2004.08.30 こんばんは。近頃、80年代の西城秀樹を追求したくなって仕方ないまこりんです。 80年代中頃のヒット歌手からだだ滑り時期の西城秀樹のシングルがなんか好きなんだよね。 「ミスティーブルー」とか「New York Girl」。「腕の中へ」とか「Beat street」なんて失禁モノっすよ。って秀樹ファン以外こんなマイナーな曲誰もしらねぇーよ。 このあたり時期のアルバムも聴いてみたいなあと思いつつ、とはいえ都内の中古ショップ巡りなんてだりぃよなぁ、というところで。 学生の頃の時間とバイタリティーがあれば、「えとせとらレコード」でもなんでも行くけれども、今は考えるだけでだるくなる。マニアとしてもダメダメな自分がここにいるわけで。 あー、もう誰かダビングしてください。っと無茶なお願い。っていうか1500円くらいで再販してよ、BMGファンハウスさんよぉ。と更に無茶なお願い。 と、こんな時、同じ過去のヒット歌手でもその後の取り扱いは結局レコード会社の裁量任せだよなぁ、と思うことしきり。とはいえBMGは全体的に過去のカタログに対する意識がちょっとかるすぎゃしないかねぇ。 秀樹に関していえば、「ヤングマン」ヒット時にありあわせで出したしょうもない企画モノベスト盤なんていつまでもカタログに入れているくせして、まともなオリジナルアルバムの再販しやしないし。 愛が感じられないよ、愛が。ぶつぶつ。と今日も半端なファンのたわごとをつぶやくわたしなのであった。 2004.08.28 あ、そうそう、言うの忘れていた。 これからアップするテキストに関しては「更新履歴」から飛べるようにしますので、最新テキストはそこから辿ったほうがよさげかも知れません。 テキストが増えてきて、メインを見ても新規テキストがわかりづらくなりつつあるので、そうしますです。ひとまず「さくさくレビュー 山口百恵編」からそうしました。 うちのサイトのネタでいえば、もうひとつ。各ページの上部に強制的に置かれるバナーがまた少し変更になっていてびっくり。 以前よりも横幅が広がったのがまずイヤだし、なにより妙な存在感を感じる。 なんかなあ、と思ったユーザーの方もいるかもしれないでしょうが、私も右に同じなので一緒に我慢しましょう。ってなんだそりゃ。 2004.08.27 書上奈朋子さんのHPをみたところ、自身の新作の制作に入っているらしい。とても楽しみ。 こういうのメジャーでないモノの情報の入手容易になったというのがネットの発達の最大の収穫だよなぁ。 じっくり楽しみにまっています。「Baroque」のような名作だったらいいなぁ。とファンの一言。 話は変わって。 八月はまったく書く機会が作れなかったのだが、かといってサイトの運営に飽きたというわけではまったくなく、ちょっとばかり空いた時間にテキストの草稿などをこまごまとメモ書きしていたりした。 時間ができたらこれらをまとめてテキストに挙げようなどと思っていたのだが、いざそのメモの束を見ると、バラバラのそれらのどれがなにについていっているものなのかまったくわからない状態。 どこの文章がどこにつながるとかまったく不明で、また1つのプロットの隣にまったく関係のないこととか書いてあったりして、じゃあそれがゴミかと言うと実は裏に書いてある文章につながっていたりと、そんなこんなで、過去の自分の無意識につくったトラップにがっつりはまってしまった。 いやぁ、困った困ったということで、事態収拾に時間がかかりそうです、先生。もう頭ン中が混線電話状態よん。 ちょっと再起動に時間かかりそう。 2004.08.26 八月は生きているだけで精一杯(@安室奈美恵)のまこりんです。 最後におまけの「左側・右側」 以前、「左側通行」は学習的行動であることが自明、と明言した私であるが、となると、右側通行の国では人は自然と右に寄るのだろうか。 