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谷山浩子 全小説レビュー



 35年の芸能活動で30枚以上のオリジナルアルバムをリリースしている谷山浩子だけれども、 ひそかに著作も20冊近くあり、一時期は作家としても活発な活動をしていた。 特にサンリオシリーズとコバルトでの小説を請け負っていた80年代後半はほぼ1年に二冊というハイペースで上梓していた。 あまり派手さのない谷山浩子の活動の中でもとりわけ陽のあたない部分である小説家としての作業なんだけれども、 わたしはいいと思うんだよね。
 読みやすいのに、独特の世界が広がっていて、文体も個性的、特に名前などの固有名詞のみょうちきりんさというのは絶妙で、幻想小説として谷山浩子の小説はアリなんじゃないかなあ、とわたし常々思ったりしますが、 あんまりファン以外では語られることがない。もったいないなぁ。

 谷山浩子の小説には「わたしともうひとりのわたし」というテーマがほとんど作品の底流に流れているようにみえる。 その「もうひとりのわたし」は鏡の向こうの私だったり、人形に投影されたわたしだったり、夢の世界のわたしだったり、抑圧され隠された人格だったり、引き裂かれた半身だったり、世界の裏側に住む二度と会えないわたしだったり、まあ、色々バリエーションがあるのだけれども、 とにかく自分というモノが確固としてあって、それがまったく揺らがない、という作品は彼女の小説には実に少ないです。 自己との統合、というのが彼女にとっての創作のひとつのテーマなのかなぁ。

 ともあれ、結婚されてから、文筆業に関しては以前のように活発でなくなってしまった谷山さんですが、また小説も読んでみたいなあ、とわたしは思ったりします。



cover■ 谷山浩子童話集  (79.08/六興出版)

 原稿用紙4、5枚の短い掌編のみを集めた作品だが、本当に夢の断片という感じ。 読み手にあまり理解を求めていなくて、全てが唐突にはじまって唐突に終わっている。意味があるのか、ないのかもわからない、ただ名もない小さな塊をぽんと投げつけられたと言う印象。 ただその小さな断片というのは、ガラスのように透明で儚く、どこか薄暗い。谷山浩子は幼少期、小川未明や浜田廣介の童話をよく読んでいたというが、その傾向が1番強く出ているのがこの作品集かもしれない。
 寝る前にふらっと読むとすみやかに眠りにつけるような作品が並んでいる。 「帰らない男」がいかにも谷山浩子の作品という感じでこのなかでは1番好きだなあ。 ちなみにこの本は絶版後、「四十七秒の恋物語」(廣済堂出版)というタイトルでさらに掌編や散文詩を加えて、再出版されている。6点。


■ 人形のいる街  (81.04/総和出版)

 谷山浩子本人ももっていないという作品集。私も持っていません。シングルレコード同じサイズの絵本だったとか。


cover■ 猫森集会  (86.07/サンリオ)

 本格的な小説となる第1弾。三十路の歌手である谷山浩子の日常の世界の向こうに、もうひとつの世界がある。わたしである谷山浩子はその世界に呼び寄せられる。 馴染みの喫茶店のいっぱいの紅茶の向こうに、レコーディングスタジオのブースの一角に、歌詞のストックを記録したパソコンのモニターに、仕事帰りタクシーに、明かりを落としたライブ会場に、異世界は広がっている。 異世界に渡るとわたしはわたしでなくなり、15歳のネムコになる。その時不意に横切る、ポトトの白い馬――。
 連作形式でファンタジックな世界を渡るネムコの冒険譚。谷山浩子は何度もネムコになり、現実世界と幻想世界を何度も渡り歩く。 うたたねに見る夢のように淡く実体がなく、それでいて鮮やかな話の数々。 物語中に同時期のアルバム『水玉時間』に収録の歌が多く出てくるので聴きながら読むとぐっと雰囲気が出ていいかも。 ちなみに「地球博物館」に出てきた「穀物に潰された地球」というのは「穀物の雨が降る」、「雪に閉ざされた地球」というのは「粉雪の日」、 「ビルに押しつぶされてひしゃげた地球」というのは「ガラスの巨人」と、それぞれの歌に対応しています。ちなみにこの3曲を谷山さんは「地球滅亡三部作」といっております。7点。


cover■ サヨナラおもちゃ箱  (87.06/サンリオ)

