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まこりんのつれづれなる日々



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2008.4.13

「どう思われるだろう」「どう見られるだろう」そんな対人不安をわたしはいつも抱えている――などというと、繊細な人だと思う人もいるだろうが、それはまったく違う。
 それは「もっとよく見られたい」「もっとよくあつかわれたい」などといったさもしい欲求が、小心の衣を纏っているということに過ぎないわけで。
 つまりわたしは小物なのだ。
 その煩雑さを振り切るためにわたしは、忘れる。
 承認欲求の強い子供じみた自我を、あるいはわたしに対して様様な評価を下す周囲の視線を、忘れるのだ。
 そうやってわたしはどんどん空気の読めない人になる。
 だからわたしは、誰ともしれない人に、心を共有していない赤の他人に、なにをいわれても、かまわないのだ。かまいやしないのだ。
 ――と、そうやって強がっていないと、どんどん自分がつまらない人になってしまう。



2008.3.14

 ここ先週からのアクセス解析を見てみると、谷山浩子さんのホームページからやってきている方がちらほらと目立っていた。
 あぁ、期待されているんだなあ。
 ってわけで、仕事の合間に頑張って、やっとこ本日アップ。
 ニートになれるほど資産があれば、ずっと文章書いてられるのになぁ……。




2008.3.5

 谷山浩子のライブにはいけたけれども、斉藤由貴のライブにはいけそうにないまこりんです。チケット、ソールドアウトはやすぎっっ。
 んで、谷山さんのライブ鑑賞記は多分アップする、かも。半分くらい書いてるるるるるる〜けど、面白いのかなぁ、このテキスト。
 それにしても原田知世が高橋幸宏らとユニット組むっていうのは驚いたなあっ。
 そんなこんなで今は、ちょうど手嶌さんのサードアルバムを聞いているところ。んんん、まったり、癒されるぅ。「バグダット・カフェ」がセクシー、そう、今回の手嶌さん、セクシーなんすよっ。これまた驚いたことに。
 漫画だと最近では森川久美さんの新作「ざくろの木の下で」がよかったかな。うををを、萌ゆるぅぅ。こんなやおい萌えする作品いまさら描いて、ファンをどうするつもりですか森川せんせっ。




2008.2.22

◆ 答えのないやおいの明日に問いかけてみる

 明菜ちゃんのテキストが読みたいよう、とか思っている人は極めてどうでもいい、先日の話の続き。
 てわけでやおいの海におもいきって飛びこんでわたくしめなのですが、つくづく思ったのが、やおいってのはやっぱり女性の文化なんだなぁ、と。
 そもそも読者も書き手も男性なんていやしないっ。
 「最近では、やおいを読む男性、腐男子なるものもいるらしい」
 なんてこたぁいわれとりますが、本当にそんな人いるのかね?
 「ショタケット」とか「雄ケット」とか男性をもターゲットにした即売会が現在開かれていることも、70年代後半の24年組ブームの時、魔夜峰央と野阿梓がいたように、高河ゆん、CLAMPらバブル期の同人作家ブームの時に松崎司がいたように――って松崎さんはここ数年でゲイ漫画に完全転向したみたいだけれども、書き手として、男性が極少数ながらもいたということも、知識として知ってはいますよ。でも実感としてまるでない。

 実際、キャラクターがショタとかあるいは筋肉・親父系とかで、性描写が激しい内容の、つまりいかにもというものにはやはりそれなりに男性読者がいる感じっぽいけれども、そういった男性が読み手としてコミットできる可能性を持つやおいをわたしの心はやおいとして認めていない、のだ。――そんな自分の心性をそこに発見してしまうのだが、この辺は機会があれば後述したいが、やおいの大衆化に関する面倒くさい話になりそうなので今日はしない。
 んでまあ、そうでないやおいを男性が買っているのを、わたしは見たことがないっっ。
 まんだらけでもK-BOOKでもビックサイトでも、やおいを本気買いしている男性、おれは見たこたねんだっっ。
 ま、前回のコミケでは、わたしは書き手(売り手)として参加したわけだけれども、読み手は見た限りではやはり100%女性。いわゆる同じジャンルの知り合いに聞いたところ、その人も「購入者はほぼ全部女性、男性が買うと転売屋か原作関係者なのではと少し警戒するほどに珍しい」とのこと。もちろんある友人からは「男性、稀にだけれども買いにくるよ、ていうかある男の子は連れの男性に私の本薦めていた」という発言もあったわけで、いるにはいるだろうけれども、とはいえツチノコとかイッシーとかヒバゴンとか、つまりは幻の珍獣クラスなのだよ、腐男子。

