メイン・インデックス歌謡曲の砦>『歌謡曲』が『J-POP』になった時 Extra Time


『歌謡曲』が『J-POP』になった時 Extra Time


きっかけは5月10日の日記に書いたWikipediaの「J-POP」の項目"「J-POP」の語源はFM局『J-WAVE』が発信元" (http://ja.wikipedia.org/wiki/J-POP)というところからはじまる。

前回の対談"『歌謡曲』が『J-POP』になった時"でそのことを知らずに話を進めていたわたしことまこりんとTSUKASA氏(From「J-POP CRAZY」)の二人は、負け惜しみ的に雑談を繰り広げたのだが、そうこうしているうちにまた話はパンが焼きあがるように膨らみ膨らみ……。
「これもまた捨てがたい」とひっそりとログを取っていた私は、この模様のダイジェストをEXTRAとして収録することにした。




まこりん(以下「M」):Wikipediaの「J-POP」項目、見ました?
TUKASA(以下「T」):はい。ちょっとしおしおになった。
M:でも、J-WAVEに関する部分はいいとして他はなんか、ちょっと違くない?
T:J-WAVEの話は「知らなかった」という感じだけれども、それ以外の部分はどうかなぁって。まぁ編集した人の定義だから、それをどうこうってのはないけれども。とはいえいまいち鵜呑みにはできないっつう。
M:音楽的なジャンルによる厳密な線引きとかってちょっと違うなぁと思ってしまう。メッセージフォークは違う、とか、中島みゆきはボーダー、とか。
T:80年代にNMと呼ばれていたものが、いまはJ-POPと呼ばれているっていう。それはちょっと違うしょ。
M:そのまんま一緒だと違うよなぁと、聞き手として素直に思ってしまう。
T:って、それをまさにこの前は話していたわけだけども。「J-WAVEの中のJ-POP」って狭義の範囲だったら、あれでいいかもしらんけど(笑)
M:J-POPって定義的には「90年代以降に日本で作られたヒットを目的に作られたポップス」ってくらいだよね。
T:ジャンルとかあんま関係ない。なんつーか、匂いなんだよなぁ。
M:うん、音の作りから「これは違う。あれは違う」というのはないかな、と。


  ■女子十二楽坊はWANDSだった!

T:暴論すると、90年代のヒットチャートに載ったのは全部J-POPじゃないかと。
M:それはあるね。さすがに演歌は違うと思うけれども。
T:うん。演歌は演歌だ。
M:あと坂本龍一の「enagy fiow」とか。
T:「enagy fiow」は微妙。
M:ボーダー?現代音楽のJ-POPという感じはあるけれども。
T:あの曲は坂本にしてはJ-POP臭はする。って、J-POP臭、ってのも曖昧なんだけど。
M:そう考えると女子十二楽坊も現代音楽のJ-POPかな。
T:あれもそうね。
M:匿名性強いし。
T:ポップだし。
M:J-POPかな、と。
T:即時的に流通すればそれでいいというか、作品内で完結している感じもそうだし。
M:アーティストの主体性ないしね。メンバー代わっても誰も気づかないし。
T:わはは。や、マニアは気づくだろう。女子十二楽坊オタは。
M:って、女子十二楽坊のメンバーは実際13人いたんでしょ。
T:えっそうなんですか。数えたことない(笑)や、一人多くてもわかんねーよあれは。入れ替わっても全然気づかない。
M:確か実際13人で、しかもライブの時期や場所によってメンバーが入れ替わったりする。
T:WANDSみたい。メンバー全員入れ替わってもWANDSですって。
M:あーー。確かにそんな感じだ。ビーイングっぽい。「プロジェクトとしての名前」っていう。
T:わはは、女子十二楽坊はWANDSだった!だから、音の感じが統一されていればいいんでしょっていう。人のマインドは関係ないですよと。
M:そうね。「音源がオリジナル」という考え方。個々のメンバーの身体性とか思想とかはどうでもいいと、音源としてその中で完結していればいいと。
T:その先はオタだけが知ればいいと。んで住み分けが出来ると。で、リスナーのタコツボ化。
M:そう考えると日本のクラシックとか現代音楽も彼女らをしていよいよJ-POP化したといえるかも。
T:あー思わぬところからまたこの前の話に付け足したくなるようなことが出来たですね(笑)
M:思わぬところで広がってしまった。