 新婚のタコとリリコ――けれどもリリコはタコのやることなすことにどうもしっくりこない。「わたしのだけの部屋に他人が踏み込むことがどうしても耐えられない……」 リリコがふとそう思ったある夜、リリコの大切にしていた人形たちがタコを人形の国へとさらった。ガラスの心臓寺院でタコを剥製にして、「思い出の谷」博物館に永久保存するために。――醜く生きてリリコの暮らしを邪魔するよりも、美しい思い出となって永遠に残るほうがこの男もリリコ様も幸せだと……。 リリコの人形の国の冒険が始まる。
 これは「氷の女王」をモチーフにしたのかな。ゲルダがリリコ、カイがタコ、氷の女王が人形たちの長であるリリコちゃん人形。ただ、この話のポイントは、カイと氷の女王が鏡像になっている、というところかな。 「リリコちゃん人形」はリリコの鏡像であり、リリコの心に眠っているもうひとりのわたし。ゆえにリリコとリリコちゃん人形の対決は自分との対峙になる。この物語はリリコという少女の成長物語といっていいんじゃないかな。 人形を自分の周囲に集め、自分の孤独をいくつも鏡映しにして自分の殻に閉じこもっていた少女がその殻を破る物語。
 リリコちゃん人形の住処――いつまでたっても夕焼けの時間で、あらゆる人の思い出が寄せる浜辺である「夕焼けの浜」のシーンは印象深い。人はここで思い出を預けて身軽になってあの世へと旅立つのだという(谷山の歌で言うと「鳥籠姫」の世界に近い)。 これは谷山浩子が幼少時代過ごした九十九里浜の祖父母の家からの着想なのではないだろうか。こうした寂寥感は彼女独特のもの。8点。


cover■ お昼寝宮・お散歩宮  (88.06/サンリオ)

 大好きなサカモト君から借りた"つまらない本"を夜更けに読むネムコ。――どうしてこんなにつまらないのだろう。と、そこに一人の少年が訪ねてくる。そこからネムコの長い長い冒険の旅が始まった。……。
 えー、つまりはこれは谷山版「不思議の国のアリス」だ。夢のなかで夢を見、その夢のなかでまた夢を見る。夢の入れ子の奥の奥、その更に奥へと分け入っていくネムコの冒険譚。 ラストがハッピーエンドで、綺麗に物語を回収しているので、谷山浩子を知らない人にも安心して薦められる作品かな。表の代表作といっていいかも。(――もちろん裏は「悲しみの時計少女」) ひそかに世界観は「猫森集会」と繋がっているのでつづけて読むといとおかし。もちろんこの作品をより楽しむには同タイトルのアルバムもかかせない。
 夢の一番奥底に棲む緑の髪の少年ポトトとは、彼女のイドの象徴であろうか。彼女のすべてがここから生まれるのだが、その姿を彼女ははっきりと確かめることはできない。 クライマックス、ようやくネムコはポトトと出会うがそれは一瞬の邂逅に終わってしまう。ちなみに真っ赤な悪魔トポポに変じた"つまらない本"とは前作『猫森集会』のことだとか。7点。


cover■ コイビトの耳は猫のみみ  (89.04/集英社コバルト文庫)

 アイドルが付き人の恋人を略奪、って、嘘ぉーーん。しかも男はラジオの構成作家で、って、嘘嘘嘘ぉ――ん。 そんなアイドルの付き人、ハルは失恋の痛手に「猫になりたい」ふとつぶやいてしまったが運のつき、化け猫さんととりかえばや、って、あぁーーもう、いいわ。なんか。 まぁコバルトだなぁ。という作品です。甘い、あまぁーーい。
 谷山さんは歌手で、ラジオのパーソナリティーで、アイドルに曲提供しているから――という、編集サイドからの決め撃ちの設定なのかな、と思ったりもする。 "君がもてないのは心がブスだからよ、もっと心に花を咲かせましょ"てな感じのいかにもな啓蒙が、あぁ、まぁ確かにそうなんだけれども、谷山浩子に云われると思わなかった。 あんまり谷山さんである必然というのは感じないのですが、きちんとオファーに応えております。かわゆいお話です。でも付き人さんがビジュアル面においてもアイドルを凌いじゃうって云うのは……、いやぁ……、まぁ、いいんですけれどもね。5点。


cover■ 電報配達人がやってくる  (89.06/サンリオ)

