2004.07.31 4本のテキストを挙げて後、今これを書いている。 末日までに何本かテキストを挙げると公言したのを守るためにも、なんとか無理繰りで仕上げたという感が否めないが、しかたない。 まだまだ修行が足りないことを痛感する。 ひとつひとつを丁寧にもっと推敲を重ねて、時間と心を砕いて書きたいとも思うのだが、気持ちばかりが急いて、思うようにいかない。 上っ面をなで上げるようなものでなく、情念のかかったもっと深甚たる文章、心に深く落ちるような文章が書きたい。 つまらぬ小状況ばかりを追うような雑多な文ばかりでなく、もっと本質的で、不易で、欠けたるものがないような、そういう文章が書きたい。そうしみじみ感じずにはいられない。 これができないという私は、要は今の私には時間的にも内面的にも余裕が全然ないわけなのだ。 未熟だなぁ。もっと大人になりたい。―――と、かように今日もまた、ひとり反省会である。 2004.07.30 杉本苑子「華の碑文」 近頃、音楽芸能に関するテキストを書いていると、どうにも世阿弥元清の言葉が頭のなかをちらちらしてくるので、きちんと勉強しようかとひとまず食いつきのいい手頃なフィクションを手にとってみる。 これが、面白かった。テキスト挙げるくなんていったくせして、昨日今日と集中して一気に読みきってしまった。 歴史小説であり、芸道小説であり、やおい小説。今年度のまこりんやおい小説大賞・最優秀候補作の予感。 エンターテイメント小説としてよくできている。虚実のしみ込ませ方も絶妙だし、萌えあり、感動あり、色々勉強するところありで、私の心に深く響きました。 それにしても芸の道は修羅の道、苛烈で残酷だなぁ。 さてと、これからは世阿弥の評伝と彼の各著作をいったりきたりで読んで、少しずつ距離を縮めていくか。 2004.07.29 夏なんです。ぎんぎんぎらぎらの夏なんです。ということで、はっぴぃえんどの松本隆です。嘘。まこりんです。 夏に暑っ苦しいボーカルモノなんて聴いてらンねぇーよ、ということで、近頃のデッキのCDトレイに乗るものはインストゥルメンタルばかり。 加古隆のピアノのアルバム「ノルウェーの森」とか、Mark Goldenburgの「夢の扉」「鞄を持った男」、つのだたかしの「静かな音楽」、箏座、SENS、G-Clef、溝口肇、このあたり。 特にお気に入りなのが、菅野よう子と大島ミチルの自作ベスト。 彼女らはアニメやゲーム、ドラマの劇伴やCM音楽ばかりで個人名義のアルバムがほとんどなく、また彼女らが参加しているアニメなどのサントラをそのまま流したりすると、途中で声優の歌う微妙なアニソンやらCDドラマとか始まっちゃったりして、気分壊れるというのもあって、自分の手元にある盤からお気に入りをセレクションしたものを1枚CD-Rに焼いてそれを愛聴しているのだ。 菅野よう子は主に「信長の野望」や「大航海時代」など光栄のシミュレーションゲームのサントラから、大島ミチルは「風の大陸」や「クリスタニア」などのアニメ系のものから。 どれも私好みの民族音楽色の強いものばかりを選りすぐり。いやぁ、涼しげでいい感じ。 と、いうのはいいとして、だ。 そろそろこのお2人さん、自身の名前名義の作品集を作る気はないのでしょうか。 作曲家としてはそこそこビックネームにもなりましたし、コンピレーションの「feel」「image」、また溝口肇やSENSのベスト盤の成功があったように、インストモノもやり方次第では商業ベースに乗る状況になってきたわけですし、そろそろ考えてほしいよなぁ、というのが正直な私の意見。 ひとまずコンセプト別の自選ベストなんてのを2、3枚ほしいぁ、と。 いや、まあ、こうやってせこせこと集めて選んで自分好みにCDを焼くという作業も楽しいですけれどね。 2004.07.28 ひゃー気がついたら、7月ももう大詰めだよ、おい。 道理で街に躾のわりぃうるせーガキんちょ、でなくって元気なお子様が増えてると思ったら、そういうことかよっ。 現実的にもネット的にもなんにもしていない状況で無駄に時間が過ぎてしまってます。いやんなっちゃうね。 えー、このサイトの話をいうと、かなりいい加減に書き散らして、そのまま手をつけていないものが相当量あるので、これから31日までにはなんとか、ある程度の数なんとか体裁を整えてアップします。 