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部屋とタイピングと私


テキストを執筆中、歌詞を引用しようと思いたったが、歌詞カードがない。
仕方なく聞き取りでそのまま書き写すことにした。
しっかり文章に落とすためにいちいち曲を止めて、また再生したりせにゃならん、こりゃめんどいな、と内心思いながら、曲を流す。

が、すらすらと文字に落とせる。
結局、一度も曲を一時停止することなく、全ての書き取りができてしまった。
びっくり。
いつの間にやら私のタイピング能力はものすごい上達をしていたらしい。

私のタイピングはいわゆるまったくのたこ打ちで、基本的に中指と人差し指しか使っていない。
一度、キーボードのきちんとした運指法というものを学んだが、私の指は極度に短く太いのでこれでやるとミスタッチも多く、ものすごくストレスが生じる。
また、基本、ローマ字打ちというのも気に食わず(濁音とか半濁音長音促音などだとローマ字が無意識にすらっと頭ン中に出てこなかったりする。それに外来語とかの時、混乱するから、むかつく。specialをカタカナで出す時、supesyaruと打てるかっつーの)、そんなに早く打つ必要もなかったので、永遠にブラインドタッチの夢から離れ、このカナのたこ打ちでやってきたわけである。
が、これもこれで慣れてくると、それなりにタイプが早くなるものだ。

実際どれくらい早くなったのだろう。
ためしに遠い昔に買ったワープロについていた検定用の文章(2級、10分で600文字)にチャレンジしてみた。
結果、ぎりぎり、セーフだった。
昔、このワープロを買ってしばらくしてやってみた時には(4級、10分で300文字)がぎりぎりだったのだから、ほぼ倍速だ。
原稿用紙で文章を書いていた時、ノリにのって淀むことなくペンを滑らせて、だいたい原稿用紙4〜5枚だったのだから、この時点でキーボードでのタイプと紙に書き取りがほぼ同速であったのが(この事実を踏まえて文章を手書きからワープロ打ちに代えたのだ)、いまでは手書きと比べるとその倍のスピードということになる。

もちろん、仕事でブイブイいわせている人や、運指法通りでブラインドタッチできる人からすればこんなものは屁でもないだろう。
が、これは私にとっては大進歩というより他ない。
それに、この10分で600文字ってのは、文章を見ての写しだから、こうしてお手本なしのフリーの状態で書くよりはるかにペースも落ちるわけで、実際は、もっとハイペースだろう。
こりゃ文章書く量も増えるって話だ。
いつのまにか膨大に分量を書いていて驚いたりすることがしばしばあるが、当然の話だったのだな。

ということで、そんな私は、今となっては紙に書くという行為はまどろっこしい以外の何物でもなくなっている。
手書きでは頭の中でおこっている思考速度に手が全然追いつかないのだ。

もちろん、その思考の速さというのはその時々である。例えば小川のせせらぎのような時もあれば、河口近くのゆるやかな流れの時もあり、上流の急流の時、嵐の後の濁った奔流のように溢れ出す時もある。三日月湖のように出口なしの時だってある。
だが私の思考というのは、ゆったりとした前者でなく、せわしない後者のほうが圧倒的に多い。
もちろん、心を静め、さながら書に臨むかのように、自分をなくして向かう時もあるが、――――そうした時はやはり紙に書くのがよく、しかも自分にとって一番書き心地のいいペンがいい。もちろん、本当に筆と和紙と硯を取りだしたっていい。
しかし、迷える衆生の私としては、圧倒的に自分が前面に出てぐるぐる考えあぐねている時が多いのだ。

そういった場合は、手で書くよりも圧倒的にパソコンに打ちこむほうがあっている。
ぐちゃぐちゃの言葉たちをそのまま書いて、後でそれらをまとめ、読める形に直すといったことはパソコンのほうが圧倒的に簡単だ。
もちろんこうした書き殴りは、そのぶん文章にいらない部分が増えることはわかっている。
しかし、今は一言一句を意味あるものにし、練りこまれたものに丁寧に仕上げなくてはという思いより、勢いというかその時々のテンションの方を大切にしたいという思いのほうが勝っている。 もちろんこりゃひどいと思う時もあるが、それがその時の自分であると思うといとおしくもなる。

それに丁寧に推敲すると、なんだか自分を不用意に装ってしまいそうな気がして怖いのだ。
ということでいよいよタイプ能力に磨きがかかる私なのであった。


2003.10.20


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