  ■J-POPの音源至上主義

T:でもリスナーの住み分けができたって、そういうことかも。音源至上主義でパーソナルとかはオタしか知らない。で、大きな市場よりも、小さな細かい安定した市場がいくつもできた、と。それが今、と。
M:そっか。前回、その辺ちゃんと話さなかったんだよね。それに類するテーマで「口パクとJ-POP」って話もしようと思っていたんだよな、あの時。
T:えー、なにそれ。
M:JーPOPの音源至上主義がクチパクを誘発したという話。
T:あぁ。曲があればいいと、その人が歌っているかどうかは別にいいって、そういう話?
M:うん。オリジナルは歌手の肉体にあるというのが80年代以前。だから歌番組は生放送で生歌披露が基本。一方90年代以降はオリジナルは音源にあるって考え方。だから歌番組で肉体がそれに対応できないのならば口パクでいく、と。
T:んーなるほど。音源に全てを捧げるという、そこは転倒しちゃってますよね、なんか。
M:でも電波に乗った時点ですでに「メディア」なわけだから、そこで身体性を尊重といわれても……、という考え方はあると思う。ライブっつったってどうせ聞いているのはスピーカーから出ている音でしょ、っていう。
T:いやぁそういったらそうだけども。
M:既に「メディア」という磨りガラスが何枚かかっている状態で「生の自分」を正確に表現しようとするより、磨りガラスに映る状態を前提にして、そこで完璧なモノを表現するのが正解っていう考え方だってあるだろうし。
T:まあでもそうすると音楽がより無味無臭になっていく感じもあり、受容のされ方として、より「情報」っぽくなっていったというのはある。
M:うん。「メッセージ」というよりも「インフォメーション」。
T:だからテレビに出るときも、情報をきっちり再現することが優先されると。
M:表現するのは「生の自分」ではないわけだから。意味性とかのない「架空の何か」なわけで。
T:情報とか、記号っていう感じ。ただ流れていく・・・こういうものがありますよ、というただそれだけのものが。
M:うん。オブジェのようななにかがそこにあるだけ、という。
T:聴くほうも へぇ、こういうものがあるんだと消費して、次の情報が流れてくる。それで聞き手がどうアクションするとかはないわけ。
M:メッセージじゃないから、インフォメーションだから。
T:何かの作用を期待していない。流れていくことが大事。
M:発信する側も受信する側もただ消費にのみ向かうという。
T:そう考えると、小室のあの詰まりまくったリリースペースって、象徴的だなと。
M:で、その中で聞き手はそれぞれ自分にとって居心地のいい住処を造り上げていくわけで。90年代末期のジャンルの広がり方もまた納得なわけで。
T:小さいコミュニティがたくさん出来てお互いに作用を及ぼしたりはしないと。90年代はまだ「カラオケ」っていうでかいコミュニティがあったんだけどもそれが勢い失ったら実情はいまみたいな感じですよ、っていう。小さいサークルがいーっぱいある。 昔の歌謡曲のように、でかい市場はない。レコード買ってなくてもみんな知っている、というのはない。