ま、体裁関係無しにそのままの見てくれでリリースしちゃうかもしれませんが、アップしないという方向は「なし」にしておきたいので。 と、敢えて公言して自分にしばりを作っちゃったぞ。 2004.07.27 近頃、テレビに出てきたお笑いトリオに「安田大サーカス」というのがある。 これがどうも、私には笑えない。 が、それはイコールつまらない、というわけでは、ない。 彼らの発するアトモスフィアからどうも安心して笑いに委ねることができないのだ。 「サーカス」と言う名から、また2人の大男を傀儡のようにいじる団長安田の佇まいからか、またその2人の大男の非日常的な容姿からか、見世物小屋のフリークスたちとその団長というイメージがどうしても付きまとう。 だから、笑ってしまったらある種の人に対して失礼にあたるような、そんな妙な罪悪感が働いて、笑えないのだ。 実際彼らの芸は2人の大男の異形ぶりをネタにした笑いであってどちらかというと「彼らがなんらかのネタをもって客を笑わせている」という要素よりも「ただそのままの姿で客に笑われている」という要素のほうが強いと思う。 とはいえ、彼らがテレビに出るべきではない、とは私はいわない。 1968年アメリカで障害者を見世物にする行為は人道的に良くないとして、見世物小屋(向こうではサイドショーという)を禁止する法案を出したところ、当のサイドショーの出演者たちがその法案を反対したという経緯がある。 そちらの勝手な罪悪感でわれわれの職を奪うな、ということだろう。確かにそれはまっとうな意見と言える。 しかし、私は平凡で偽善的な戦後民主主義教育を受けた人間なので、そのまっとうである意見にどうしてもひるんでしまうのだ。 小人プロレスや「びっくり人間大賞」などの番組を安心してみていられないのと同じように、このトリオも見るたびにどうにも気持ちが落ち着かなくなるのだ。 こまったものだ。 2004.07.24 相互LINK充実キャンペーン。 うちの「わがままなご意見」と相互リンクしたいという人、いませんか。 初投稿で「リンクしてください」とかいうのってずうずうしいかもなぁ、と遠慮しているなら、そんな気遣い無用。 よく見ていてくれているなら、無問題。だって私も回遊サイトは色々あるけれど、基本的に掲示板にカキコとかメールとかしないもの。 というか、こういう性格だから広がらんのよ、リンクの輪が。 しかも今相互リンクしてくださっている方のほとんどが私が無理やり押しかけたようなものだし。 ま、その程度のしょっぱいサイトなのかもしれませんが……。 ということで、いやいやそんなことないよ、ちゃんと見ているよ、というサイト運営しているそこのあなたっ!! 私の自己満足に付き合ってくれませんか ってこんなこと書いてリアクションひとつもなかったら、素敵だよね。そんな時は、「不気味くん」のようにマスクつけて鈴でも鳴らしときます。 「ちりりーん」 ま、ものすごくありえる流れだけれども。 そんなちょっと自己拡大気味のまこりんからの夏のお知らせでした。 フジの夢列島、ひさしぶりにお笑い全開の馬鹿騒ぎでたのしそうだなぁ。他局もまきこんで、いい感じ。前年のみのもんた司会のナツメロ歌って家族讃歌して、という偽善ぶりが日テレ的過ぎてひどすぎたのを反省したのか、きちんと振り子を戻しましたね。 ま、明日があるからわたしゃもう寝るけれど。 2004.07.23 こんなサイトを運営しているにもかかわらず、ここ2ヶ月近くひそかに中森明菜の「歌姫3」を紛失していた。 探すのもめんどくさい私はどっかにあるだろう、どうせ見つかるだろうと、ほうっておいていたのだが、全く出てこない。 どうしても聴きたくて仕方なくなり、全部のCDラックひっくり返しても探しちゃる、もしこれで、見つからなかったもう1枚買ったるという気合いで探し出したら、ものの5分で見つかってしまった。拍子抜け。 加藤登紀子ベスト盤に吉田美奈子の自作ベスト盤が重なって入っていて、吉田美奈子の方のケースに明菜が入っていた。 こんなにあっさり見つかるものなら、もうちょっと早くちゃんと探しとけよ。まったく。 朝娘。