日本では映画館や劇場などで人が左側の席から埋まっていくのをよくみかけるが、この例によると、英国(とその元植民地であった国家)以外の海外ではその逆が見られるという事になる。 海外の映画館をのぞいたことのない私は、実際どうなのか、わからない。 いい加減にいつまでの掲示していくわけにもいかないので、「6月分アンケート」を引き上げる。 結果は1位・中森明菜『CRUISE』6票、2位・沢田研二『A・C・B』5票、石川秀美『Secret』2票、「日記 2004年6月分」と「まこりんの書いたものならなんでも面白い」が1票という結果、全投票数は15票と前回とほとんどかわんないぞ、おい。 案外ジュリーマニアの方もチェックしてくれていたのね。意外。ジュリーのテキストも増やす方向で頑張ろうかなぁ。 新しいアンケートは「まこりんのテキストについてこれから望むこと」です。 ま、これは雑多な質問なので複数回答してもいいや。 2004.08.25 もすこし、「左側通行・右側通行」の話を……。 車は左側通行、人は右側通行というのが現行の交通法規だが、「人の右側通行」というのは存外、守られているように見えない。 駅のコンコースや商店街などの歩行者優先/専用の道路、また広々ととられた歩道などは自然と左側通行になっているし、エスカレーター・動く歩道などは大抵きちんと進行方向左側設置されていたりと、それ則った整備がなされている。 そもそも「人の右側通行」というのは戦後直後の昭和25年にGHQの命により制定されたものらしい。それ以前は永らく車も人も左側通行であったところ、自動車の交通量が増えだし、また車道と歩道の分離が曖昧であった当時の道路事情を鑑みて、車と人を対面通行にして安全性をたかめるべく「人は右側通行」と定めたのだそうだ。 しかしこの時、公共施設―――主に鉄道の駅のホームやコンコースなど、を左側通行から右側通行に変更する費用を考慮し、こういった公共施設など人のみ通行する場所での人の通行は左側のままと据え置かれたのだそうだ。 ということで、「人の左側通行」という慣習はダブルスタンダード状態で生き残り、むしろ道路が整備され、交通量の多い道路での車道と歩道の分離がしっかりと確立されつつある現在では歴史の浅い「人の右側通行」の規則の方が死に体となっているという状況となっている。 (――――とはいえ、車道と歩道の分離がなされていない道路などでの人の通行は安全上、右側であることにはわかりがない。) ちなみに「右側・左側」諸外国との違いであるが、日英が左側通行なのは武士道・騎士道の影響、それ以外の国が右側通行なのは、ナポレオンと大型馬車の影響というのがもっとも流布されている説であるらしい。 ただ、それがどれほど確証の高い説なのか、私はわからない。 2004.08.24 昨日の日記に書いた「左側通行・右側通行」についてもう少し掘り下げる。 無意識下で行なっている行動には「生得的に身につけている本能的行動」と「文化的社会的な状況下での学習によって習得した行動」との2つに大別される。 と「大別される」とかいておきながら、これがなかなかどうして、なかなか区別が難しいものだったりするし、では学習と一概に言ってもどの段階で学習するのか、であるとか、どの歴史的過程を辿って、と考えるとこれまた複雑だったりする。 が、この「左側通行・右側通行」に限っていえば、前回のおばさん自転車ライダーのような例、また英国・日本以外のほとんどの国が右側通行の例を考えれば、この行動原則がひとまず学習によって身についた行動であることは自明である。 では、この「左側通行」の習性はどの段階で学習するのだろうか。 左側を歩くというのは、つまり「人やモノとすれ違う時、あるいは向こうからやってくる何かを避ける時、無意識に左によける」ということである。 ちょっと関係ないかもしれないが、ドッジボールの話をしたい。 小学生の頃の体育の時間のメジャースポーツといえばこのドッジボールだが、すぐに敵に球を当てられるクラスメートが必ずクラスに1人2人いたはずだろう。 