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谷山浩子という歌手ほど不思議な立ち位置の歌手というのもそうはいないだろうな、とわたしは思う。 ヒット曲やベストセラーといったテレビで取り上げられるような取り立てたエポックもなく、谷山浩子という歌手を知らない人は世の中たくさんいるだろうし、とはいえ音楽誌などで取り上げられるような、そういった筋だけ通じる、マニアックなサブカル的メジャーというわけでもない。 いわゆる音楽マニアにでもなく、メディアの向こうのマスにでもなく、という変わったところで熱狂的に支持され、72年のデビュー以来今年で35周年、30枚以上のオリジナルアルバムを出している。 キャリアとリリース作品数だけでいうなら、自作自演系女性歌手でならばユーミンや中島みゆき、加藤登紀子、大貫妙子、矢野顕子らと十分比肩し、むしろそれ以上なのであり、 ベテランも大ベテランでしかも今なお創作意欲も衰え知らず、という凄い位置なのだが (芸歴でいうと五輪真弓と同期で、加藤登紀子は先輩、以下ユーミン、みゆきらは全員後輩ということになる) 、いやあ、目立たない。やっぱり目立たない。もちろん大御所然とした風格もまったく感じられない。 たぶん彼女が街をふらっと歩いてもほとんどの人は気づかないだろうなぁ。 まぁ、それは彼女にヒットのひとつもないということもあるのだろうけれども、 それ以上に、彼女のあまりにも少女然とした作品世界に秘密があるのだろうなぁ。 万年少女というか、いつまでたっても成熟しきれない少女の世界というのが彼女の創作する世界の基調で、 この世界を失わない限り、彼女はいつまでたっても若いというか、青いというか、フレッシュというか、そういうことなんじゃないかなぁ、とわたしは思う。 もちろん、ポップスでこういう少女趣味なセンチメンタリズムを表現して鋭い人っていうのは、彼女のほかにも何人かいたけれども、 とはいえ、加齢とともに鮮度が落ち、少女っぽさを出そうとすると痛々しくなってしまう方がほとんどで、 ところが彼女の場合不思議とその痛々しさがいつまでたってもでてこないんだよねぇ。 ここまでくるともはやただの「少女」の範疇を超えた、何者にもゆるがない黄金輝く少女というか、ハイパー少女、というか。 少女趣味の美しさというのは、儚さとうらはらなところがあるから、ややもするとすぐに霧散してしまうものだけれども、 彼女の場合非常に強固なわけですよ。もう、ありえないくらいに。彼女はきっとずっとこのままなんだろうなぁ。 少女趣味を音楽にしたときの最終形態が谷山浩子の音楽なのかなあ、とわたしは思っている。
タイガースのアルバム『ヒューマンルネッサンス』が一押しだった彼女。モロにすぎやまこういちリスペクトなGS調おとめちっくの世界。ニューロック、フラワーチルドレン風味もほんのりとあり。タイトル曲「静かでいいな」、シングル「それでも銀河系はまわっている」あたりは後々の谷山っぽさの感じるふわふわとしてシュールな作品だが、 とはいえ、全体の印象は非常に牧歌的で子供の作品という感は否めません。あまりにも無意識過剰な作り。5点。
B面の組曲はボツになるところをディレクターの直談判によってなんとか収録されたもの。それを「1枚目から好き勝手やっていて先輩は羨ましいなぁ――」と中島みゆきはおもったのだとか。 谷山浩子っぽさはこの時点で満点。初期の世界を知るにちょうどいい名刺的アルバムですね。7点。
