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斉藤由貴 25th Anniversary Concert

何もかも変わるとしても

 〜ゲスト・谷山浩子〜

(2011.02.10/渋谷 パルコ劇場)
1.Across The Universe 〜朗読  2.予感  3.街角のスナップ  4.AXIA 〜かなしいことり〜  5.折り合いはつかない  6.Dream  7.のらねこ  8.SORAMIMI  9.テルーの唄  10.おうちでかくれんぼ  11.Dearest  12.土曜日のタマネギ  13.MAY 14.夢の中へ 15.手をつなごう 16.永遠のひと 17.卒業 18.ケ・セラ・セラ 
Vo:斉藤由貴 Pf:上杉洋史 Gt:日高恵一 Bs:須長和弘 Per:中山幸 Key,Cho:斉藤恵 Cho:あべさとえ Vo,Pf:谷山浩子 (Guest) 
同人誌「斉藤由貴 自らを探す旅 1985〜2010」発行しました。
すべてのアルバム・シングル・ビデオ作品・著書をレビュー。詳細はこちらへ。


※ 記憶に頼ったライブレポートなので、実際のそれとは若干の違う部分があると思います。特にトーク部分とか。ニュアンスで伝わればな、と。



 斉藤由貴・25周年記念のコンサートが渋谷パルコ劇場にて開催。五日連続で、今回の25周年記念ニューアルバム「何もかも変わるとしても」に参加したミュージシャン武部聡志、谷山浩子、辛島美登里、遊佐未森、亀井登志夫が日替わりでゲスト出演するという趣向。その二日目、谷山浩子の回にわたしは参加した。
 6時半に会場到着。入場開始直前だったようで、エレベーターのドアが開いた目の前は入場できない人でびっしり。うお。出、出られない。と、まごまごしてると、おりよく開場。入場して―の、プレゼントの花を眺め―の、あ、そうだパンフレット買わなきゃなー、と販売ブースに行って、びっくり。こ、これがパンフレットなんだ。
 フツーのアーティストのパンフレットって言ったら、なんかこう、異様に大きくって、かつぺらくって、なんかアーティストがいい感じにふわわって撮影されてる写真がアートっぽく配されて、みたいなもんだと思うのだけれども、コレ、A5版で、全篇モノクロで、代わりに分厚くって、なかはびっしりとネーム。斉藤由貴本人をはじめ、プロデューサー・市村朝一、長岡和弘、また今回のコンサートにゲスト参加のミュージシャン、さらに斉藤清貴、古村比呂、鳥村規、小玉圭太、大森一樹、長谷川康夫などなどの関係者が、斉藤由貴の25年、というテーマのインタビューにみっしりと答え、かつこれまでの音楽作品や出演作品のデータなどを付記し、全120頁超という、完全保存版の斉藤由貴オフィシャルブック、という仕上がり。気、気合はいってるなぁ(――多分あまったら東宝芸能のサイトで通販されるだろうけれども、コレは買い)。先だって発売されたニューアルバムといい、このコンサートといい、今回の一連の斉藤由貴25周年企画、スタッフの人たちは、やりたくってやりたくって仕方なかったんだなあ。というのがこの一冊だけで、もうひしひしと伝わる。ホント、いい意味でサークル感覚だよな、斉藤由貴のワークスは。
 ――と、感心半分しみじみ半分でぺらぺらロビーで読みながら、目の前のモニターから流れるは今回のスポンサー「天使のララ」のCM。