こうしたドッヂボールでいつもすぐ球をあてられ外野に飛ばされる子の多くは敵に狙いを定められたとっさの瞬間、無意識で右に逃げる習性を持つものが多いのだそうだ。 投球の瞬間のフォームを思い出していただければわかるだろうが、きちんと体を正面に向いて右手で投げる時、左側への投球の範囲は広いが―――真左ぎりぎりぐらいまでは投げられるだろう、右側の範囲は驚くほど狭い、どうしても肩を右側に向けないと、右側には上手く投げられないと思う。 骨格や筋肉の関係上、右手で投げる時、正面から左側は狙いを定めやすいが、右側は非常に当てにくいのだ。であるから、当てられる側は相手から見て右側、つまり自分の左側に逃げればいいのだ。が、とっさの瞬間にその習性が身についていない人はあっけなくボールの餌食にされるのである。 これは居合抜きなどでもそうで、相手から切りこまれたならまず左に体をずらして逃れるというのが大基本だったりする。 球技や剣道などが経験則となって、左側通行が身につくというのは相当強引な仮説であるが、 ただ、同じくらいの運動能力の日米の子供でドッジボールをやらせて、競技能力をはかってみたら面白い結果が出るのでは、と思ったりする私である。 2004.08.23 自転車に乗っているとよくあることだが、向こうからやってくるおばさんライダーと正面衝突すれすれの事態によくなる。 あー、もう、おばさん注意力散漫なんだらあっっ、とイライラするのがそんな時の常だけれど、よく考えてみるとなぜかこういう事態になるのが、不思議とおばさんライダーの時だけのような気がする。 私の今住んでいるところは典型的な東京郊外のベットタウン地で、道が脆弱で駐車場の確保も難しいことから、近所への移動には自転車が一番小回りが聞いて便利ということで私も含めて多くのこの街の住民は自転車をよくつかうのだが、それにしてもこういう機会に遭遇するのは、おばさんが運転している時だけなのだ。 なんでだろうとそういった時のケースを思い出してみると、おばさんが道でのすれ違いの時に左側通行の原則をよく忘れていることに気付いた。 たいてい、そうなのだ。こちらが走っていると、ちょうど進行方向真ん中におばさんライダー現れる。と、こちらはそのまま左側に寄せて走りぬけようとする。と、おばさんライダーはこちらがよった方向と同じ側―――つまりおばさんからみて右側、によるのだ。 これではぶつかるに決まっている。特に交通量の激しい道路の路肩側などでこういう事態になると危険きわまりない。 ちなみにこのあと、大概の危なっかしいおばさんは自転車を急ブレーキでその場で止めて自転車を自分からみて右側に傾けて、左側から降りる―――多分自己の身の安全のためなのだろうが、となるとつまりは私から見てより左側、つまりより私の真正面に自転車を向けるということになる。これでぶつからないというのはむしろ不自然な状態になってしまう。 と、ここで、気になるが「おばさんの注意力の散漫さ」ではなく、(もちろん)「左側通行・右側通行」の問題である。 左側通行というのは無意識下に潜む日本人の習性のようなものだと私は思っていたが、こういうことを考えるに、どうもそうでもないようである。 2004.08.22 「自由な女神たち」 監督・久世光彦、主演・松坂慶子+桃井かおり。二人の女の友情を描いた人情コメディー。1989年作。 典型的な久世ドラマだなぁ。これ。 お茶の間乱闘あり、風呂場ヌードあり、唐突な歌あり、ドタバタのひと悶着の末最後はほのぼので落とすという、心底の悪人が一人もいない性善説な久世ホームドラマの世界。 草津温泉のキャバレーの歌手の桃井と松坂、お人よしで涙もろく少々頭のネジのゆるいボケ役の松坂、舌先三寸で気まぐれで強がりなツッコミ役の桃井。場末のふたりが喧嘩しながら、身を寄せ合ってたくましく生きぬいていく。 