の新曲、これはおにゃん子の「会員番号の歌」ですか……。 もう、なんもアイデアないのかなぁ、スタッフは。 オタ以外はもう誰も注目していない状態なわけでそれでいいのかもしれませんがね。 とはいえ、そういう時こそ質のいいものを提供するのが、スタッフのあるべき姿なんだけれども、まぁ、そんなこといっても仕方ない。 娘。の顔と名前が一致しないよぉ、なんておっさんの若者に媚びたぼやきも聞こえてこなくなって久しい今、いつ解散するか、それが最大の問題のような気がする朝娘。ですなぁ。 2004.07.22 ソニーのユーザー参加型廃盤復刻企画、オーダーメイドファクトリーにて久保田早紀の未CD化アルバム3タイトルの限定リイシュー決まったらしい。 これでやっと「見知らぬ人でなく」が聴けるわけなのね。よかったよかった。 しかし、LPでもっている「ネフェルティティー」「夜の底は柔らかな幻」をどうしようか思案中。再販のわりに1枚3000円で新譜と同じ価格で割高感があるんだよねぇ。 CD選書とおなじ1500円でいってくれたら、迷わず全部買うけれど、既に持っている音源となるとちょっと私の中では難しかったりする。 でもねぇ、名盤なんだよねぇ「ネフェルティティー」と「夜の底は柔らかな幻」。とくに「夜の底は柔らかな幻」は久保田早紀のアルバムで最高の出来だと思う。 これからも長く聴く作品だと思うと、買っちゃってもいいかなぁ、という気もするし。 それにしても当時全く売れなかった(たしか「見知らぬ人でなく」以外はオリコンウィークリーランキングにチャートインすらしていないと記憶している)音源をいまさらCD化してくれるソニーさんにはありがたいと素直に感謝。 10年ほど前の廃盤復刻企画「CD選書」シリーズといい、元々ソニーはわりと過去のカタログへのフォローがしっかりしているレコ社だけれども、他社も頑張ってほしいよなぁ、特に東芝あたりに。 2004.07.21 yae「aloha nui」 半年あけてのハイペースなリリース、ニューアルバム。 ハワイの歌手Teresa Brightとの共同プロデュース、ハワイレコーデイング。 いいなぁ、これ。 熱波と波の音と熱帯に住む人のおだやかで呑気な気風が音から感じられる。 聴いていると、なぁんも考えずに、波間に体をあずけたくなってくる。 時間を贅沢につかってゆったりと、そして丁寧に心を砕いて制作したのだろうということがそこから感じ取れる。 ある意味極上のリゾートアルバムかもしれない。 このアルバムのおかげでこの夏もなんとか乗り切れそうだ。 2004.07.20 6月にアップしたテキストのアンケートで沢田研二の「A・C・B」の票が入っていて、ちょっと嬉しいまこりんです。 アレは私の中にある小説的な技法がもっとも強く出てきた妄想かなり強めのテキストなわけで、書いたはいいもののこれはちょっと思い入れ強すぎて読者は引くかなぁと思っていたのだけれど、誉めてくれる人がいてくれて、いやぁ、よかったよかった。 と、まぁ、こんな些細なことでも嬉しいものなんですね。私にとっては、ハイ。 それにしても今年の夏は暑い。今日東京では最高気温39.5℃だったという、ほとんど狂気の沙汰だ。 温暖化現象もあろうが、こと東京に関してはヒートアイランド現象も見逃せない。とくに私が今住んでいる埼玉はこの現象の1番の被害をこうむっている地域で、ちょうど都心部で熱せられた大気が海風に乗ってくるのだそうで、日々ハンパじゃない暑さだ。 高校時代、四国松山で過ごしたことがある私だが、比較するに絶対埼玉の方が暑い。陽射しは松山の方が強いのだが空気が乾いているのでさほど不快でもないし、木陰に入っただけかなりしのげる。また、空気が澄んでいるし、大地がアスファルトに塞がれていないので、陽が落ちるとすぐに涼しくなる。夜中にエアコンをつけなくてはならないというのはほとんどない。 とはいえ、ヒートアイランド現象は都市の宿命でもあるわけで、仕方ないといえばそれまでなわけで、ひとまず打ち水でもして凌いでいくしかない。 2004.07.19 何日か前の日テレ系「情報ツウ」のトークコーナーのゲストに元光GENJIの諸星和巳が出ているを偶然見た。 彼の自宅が紹介されていた。