はあるし。 ただ悲惨なシチュエーションをでっち上げて「可哀想可哀想」みたいに安易じゃないモンっっ。

と、ぐだぐだ反論すると、
「いや。質のいいやおいはそうかもしれんけれども、凡百の「感動」とかいうとるレベルの低いやおいはその程度だよ」

ううううううっ。そ、そ、そうかも、しれ、ない。

いくら魂のやおらーであっても、それは反論できなかった。やっぱり、安易な感動しているやおいも結構あるものなぁ。 みんな榊原史保美や萩尾望都しているわけじゃないモノなぁ。

と、なぜかいつものやおい話に転がるわたしなのであったとさ。



2005.04.09

21世紀のスーパーアイドル、まっつーらあややがどんどん使い勝手のいいだけのただのタレント化している今日この頃、いかがお過ごしですか。


「テクノマジック歌謡曲」というコンピレーションを近頃よく聞いているのだけれども……。
宍戸留美にびっくりだよお兄さん。なんだ、コレ。 そのコンピには「コンビニ天国」と「地球の危機」のに曲が収録されていたんだけれども、いやぁ、まいった。まいったとしかいいようがない。 ていうか、なぜ俺は宍戸留美をスルーして来たんだ、おい。
インディーズアイドルになったり、声優になったり、といったその後の話をうっすらと聞いたりとかはしていたけれども―― 大槻ケンヂ著「偶像(アイドル)列伝 オーケンの私はあなたが好きでした」の宍戸留美との対談には驚いた。アイドル残酷物語、としかいいようのない悲惨ながらも笑えるエピソードがてんこもりで――いやあ、こういうアイドルだったんですか。

宍戸留美、むしろこれは今なのほうがアリなんじゃないか。こんな秋葉系オタク直球みたいな、『萌え』そのものみたいな、媚び媚びした作り物そのものですみたいなアイドル。 まつーらあやよりも小倉ゆうこりんよりも、宍戸留美ですよ、みなさんっ。
ソニーは今すぐ宍戸留美のベストアルバムを出しなさい。もう命令口調で言っちゃう。だせっつーの。
あ――、アルバム『ドレミファソラシドシシドルミ』が聞きたい。「なぁにがチャゲアスだっ」とか、聞きたいっ。
それにしても
「えへへぇ、これホントはパジャマなんだぁ。でもこうしてこうするとお洋服に見えるでしょう」
って……の、脳がとけるぅぅ。
えへらえへら顔で、またリピートしちゃうわたしなのであった。



2005.04.07

近頃アン・ルイスの82年のアルバム『ラ・セゾン・ダムール』をひそかによく聞いている。 いかにもUKな80年代ニューロマ路線。カコイイ。これ、いまでも充分アリなアルバムなんじゃないかなぁ。この後Charと出会ってわかりやすいギターガシガシのハードロックにいきっぱなしになっちゃうわけで、いわゆる「六本木心中」なアン・ルイスとは微妙に違うけれども、これはこれで好き。 ちなみにLea hartのプロデュース。今度、アンルイスのレビューでもやろうかなぁ。ってこういうこといってやらなかったものがどれだけあるものか。



2005.04.06

今日は色々挙げたので、もうめんどいので日記はなし。
って、思ったけれども、一度書きはじめた以上、結局なにか書いてしまうわたしなのだった。

あのさ、前々からちょっといいたかったんだけれども、BoA、顔変わっていない?
リーフインのCM見た時、まったくBoAだって気づかなかったしさぁ。新手の韓国タレント?って、よぉく声聴いたらBoAじゃん、みたいな。
新曲関係でここ最近の彼女を見るにつけ、あれぇ〜こういう顔だっけ?みたいな……。
ま、成長したんだよね。成長。
あ、そういえば上戸彩もここ1、2ヶ月で随分成長したような気がする……。
いやぁ、20歳前後は成長著しいですなぁ。