桃井・松坂ともにベタはまりの役どころで、松坂の馬鹿がつくほどの純情ぶりはあいかわらずこちらが不安になるほどあぶなっかしいし、桃井は桃井で幸せに自らそっぽ向くような気まぐれっぶりがあいかわらず憎たらしくも、いじらしい。 久世演出でこの二人の女優が出るのなら多分こういうものだろうなぁ、という予想の範疇をまったく出ることのない、いわゆるクリシェの横溢のような映画なのだが、そこに不思議と安心感があり、充実感がある。安心できる退屈しないクリシェの世界を作っている。 役者も製作者も「いつもの世界」を真剣に作っているからなんだろうなぁ。決して絵から「だれ」を感じることがない。やっぱり桃井は桃井の演技の世界でリアリティーを出してくるし、松坂も松坂でやっぱり芝居が上手い。それを撮る久世も決して外していない。 とはいえ、画面から「真面目です」って顔をしているようにしかつめらしく芝居をしているわけでなく、風のように軽くさりげなく絵を撮っているし、芝居をしている。大人の、プロの仕事だ。 これといった特出した点はなく、映画マニアや評論家から支持されるような作品でないけれど、むしろこういう泥っぽいエンターテイメントのほうが私は好きだ。 戦後しばらくの日本映画黄金時代のプログラムピクチャー(特に松竹あたりの)へのリスペクトのようにも感じられたがどうだろうか。 しかし、桃井かおりが久世の手にかかると妙に樹木希林っぽくなるなぁ。ま、樹木ほど化け物っぽさがなく、そのぶん山猫っぽい不機嫌さが増しているから確かに毛色は違うけれど……。 昔、桃井と竹下景子でやった連作ドラマ「危険なふたり」―――ジュリーマニアで30がらみの女結婚詐欺師二人組のくりひろげる久世演出によるドタバタ人情コメディー、が見てみたいなぁ。見たことないのよ、私。多分「自由な女神たち」と同工異曲の関係のような予感がする。 2004.08.21 こんばんわ、味皇料理会埼玉支部長のまこりんです。うまいぞ――っっ!!! ♪ ルネッサーン、情熱ぅ〜 国安わたるさんは今、なにやってるのかなぁ。 だがしかし「OH MY コンブ」のあれは今見るにただのイカモノ食いだったのでは。 レンジでチンしたマシュマロにチョコフレークかけて「チョコ納豆」って、チキンラーメンの上にハムと生卵を乗せてレンジでチンして「ラーメントースト」って。いや無茶だって。絶対無茶。 お父さんはそんなイカモノ食いをみとめませんよ。 と、なぜかお子様グルメアニメに思いを馳せる今日なのであった。 2004.08.19 ご無沙汰です。夏休みから帰ってまいりました、まこりんです。って別にバカンスに行っていたわけでもなんでもないわけですが。 1週間以上空いてしまったのはこれは新記録かな。もう「毎日更新」の看板が錆びついております。 ま、そんなこんなでお盆の間わざわざうちのサイトを日参してくださってみなさん、ごめんなさい。復活しましたので、はい。 ひとまず今週末は頑張りたい、何本か書き上げたい、そんな気持ちで臨みますので、はい。 あんまり日記っぽく日々のことをだらだら書き連ねても仕方ないので(――えっ!?)今日はひとまず報告まで。 2004.08.11 石川ひとみ「スーパーベスト」 「まちぶせ」目当てでダビングしてずっと倉庫行だったのをきまぐれに取り出して聞いてみたらこれが結構いい。 高橋真梨子パリの異国情緒モノの「夢回帰線」―――宝石や化粧品、ワインあたりのCMソングっぽいよなぁ、と思って調べたらそのとおりだった、とかフレンチっぽい「秘密の森」「裸足でダンス」あたり後期作品がツボにはまりました。 ってわたしは少々とうのたったアイドルのイメージチェンジ大人路線が元々好きなんすけれどね。 ポールモーリアチックというか、太田裕美の「九月の雨」というか、そんな「オリーブの栞」、イントロが『まちぶせ』風で一瞬あせる「にわか雨」、大サビのファルセットが美しい「セシルの部屋」あたりもいいよね。 いやぁそれにしても、歌上手いね。彼女。 顔良し歌良し性格良しの三拍子揃っていて、アイドルとしては一発屋どまりだったわけだから、もったいない。 