そこで私の興味をひいたのは彼の特別な趣味の部屋であった。 各テレビ局がモニタリングできるように数台のテレビが並べられ、そこに音楽関係の機材や自作のデモテープ、また今の趣味は物書きだということで、彼の物した小説、脚本、企画書、自作のアニメのキャラクターのようなものの草稿などが散乱していた。 トークでの彼は相変わらず昔と全く変わらない頭のネジが何本かはずれているかとおもえるほど能天気ででしゃばりの光GENJIの諸星和巳なのだが、その部屋を見てはじめて彼の屈託というものを私は感じたわけである。 テレビ関係者やテレビを見ている人からは「もう終わった人」と見られているであろう彼が、まだ何かをつかもうとしている。ひとりのもう若いとはいえない元アイドルのある男の苦心がそこに垣間見えたのだった。 実際今彼が作り上げようとしているものがどういったレベルのものであるか、私には窺い知ることはできないし、またそうした努力が安易に実らないのがこういう世界の常であるから、なんともいえないが、ほんのすこしだけ好感を持った私は、なにかいいものができたら、いいよね、と彼の肩を叩きたいような気分になった。 2004.07.17 いかんなぁ。休み癖がついているなぁ。 というわけでまたまた少し開いてしまったまこりんです。 なんというか、夏になるとどうも気力がわかないのですよ、わたし。 心がダラー―っとなるっていうか、やる気が殺げるというか、どうでもよくなってくるというか。 ネタに困っている状況ってわけでもないんですけれど、どうも「どうせ大した期待もないのだから、どうでもいいんじゃね」と妙にマイナーでシニカルな心持ちになってしまいがちで。 明菜の誕生日合わせで挙げたテキストもちょっと不本意で軽くリライトしたいと思いつつも、それに手をつけることもできず、進捗率90%のテキストを仕上げることもできず、という状態です。 ま、私の夏の無気力は毎年恒例なので――確か去年の夏もサイトのアップデートは少なめだったはず、この低空飛行でしばらくおつきあいください。 ツボを得た誉め言葉や叱咤激励で少しばかり上向きになるかもしれませんので、そこんところ、おねがいします。 2004.07.14 内外タイムスを見る。明菜の「初めて出逢った日のように」批評。 ライターは石井恒さん。このひとの音楽批評結構好きなんだよなぁ。ファンといってもいいかもしれない。ミュージックマガジンの「これがヒットよ」コーナーは毎月拝読させていただいているし、音楽批評に関しては平岡正明さん、近田春夫さん、宝泉薫さんの次くらいには信頼している。 オカマ口調も芸達者な感じで、実際そういう人なのか知らないけれど、音楽批評のおすピー目指してくださいって感じの、これからもできうるかぎりお話を拝聴したい人の一人。 で、内容。 この人もたいがい明菜党なのだけれど、夕刊紙ということでいつもよりも更にまして露悪的な語り調で、「赤い花」/「初めて出逢った日のように」を優しい怨霊/恐ろしい怨霊というのも、まぁ、そういってしまえば身も蓋もありませんが、確かにという。 「喉かが渇いたなら己の血で潤せ」といわんばかりの苛烈な姿勢は、確かに今の明菜の一面ではあるかも。 2004.07.13 今日は中森明菜さんの誕生日なのでそれ関係を多めにアップ。自分的には軽い祭り状態。 「初めて出逢った日のように」のテキスト書くと掲示板で公言しちゃったもので、早く書かにゃなぁ、と思っていたけれどもなんとかなったようでよかったよかった。 どうも近頃上手く時間が作れないので、なかなか仕上げられないのですが、まぁ、生温かく見守ってやってくださいな。 あー、それにしても疲れた。っつーことで今日の日記はこれだけです。 2004.07.12 4、5月分のアンケート結果発表。 月も変わっていい加減経つので、アンケートを引き上げる。 結果は以下の通り。 「まこりんの書いたものならなんでもいい」が5票でトップ。 中森明菜『赤い花』、明菜 in 『ザ・ベストテン』、さくさくレビュー 85年デビュー女性アイドル編 、明菜よもやま話 その6 『無茶』、日記がそれぞれ各2票。宇多田ヒカル「誰かの願いがかなう頃」が1票。 以上。 全投票数16票という素敵な結果におわった。