 開演直前、席に座りあたりを見回す。450席は完全満席。客層は40代の男性が中心、かな。斉藤由貴と同世代の、当時の熱狂的ファンがそのままスライドしたという印象。というところで、開演前の場内放送。ケータイの電源を切ってくださいとか録音機材は持ち込まないでくださいとか例のアレ――これが斉藤自身のファニーなアナウンスで(――自分で言って自分で受け答えとかしてんの)会場は一気にほのぼのとした空気に。わー、由貴ちゃんのコンサートほんとに始まるんだな―と期待も高まり、そのまま客電落ちて。さて流れるイントロ――え、なにこれ、聞いたことないし。てか、由貴ちゃんの歌まで流れはじめたけど、いつまでたっても由貴ちゃん登場しないよ? つか、なんか自分にピンスポ当たったんですけど。て。え、なに。後ろ? う、うは。自、自分の真後ろに由貴ちゃんがいた――っ。
 ビックリしながら、見つめる数十秒。黒い衣装にダークな化粧。向かって左手の中頃の会場の扉に、もたれるように彼女は歌っていた。観客の視線を一身に浴びながら、そこには誰もいないかのように遠くを見つめる。その目はどこか倦怠的で妖しく虚ろだ。
 95年のコンサート「moi」エンディング、内面に深く降りて孤独で透徹とした「今だけの真実」のパートを私は想起した。そしてさらに思った。やっぱりこの人は表現をするために生まれた化け物なんだなって。歌うはビートルズ「Across the Universe」のカバー。そのままゆったりと通路を巡りながら舞台に上がる。そして歌終わって、その日本語詞を斉藤は朗読する。 ここでの「宇宙」とは、斉藤の内的宇宙だろう。自ら確かめるようにゆっくりと読みあげた「Nothing's gonna change my world」ここが肝。これが今回のアルバム・コンサートのタイトル「何もかも変わるとしても」と呼応する。
 ――何ものもわたしの世界を変えることはできない――。
 25年の時の流れに洗われ、何もかもが変わったかもしれない、しかし私のこころの世界はなにひとつ変わりはしない。そのように決然と宣言して斉藤は、心の世界から下界へと下りていく。雑踏のSE。めざめの時刻のように始まる「予感」。――もうね、このパートだけで、来て観てよかった、と。総毛立ちましたよ。ええ。
 歌は全てふりをまじえながらシャンソン的に歌いながら演じるという近年の鉄板のスタイルで、この「予感」も「斉藤由貴」という存在を全てフェイクで仕立てあげた95年のコンサート「moi」のオープニングとのリンクを強く感じるわけだけれども、もう、でもね、そんなことどうでもいい、と。歌声も張りがあって、艶があって、アレ彼女ってこんな歌うまかったっけ?と。
 とはいえトークが始まると、うわ、これ風邪真っ最中? というガサガサのハスキーボイス。トーク中も咳き込んだり、喉スプレーしたりと、コンディション的にはかなり厳しい様子だったけれども、歌になると一切感じさせない。これが女優の魔力なのか。コンサートは時間配分的には歌とトークが半々で、セットリストは本人曰く「新曲と往年の名曲(――自分で言うなと、セルフツッコミ)の石狩漬状態」。
 ぶっちゃけまくり面白トークも相変わらず冴え渡っていて、冒頭から「本日のメニュー」と書かれたボードを堂々と手にとってセットリストを読み上げる仕込みからはじまり、「今日が一番たるい日です」発言、さらに、いきなり「出欠確認です」といって、今日だけ来る人、2〜4回来る人、5回全部来る人、と客に手を上げさせておいて、「こっから観ると漫画用語的にベタ、全然見えません」とか。なんなんだ。ほか「5回来る人はお客さんじゃないです。スタッフです」とか「今日も六時半に起きて、朝ごはんつくって、お弁当二個作って、送り迎え幼稚園と学校で二回行って、SATYで買い物すまして、ジムで岩盤浴して、そして会場に来て、こんな忙しいのに、そんなMC、五日分考えるなんて出来ません、同じネタでも斉藤さんはなんて面白いんだと――」とか、「長岡さんと市村さんの執念のニューアルバム」とか、ぶっちゃけ主婦トークが炸裂。
「街角のスナップ」を身をくねらせながら歌い演じ終え、「カード電話の長い人並み」という歌詞から《今は昔》の話に転がるところも、「『香港パラダイス』という異常にお客の入らなかった映画があって〜」とか「『君となら』というここ(パルコ劇場)で演った、30日で40回くらいそうめん食べたなっていう舞台があって〜」と、余計な一言で笑いに持っていく斉藤さん。これが歌いだすと、スイッチはいって一気に歌の主人公になるんだもんなあ。