  ■理由のみえない「数の論理」の崩壊

M:あのさ、いまいち実感がないんだけれども、あの当時の「カラオケ」ってそんなにみんな必死になって当時のヒットチャートを歌っていたの?
T:うん、おれのときはそうだった。95〜97年あたり、下手したら週2、3のペースで行ったりして。新曲を誰がどう歌うかという。我先にと。
M:カラオケボックスでヒットチャートを再現していたってことなのかな?
T:カラオケボックスがCDTVみたいだったというのはある(笑)
M:それってつまり学校の教室の「ジャンプのまわし読み」と質的に近いかもと思った。
T:あー、近いかも。この前の「ジャンプ」の話に繋がった(笑)
M:わたしは、ジャンプの「数の論理」っていうのは80年代末期から90年代のメジャーな商業芸術のひとつの大きなキーワードだと思っているから。
T:だから90年代のCDバブルってカラオケと中高生が支えたって感じもする。あの頃は歌える新曲を増やさなきゃならんとみんな思っていて。まさしく情報でしょ、受容のされかたとして。「もっと情報くれ!」で、供給するほうもじゃんがじゃんが出す、情報垂れ流す。というのが上手く回っていた気がする。
M:ただそのバブルがなんで崩壊したのかそれがいまいちわからないんだよね。ジャンプが部数を減らしてみんなまわし読みしなくなったように、ヒット曲が少なくなってカラオケにもみんな行かなくなった。ジャンプもJ-POPもみんなさしたる興味もないのに、なんとなくノリで消費してそれがずっと続いていたのが、なぜかいつしかみんなそれを忘れて。
T:なんでだろうな・・・それは自分の一つ下の世代にきかないとわからんかも(笑)不況が原因、つったらダメだよな。
M:あとケータイが原因とか、よくいうけれども。
T:ケータイなぁ。まあ暇つぶしの手段は増えたわな。日経エンタ的には「ケータイ料金にCD代が取られた」とか。
M:「今まではメディアを介して個々が繋がっていのが、今はそれぞれを直接に繋いでいる」とか。
T:うん。メディア通す必要なくなったってね。まあどこまで正味な話かわからんが。
M:でもそれが正解だとしたら「好きになった人だけ買う」という適正な位置に戻っただけというそんな気がするけれども。
T:だから、90年代が異常だったというのは思いますね。前回も言ったように、売上で見ても、CD不況だといっても90年代を抜かしたら違和感はないし。ただ、なんであの狂騒が終わったのかはわからん。狂騒はいつか終わるものだけども・・・。