A面はいかにも谷山らしい暗黒童話の世界で危なげがない。「鏡よ鏡」「不思議なアリス」なんてもう、"まぁ、谷山さん"ってなもんですよ。「わたしのナイト 闘って死んだ わたしのために死んだ とっても悲しいひと晩泣いたの 涙は出なかった」ってねぇー、もうごちそうさまです。 一方B面がなんとも、今聞くとへんてこ。民謡をモチーフにしたようなメロディーラインもなんだかだし、歌い方も「夜明け前声がやって来た」とかこぶし回しちゃってますよ、谷山先生。や、まぁこれはこれで面白いんだけれどもね。アレンジはクニ河内と瀬尾一三で半分ずつ。7点。
帯コピーは"谷山浩子が今、愛を見つめる"かなんかだったと思いますが、いやぁ、トゥーマッチ。アレンジは萩田光雄、大村雅朗、瀬尾一三、クニ河内、山川恵津子などばらばら。 とはいえ津軽三味線が印象的な「遠い夏」、イントロのスチールパンの音色がいまいち必然はわからないけれども耳に残る「積木の家」あたりとか好きだし、「窓」なんて初期の傑作といいきっちゃうほどなんだけれどもね。 それにしてもやたら不倫の歌が多いのは、これはどういうことなのだろう。帯の云う"愛"ってそういうこと?6点。
真夜中に恋人に向かって手紙を綴っている少女――言葉を重ねていくうちにだんだんと心の奥底に眠っている黒い感情に気づきだして、というA面、 一転B面は外に飛び出し、徐々に自然に癒されていく、という作りになっている。 逆にここまで行きついちゃっているといっそ気持ちいいです。もう勝手にどこまでも黒光りしちゃってくれろ、という。 「もみの木」は早朝すっくと立つもみの木の力強さに励まされるという歌でこれはホントいい歌です。「テングサの歌」は可愛らしい声して地球滅亡ソングで、以後の谷山浩子な感じで素敵。8点。
今作も大島弓子「綿の国星」(――鬱な自分にチビ猫は希望の光だったのだとか)をイメージしてつくられたA面全てが彼女アレンジだが、危なげがないです。またB面のクニ河内アレンジ作も決して悪くない。タイトル作は春愁を感じて物憂く切なく隠れた名曲なのでは ? ちなみにここで元甲斐バンドの長岡和弘がディレクターに。長岡氏はポニキャンを離れる96年まで谷山の担当をつとめることになります。7点。
とはいえこのアルバム自体は全体の印象はうす暗くって内省的。一人きりの少女がとことこと秋の街を散策しているような感じ。孤独なんだけれども、不思議と充実していて、淋しくないという。そのあたりは透明で乾いていて、「夢半球」の頃のようなどろどろとした感じはない。 フックに足る派手派手しさはないけれども、安定したいい作りのアルバム。「時の少女」や「Rolling down」といった醒めない悪夢のような歌も相変わらずいいけれども、「街」や「ジャンク」「ポンピィクラウンの片想い」あたりがこのアルバムの基調になっているかな。ちょっと不可思議でちょっと切ないアルバム。8点。
全10曲中8曲が橋本一子・藤本敦夫夫妻のアレンジで、前作に引き続いた路線だが、なんてったって、このアルバムは派手。幕の内式で「たんぽぽ食べて」「りかちゃんのポケット」「悪魔の絵本の歌」など、色んなタイプの切り札が次から次へと繰り出されます。全曲聞き逃しがない作りといって過言でない。 特にラストを飾る「地上の星座」の星空の瞬きのようなアレンジは秀逸。アナログシンセ時代にあって白眉。綺麗です。9点。
オープニング「人形の家」からして醒めない悪夢という、もう谷山的な世界。 ネパール旅行で得たイメージで作られた歌がちらほらと散見されるのが印象的かな。ジャジーな「バザール」、フォルクローレテイストの漂う「ラ・ラ・ルゥ」あたりはネパールな感じかも。 毒電波な鎌倉ご当地?ソング「花を飾って〜kamakura〜」あたりも欠かせないし、映画「綿の国星」主題歌となった「鳥は鳥に」も切ないし、「風になれ」の機械音のような吃驚アレンジも面白い。 「時の少女」から「水の中のライオン」は"橋本一子3部作"といってもいいかな。 この三枚は、やっと自分のカラーを出せるようになって生き生きしはじめた谷山さんが勢いづいて色んなタイプの札を不作為にバンバン切るのを、橋本一子が仲間内を総動員して一つ一つ丁寧にまとめている、という感じ。音のトーンも統一している。 また全体に漂うそこはかとないプログレ臭もこの時期からしばらくの彼女の世界。ちなみに「キャロットスープの唄」はかしわ哲への提供曲です。7点。