 真夜中、電報配達人がやってくる。まだ見ぬ恋人からの電報が、届く。そして僕は夢のなか彼女の姿を探す。何度も繰り返される夢。決してたどりつけない恋人。 世界の裏側で彼女は僕を探し、僕は彼女を探しつづける。……。
 なんだろうなぁ、こう、ひとつひとつがまったくわからないんだけれども、わたしにはなんか「わかる」。 なんとも説明できない感じなんだけれども、私は好きだなぁ。 この悪夢に身をとられて夜が明けない感じ、時間がループしてどこにも出口がない感じ。これはなんともすてがたいです。
 これはもしかたら、究極の恋愛の話なんではないかな、と思ったりもする。 恋をするというのは、失った私の欠片を探すということ。とても大切だったのに遠い昔にうっかり捨ててしまったものを取り戻すこと。忘れさった記憶を呼び覚ますこと。 これがテーマかな、と。
 高層ビルのしずかな廊下、決して思い出せない思い出が、ならんだ扉の向こうにずらっと並んでいる、というシーン。 あるいは水族館、二度と思い出せないものたちが水槽のなかに並んでいる、という「思い出の水族」のシーン。このあたりはゾクゾクしますね。 ひそかな傑作だと思う。
 ちなみに第5章「満月夜コンサート」で歌われた『わたしは流れる、血液の中を』という歌のフレーズを後に「真昼の光は嘘をつく」という歌でリサイクルしているように見えるがこれは気のせい ? 9点。


■ きみの瞳につまずいたネコ  (90.03/集英社コバルト文庫)

 コ、コバルトだぁ。
 わたしは緑が丘高校2年、演劇部の野原真夏。ひそかに好きだった同級で同じ演劇部の島崎銀河を偶然街が見かけたんだけれども――その隣には肩を組んで親しげな――あれは、クラスメートでこれまたおんなじ演劇部の田丸タマミじゃない?
 ってまぁ、こんな小説です。あとはこう、恋愛で頭が緩くなった女の嫌な牽制とか、そこに「あたしはあんたの味方だからね」という女の友情とか、最終的には演劇部の派閥争いに広がって、今度の演目の「人魚姫」の主役はタマミなの ? 真夏なの ? とか、 そんな落ちこんだ真夏の目の前に突然舞い降りたかなりご都合主義な白馬の王子サマのトラジローとか、もうね、ここまで説明すればもう読んだも同然という、そんなこんなです。
 ここまで売れ線狙いを書いた谷山さんの意図って一体……。実際谷山さんにしては珍しく売れたそうです。 ま、敵役の田丸タマミの女のいやらしさてんこもりのリアリティーとホワイトナイトのトラジローの嘘臭すぎる紳士ぶりには、そりゃコバルト読者はやられるだろうなぁ。 ともあれ、いかにもありそな陰険な女同士の派閥争いに、あぁもう学校とか行きたくないなぁ、と思った私でしたとさ。6点。


cover■ ユキのバースディシアター  (90.08/サンリオ)

 今日はユキちゃんの10歳の誕生日。お父さんお母さんからユキちゃんに素敵なお話のプレゼント。その話にはひみつとドキドキが……。と、入れ子構造になっている小説。
 第1話は綾辻行人と知り合いになったことからつくられたミステリー仕立ての奇想天外な作品。第2話、第3話はいつもの谷山さん。人形と鏡と時計への偏愛が綴られた意味があるようなないような、不可思議な幻想小説。 それぞれの物語がまるで夢の中の出来事のようで、物語に落ちていた様々なエピソードが意味があるのか意味がないのか最後までよくわからない。それらが暗号のごとく散らばっては、奇妙な符号を見せる。これがなんとも不気味で心地いい。 それらが最後のどんでん返しに繋がる。
 ラストのための小説といえるかもしれないが、とはいえ最後で全てが了解されるのか、というとそうでもになく、やっぱり不気味で理解不能の部分がどっさりと読み手には残され、なんとも薄ぐらーーい気分になります。 夢見るはずのない人形の見ていた夢を私たちは見せられていたのだそうですが……。
 何かの象徴であろうシャリクという名の美しい少年、合わせ鏡のようにいくつにも散らばるユキという名のわたしたち、世界の中心を貫く巨木、希妖精果樹。……。モチーフを見るに実に彼女がよく使うものが多い。 希妖精果樹はたぶん「きみが見ているサーカスの夢」の夢影樹に近いものだろう。7点。


cover■ ボクハ・キミガ・スキ  (91.06/集英社コバルト文庫)