 そんなコミカルとシリアスの落差の激しい斉藤由貴の世界はゲスト・谷山浩子の登場によって最高潮に。
 ゲスト参加のシークエンスはカフェ・ド・サイトウと銘打って、はなまるカフェ風にテーブルと椅子とお花とゲストのリクエストの飲み物が用意されたのだが、谷山のリクエストは「ポカリのお湯割り」。話はここをスタートに転がっていく。
「まずくないですか?」
「まずいです。でもライブの飲み物なくなってきちゃって」
「意味わかんない」
「昔はハーブティー飲んでたんだけど、利尿作用が……」
「利尿作用(絶句)。それここ(舞台)で言う事じゃ……。道場破りですか」
「いやそんなこと。ちゃんと谷山さんですどうぞ、って言われて出てきたし」
「猫森集会のリベンジですか」
 思わず会場拍手。三年前の谷山浩子のコンサート猫森集会にゲスト出演した斉藤は、事前の登場打ち合わせを「それって面白いですか?」と横紙破りした(ここ を参照)わけだけれども、どうやら私を含めて今日のお客さん、その日の参加者がかなり多い様子。
「今日は段取り守ってるね」と谷山。
それに「自分のコンサートは責任があるからちゃんとやる」と斉藤。
「ゲストの時は、もう、自由に無責任に」――ってそれでいいのか、斉藤。
 ほか、「谷山さん、今日は早起きで(午後)3時に起きたんですよ」とか、「コンサート終わったら、谷山さんは森へ帰るんですよね」と、斉藤の谷山いじりは留まることを知らず、谷山思わず「なめられてる?」と。
 谷山さんだったらこのボール受け取ってくれるはずと、猫森同様、暴投しまくりの斉藤投手。愛だなあ。信頼してるから、受け止めてくれるとわかってるから、無茶しちゃう。谷山浩子に甘えてるんだろうな、斉藤由貴は。このあたりのちょっとめんどうな機微、わかる。現に一緒に舞台にあがっているときの斉藤さん、ほんっとうに楽しそうなんだよね。谷山さんがはけた時も「ああ、いってしまわれた」とふざけた風に言いながらも本当残念そうだったし、その後の「ああ、楽しかった」も、本当に心の底からって感じ。
 もちろん谷山さんも、いじられるだけでなく、「(起きたのは)3時ではなく1時です」とか、「トーク長いよ」とか、衣装チェンジした斉藤の胸元を見て「谷間がある!」とか、「由貴ちゃんの「のらねこ」は大きくって堂々として」「それは「どらねこ」」とか、お互い言いっぱなしのリラックスしたいい雰囲気。「ベストアルバムが3月の頭くらいにでます。日にちは忘れたけど」という谷山のうっすらとした告知に、声に出して呆れながら、自分がいざ告知する番になると「五月くらいに多分ドラマやります」とかなんとか、谷山さんよりももっとうっすらとした告知だったりする斉藤さん。本当似たもの同士。
 ちなみに今回のホームランは、コレ。
 今回ライブではじめて「SORAMIMI」を歌うという斉藤。どうしても歌いづらい歌はセットリストから外れしまいがちという所から、谷山の「わたしの作る歌は歌いにくい」という話に。
「最近カラオケに行くようになって、気づいた。売れる歌は歌いやすい歌だなって。それに比べて私はメロディーから作るから歌いづらい歌が多い(――からヒットしない)」とか何とか述べる谷山に、
「え、でも『土曜日のタマネギ』とか『MAY』は歌いやすいですよ」と斉藤。
「だからアレは、わたし曲は書いてないから」
 斉藤、はっと気づき、思わず絶句。そうね、詞だけよね、その2曲。フォローのつもりが思いっきり叩き落としている斉藤さんでしたとさ。