他、普通の恋歌に見えるものも 「あのひと今は 柿の木のかげで 緑の娘の髭を食べてる」(「ほおづきランプともして」)とか「好きよ そういうかわりに 鬼の顔で地面を掘る」(「風のあたる場所」)といった不可思議な描写に??といういつもの谷山さん。 後半は鈴木志郎康、吉原幸子と二人の詩人とのコラボがメインとなるが、これがまた素晴らしい出来。「少女は……」は、怖いです。アレンジャーは石井AQに藤本敦夫がメイン。ちなみに「うさぎ」は野咲たみこへの提供曲。8点。
アレンジャーは「眠れぬ夜のために」でメインをとるようになった石井AQをはじめ、崎谷健次郎、板倉文、倉田信雄、吉川忠英、とバラエティーに富み、彼女のオリジナルアルバムでもっともヒット感度の高い作品といえるかもしれない。 吉川忠英のアコギの音色が美しい「絵はがきの町」、イントロのトイピアノが妖しい「月のかたち」、地球滅亡三部作と本人の名づけた「穀物の雨が降る」「ガラスの巨人」「粉雪の日」もやっぱり良いなあ。 本当に各曲がばらばらで「たんぽぽサラダ」と比べるとそのあたりちょっと落ちるけれども、ヒット狙いで手堅いです。7点。
小説「猫森集会」をNHK-FMでラジオ化した時に作った曲が多数含まれているというが、「逃げる」「お人形畑」「遺跡散歩」あたりがそうかな。 「Moon Song」は昔は退屈なバラードと思っていたけれども、今聞くと結構ぐっと来るものがありますね。アレンジは11曲中9曲が谷山浩子+石井AQ。アレンジはここからはこれが定番って感じかな。6点。
ともあれ既発表曲もほとんどアレンジを変えているので、これもまた押さえとくべき。あ、珍しくアレンジは非AQが多め。この時期にしては珍しい――とはいえいつもの音なんですが。 それにしてもまあ、こんなロリロリで可愛い声でも歌えたんですね。谷山さん。「ニャコとニャンピ」の科白の部分などアイドル声優バリの仕事をしております。個人的には「はじめてのピュンタ」が1番好きかなぁ。7点。
「夢の逆流」は情熱的な佳曲だし、「そっくり人形展覧会」なんて、もうなんというか、あっけらかんとしていて不気味で、これこそ谷山世界という感じ。 後半部分は更によくって、一曲も聞き逃せない。「天の貝殻」(菅原やすのり提供曲)は東洋的なメロディーに説話のような切ない世界観の詩が素敵だし、続く「かくしんぼ」「鬼こごめ」(――これらの曲は楠桂のイメージアルバム「楠劇場」で使われている)はもう、最凶コンボ。おどろおどろしく悲しい説話を読んでいるよう。「鬼こごめ」はベースの音がこれまた妖しいんだよなぁー。 ラスト3曲はちょっと「和」な感じで、これが意外といいんです。他のアルバムとちょっと毛色の違った独特の磁場を持ったアルバムだけれども好きだなぁ。アレンジは石井AQと山川恵津子で半々です。9点。 |
タイトル曲の「冷たい水の中をきみと歩いていく」とか、非常に美しい曲ですよ。はい。フラットな谷山浩子の魅力というか、シンプルな良さがあります。あぁ、綺麗なメロディーラインだなぁ、とかそういう風に純粋に楽しめます。ちなみにこのあたりから詞先から曲先に歌作りを変えたとのこと。アレンジは斉藤ネコと石井AQで半々ずつ。 また「流星少年」と「トライアングル」は八木さおりへの、「LUNA」は斉藤由貴への提供曲。6点。
