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追悼 ・ 本田美奈子


 05年末から06年春にかけて、当サイトの日記にて、本田美奈子へ捧げた追悼文をひとつにまとめる。  感傷的で、筆の勢いに任せた部分が強いが、当時の私の偽らざる心境として、ここに残したい。

◆ 本田美奈子、途半ばにして、病に倒れる
◆ 本田美奈子に想う、ひとつの後悔
◆ 「棺を蓋いて事定まる」
◆ 立春に、本田美奈子を想う。
◆ 死して受け継がれる、いのち
◆ ら・ら・ば・い 〜優しく抱かせて〜




◆ 本田美奈子、途半ばにして、病に倒れる

本田美奈子が死んだ。
急性骨髄性白血病。38歳だった。

http://minako-channel.com/

わたしは一度だけ実際の彼女に会ったことがある。
とはいえ、彼女からしたら、わたしは数多くの、名も知らずに通り過ぎていった者のひとりにすぎないわけで、それは「会う」というより、ただ「1、2メートルの間近で見た」というにすぎない。

その日、彼女は、あるCDショップの小さなイベント場にいた。 彼女は、例え取りあげられたとしてももおそらく数行、数十秒、でまとめられてしまうであろうスポーツ紙やワイドショーの"囲み"の取材に、愛想よく応え、 200人といったら多く見積もりすぎの観客に向かって、新曲を歌っていた。
女優や女性歌手は総じてメディアを介さずに見ると、「こんなにも小さくか弱く、はかない肉体の持ち主なのか」と驚くものだが、 モニターを通してでも充分にわかるほど痩せて小さな彼女の体であれば、それは尚のことで、彼女の姿は見ていて痛々しく感じるほどであった。
そんな彼女が歌いだすと、そこに、ふっと、灯りが点ったように歌の空気が生まれた。
「あ、この人は、どうあろうとも、ずっと歌い続けていく星の下にある人なんだな」
私は、そう感じた。

その頃の彼女はとうにアイドルの位置を外れ、ミュージカルを活動の中心に移していたが、 肝心のCDリリースに関しては、一定の売上の見こめる状況がそろわないのだろう、滞っている状況であった。
とはいえ、アニメソングやゲームミュージックの一環として、 あるいはMDダウンロードによる発売、と変則的ながらも彼女は新曲を披露していたし、 また「ミュージックフェア」や「題名のない音楽会」など地味な歌番組に、彼女は、新曲でも自身の過去のヒット曲でもない楽曲を、なにかのデモンストレーションのように番組の隅でひっそりと歌ったりもしていた。 そこに、どんな厳しい状況下であろうとも歌手たろうとする彼女の矜持が見てとれた。

その後も彼女は地道に歌いつづけ、 03年に発売したクラッシッククロスオーバーのアルバム『AVE MARIA』で彼女はようやく時代の風をほんの少しつかんだように見えた。
彼女はデビュー以来ずっと、完全に開花しきれていないというか、大きな未完成のつぼみが残っているというか、 そんな可能性がどこか潜んでいるように見え、それが傍から見ていてとてももどかしくもあったのだが、それがようやく見えて来ようかという、そんな大器を感じさせるアルバムであった。 しかし、その先を私たちは見ることなく、彼女は病に倒れた。

彼女の残したアルバムでベストは何か、と問われたら「ミス・サイゴン」の成果を受け、94年に制作された渋谷森久・岩谷時子プロデュースの『Junction』と私は答える。 しかし、これよりももっと大きな何かが残せたように私は思えて仕方ない。 それはラストアルバムとなった04年のアルバム『時』のラスト二曲「時」と「この素晴らしき世界」を聞けばわかると思う。
個人的には、数年前「題名のない音楽会」で彼女がやった江利チエミのカバー特集がなんとも良かったので、ああいった戦後直後のジャズの雰囲気を醸し出した作品をひとつ何か聞きたかったなぁ、 と、今更ながら思うが、全ては終わってしまったことである。何をいうにも遅すぎる。
冥福を祈る。
(記・2005.11.06)


◆ 本田美奈子に想う、ひとつの後悔

風邪をしっかり治すために、今日は1日家にいようと、あらかじめ決めていた。
朝起きてワイドショーを見ると、本田美奈子のニュースがひきりなしに流れていた。
結局私は、休みもせずに1日ずっとテレビを見ていた。彼女のニュースが流れていない間は、彼女のライブビデオを見、彼女のアルバムを聴いていた。

こういう時にファンだと公言するのは、悲しみの尻馬に乗っているような感じがしてなんともいやらしい印象がする。
だから「ファンだった」とは、はっきりいえないが、ひとまずわたしは、彼女が残したオリジナルアルバムとライブビデオは全て所蔵している、という、そういう人間である。 今までサイトでこれといってきちんと本田美奈子を取り上げてこなかったくせに、そういう人間なのである。