 で、なんでこんなに腐男子不在論を語っているかというと、それはつまりはまぎれもなく自分が男性なのだから、につきるわけで。いないはずの腐男子がいるよ、目の前に、ていうか自分がそうじゃん、という。これは一体なんなんだ、と、思うわけですね。
 すんごく変な話なんだけれど、わたしはわたしの書いたやおいをあんまり男性に読んで欲しくない。ゲイ・ストレート・腐男子関係なく、できればご遠慮していただきたいと、思っている。
 それは、なんで? 自分の心にきいてみる。
 「だって、彼らにはわからないでしょ」
 もうひとりの私はそう答えていた。
 物凄いアンビバレントな感覚だと、我ながら思う。でも事実そう思ってしまうのだから仕方ない。

 んじゃ、自分は腐女子と完全にマインドとしてシンクロしているのか、というとこれまた微妙なわけで――。
 女性の世界でしかないやおいの海に飛び込んではじめて、自己の男性性に気づき、彼女らと同化できない自分というのを自覚したりもしたのですよ。
 彼女らが女性であることを認識するのとおなじように、自らが男性であることを自覚せずにはいられなかった、と。
 これって、灰色を白の横に置くと暗く見えるけれども、黒の横に置くと明るく見えるよ的な法則? なんて思ったりしてね。
 ま、だからといって、自分がキモオタやゲイになるつもりはないのですが。

 ただ、ひとつわかったことがあった。わたしは常々「やおい」の性別は飾りでしかないと思っていた。でもそれはちがったのだ。
 「泣きゲー」といわれる近年の男性向けエロゲームをはじめ、最近富に増えてきた「感動」を売りにしているオタク男性向けエロ作品は、ストーリーの骨格だけ取り出せば、古典的なBLときわめて似ている。男性向けラノベ出身作家である乙一の、一定の作品は80年代のJUNE小説にとてもよく似ている。
 しかし、それをもってしても、同じオタクであっても、男性と女性の間には深い溝がいまだに存在している。それはなぜか。そこに描かれているのは「男性/女性」だから。そのことが、最近になってようやく理解できたのだ。
 「それ」はともに「性」を描くものである、であるからこそ「性別」その一点において、ふたつの「それ」は永遠に反発しあうのだ。って、期せずにポエティックなレトリックになってしまったが、つまりは、だ。
 「やおいは女性が読むもの、それが当然じゃないか」
 それがわからなかった。それだけである。
 それほど性別というのは、世間においてウェイトをしめるものなのだなあ。
 そのあたり、わたしはスコーンと抜けていて、いまだによくわかっていない。
 だからこそ、わたしはやおいがただのハーレクインになることを、やおい論がただのフェミニズムになることを、嫌っていたのだが、まあ、世間はそういうものなのだと、これからは認識しよう。
 
 女性の為につくられたやおいとやおい論。わたしは女性ではないという一点において、それはわたしのものでは、ない。わたしを規定してくれる先人の言葉は、なにひとつとして、ないのだ。だから――、わたしはわたし自身で新たな地平を開いていかなくてはならない。
 もっとよくわたしを知り、わたしを受容するために――。
 とはいえ、わたしの求めていたそれらを捨て去るわけでもなく、もちろん普遍的・体系的ななにかをつくりあげるつもりも毛頭ない。
 わたしが興味があるのは、わたしとわたしの周囲に取り巻く愛と理不尽、それだけなのだ。
 つまりは、好き勝手にこれからも書くよと、そういうことです。
 やおいに興味のない人には、およそなにいっているか、わからないテキストだろうけれども、気が済んだので今日のおしゃべりはおしまい。