本当に全曲聞き逃しなしでどれもいいんだけれども、「わたしを殺さないで」の最後の「愛して……」の呟きにぞくぞくしたり、「手品師の心臓」の不気味な心臓音や、「不眠の力」の狂ったようなバイオリンの音色にトリップしてしまいますね、わたしは。アレンジは前作と同じく斉藤ネコと石井AQ+谷山浩子で半々ずつ。10点。
大傑作「王国」から始まって、童話の裏側を見せつけられるような「Eifin」といい、「悲しみの時計少女」の透き通った刃のような切なさといい、「会いたくて」や「時計館の殺人」もいいんだよなぁ。 アレンジは石井AQ+谷山浩子、斉藤ネコ、渡辺等で分担。 このアルバムはラスト「HATO TO MAGI」が終わってまた振り出しの「王国」に戻るっていう円環的な作りになっているんだけれども、それもまた閉鎖的な感じがして、凄くいい。 始まりあって終わりなし、美少年でゴシック浪漫な谷山浩子を楽しみたい方、やおら―の方は是非。これ、歌詞カードも綺麗なんだよなぁ。ほんとブラボーな作品です。 このアルバムをよりよく楽しむには小説「悲しみの時計少女」(谷山浩子著)と「時計館の殺人」(綾辻行人著)も読んでおきましょう。 ちなみに「落ちてきた少年」と「さよならのペガサス」は杉本理恵への提供曲。10点。
前作収録の「HATO TO MAGI」が今作ではフルアレンジで「マギー」として収録されているが、これがちょうど前作と今作を結ぶ臍帯のような役割になっている。「マギー」の扉の向こうは「HATO TO MAGI」になっていて、その先には『歪んだ王国』の世界が広がっている、という感じ。 『天空歌集』と『歪んだ王国』はちょうどカードの表と裏のような関係になっているとわたしは思う。 「マギー」は「楠劇場」から、「やすらぎの指環」は杉本理恵への提供曲。9点。
特に「ひとりでお帰り」から「ガラスのラビリンス」までの前半の流れはもう完璧。これが泣けないという人とはわたしは話したくないです。ホントに。 『時の少女』の世界がほんのすこし大人になった、という感じもするかなぁ。内省的で孤独で街をひとりでとことこ歩いているような、とはいえ、あの頃のようにただそれだけで満たされるという少女ではもうない、という感じ。そこがちょっと大人になったのかな、と。 「Miracle」は西田ひかるへの、「ガラスのラビリンス」は杉本理恵への提供曲。「銀の記憶」は「シロツメクサの思い出」(水沢めぐみイメージアルバム「空色のメロディ」収録)の歌詞差し替えバージョン 9点。
ラストを飾る『七角錐の少女』は絶対的な大名曲だし、かつての禁断の果実が今では直営の工場で大量生産という「楽園のリンゴ売り」のとんでもっぷりもいいし、 小説「悲しみの時計少女」を彷彿とさせる「SAKANA GIRL」はサディストの内面世界に入ったようで気持ち悪くも悲しいし、その他の曲も粒ぞろいなんだけれども、アルバム全体してみるとちょっと落ちるかなぁ。窪田晴男アレンジのジャジーな「Doll house」は斉藤由貴への提供曲。「ふたり」と「子守唄」は楠桂の漫画「人狼草紙」イメージアルバムからです。8点。
マイナー打ち込みでいつもの"僕モノ"の「裸足のきみを僕が知っている」や、妙にエロティックに艶めいたボーカルに(――この声を使ったのは『夢半球』以来では)セックスの暗喩としか思えない詞にドキッとする「夜の一品」、ただひたすら切ない名曲「鳥籠姫」あたりが個人的には好きかな。 夕暮れの光景のような、これまたなんとも云えず切ないアルバムです。 「空のオカリナ」「鳥籠姫」「ハーブガーデン」「ねこ曜日」は岩男潤子への提供曲。7点。