アイドル小氷河期の70年代後半でなく、後2年待って80年にデビューしていたら彼女の状況は変わっていたかもしれないなぁ、と思ったり。でも事務所がナベプロだったからやっぱダメだったかなぁ、と思いなおしたり。 ―――ナベプロ失墜真っ只中だものなぁ、この時期。裏方も、タレントも流失しまくりだったし。 2004.08.09 昨日、家に帰ってテレビのチャンネルをぐるぐる回していたら、いきなり「竹島はわが国固有の領土」などという言葉に固まる。 え、どこのチャンネルよ、ってテレビ朝日???ありえねーーーーっっ。 番組は「TVタックル」、テーマは領土問題だったようで。いやぁ、驚いた。どうしたのテレビ朝日さん。 いやぁ、内容が内容だけに、ここは2チャンネルかと思いましたよ。はい。 つい先日のアジアカップのこともありーので、マスはそろそろ無条件の親中/親韓方針から転向する兆しが見られるわけで、そういったところから見ればタイムリーな話題ともいえる。 しかし、番組内での森永卓郎はあれは道化を演じていたのか、それとも本気なのか。あまりにもみえみえの論理のすり替えと、外交的戦略の稚拙さ。すくなくとも外交に関してこのひとは語るべき基礎がなっていないように映り、それはそのまま日本の左翼の無策ぶりと二重写しに視聴者には受け取られる言動が目立った。 政治に関する話題はここであまり書くつもりはないのだが、驚いてしまった以上書き残しておく。 エイベックスのお家騒動の話もテキストとしてのこそうかという気があるけれども、そこんとこ、どうよ。 ちなみに「a-nation」の浜さんの謝罪に私は「馬鹿馬鹿しい」のひとことをプレゼントしたい。 2004.08.07 炎帝大活躍の八月である。 盆休みを前に様々なニュースが飛び交い、それに関して何かテキストを残したいという気持ちになるが、半月ほど前からの軽い風邪がなかなか抜けずそれを押して動き回っていたのがここにきて精神にきたらしく、どうにも、だめだ。無気力。 そこをなんとかおして、今日は日記ぐらいはアップしよう。 今日のわが街はひと月遅れの七夕祭り。艶やかな笹飾り、並ぶ出店、しかし午後からはあいにくの雨模様となってしまい、星を眺めることはあたわなかった。 先日の「はなまるマーケット 2000回スペシャル」で久々に石川秀美の姿を見る。 夫の薬丸に向けてのボイスレターと先月の秀美の誕生パーティーで早見優、松本伊代らと共に撮られた一葉の写真のみであったが……。 同期の現役タレントの早見優、松本伊代らと並んでまったく遜色なく、アイドル時代とさほど変わりのない容姿であったし、声も昔と変わっているようには感じられなかった。現在、子供を4人も育てている主婦とはとても見えない。 とはいえ完全に子供を中心に動いている夫婦のようなので離婚もないだろうし、また彼女は小遣い稼ぎでテレビに出るような性格ではないだろうし、ということで彼女の芸能復帰もまったくないといっていいだろう。 それにしても手紙に見られた彼女の夫の立てっぷりは、ちょっと引いてしまうぐらいに古色蒼然としていて驚いた。そういうひとなんだぁ、彼女って。 NHK第36回「思い出のメロディー」 あ、そうだ。天地真理が出るんだっけ!?、と思いだし、テレビをつけるとちょうど彼女が歌い始めるというところだった。ナイスタイミング。 いやぁ、真理ちゃん、すごかった。容姿といい声といい、ジャイアンリサイタルという感じ。 音声さんはコーラスの声でかぶせて必死に誤魔化そうとしたりしてましたが、それでも浮き立つ真理ちゃんボイス。オカマの無理やり裏声と諦めの地声のミルフィーユ状態の歌唱でした。 しかも歌詞途中で間違えるし。その辺スタッフもぬかりなく、きちんとテロップを中断して誤魔化しましたが―――中島みゆき方式だな。 でもなんか当時のフリのまま歌う真理ちゃん自身はやたら楽しそうだったから、これでいいのかな。 まぁ、視聴者にとっては精神的ブラクラ以外の何者でもなかったがな。 