 まるで風のように透き通った少年、ナオ。けれども彼のやることといったらまったくわからないことばかり、親友の一樹の恋人にわざとちょっかいを出したり、でもわたし、ルゥはナオの秘密を少しずつ知るようになり……。 って、えーーっとつまりはやおい小説です。一樹に振り向いて欲しくてわざとしてはいけないことばかりしてしまうかわいそうなナオくん。それを見つめるルゥ。と。 ま、ノンケに恋した報われないホモと、なぜかそれについてまわるオコゲの話といえなくも……ゲホガホゲボ。え、俺なんかいった?
 谷山さん曰く、とにかく恋愛小説を書きたいという思いで作られた作品だそうで、まあ、確かにじとっとしております。 あ、ちなみに「きみの瞳につまずいたネコ」と世界は同じ。主人公達の通っているのはおんなじ緑が丘高校だし。喫茶店「ミス・マープル」もトラジローくんも出てきます。ちょうど前作から1年後という設定っぽい。 「きみの瞳に〜」と「ボクハ〜」の2作は非常にコバルトテイストな作品。この路線で書きつづければヒット作家になるのも難しくないんじゃないかな、という。「緑が丘学園シリーズ」とか銘打っちゃったりなんかしてさ。 とはいえ、この路線はここで打ちどめ。同名タイトルのアルバムも同時期にリリースしておりますです。これは傑作。6点。


cover■ 悲しみの時計少女  (91.11/サンリオ)

 横浜は元町の商店街の喫茶店で元恋人と待ち合わせをしていた谷山浩子――ふと手首に目を落とすと腕時計をしていないことに気づいた。寝るときも時計を外さない私がどうして……。店内を見回しても時計は見当たらない。あぁ、時計、時計、時計はどこ……。 そして谷山浩子の時計をめぐる悪夢のような冒険が始まる……のだが、うわーーーー。凄い話。凄い話だけれども、全然説明できないぞ。
 いうなれば「な、なんと、東京で売れない歌手をしている谷山浩子さんはその裏で、鎌倉に巨大な時計屋敷を作り、若い男をさらってはサカナ男に変え、塩焼きやムニエルにしておいしく頂き、美少女をかどかわしては拷問にかけ、 時計に体の隅々まで切り刻ませて、最後は時計少女にしてしまうという陰惨な悪事を働いていた、大悪党だったのでした」というお話なんですが、よりわけわからんね。
 「電報配達人がやってくる」以来、"夜に読む童話"という感じで、妖しく不気味で、読んでいるだけで異世界に取り囲まれて、後戻りできなくなるような作品をサンリオで書いてきた彼女だけれども。その決定版といっていいんじゃないかな。 これこそ谷山浩子だ、という、間違いなく谷山浩子の小説では最高峰の作品と私は薦したい。 見てはいけないものを見てしまったというか、思い出してはいけない記憶を呼び起こしてしまったというか、そういう人の心の禁忌に触れる作品。
 不気味で心の襞を撫で上げる時計たちの数々。スティグマリアの森の鳩時計少女、山奥の砂時計老夫婦、ヨモリ時計店の無差別監禁時計……。それぞれがとても怖いのに魅力的。 また「わたしでないわたし」というテーマもやっぱり、怖いです。ネーミングマニアの大船観音にはちょっと笑ったけれどもね。私も名づけられたいぞ、と。 ちなみに綾辻行人の「時計館の殺人」と兄妹の作品、とのこと。同時期のアルバム『歪んだ王国』には「悲しみの時計少女」「時計館の殺人」という曲が収録されております。9点。


■ きみが見ているサーカスの夢  (92.06/集英社コバルト文庫)