2枚組のオリジナルベスト。今度はライブ音源を中心にしている。「ブルー・サブマリン」(斉藤由貴提供曲)「六月の花嫁」(ロウィナ・コルテス提供曲、柏原芳恵も歌唱)などアルバム未収録楽曲も多数収録。 とくに「森へおいで」の歌詞差替えバージョン(最後、森で少女殺してしまうというのはどうかなと思ってスタジオ録音時にその部分を省いたのだとか)と、斉藤ネコの扇情的なバイオリンの音色が美しい「夢の逆流」、完全版の「アリス」は必聴。 客席からの音は拾っていないが、非常にシズル感のあふれた勢いのある音で、ライブにいった気分になります。 ピアノメインのシンプルなアレンジも好印象。 初心者向けにもいいし、長年のファンにも納得のアルバム。8点。 (※ この画像、ジャケットじゃないですよ、インナーの歌詞カードの写真。何やっいるんだamazonはっっ)
「銀の記憶」以来、ひそかに「切なさ」を追求してきた感のある谷山浩子だが、このアルバムで何かをつかんだな。 「わたしを乗せた舟は わたしだけを乗せて滑りだした これから始まる長い旅の孤独を まだ孤独とさえわからずに」(「岸を離れる日」)という部分はあまりにも切な過ぎる。 このあたりから孤独や切なさをただそのまま描くのでなく、今と過去が交錯するような立体的で客観的な広がりのある視線でもって描いているように見える。寂寥感がひしひしと伝わる作品。9点。
「あかり」「DOOR」「窓の外を誰かが歩いている」というあたりはこの時期の谷山浩子だからこそ、生まれた作品なのではなかろうか。 「キャンディーヌ」や「ドッペル玄関」といった不気味な谷山浩子も相変わらずいいんだけれども、このラインが本当に心に沁みる。 ――僕は鳥じゃないのだから、人なのだから。いろんな荷物を背負って、いろんな傷を抱えて、この地上を這いつくばらなくてはならない。時々つらくなるけれども、僕は鳥じゃないのだから。……。 どんなに世界がおかしくなっても、僕は君の待つ家に帰らなくてはならない。例え魂だけになっても、僕は帰る。……。 ネオ麦茶や酒鬼薔薇聖斗など、狂える少年たちにもぜひとも聞いて欲しい、どんな深い心の闇の奥底に陥っても必ず届く一条の光となるような、そんな一枚。 「Door」は石井聖子への、「おひさま」は岩男潤子への提供曲。9点。
「犬を捨てに行く」は何度も犬を捨てにいくという無限ループの歌だが、視点はあくまで「捨てられる犬」の側にあり、ほとんど永劫回帰という佇まいである。ある意味究極の恋の歌なのかもしれない。マゾヒスティックな愛の形を純化させるとこういう歌になるのかも。 「空からマリカが」はまるで人の心に眠る原罪意識をかきむしるような歌。雪の結晶のように、少女の形をした罪がわたしの元に降りしきる。あの時、彼女はなんといったのか。思い出そうとしても、思い出せない――。恐ろしいのに、美しい歌。 「雨上がりの天使」はフォーク回帰的な作風だが、「君のアパートの 狭い六畳の夢が 街中溢れ出すように」という部分に今までにない実感が感じられられる。 「夢」はひら歌では凡庸で満ち足りた生活を淡々と描写しながらサビで"みんな夢だったなんて"と一転する。なにかの予言のように響き、不吉でありながらどうしようもなく悲しい。 「仇」は無国籍ファンタジー風で手堅く、「わたしじゃない月のわたし」もいつものヘンテコで面白いが、やっぱり、しみじみとしたものがこのアルバムでは光っている。 「さよならのかわりに」は由紀さおりへの、「おもちゃ」は岩男潤子への提供曲。8点。