なにかの足しになるわけでもないが、私が一番気に入っている彼女のアルバム
『Junction』のレビューを書いた。
これが追悼になるとは思わない。ただなにかを残そうと思って、書いた。

いつのまにか止まる 砂時計のように
時間はいつも過ぎ去ってから 人の過ちを笑う
いつのまにか枯れる 花瓶のバラのように
気づいた時は なすすべもなく 愛は終わりを告げる

(「かげろう」/作詞・作曲宮沢和史/『晴れ、ときどきくもり』より)

何もかもが遅すぎる。
(記・2005.11.07)

◆ 「棺を蓋いて事定まる」……

本田美奈子のアルバムが売れている、という。
クラシッククロスオーバーの楽曲をコンピレーションしたミニ・ベスト「アメージンググレース」が本日のオリコン・デイリー第10位にランクイン。 また大手ネットショッピングサイトamazonではなんと売上ベストテンに五枚も彼女の作品がランクイン、しかもその四枚がアイドル期以降の作品である。

中国の古い言葉に「棺を蓋いて事定まる」というのがある。
人は死んではじめてその真価が問われる、という意味だ。
今、彼女の歌が聞かれる、ということはそれだけ彼女の歌が本物であった証なのかもしれない。 ともあれ、どんなきっかけでもいい、彼女の歌に聞き入る人がひとりでも増えるのなら、それでいいではないか。それこそ彼女の本望ではないか。 一方では、そう思う。

しかし、何故、今になって、なんで……。そう思わざるを得ない。
なんで、あんたら、生前もっとちゃんと聴いてやらなかったんだよ。勝手だよ。勝手すぎる。 死んで花実なんて咲かない。今更だよ。遅すぎるよ。

94年の『JUNCTION』以降のアルバムはオリコンのデータでは1万枚とも売れていない。 最新作の『時』に到ってはウィークリー100位以内にも入らなかった。
彼女の今の歌が、こんな形で評価されることになろうとは……。 あまりにも皮肉がきつすぎる。

アイドル時代「一等賞」をとることにあれほどあこがれていた彼女。 秋元康の前で平気で堂々と音楽業界紙を読みふけり、どうやったら一位を取れるのだろうか、と臆面もなく言ってのけ、「ザ・ベストテン」で黒柳を前に「目指すはNo.1」と宣言した彼女。 しかし彼女は1回も一位を取れなかった。アルバムでもシングルでも、「ザ・ベストテン」でも、1回も。

そんなアイドル時代の人気もあっけなく翳り、それでも歌にこだわり、 ミュージカルでもアニメソングでも、観客の少ない小さなステージ(――人はそれを『営業』という)でも、歌いつづけた彼女。 もう、人気は気にしない。ただ歌のために、歌を少しでも多くの人の心に届けるために歌っていきたい、と言ってのけた彼女。

この光景を彼女に見て欲しかった。 今までやってきたことは間違ってなかったじゃん、美奈子。と。

とはいえ、それは愚かしい感傷に過ぎないだろう。
わたしだって、こんなこと書いておきながら、身も心も彼女の歌に捧げていたわけではない。 ただ淡々とCDを買っていたに過ぎない。今、彼女の歌に飛びつく者となにが違うのだろう。ファンなどというのもおこがましい。 私もまた勝手に悲しがっているいいご身分のひとりに過ぎない。

私は迷いに迷って、彼女の通夜にも告別式にも行かないことを決めた。 わたしはそんな身分ではない。
(記・2005.11.08)

◆ 立春に、本田美奈子を想う。

 死というのは、あらゆるものごとを浄化するものなのだなあ、と思う。

 ここ数日、本田美奈子のかつての音源や映像をよく流している。
 わたしは歌手として彼女に大きな可能性を感じていたその一方で、彼女がいつまでも開花しきらず、いつもどこか未完成であることに、 複雑な感情を抱いていた。
 美奈子、いつまで寄り道しているんだよ。美奈子なら、もっとできるだろ。もっと上にいけるだろ。
 まだ彼女が元気だった頃に私が書いたテキストで、彼女に対して時に辛辣であったのは、そういった理由があった。

 しかし、彼女が亡くなった今、残された彼女の声と姿を見るわたしの心に、そのようなもどかしい感情は、ない。
 臍出しアイドル時代も、ロックアーティストぶった時代も、 ミュージカル時代も、最後のクラシッククロスオーバーも、 アイドル時代からなんら変わらなかったあの舌ったらずで甘えたような話し方も、 すべて、彼女そのものであった、と。 生意気なところも、真面目なところも、ぶりっこなところも、率直なところも、時にお寒いところも、すべて彼女であって、それでいいではないか、と。 そう思える。