ま、数からいったらこんなものか。 やっぱりうちのユーザーの興味の中心は明菜のテキストなんだなぁ。 ま、ともあれなんでもいいという票が1番上位なので好き勝手にやらせていただきます。いただきますともッ。 アンケートはこれでやめにしてもいいかと思ったが、流れに任せて一応今月も続けてみることにする。アンケート対象は安易に6月アップ分のテキスト。 2004.07.10 そうそう、ここしばらくサイトを軽く放置して何をやっていたかというと、なんてことない、テレビゲームやっていたんですね。 しかもそのゲームが「塊魂」という。とっぽい、とっぽいぜ、俺。 いやいやいや、でもね、このゲーム結構面白いのよ。 ライトユーザーにもすぐはいっていける間口の広さをもちながら、やりこもうとするとなかなか奥が深い。 いわゆる「ふんころがし」ゲームで、「万有引力の法則」ゲームなんだけれど、アイデアの斬新さに溺れずしっかりつくりこんでいるのよ。 テレビCFの集中投下であまりいいイメージを持っていなかった私だけれども、いやぁ、一本とられたよ。これは「まこ印」贈呈モノです。 わたしのように食わず嫌いで避けている方は是非ともやってみてくださいな。 ちなみにこのサイト的な話。 このゲームのBGMは松崎しげるや松原のぶえ、新沼謙治、水森亜土、クリスタルキングの高音担当の方などなど様々な(微妙な)歌手が参加しているのだけれども、その中に浅香唯が担当しているのもあるのですよ。 が、公式サイトの情報を見るまで全く気づかなかった私。 アルバムかなりの数持っているのに、シングルコレクションなど愛聴盤なのに。いやぁ、80'Sアイドリスト失格ですわい。 ていうか、全然違うのよ、私の中での浅香唯の歌声のイメージと。だいたい、浅香唯ってこんな歌上手かったっけ!? 90年代にウィスパリング唱法に転じた彼女で、それを「いまいち」としりぞけた私であるが、いや、この声ならいいよ。いや、まじで。ウィスパーボイスもきちんと板についている。 ゲーセンで遊んでいるだけでなく、きちんと歌手としてお勉強していたのねぇ。 それにしてもこんな見ず知らずのところでボーカリストとしての彼女の成長を知ることになるとは思わなかったよ。 2004.07.09 ごぶさたっっ。 えー、一体何日ぶりだ、のまこりんです。 夏本番でやる気のオーラがめっきりなくなってすっかり放置してしまいました。 夏、苦手なんですよ私。梅雨はどこいったんだよぉ。 ここの訪問者のあらかたの興味である明菜のニューシングルですが、もちろん買いましたよ。 ただ、今すぐレビューするかどうかは微妙ですわ。正味、これといって書くような内容もないような気がして。ちょろっと日記に雑感だけ書くだけかもしれませぬ。 他のテキストも書いてるんですけれどねぇ、まとまらないというか。そんなこんなですわ。いい加減、アンケートも更新しなくっちゃなぁ、と思いつつそれも放置だったり。 いかんいかん。 ということで10日の早朝にこれを書いている私なのでした。 2004.07.05 今日もロマンチック浮かれモードのまこりんです。 ところで岩崎良美の「今夜 私はRICHな気分」(←それにしてもすごいThat's80'Sなタイトルだ)になんだかものすごい聞き覚えがあるんですけれど。 この歌の元ネタご存知の方、ご一報ください。多分70's Discoあたりだと思いますが、思い出せない。なんか喉がむずむずするよぅ。 ちなみにこの曲の収録されている『Weather report』はいいアルバムですよね。結構好き。 今日は眠いのでこれまでっ。 2004.07.04 「♪ 真夜中にぃー―― 餃子を包ぉぅむーー おっとこぉーが ひとりぃーーー」(適当に節をつけてください) こんばんわ、まこりんです。 餃子はなんてったって、手作りに限る。 面倒くさくっても手作り。腐った大根食べる間違いもありません。 タモリがテレビで「餃子の餡はキャベツでなく白菜がいい」といっていたのを覚えていた私はさっそく試してみる。 白菜の持つ水気のぶんジューシーにしあがるだろうなぁ、と話を聞いた段階で思ったけれど、確かに包む前の状態で既にかなり水が出てくる。包む時も餡の水気で包めてしまう。 と、早速焼きあげる。