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懐かしい海の思い出


と今タイトルだけ打ったが私の生活のなかに海などというものはついぞ今までない。
そして、また、俗な人がよく言うような、いわゆる、海の近くでの生活に対する憧れも、また、ない。
というかマリンスポーツという存在が、まぁ、これはマスコミが勝手に植え付けたイメージなのだが、なんだかひどく明るく外交的で時流に合っているという雰囲気で、なんだか自分には似合わないという感じがして、臆してしまう。

ただ、あまり海というものがすきではないというと少しばかり嘘になる。
湘南や伊豆やあるいは外房の都会近郊の鄙びた、されど差し色のように華やかな人々がある季節だけ行き交う海っぱたよりもさらに鄙びた、誰もそこでこじゃれ遊びなどやしそうもない、地元の漁民達だけが静かに暮らしている田舎の海なら静かに眺めるのは悪くないと思う。
そして、そんな海ならゆっくりと水の匂いを確かめるように浸かっていたいと思う。泳ぐでもなく、ボディーボードやウインドサーフインでもなく、ただ静かな時間を確かめるように、海月のように海に身をまかせて漂いたい。
時間が午後遅く、夕暮れの頃なら最高だ。
また、ぼんやりと釣れない釣りをしてみるのもいい。

これは私が10代の頃暮らした瀬戸内の景色にそのまま重なる。といっても私の住んだ家のあたりは回りは蜜柑畑に囲まれた山がちなところであったのだが、それでも見晴らしのいいところに立つと瀬戸内の海も眺めることができる。
ちょうど海はそこから西向きにあたったので、天気のいい夕暮れには海が金色に鮮やかに輝いているのが見えた。

釣りというのもただ一度だけ、この時代にしたことがある。
ある友人ともいえないようなつながりの薄い友人と一度だけ、どういったきっかけだったがわからなかったが、彼の話の中で自分が日曜などの暇な時に釣りをしているという話を聞いてからしばらくのちに、私は釣りに誘われた。
天気の良い秋の日だった。
人通りのまったくない海沿いのみちから海へ向けて竿を垂らす。
ゆるく弧を描いた海岸の遠く右手には発電所の黒い影、左手には瀬戸内の島々が見え、その島影をかすめるように漁船や貨物船が時折行き交っていた。
魚は全く釣れなかった。引っかかったのは手のひら程度の大きさのつまらない雑魚ばかりだった。
でも海は美しかったので、それで良かった。
帰りがけに彼は「釣れなかったね」と呟いたが、わたしは「今、島影にかかる夕陽が綺麗だから別にいい」といった。
彼は「そういうのは僕はわからないな」といった。その「わからない」がどういう意味であったのか、今でも私はわからない。

その彼とはクラスが変わり、全く会うこともなく、高校卒業後の進路すらも知らないが、彼は一体何を今しているのだろう。
別に居心地が悪かったというわけでもなかったが、別段いつまでも付き合っていたいというわけでもなかった(それはまた、彼にとっての私でもあるだろうが)彼のことを海での思い出として時折ふと、思い出す。

海は美しいが、怖い。全てを任せてしまうとそのまま飲みこまれるような気がする。
だから私はいつまでも、汀で濡れないように波を追いかけたり逃げたりしている子供みたいにしている。
そんな感じで私の海の思い出ははかないものばかりだが、私の中では妙な形でしっかりと今でも思い出の中で息づいている。



2000.08.01


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