 学園から生徒が忽然と、そして次々と姿を消していく。一体誰が、何の為に。失踪した生徒は計100人。学校中が騒然とする中、悪夢のような真夜中のサーカスが始まる……。
これもよく出来ているなぁ。初期のコバルトシリーズが別マとかフレンドだとしたら、これや「ボクハ・キミガ・スキ」はLaLaとかプリンセスかな。 同じ少女向けでも年齢層、オタク濃度、ファンタジー度すべてにおいて若干高め、という作品。谷山浩子の歌が好きという腐女子の方でも安心して楽しめる作品になっております。
 現実の世界の向こう側に、現実とそっくりの夢の世界があって、現実を生きる人はみんな夢の世界に自分の鏡像をもっていて、それは夢の影といって、それは現実の私と繋がっていて、という全体の設定をはじめ、夢世界と現実世界を繋ぐ巨木の夢影樹とか、 夢世界への行き来が出来る能力を持つ金髪の美少年水丸塔也――しかも主人公羽鳥彩より年下の叔父という設定、とか、両生類図鑑マニアの山村真希とか、 事件の鍵を握る薄気味悪い「キョーフの人形少女」織沙月とか、 なんというか、ひとつひとつが非常にちょい腐女子寄りなファンタジー系少女漫画というか、頭の中のビジュアルは完全少女漫画で読んでしまいました。 このラインで小説書くのもアリなのでは ? こなれているし、よくまとまっている。人に好かれやすい非常にヒット感度の高い作品です。
 とはいえ、不思議少女、織沙月は鬱陶しい。改めて読み返して迷惑なやっちゃな――と思ってしまった。 ネットによく徘徊している押しつけがましい自称メンヘラーみたいなキャラです。7点。


cover■ 少年・卵  (93.06/サンリオ)

 うわぁ。これもまた不気味な物語だなあ。 何かに憑りつかれて、まるでからくり人形のようになって壊れた柿ノ木一家。それを知った柿ノ木朝也の恋人、川村鳥子は彼らを救うため柿ノ木家に訪れるのだが、柿ノ木家はもはや人智を超えた奇妙な世界を作り出していて、訪れる鳥子の現実感もしだいに溶解し、不思議な世界へと迷い込んでいく。……。
 これは「わたし」を巡る冒険だな。もしも「わたし」だと思っている「わたし」が、「わたしでないわたし」の生んだ影にすぎない存在 ――何かの理想や隠された一面の象徴にすぎないとしたら、じゃあわたしはいったい何者なんだろう――という非常にノイローゼチックなメタフィクションですね、はい。
 この物語に出てくる人格たちは全て「川村鳥子」という人格の作り出したもう一人のわたしということなのだろうが、非常にこれまたもやもやする話。谷山浩子ってなんでこんなにリアリティーのある悪夢を描写するのが巧みなんでしょうね。
 ちなみにラスト「鏡はどこ?」と鳥子が混乱する場面は後に「鏡」という歌でリサイクルしているように見える。8点。


cover■ ひとりでお帰り  (94.02/集英社コバルト文庫)

 生まれてからずっと孤独を心に飼っていた少女、アリス。そんな彼女にはじめて友達ができた。山川美保、彼女はまるでアリスを鏡写しにしたようにそっくりの心を持った少女だった。はじめての「わかりあう」という行為に、アリスの心は明かりが灯ったよう。 しかし、美保にタケルという恋人がいるということを知り、微妙にアリスの心はゆれる。水曜以外の毎晩、美保に会っているというタケルに、アリスは何故かこんなことをいってしまう。「水曜日の夜をわたしにください」。……。
 この話は、結構好きだな。良質の少女小説だと思う。あらすじを聞くだに、よくある少女漫画みたいな三角関係恋愛モノだし、結末も結局何事もないところに収まってしまうんだけれども、主人公のアリスの孤独感に物語の軸が置いてあるので、陳腐という印象は全然しない。 思春期ってどんな人が近くにいてもいつもひとりのような気がして、いつも悲しくって淋しいんだよなあ。とかそんなことを思い出してしまった。秋から冬にかけて、夜更けに、アルバム『銀の記憶』を聴きながら読むと、いいね。これは。甘い寂寥感がひたひたとおしよせてきます。タイトルになった「ひとりでお帰り」という曲も名曲です。8点。




2005.07.14
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