 ゲストパートは、「のらねこ」〜「SORAMIMI」〜「テルーの唄」〜「おうちでかくれんぼ」の四曲。曲はそれぞれ谷山ソロ〜斉藤ソロ〜二人のデュエットという形で再構成して、「のらねこ」はバンド形式で谷山のピアノはナシ、「おうちでかくれんぼ」「SORAMIMI」は谷山の弾き語り、「テルーの唄」は谷山のソロで斉藤はそのあいだ衣装チェンジという流れ。
 ここの白眉は――というかこの日のコンサートの白眉と言ってもいいかも――なんといっても、人気曲ながらも斉藤のコンサートでは初披露となった「SORAMIMI」。
 谷山のノスタルジックで繊細なピアノが流れると舞台の空気はとたんに色彩感豊かに変化し――本当に、ピアニストとしての谷山浩子って引きが強い、ソングライターとしての部分と同様、ピアニストとしても強靭な世界観持っているなと再認識。素敵過ぎる――そこに、まるで芝居の一シーンのように、斉藤由貴がぽつねんと佇む。谷山のピアノと斉藤の、ベンチに座り俯いたその視線と気配で、報われぬ恋に揺れるこの歌の世界が濃密に立ちのぼってくる。このパート、谷山浩子×斉藤由貴だからこそ成しえる立体的な舞台表現といってもいいかも。

 「歌うたびに、いい歌だなと思う」と告げて歌われた「土曜日のタマネギ」「MAY」の谷山作品――ほんっっとうに毎回歌っているよね、コレ。本当に好きなんだろうな斉藤さん、に続いてはなんと驚きの振り付き「夢の中へ」。テンポを落とした21st centuryバージョンでもなく、89年のユーロビートアレンジバージョンでもなく(――とはいえテンポはこれと同じだったかな)、もちろん原曲の井上陽水風でもない、カントリー調のニューアレンジ。会場からも自然と手拍子が湧きあがった(――けど立ち上がらないあたり、斉藤由貴と谷山浩子のファン)。アットホームなバンドメンバー紹介をはさみ(――ちなみに今回のバンマスはアルバム「LOVE」のアレンジ担当で、最近は中森明菜・岩崎宏美のツアーなどでお馴染み、上杉洋史)、今回の表テーマと本人の語る「永遠のひと」披露し、本編終了。
 アンコールは「この歌は古典となりつつあるから大切に歌いつづけてほしい」との松本隆からのメールに、改めて心新たに歌ったデビュー曲「卒業」(――スクリーンにはアイドル時代のスチールが何枚も映し出された)、そして斉藤曰く《ライフタイムチューン》「ケ・セラ・セラ」へ。会場に投げキッスをして、軽やかに斉藤は舞台の向こうへと消えていった。そしてスクリーンに残された一編の詩。

何も変わりはしない
何もかも変わるとしても


 うん。
 多分、だろうけれども、斉藤由貴はこれからも歌いつづけていくのだろう――と、私は確信した。今回で「終わり」ではなく、多分「つづく」だな。と。それがどういう形なのかはわからないけれども、きっと、またこういう場がある。
 コンサートは25周年記念と銘打ってはいたものの、試運転・お試し的なコンサートでも、同窓会的なコンサートでもなく、きちんと今にアプローチして衒いなく堂々としていたし、なにより歌手としての今の斉藤由貴のありよう、みたいなものをスタッフも斉藤本人もどこかで確信している感じがした。
 ひとまず武部聡志さんは、「次は今回のような斉藤由貴のリアルを形にしたものではなく、スタンダードなポップスのアルバムを、ミニアルバムでもいいから作りたい」ってパンフレットで言ってるしね――ええ、ファンはしっかりと記憶しましたよ、忘れませんよ、武部さん。
 個人的には、斉藤由貴セレクションの谷山浩子ソングカバーなんてのも面白いとおもうよね(――あれだけ斉藤さん本人が大好きなんだし、ファン層もかぶっていて需要もあるし、アリなんじゃないかな、と)。
 かつてをなつかしみながら、歌手・斉藤由貴の今後に期待できる、夢のような計2時間40分だった。16年の月日をニューアルバムとしてひとつの形に結晶させたように、これからも流れる水のように生きて、その水脈の痕を歌に結晶させてほしい。それが1ファンの切なる願いだ。

2011.02.14
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