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対談 『歌謡曲』が『J-POP』になった時


 ―前文―

今年の4月の中頃、はじめて私ことまこりんが「J-POP CRAZY」のTSUKASA氏とチャットしたのがきっかけだった。
―――まぁ、率直に言えば、面白かったのよ。真夜中過ぎに始めて朝の七時までずーーーーっと、チャット。いったい二人して何をやっているという。 「打てば鳴る」といった具合に話がどんどん膨らんでいく。まあ、もちろん至極くだらない話もいっぱいしたけれどもね。「ギャラクシアン」でリセットボタンを連打すると「ナウシカ」が流れるとか、そんなのも含めて、まるで初めてのチャットとは思えないくらいに話が弾んでしまった。
で、まぁ、こういった些細な幸せをサイトにフィードバックするにやぶさかでない私としては、すぐに三日後ぐらいには何個ものテーマで「対談企画」を立てていたという―――こういう企画を立てる速度というのだけはわたしはめっぽう早い、それがなかなか結実しないんだけれどもね。 で、これをずうずうしくもTUKASA氏に提案するに速攻で快諾。私のこっそりたてた企みはあっけなくTSUKASAさんとの共犯にと相成ったわけだった。

そして、何個かの提案のうちで「まずお互いのサイト名にもなっている『J-POP』と『歌謡曲』についてのテーマ」をということになったわけなのだが、さてさて、ではどうなったか。それは読んでのお楽しみということでそれでははじまりはじまり――。




まこりん(以下「ま」):「まこりんのわがままなご意見」のまこりんです。そして……
TUKASA(以下「T」):えー、こんばんは。「J-POP CRAZY」のTSUKASAです。
ま:今回は対談形式ということになったわけですけれども。先ほどから緊張しとるとか言いとります、TSUKASAさん。
T:ははは。緊張しますよー。歌謡曲サイトの重鎮を前にして、対談などと。
ま:いやいや。そんな、もう。自分のサイトよりもユーザーが多い管理者に言われてもピンとこない。というより、褒め殺しだ。
T:いやいや・・・。至らぬところありまくりですが、よろしくお願いしますね。で、今日のテーマなんですが、 「『歌謡曲』が『J-POP』になった時」という。
ま:はい。これは、TSUKASAさんと以前チャットした時に、なんかお互い気が合うなぁというか、 通じるものがありまして……まぁわたし的にですが。
T:や、自分も自分も。以心伝心っす。
ま:それで、なにかチャットでなく対談のようなものを、というか実のある語りができたらいいな、と。
T:ありがたいことです。で、そのテーマとして選んだのが、まこりんさんのサイトの音楽コーナーが「歌謡曲の砦」で、わたしのサイトが「J-POP CRAZY」だということで、 「『歌謡曲』が『J-POP』になった時」、と。
ま:そう。まぁ初手としてちょうどいいテーマかな、と。
T:もうぴったりなテーマなんですけど。でも、いきなり深いですね、これは。非常にディープな。
ま:でも、前回チャットで話したときも結構色々な話題が出たじゃない。
T:ああいうノリでくっちゃべってみる、という感じでいいんでしょうか。
ま:うん。まぁ第1弾ということで……ニヤリ。


  ■「J-POP」って何!?

T:んで、このテーマからいくとまず、「歌謡曲」とは何か、「J-POP」とは何か、という話になるんですけど。
ま:そうだね。
T:まず「J-POP」っていう言葉が、すごく一般的に使われているわりに、 実体がはっきりしないことこの上ない言葉なんですけど。 まあ、そんな言葉をサイトの名前にしているんですが(笑)自分。
ま:わたしは正直言って「J-POP」って言葉あんまり好きじゃないのね。
T:っていう人は多いですね。
ま:非常にフィクショナルな概念だと思う。まさしく実体がないというか。
T:「J-POP」ってなによ?って言われたら、説明できないですよね。具体的には。
ま:うん。……そもそも、この言葉っていつ生まれたものなの?TSUKASAさんはいつくらいにこの言葉を知った?
T:CDが非常に売れるようになった94年〜95年あたりには、もう「J-POP」って言葉があったように記憶しているのですが。  いつのまにか浸透してましたよね。 最初はレコード屋が使い始めたって話もある。売り場のジャンルを分けるのに。
ま:94年頃ってもう「J-POP」って言葉あったかぁ……?
T:あれー?記憶違い?
ま:いや、別冊宝島(1998年から不定期に刊行されている、「音楽誌が書かないJポップ批評」シリーズ)の頃 にはもう定着していたけれども、いまいちいつくらいからというのはわからないんだよねェ。
T:小室全盛期にはもうあったですよね?
ま:あった。
T:じゃあやっぱ90年代中盤じゃないですかね。
ま:Jリーグの発足後ってことは確かだと思う(笑)。なんとなくだけれども、語感からいって。
T:あ、それいま言おうとしてた(笑)Jリーグに端を発しているのは間違いない。
ま:あれって93年?
T:そうです。
ま:じゃあ94年説は濃厚だな。
T:だといいんですけど・・・。
ま:その前に「ガールズポップ」という言葉が一時期出てきたじゃん。
T:ありましたね。ソニー系の雑誌が流行らそうとしていた。
ま:谷村有美とか、あのあたりだよね。
T:そうですね。93年あたり。永井真理子とか森高千里とかもそこに括られていた。
ま:いたなぁ。今考えるとゲッツ90年代なラインナップ。
T:なんですかゲッツ90年代って(笑)。
ま:いや、なんとなくフィーリングで。「でら」みたいなもので。
T:「デラ」って「デラべっぴん」とかしか思いつかないです。
ま:名古屋人を敵に回すな〜。
T:わはは。っていかん話が逸れていく。
ま:で、だ。言葉の派生的には、「ガールポップ+Jリーグ」ってところなんじゃないかなぁとは思ったりする。
T:それは新説だなぁ。Jリーグ説は一般的だけども、ガールズポップかあ。
ま:なんか浮わついて実体のない感じが、ガールズポップとJ-POPで被って見えるのよ。 どちらもメディア側が作った造語っぽいし。
T:あー。まさに90年代初頭な、バブリーな感じが。
ま:トレンディドラマという感じ。