あ、真理ちゃん登場以降ラストまで番組は見ましたけど、ぶっちゃけ紅白より全然楽しめました。 今年の紅白はこれでいってもいいんじゃないか、というくらい。 途中の「レッゴーヤング 同窓会」、「アレンジャー 木田高介・追悼」(←渋い、渋すぎる。でもイイ!!!)、「作詞家 五木寛之の世界」といった小特集もよかった。そう、大ヒット曲でなくても企画構成力がしっかりしていれば充分視聴者は引きつけられるものなのですよ。 紅白よりも政治色が薄いから、こうした自由な構成が立てられるのだろうな。 五木寛之コーナーで久しぶりに山崎ハコを見る。歌は「織江の唄」 病弱だという少女のような小さいからだ、吹けば飛ぶような薄い背、それがギター一本で1個の狂おしい情念の炎となる。 この人も変わってないなぁ。若干皺が増えたな、というくらいで、歌手としてのテンションは20代の頃と変わっていないんじゃないかなぁ。 声量やテンションが落ちている歌手がほとんど――――鉄壁の歌唱力を持つ五輪真弓が最後に一瞬だけ歌がよたったのには驚いた、それを保っている歌手も歌に変な癖がついてくさくなったり―――布施明、アレはやりすぎだよ、という状態であったが、彼女は変わってない。 最後は涙まじりになって歌をふりしぼる。彼女が歌う間、NHKホールがまるでアンダーグラウンドな小劇場に感じられた。 遠い昔の忘れ物が今更引き出しの奥から出てきた時のような、そんな気分になった。 2004.08.02 私は廃線や廃道、廃墟などの写真を見るのが好きだ。 うち捨てられ、物静かに朽ちていくものどもを見ていると何故か心がしんとなる。 錆びた鉄路や鉄塔、忘れ物のように取り残された煉瓦の土台など、役目を終え静かに眠りについているものども。 モノに秘められた記憶からかつての日々を、そして過ぎ去った歴史に思いを馳せる。 私が好きな写真家で、丸田祥三という人がいる。 彼は廃墟や廃線、またそれらに近しいところにある歴史からとりのこされたような鄙びたものどもなどを被写体とした作品を多く残している。 君が忘れていた遠い記憶の片隅にこんな悲しいものが隠れていたよ、と彼は静かにわたしたちの前にその手を広げるのだ。 その手のなかには、子供の日の思い出であった輝かしいものどものその後のありきたりで残酷な顛末がそこには横たわっている。 彼の視線は常に静謐で、そこには呆然となるほどの無常感がある。 生きることというのはどうあがこうとも紙切れのように虚しいものなのだということに気づかされる。 物もいわずにこちらを見つめている生を終えたものたちがそう語っているのだ。 あらゆるものが死ぬために生まれてくるのだ、ということを。 それは死者からの呼び声だ。 その声は日々の暮らしでは決して聞こえないようなひっそりとしたかそけき呼び声だけれども、不意にその声が胸の奥底まで届き、心をどよもす時がある。 例えば夏のおわりの夕暮れであるとか、夜明け前の冷たく濃い蒼が空一面を満たす時であるとか、そんな時、不意にそれは聞こえてくるのだ。 2004.08.01 登録したはいいものの、結局それきりになってしまっているブログ。 ちゃんと勉強しようかな、と、見てみるが、やっぱりよくくわからない。 ping??トラックバック??様々な謎の単語に翻弄される私。 ヘルプを開いてもまったくヘルプにならず、「はてなダイアリーガイド」は全然ガイドにならない。 まぁ、いいですよ、どうせ私の理解力がないんでしょうよ。どうせそんなもんでしょうよ。とグレる。 それにしてもこのガイド、文系ローテク人間を舐めているとしかみえん。 こんなイライラするなら、べつにはてななんか使ってやるか、という気分になりながらも、じっと我慢の子のまこりんであった。 んー、しかし、このブログのシステムってのはぼんやりわかったような気がするけれど、とはいえこのシステムの美点を活かしたサイトってあんまりないような……。 と、思ったのは私だけ!? |