とはいえ、「星より遠い」は沁みるなぁ。「たった2駅の距離が 今はあの星より遠い」って。 「『もう会えない』という言葉が本当にリアリティを持つのは人生を折り返してからだ。」と谷山浩子。 確かにこの年齢になったからこそ恥ずかしげもなく歌える歌なのかもしれない。 このアルバムは歌手として30年以上活動して、ようやく自らの世界をぐるっと一周したのかな、という印象を受ける。 ノイローゼ気味の人の心をまさしく読んだような「人がたくさんいる」や、「会いたくて」に近いがより断絶が深い「電波塔の少年」、 はじめて実際の意味で「殺す」という言葉を使ったという「ゆりかごの歌」も本当に重くて、掴みが深い。 希望を胸に掲げることは決して容易なことでない。 誰もが思わず俯いてしまうような心の闇をひっそりと抱えている。しかし、だからこそ人はどんな時でも希望をもたなくてはならない。 これが近作の彼女のメッセージなのではなかろうか。 「星より遠い」は沢田聖子への、「パタパタ」は岩男潤子への提供曲。7点。
この作品はいきなり8分越えの大傑作「よその子」で幕開けする。 この曲は多分中島みゆきの「エレーン」を下敷きにしているように見えるが (――谷山は以前エッセイで「エレーン」ほど泣ける歌はないと書いていた) 、開かない窓の向こうで「生きていてもいいですか」と呟く、その向こうをこの歌は歌っている。 「それでも僕は 全ての家の 全ての人の幸せを 祈れるくらい 強い力を持ちたい」の部分から先のパートは一種の宗教的秘蹟といってもいいかもしれない。「どんなよその子も宇宙の子供」という結論は確かにわかりやすい救済だけれども、とはいえ、これが泣けないという人はわたしは信じられないなあ。 他「沙羅双樹」「私は淋しい水でできている」「卵」「空につるされたあやつり人形」「神様」「ここにいるよ」など、 救われない閉塞したアダルトチルドレンの小状況からその向こうを出ようとしている哲学的な楽曲が目立つ。 救済を求めているというか、なんとかその先へたどり着こうとしている。本当に自由になって歩きたい、いや、絶対歩くんだ。そんな意思が感じられる。 「他の人へとつながるわたしの細い通路は 瓦礫や石で塞がれていると 思い込んでいた 私はひとりだと でもこんなに広い 果てない宇宙の中で ただの一度も ただの一瞬も 途切れてひとりだったことはなかった……ただの一度も ただの一瞬も 途切れて一人の人はいない(「沙羅双樹」)」 この言葉にぐっと来る人にとっては、名盤。 「銀の記憶」から始まり「僕は鳥じゃない」からはっきりと顕在化した<自分の小状況をしっかり見つめ、その中で精一杯生きよう路線>というか、 <崩壊後の世界の秩序の再構築路線>はこのアルバムで今の彼女のスタイルとしてしっかり確立されたように見える。 「ここにいるよ」と「あそびにいこうよ」は岩男潤子への提供曲。9点。
このアルバムはいっそのこと「お昼寝宮・お散歩宮」のように芝居仕立ての完全な組曲にしちゃったほうがよかったような気がするなぁ。全体がダイジェストめいてしまっていて、中島みゆきの夜会の楽曲をコンピした「WINGS」シリーズと同じようなもどかしさを感じてしまう。 とはいえ「空の駅」「アトカタモナイノ国」といったあたりはもう谷山節全開といった感じでやっぱりひきこまれてしまう。小ネタみたいな楽曲が多いあたりも特徴かな。ジャケットの金子国義センセの絵が素敵ですね。6点。
前半は「ゲド戦記」固めで、原作への敬意を感じる ( ――ここ、ポイントね ) 良質の無国籍ファンタジーテーマ風の曲がならんでいて、これが、いいんだわ。率直なところ、手島葵の「ゲド戦記歌集」の出来に、あまり前半部分は期待していなかったんだけれども、さすが谷山浩子。ソングライターとして魅力がとかく語られる彼女だけれども、歌手としての力も、相当なものなんだな。再認識。伊達に30年歌手やってない。アレンジも、「ゲド戦記歌集」の優等生的でフックの足りないものと比べると、やっぱり石井AQ+谷山浩子のアレンジは的確。手嶌版と同じ、あまり音数の多くないアコーステックな音なんだけれども、ひとつひとつの音のニュアンスにふくらみがあって、イメージを喚起させる力が段違い。「テルーの唄」も、完全に谷山浩子の歌にしてしまっている。 