2005.04.05

あー、俺も江原啓之の暖かな眼差しに癒されたい。
――て、嘘に決まっているだろ。おい。

なんか、マジっぽい空気が怖いんだよ。江原さん。
ああいうものは本当だろうが、嘘だろうが、ひとまず本人は「嘘の領域です」というスタイルで通したほうが見ているほうも精神衛生上いいような気が、ぼかぁするな。

そりゃ、「あなたのことは全部わかってますよ」とおかんのような眼差しでうちあけ話を聞いてくれる人がもし近くにいたら、男だろうが、女だろうが、ガキんちょだろうか、ジジババだろうが、ブスだろうが、太ってようが、臭かろうが、色んな意味でわたしは放しはしませんが。 それくらいやさしさに飢えているさもしい人間ですよ。私って人間は。
でも、テレビのバラエティーでそれを見せられると、なんか怖いのよ。
つーかさああいうものって、こちら側サイドが「あんなものインチキだ」っていうのはちょっと大人気ないと思うけれども(――それで救われる人がいるのならそれはそれでいいような気がするし……)、とはいえあちら側サイドが、まじ100%でもっともらしくされてしまうと、それはそれでびみょ―なのよ。
それはそれ。こういうことをやってほっとする人がいるからやっているそれだけですよ、というアティテュードでいて欲しいな。と。

精神世界とか霊的世界を否定する気はさらさらないけれども、かといって諸手を上げて全肯定するのはそれはそれで危険だと思うんだよね。 ああいうものは「心の松葉杖」程度――現状に潰されてしまいそうになった時だけの避難場所、というか、自分が不幸な状態に膠着してしまった時の抜け出すための方便というか、そのレベルで抑えとくのが1番健全なんじゃないかなぁ。



2005.04.04

児島未散の「ジプシー」をライオンの「プレーン&リッチ」のCFではじめて聞いた時、絶対工藤静香が歌っているものだと思った。
Zeroの「Zeroから始めよう」をロッテの「シュガーレスガム ゼロ」のCFではじめて聞いた時、絶対安室奈美恵が歌っているものだと思った。

けれどどちらもCFで聴くぶんには激似なのが、実際CDで聴いてみるとさほど似ていないんだよねぇ。「ジュディマリとヒスブル」レベル以下の似てる具合だし。
これはCF作成者の確信犯なのか、それとも私の耳が悪いだけなのか。みなさんは勘違いしませんでしたか? このふたつ。
児島未散もZeroも一発屋なのを見ると、絶対勘違いきっかけによるヒットだと思うんだけれどもなぁ。って、このいい方はこのお二方に対して失礼か。



2005.04.01

エープリルフールだからって、ネタ日記を書くなんてベタなことは俺は断じてしない。しないぞっっ。 そ、そんなネタ枯れしたギャグ漫画家みたいなことはっっ。


そういえば風見慎吾の回を書くにあたって、風見慎吾のベスト盤「特売」を聞いていたんだけれども、音的には「涙のtake a chance」の次の「Beat on Panic」の方がとんでもないことになっていたのね。 ていうか個人的にはこっちの方が好きだわ。ラップありーの、スクラッチありーので「涙のtake a chance」の無茶指数を100としたら、確実に200は超えた無茶っぷり。正規のシングルとしてこれを切るのは偉い。当時ならせいぜいいって12inchシングルってレベルの踊り仕様だし。
さすがこれは当時にしてはちょっと勇み足すぎたのか、「涙のtake a chance」ほどのヒットはしなかった模様。ってわたしもこの曲をテレビで見た記憶ないし。やっぱ、この曲もゴリゴリに踊りまくっていたのかなぁ、彼は。
それにしても「涙のtake a chance」と「Beat on Panic」のアレンジが柏原芳恵の「ハローグッバイ」が代表曲の小泉まさみっていうんだから歌謡曲は奥が深い。


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