2008.2.18

 「ねえねぇ、まこりん。なんで近頃、サイトは放置プレイ中なの?」
 「それはね、まこりんは今、やおい小説を書くのに夢中だからだよ」
 去年の冬コミ、原稿用紙換算で400枚オーバーのごっついやおい小説本を上梓したまこりんです。
 このサイトで、今まで少女漫画とかやおいに関してぼちぼちと語っていたけれども、実は自分が書き手になったことは、一度もなかったのだ。
 ――が、ついに書いてしまった。うんざりするほど書いてしまった。
 これがっっ、もうっっ、楽しいっっっっ。
 なにが楽しいのか冷静に判断できなくなるくらいに楽しいっっ。
 同人界に踏み込んで二度と現世に復帰できない人の気持ちがよくわかる。わかると言うか、自分が既にそうかも。
 なんというか、最大にして最強の現実逃避ツールですな。アニパロやおい。
 ま、正確に言えば現実から逃避するのでなく、現実そのものをやおい色に染め替えてしまうわけだから、現実再構築ツールってところなんだろうけれども。
 んで、わかったのだけれども、やおいはただ読むだけではなくって自ら作り出してこそ、なんだな、ということ。
 「自分にとって耐えがたい現実を、自分なりに咀嚼し、自分にとって受け入れやすい形へと解釈しなおす」
 これがやおいなわけだから、自分が書いたものが一番効くに決まっているのだ。
 んでもって、書きながら感じ入りながら、自分の疵や求めるモノがぼんやりと見えてくるのだ。
 だから、やおいを論じたい人は、読むだけではなく、一度きちんと自分の手でやおいを書いてみるほうがいい。
 そっから見えてくるものって絶対あると思う。
 「他人事として」「部外者として」やおいを論じたいのなら、それでいいのかもしれないけれども、その「やおい論」を当事者は必要としない。多分。



2008.2.1

 世間で微妙に話題なリメイク「ヤッターマン」だけれども、個人的には、私好きです。
 オープニングの絵が可愛いし、本編は毎度お馴染みのお約束をはじめ、なつかしタツノコキャラのカメオ出演したり、笑いに時事ネタを織り込ませたりと芸細ネタがたくさん。ちびっこもその保護者層も、おっきいお兄さんたちも楽しめるベストなつくりなんじゃかと、世良ちんの主題歌も、うん、わたしゃ許すよ。
 っていうか、夏コミにアイ×ガン本でないかのなあ――と(笑)。
 このリメイク版は二号・上成愛の色ボケっぷりを愉しむ作品だと、わたしは三回分を試聴して断言するね☆  アイちゃんの、可哀想としかいいようのない、ガンちゃんへの暴走する愛、それを愛でる作品だと。
 だからガン×アイでなく、アイ×ガンなのね。アイちゃんは絶対、攻さっ。
 このふたりの、絶妙にバッドチューニンながらも、もう戻れないところまでずっぶずっぶに終わっているところが、ひっじょーにやおいゴゴロを誘うのですよっっ。
 そんなわたしは、第二回、大阪のたこ焼き大食い大会の回で「頑張れ、俺」とダメ男典型の自分応援をしながら必死になってたこ焼きかっ喰らっているガンちゃんに、テーブルに肘ついて微笑みをかけるアイちゃんが激ツボ。
 「いま、女としての喜びかみしめてます」
 っていう、本当にいい顔しているんだよ(笑)。メスの顔だね、アレは。
 ああ、もうこのふたり本当にダメだな。っていうのか実によくわかる1シーンっ。
 てわけで、ギャグ・コメディー風味、エロ少な目のやおいテイスト溢れる二号×一号同人、読みたいぞ、と。
 ちなみにわたしにとって二号×一号の関係性に一番近いCPはとなると、紫龍×星矢になります(笑)。 アイちゃんが、あの可哀想な変態激愛ショタ中国男になるのかと、と問われれば、「そう☆」と私は答えるぜっっ。



2008.1.31

今日は、久々に蔵書の整理をする。
爽快なまでにざくざく本を捨てる。
若者特有の背伸びの知識欲や頑迷な所有欲が収まった今となっては、捨てるか否かの見切りが早い早い。

・いま、その本に愛着があるか
・その本を手放した後、ふたたび手に入れることは難しいか

このふたつの基準をクリアしなかった本たちは、さようなら。
結果、ひとまずダンボール3箱分弱の本の束。
今回は、90年代初頭の少女漫画が多いなあ。
ありがとう○○、×○。

しかし、この基準で行くと、なんとなく読んでみたベストセラーや古典作品ばかり捨てて、 同人誌やら雑誌類(――JUNEとかグレープフルーツとかプチフラワーとかなっっ)がまったく捨てられない、という。
そしていまだ蔵書が2000冊以上あって、本棚がみっしりしている、という。
嗚呼。