うーん、確かにこっちの方がいいかも。ま、どっちにしろおいしいんですけれどね。 ただ、水が出るせいで、すぐ皮が水でひたひたになってあんまり日持ちはしなさそう。残りはすぐ明日にでも食べないと。 それにしても餃子、うまい。 具はねぇ、シンプルなのが1番いいと思われ。キャベツか白菜、そこにひき肉、もうそんだけでいいね。酒と醤油とごま油と中華だしの素で下味をつけて、ちゃっちゃと混ぜて、さっさと包む。包む時欲張って餡を入れ過ぎないように、気持ち少ないかなぁというくらいで充分。 最初お湯でぶわっと蒸焼きにして、水気が飛んだら、焼き面をカリッカリになるまでじっくり焼き色をつけて、できあがったらアツアツで、はふはふいいながらいただく。 醤油にラー油たらぁ、お好みでお酢もいれて、私はちなみにポン酢と醤油を混ぜるのが好き。 今、口内炎で口の中しみまくりなのに「あー、痛い。醤油がしみる。ラー油が特に。でもおいしい」なんてアホなこと思いながらばくばく20個も食べてしまったよ。 2004.07.01 ちょっとテキスト系のサイト運営している人がいたら聞きたいんだけれども、「どれくらい書いたテキストを没にしてます??」 私はいままでの人生全てが「貧乏性」の一言ですんでしまうほどのしみったれた奴なので、こんなサイト運営している以上、書いたものはどんな駄文であれできればアップさせたいと思っているのですよ。 どんなしょーもないことでも、書かないより書いたがまし、載せないより載せたがまし、と思ってるんですね。 とはいえ、こう実際改めてみてみると、かなりの数、没にしたものがあるのですよ。 原稿用紙10枚分くらいの結構な分量のテキストを書きながら断絶してしまっているものなんかもあるし。 なんつーかね、こう、テキストが長くなればなるほど言っていることが、自分でわからなくなるっつーの?? 直感で思いついたままなので、書いていて、着地点が自分でも見えなくなったりなんてのがこれがもう多いのよ。 別に、日記文とか、まとまりのないのが前提みたいなのはそれでいいけれど(いいのか?!)、さすがに小難しいことをひねくり回していたりするともう致命傷ね。 いい加減な性格を直すつもりは毛頭ないので、「昔書いた文章とさっきの文章では言っている事全く違うじゃないか」といわれれば「いやぁ、そのテキスト書いた頃の私の細胞はもう全部死滅して今は全部入れ替わっているからわからんわぁ」などと適当なことを吹いてしまえるのだけれど、さすがに同じテキストで10行前の内容と食い違っていたり、というのは、これを肯定するというのは自分が分裂症であることをカミングアウトするようなものだしなぁ。 まぁ、そこで華麗に分裂症宣言してもいいんだけれどね。 ということで、昨日も2時間近く書いたものをボツらしてしまったばかりなのですよ。 しばらく寝かして、後日不要とわかった部分を大胆カットしてリライトしてしあげることができれば一番いいけれど、なかには完全に仮死状態のもあるしなぁ。困った困った。 2004.06.30 着実に日記サイトへと進化しつつあるまこりんのサイトへようこそ。 や。そんなつもりはないんですけれどね。とはいえ今月の日記、今までの月と比べて最大のボリュームになってしまいましたよ。 いや。お前の麺類の話なんて聞きたくねぇーよ、という御仁がいることはよぉーくわかっております。 なんかねぇ、ひとまず書いちゃった、書き上げちゃったってモノから挙げているのでこういうことのなるのですね。げふっっ。 ところでひとまず設置したアンケート。1ヶ月ほど経ちましたが、どうします。これって置く意味ありげ?? 読者意識も積極的にくみ上げていこう作ってみたけれど、どうもみなさんうちのサイトへの期待は少なめのようで。 気にせずいい加減にほげほげやってけってことかしらん、と思っている私なのですが。そこんところ、どうなのよ。 2004.06.29 続いて麺類の話。 前回の最後母が札幌育ちだとチラッと言ったと思うが、そのせいか母は「みそラーメン」に関する情熱がただ事ではない。 わざわざ札幌で有名な製麺所のみそラーメンセットをお取り寄せで購入するほどであった。 