 確かに、ミュージカル「ミス・サイゴン」に出会う前の彼女の活動――アイドルとして、ロックシンガーとして、ポップス歌手としての彼女の活動は、 、活発ではあったが、たえず方向性が定まらず散漫であって、無駄な動きが多かった、とは今でも思う。
 しかし――。 彼女の活動の歴史のなかでとりわけ汚点として見られがちな、ガールズバンドWild Catsの頃でさえ、 今改めて見ると、それはそれで、いいのでは、と、 必死になって、何者かになろうとしてさまよっている彼女の姿に微笑ましく思えてくる。

 そう――、彼女は、必死だった。
 あらためて、彼女の姿を見るに、彼女はいつも自己の力の100%で、レコーディングに、ライブに、歌番組にぶつけてくる、そういう歌手だった。 だからこそ、迷走といえる時代でさえ、今振り返り見ると、とても暖かい気持ちになる。 青くて、まっすぐで、全力で。あぁ、これが青春なのだなぁ、と。

 彼女はいつまでも未成熟のまま、青臭いまま、 自分のほんとうの場所を探しつづけて、迷い、行き暮れて、それでも諦めず、力いっぱい生きて、そしてようやく何かをつかもうとしたその瞬間に途に倒れた。

 彼女は、春のただなかで逝ったのだな、と思う。 彼女の命日は、冬だったけれども。彼女は春そのものだった。
(記・2005.02.04)

◆ 死して受け継がれる、いのち

 先日、「愛・地球博記念市民合唱団」から私の元にメールが届いた。 本田美奈子の遺志を継がんがために、彼女の「つばさ」を合唱団で歌い継ぐことに決めたそうだ。 そこで、わたしの書いた「つばさ」収録のアルバム
『Junction』のレビューを団員に配布したい。 その許可を得たい、という。わたしはそれを快諾した。

◆ 故本田美奈子さんの曲 万博合唱団が披露  (中日新聞)

◆ 愛・地球博記念市民合唱団 公式サイト

 先週末には本田美奈子追悼のと冠した「ロイヤルチェンバーオーケストラ特別演奏会」が行われたし、  四月には、本田の故郷である朝霞市の朝霞市民会館で追悼写真展とフィルムコンサートが行われる。

 また3/29にはマーベラスエンターテイメントから、同社から発売された本田美奈子の音源を集めたコンピレーションアルバム 「I LOVE YOU」が、 さらに4/20には、コロンビアエンターテイメントから、未発表音源を集めたラストオリジナルアルバム「心を込めて」が発売される。 収録予定曲を見るに、「I LOVE YOU」は90年代後半以降のポップス・アニメ系歌手としての本田美奈子が、 「心を込めて」は「ミス・サイゴン」以降のミュージカル女優としての本田美奈子が味わえる作りになりそう。

 彼女が亡くなって、このように彼女の歌が脚光を浴び、彼女の歌の輪が様々な方向へ広がっていくのを見るのは、とても不思議な気分がする。 それがいいことなのか、あるいはそうでないのか、それは今の私にはよくわからない。 ただ、いのちというのは、ある面においては、果てがないのだな、としみじみ思う。
(記・2005.03.06)



cover
 ら・ら・ば・い 〜優しく抱かせて〜  (Sg/95.5.10/19位/11.1万枚) 

1. ら・ら・ば・い 〜優しく抱かせて〜 2. この歌をフォー・ユー
 95年発売。アニメ『魔法騎士レイアース』EDテーマとしてヒットした。 最高19位・11.1万枚と、じつに88年のWILD CATSデビューシングル「あなたに、熱帯」以来の好成績となった。
 この曲、間奏と後奏に菅野よう子ライクなクラシカルなシンセストリングスとオペラ調のハイトーンスキャットが挿入されており、しかにもアニメソングらしい 壮大さをかもし出している、の・だ・が。
 はじめてCDでこの部分を聞いた時、私はてっきりどこかの別のプロのボーカリストが歌っているのだと、思っていた。 ら、テレビでこの曲を歌っている本田美奈子を見てびっくり。
 美奈子本人が歌っとるやんけっっ。

Youtube 「ら・ら・ば・い 〜優しく抱かせて〜」

 こんな唐突にボーカルをシフトチェンジさせる。無茶だろ。
 しかし美奈子はその無茶をやり遂げていた。
 そのあたり、実に美奈子的な一曲といえる。

 わたしたちに馴染み深いポップスとクラシカルなサウンドとの融合。 ミュージカルでの活動が活発化して以降、本田美奈子は音源制作に関してはそのベクトルに向かってひた走っていたのだが、 それが最もいい形でミクスチャーされたのが、「ら・ら・ば・い」や「風のうた」「ナージャ」などアニメ・タイアップ系の楽曲だったというのは、皮肉としかいいようがない。

(記・2007.07.04)

2006.03.10 編纂
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