2008.1.22

 自分の文章がきらいだった。
 身の内にわだかまっている思いに全然追いつかない自分の言葉がきらいだった。 いつか自分の言葉をもちたい、その思いの強さゆえに、私は私の言葉を嫌悪していた。 目指す頂きのあまりにもの高さに呆然とし、なかば諦めてもいたのだ。
 だから、このサイトを開くまで、私は他人に文章を見せるということをしたことがなかった。
 このサイトを開いた時を思い出す。
 「おぼつかなくとも、結果、本意でないものができたとしても、倦まずにとにかく言葉を吐き出そう。試すだけ、試してみよう」
 そして五年経ち、今の私に自分の言葉に対する嫌悪感はない。
 とはいえ、自分の文章が飛躍的に成長したというわけではないだろう。 まあ、少しはまともになったけれども、読み返し、やっぱり下手だなと、いまだに痛感する。 ただ、この五年で自分の器を知り、自分に折り合いをつけただけのような気がする。
 「どうせ自分は自分なんだし、どこかの誰かになれるわけでもなし、あせらずにじっくりやっていこう」
 そんなわけで、五年。
 このサイトがいつまで続くかというのはまったくもって不確定だけれども、私はいつまで経っても、どこかでなにか書いている人なんだろうなぁ。 その営為が、どこかの誰かを幸福にするのであれば、わたしはとても嬉しい。



2008.1.21

 昨日、5周年記念まこチャットに参加してくださった方、ありがとうございました。
 ホンッットですね、サイト運営って、孤独というか不毛というか、労力のわりに手ごたえのない作業なんですよね。 苦労してアップしたのに、2ちゃんねるとかで都合のいいネタにされたりとかすると、誰のため、何のためにやっているんだと、ほとほと嫌な気分になるんですよ。
 そんな感じでちょっとこのサイトに関しては、近頃テンション低めだったわけだけれども、 昨日、色々と生の意見が聞けて、あぁ、誰かのためになっているんだな、と、ほっとしたというか勇気づけられたというか、 もうちょっと頑張ってみようかな、と、思いました。
 それにしても、みなさん、色んな音楽、聞いてるんだなぁ。



2008.1.20

 ってわけで昨日の告知の通りにチャットを開催します。
 5周年記念 まこチャット
  さてはて。この初の試み、どうなることやら。



2008.1.19

 正月が結構バタバタと忙しかったせいか、まったくこのサイトを弄くりまわすことが出来なくって――だったら、どれくらいこのサイトを放置していられるのだろうと、試してみた。
 はたして二週間以上が経ち――、更新しなくっても、全然平気っっ。そんな自分が恐ろしい。
 とはいえ、このまま放っておくと自然消滅しかねないのでそろそろ日記だけは、書いてみるよ、な今日この頃。

 さてさて。当サイト1月22日をもって満五周年を迎えることになりました。うわわわ。時間が経つの、早いよぅ。
 ――と、いうことで、5周年記念チャットを明日開催しようかな、と、思っています。
 明日の21:00〜25:00くらいに開催とか、どうでしょう。
 もちろん、誰もこなかったらさっさと店仕舞いするわよっ、の姿勢でぬるーくノープランで考えております。
 もし、なんだったら、来てやって下さい。場所は明日の日記更新で――。それでは。



2008.1.4

 やっーーーーっっとお休みだあっっ。
 というわけで昨晩はうかれて、一晩中チャットをする。
 昔っから拝見しているサイトが、正月の間だけチャットルームを開設するというので喜び勇んで参加したんだけれども、いやあ、堪能したっ。 かまってくださった皆さん。ありがとうございますっっ。と。思いっきり私信。
 書く作業って、とっても孤独なんだよね。
 だから時々やもたてもたまらず、おしゃべりしたくなる。
 そんなこんなでこのサイトでは時々対談企画をやるわけだけれども、 あの対談企画って、結構がっちりと前段階でいろいろ準備をした末に行っていて、実のところ、まったくもって気軽なおしゃべりじゃない。 テレビのフランクなトーク番組が、かっちり台本組まれて計算通りに作られているのと同じでね、極めて人工的なおしゃべり、なんですよね、あれ。
まぁそれはそれでいいんだけれども、本当に雑なチャットも、たまにはいいよなぁ。うちもいつかやってみたいなあ。一晩だけの企画、とかっ。



2008.1.1

 あけましておめでとうございます。
 ――と、いいながら、昨日も仕事、今日も明日も明後日も仕事なまこりんです。
 ホント、去年はこのサイトの活動としては忸怩たるものがあったので、今年こそは頑張りたい。
 今年一月で、このサイトも五年目を迎えるわけで、色々といいたいことはある。
 各方面的に色んな切り口で言いたいことがいっぱいあるッッ。
 けれども、なんか怒涛のごとく、今日は挨拶だけで失礼っ。
 ――て、こういうしめ方しちゃうと、「一年の計は元旦にあり」って言葉が脳裏をひらめいたりして……。嗚呼。今年もばたばたなのかな。


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