幼い頃は毎週土曜の午後となるとよくラーメンの出前で頼んでいたが、頼む店はいつも決まっていて、そのラーメン屋は醤油ラーメンや塩ラーメンなどはぱっとしないが、みそラーメンだけが異常においしいラーメン屋であった、ということも記憶している。 万人だれもが故郷のご当地の食べ物にこだわるという気持ちは充分わかるが、こと麺類に限ってはほぼ全国に渡ってなにかしらご当地性があるような気がする。 地図を広げてみると、まず近畿と中四国地方は巨大なうどん文化圏を形成してる。そして一方信州から南東に下りるようにして関東地方では巨大な蕎麦文化圏がそこに横たわっている。 二大勢力にはさまれるように中京のきしめん文化圏、そして文化果てる北狄・南蛮の地、東北・北海道、九州には喜多方・札幌・博多などを根城に一大勢力を持つ、ラーメン文化圏がある。 それらはそれぞれ独自性を誇示し、その勢力を牽制しあっているように見える。うどん文化圏の街でおいしい蕎麦を食べることは難しいし、その逆もまたそうである。 もちろん、これは麺の種類などにの大まかな分類のみであり、個々の麺類のなかでさらに細かい分類がまた、そこにある。近年流行りのご当地ラーメンなどその極みであろう。 こう見ると、全国的にどこでも食べられる「この味」という麺類は実はインスタントの麺類くらいなのではないか、ということに気づく。 ただし、東京に限ってはその例外で、江戸の食文化の一角である蕎麦はもちろん、醤油風味の「東京ラーメン」というご当地ラーメンもあるし、うどんも関東だし風であれば都内のどこにでも店はあるし、関西だし風の店すら今では多くなってきた。 これは首都であるから持ちえる雑居性に他ならない。こうしてみると、その雑居性にやられている「そば」が1番旗色が悪いなぁ。 東京といえば「蕎麦」だと私は思うけれども、そんな蕎麦を愛好する生粋の江戸っ子なんて、他県から流入するものどもにまぎれてすっかり影が薄いし、だいたい東京はラーメン文化圏に蚕食されているぞ。 「天抜きに冷や」そこの若い東京圏在住のあなた、これ、わかります?? 蕎麦の粋な食べ方というのは私は本で読んだ知識だけであって、それを実践している方に私はまだ出会ったことがない(ま、私がきちっとした蕎麦屋にいかないというのもあるんだろうけれどね)。 これはちゃんと文化として受け継がれていってるか、ちょっと心配だったりする。 と、他人事ながら「蕎麦は大丈夫か」ということを気にして今日はおしまいである。 2004.06.28 麺類は人を狂わせる何かを持っている。 と、意味深な名言でこんにちは、「うどんは絶対関西風」という妙なこだわりを持っているまこりんです。 これはやはり思春期の一時期を過ごした四国・松山での印象がなによりも強いから。 松山も隣県の本場・讃岐ほどではないが、完全にうどん文化圏。麺といえばひとまずうどん、それ以外よう思いつかんのじゃ。 ラーメン・そば屋の十数倍うどん屋が店を構えていたと思う。わたしは四国にいた5年間、店でラーメンを食べた記憶は指で数えるほどしかない。 それほどのうどん文化圏なので、やはり美味い。ほとんど透明に近い澄んだスープ、そこに鮮やかな緑の浅葱がパラパラ、それだけでいい。余分なものはいらない。七味を適量振りかけて、ずるずるかきこむ。うどんは真っ白でつるつるで腰がつよい。おいしい。 おいしいうどんはシンプルにいただくと1番輝くのです。とはいえ、もちろん、おこのみでいろんな具をトッピングしてもオッケー。私は自分で作る時はワカメとか豚コマとかをぱらっいれて、卵を落とします。そうそう、茹でたうどんに卵と醤油だけでいただく「かまたま」もいいよねぇ。あつあつだとホントおいしい。 とにかく松山での生活以来私は関東風の醤油仕立てのうどんなんて食べれたものじゃないのです。 私はインスタントうどんの粉末スープですら、差し替えて「ほんだし」などの粉末だしのもとと塩などで調節してお手軽擬似関西風でいただきます。ええ、そうしますとも。 と、まぁ、妙なこだわりを持っているのですよ、はい。 ちなみに私の母は札幌育ちなので、作るうどんはあくまで関東風で真っ黒、しかも海老だの貝だのといった海鮮モノを放るだけ放って麺がくったくたになってどろどろになるまで煮込んだ鍋焼きうどんが大好きという、えぇいこんなの邪道じゃ――。 |