  ■歌番組が消えて、みんなの知る歌がなくなった

M:ただソフトの売上は80年代以前に戻ったとしても当時はテレビやラジオを通してみんな知っている曲というのがたくさんあったわけで。
T:うん、戻ったといっても80年代以前とはまた違う。
M:いまはみんなが知っている曲というのがまったくないという状態だし。
T:あの、昔って、100万枚売れていたらその何倍もの人が知っているだろうっていう感じがするわけですよ。
M:それはそうだね。認知度は売上枚数の×10にも×100にもなる。
T:うん。広がりが桁違いな気がする。
T:90年代からこっちのは、100万枚売れてもそれはその100万人しか知らないだろう。買ってないほかの1億何千万人は知らないだろう。って、この話も前しようと思って忘れていたな。
M:J-POPはいっても×5くらいだよね。普通で×2、3くらい?レンタルとか、友達の貸し借りとか、家族とか含めて色々含めてもそれくらいかな。と。
T:正味な数字はわからないけど、早い話大人も子供も、ってのはほとんどないわけだし。ラルクとかグレイとかの曲を上の世代は知らないだろうと。
M:ビジュアル系は特にその傾向が強いね。
T:だから、99年の年間1位が宇多田の「Can You Keep A Secret」です、とか言われても、上の世代はほとんどシラネーヨっていう。98年の年間1位はGLAYの「誘惑」です、とか言われても、国民的なヒット曲かつったら違和感があるでしょう。何百万枚売れていても。
M:知名度とセールスってとかく微妙にずれるものだけれども、90年代からはそういったズレを確かに強く感じるようになる。
T:だから前の対談で、俺が「不思議だ不思議だ」って言っていたじゃないですか。歌謡曲の匂いが消えたのが不思議だって。
M:あ、そういった知名度的なところの話だったの?聞いていてそのあたりはよくわからなかった。
T:あのとき自分もちょっと混乱していたんだけども(笑)そういうのもあるわ、今思うと。何百万枚売れていても知らない人はほんとに知らない、っていう。
M:それはやっぱり歌番組よ、と私いったじゃん。
T:やっぱそうか。でも歌番組あるじゃん。「うたばん」とか「HEY ! HEY ! HEY !」とか。
M:質的に違うよ。「夜ヒット」とか歌手のラインナップとか見るにボータレスだし。森進一とTMネットワークと光GENJIが、一緒に出演して、メドレーで持ち歌歌いあったりするわけだし。
T:あれは楽しかったよね。
M:うん。でも今の歌番組はそうじゃないじゃん。売れていてもMステには氷川きよしくん出ないし。
T:視聴者もそのアーティストのオタが、そのアーティストのところだけ見る、って感じ。
M:歌手にしたって新曲のプロモーションで出ているだけだもん。
T:「夜ヒット」なんかは年末のFNS歌謡祭とかあれを毎週やっていたようなものだからね。
M:「夜ヒット」は純粋なプロモーションだけで出るわけじゃないから。新曲なくても、アルバム曲歌ったり、B面歌ったり、企画で出演という準レギュラーみたいな人がいっぱいいる。
T:「夜ヒット」で、マンスリーってありましたよね。1ヶ月ずっと出る。ありえないもんね、今。
M:そうそう。あそこで色んな企画をやったりするんだよね。ロック・NM系も番組が2時間になってからは結構積極的に出演して色々やっていたし。別スタジオでライブをやってみたり、ってこれは「HEY ! HEY ! HEY !」のプロトパターンだな。 あと色んな合体企画ね。久保田利伸+田原俊彦の「It's BAD」とか、明菜+陽水+安全地帯の「飾りじゃないのよ涙は」とか。
T:あ、明菜のは総集編でみた。
M:あとハウンドドック+アルフィーの「フォルテシモ」と「SWEAT&TEARS」とか。
T:なんじゃそりゃ(笑)すごい並びだ。みてぇ。ともあれ当時の小さな集合を括る大きな集合っていうのかな、それが今はなくなった気がする。
M:紅白とベストテンと夜ヒットとレコ大、これらの番組がバラバラになりそうな日本のポップスを実質的にまとめてひとつの大きな「歌謡界」を作り出していた、とうのはあると思うよ。
T:そうかー・・・バラバラになっちゃったんだ。いまそういうクロスオーバー感が味わえるのはせいぜい年末番組ぐらいだもんね。


  ■マーケティングの末の「住みわけ」

M:今は歌番組ですら、年寄りは「歌謡コンサート」、若者は「Mステ」って完全に分かれちゃっているし。そういった「ターゲットを絞る」という番組構成がまさしく90年代的なんだけれどもね。
T:やっぱり「住み分け」っていうのがキーワードだったんですね。自分の中での「J-POP」にとっての最大のキーワード「住み分け」と、まこりんさんの「歌番組消失」のテーマが繋がったなあと、今思った。
M:それはつまりマーケティング志向ってことだと思う。90年代からこっち発信する側が「マーケティングの呪縛」にとらわれているというのは実に大きいと思う。
T:確かにいまはどこ狙ってるって分かりやすいの多いな。
M:そうしないと企画が通らないんでしょ。昔のように絶対「お茶の間」を想定しては作っていない。老いも若きも男も女というターゲットじゃ、なんも商業的戦略を練っていない、ってことで却下されるんでしょ。きっと。でも昔の歌番組とか歌謡界ってまさしく「お茶の間」だから。
T:なんかノスタルジー・・・。まあ、細分化すればするほど、全体の勢いはなくなるわけでそういう意味では、いまの状態って必然な気もする。
M:うん。「お茶の間」を再生する以外に以前の勢いって言うのは難しいかもしれない。翻っていえば"「お茶の間」を失って「歌謡曲」は「J-POP」になった"ともいえるわけで。
T:あ、なんかまとめっぽい一言。
M:そんな感じで。






と、このあと話は「お茶の間をターゲットにするドラクエ」と「お茶の間を否定した以後のゲームたち」というよくわかるようなわかんないような話へと飛躍するのだが、ひとまず歌謡曲とJ-POPに関する話題はこれまで。


2005.05.14
音楽よもやま対談集のインデックスに戻る