が、後半一転、「素晴らしき紅マグロの世界」だもんなぁ。「夢のスープ」のピアノのリフも、現実感が剥落していくようで不気味だし。「かおのえき」なんて、これアラビア歌謡じゃないかぁっっ。詞曲アレンジともにサイケデリックそのもの。「毛穴に種まき二毛作」とか、「かおのえき あなたの後ろに迫り来る」とか、全然意味わからん。傑作すぎる。で、ラストはなぜかモンティパイソンの「偉大なる作曲家」。 「ベートーヴェンもモーツァルトもシューベルトもショパンも、偉大な作曲家はみんな死んで墓の中。腐敗して分解して骨」 と、子供みたいな無邪気な声で歌って、最後は、小劇場風の大森博史のナレーション。 なんだこのアルバム。まともにクロージングする気ねぇーーっっ。 「ゲド戦記」モノの歌の延長線上に、「約束の海」とか「海の時間」とか「休暇旅行」とか、ああいう壮大ファンタジー系の曲をつめこんで、もっとわかりやすいアルバムにすれば、メジャーへの可能性があるものを、あえて意味不明な歌をつめ込む谷山さん。素敵です。一生マイナー街道だけれども。 昨年リリースしたベスト盤「白と黒」なぞらえていえば、前半が「白」で、後半が「黒」という感じかな。 「人生は一本の長い煙草のようなもの」や「ポプラ・ポプラ」 (森山良子への提供曲) も地味に佳曲で、聞きどころ満載。ジャケットのオブジェ(――「お昼寝宮お散歩宮」のジャケットイラストなど担当した北見隆さん制作のもの) もカッコいいぞ。まだまだ奇天烈で才気煥発な谷山浩子を堪能できる確信に満ちた一枚。9点。
NHK「みんなのうた」提供曲を中心に自身の作品がよく取り上げられること、またそこにあげられるいい意味でのアマチュアリズムに満ちたユニークな作品たちに、こういうのを自分の作品でやってみたいと思ってもおかしくない。今回「ニコニコ動画」からボーナストラックとして収められた「まっくら森の歌」のアンサーソング?パロディーソング?の「なっとく森のうた」も、その流れでの収録なんじゃないかな(――それにしても、こういう、自分が面白いと思ったものなら色眼鏡なくなんでも楽しんで、吸収しようとする貪欲さ、というのは案外凄い。彼女の作品の鮮度の高さっていうのはここに秘訣があるんじゃないかな、というのは閑話休題)。 実際の映像も、資金を大量にかけて先端技術の粋を凝らした豪華絢爛なCGというものでなく、お手軽でいい意味でチープさが漂いつつハイセンスなのだ。趣味のいい才人が、一人でパソコンの前に向かって一日で作りあげた雰囲気というか、デジタル技術を前提にしながら工房的なアナログ感覚がある。かくかく感と可愛らしく動く映像はまさに動くえほんだ。 ますむらひろしとのコラボも愉しげな「素晴らしき紅マグロの世界」をはじめ、薔薇人となった「キャンディーヌ」(――中井英夫を思い出した)の不気味さ、何気ない東京の夜景がサイケに変貌する「ドッペル玄関」と、絵本といいながらそこにあるのは大人の喜ぶ健全で御しやすい「よい子」の絵本の世界でなく、本当の子供が夢見る極彩色の悪夢が並んでいる。 ほか、NHK「みんなのうた」の映像の収録となった「しっぽのきもち」「まっくら森の歌」「恋するニワトリ」もなつかしい(――「おはようクレヨン」と「そっくりハウス」が未収録なのは権利関係でダメだったのかな?)。また、昔の8ミリフィルムの映像のようにカタカタと動く「ありふれた恋の歌」は、遠い過去に置き忘れた何を思い出させるような切なさが漂っていい。逞しく生きるホッキョクグマを歌いながら、生きとし生けるもの全ての切なる賛歌と響く新曲「NANUK」は傑作だ。 ≫≫≫≫≫谷山浩子・全小説レビュー へ
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