  ■J-POPの始まり=ビーイング?WINK?

ま:で、TSUKASAさん的に「J-POP」だなぁと思う、象徴するアーティストというか、 これはJ-POP以外ありえないと初めて思ったアーティストとか。そういうのって具体的に挙げるとしたら誰?
T:あー、それはもう圧倒的にビーイングですね。ビーイングのあの音。
ま:それはどういった点から?具体的に。
T:んー、そう言われると言葉に窮するのが、「J-POP」という言葉の実体のなさたる所以なんだけども・・・。 ちょうどその93年ってビーイング大ブレイクだったじゃないですか。
ま:そうだね。
T:WANDS、ZARD、T-BOLANに、REVやらZYYGやらDEENやらなんちゃらかんちゃら。
ま:浮き草……。
T:もうこのアーティスト名の実体のなさからしてもう、J-POPだなぁという感じなんですけど。
ま:TSUKASAさん的にはそのあたりかな、ってわけね。
T:あとあの、徹底的に凸凹を研磨して聞きやすくした感じの音というのかな。耳障りにならない、覚えやすい、カラオケで歌いやすい。 一方で、アーティストのエゴとかは全く感じない。WANDSとZYYGと入れ替えたっていいじゃねえかという。
ま:商品として徹底した姿勢があったよね。
T:あれがJ-POPの原点という印象がある。
ま:なるほど。
T:でもそれは自分の勝手な印象で、「J-POP」のイメージって人それぞれだと思うんですよね。 音楽的にどう、ってもんじゃないから。
ま:またそうやって逃げる。人それぞれって言っちゃおしまいでしょ、もう。
T:や、逃げではなくて(笑)。定義なんか未だに出来てないでしょうという。
ま:そうなんだけれども。
T:日本の曲ならJ-POPじゃんみたいな。そういう乱暴さがあるな、この言葉は。
ま:それを言われると私がなにも言えなくなる……。
T:や、まこりんさんはどうなんですか?まこりんさんの「わがままな意見」は。J-POPに関して。
ま:語ろうと思っていたところ。あのね私が振り返って、「J-POP」だなぁと初めて思うのはWINKなの。
T:ええっ。
ま:もちろんWINKの頃はその言葉自体なかったんだけれども。
T:ないですよね。
ま:なんか今までと違う、と。こりゃ別物だなと思った。
T:へえ。それはなんでですか?自分もWINK大好きでしたけど。
ま:WINKって89年頃ブレイクしたんだけれども、誰もクラスに「WINKのファン」っていなかったのね。 ファンじゃないけれども聞き心地がいいから聞いている、という人ばっかだったの。こりゃ変なモンが出てきたなぁと。
T:あー。  
ま:アイドルとしての人気ではなかったのよ、彼女らって。例えば同時期の工藤静香や中山美穂なんかとは全然違ったわけ。
T:自分はまだ小学校の低学年だったから、そういうのは分からなかったな。
ま:もうその頃になると、アイドルも自己プロデュースするのは当たり前、自分の意見を言うのは当たり前って世界で。 それにどのようにリスナーが共感するのかというところで人気が左右されていたのね。
T:あーキョンキョンの流れですか?
ま:そう、82年組の流れ。
T:その流れでいくとWINKは全然違いますね、それは。
ま:うん。曲の完成度というか、滑らかさ、聞いて邪魔にならない品質の良さで勝負、 本人の意識とかそういったものはまるで無視という世界。
T:お人形さんをデフォルメして、ユーロビートを歌わせるという。
ま:そう。
T:全然同時期のアイドルと違う流れですね。
ま:まぁ荻野目洋子なんかもその流れの一種だと思うけれどもね。
T:「ダンシングヒーロー」ですか(笑)。
ま:カラオケで歌われまくり、曲はどれもそこそこヒット、でもファンはいない、という構図。
T:ああ、90年代だ、まさに。
ま:荻野目は安室のプロトパターンだと思う。ライジングでユーロビートで本格ダンス
T:そこが繋がってるとは全く思わなかった(笑)。さすがまこりんさんだなぁ。
ま:二人とも小室哲哉作品あるし、荻野目がナラダ・マイケル・ウォルデンのプロデュースを受けている一方、安室はダラスオースティンってこのあたりも対応しているし。
T:あー、ほんとだ。凄い。
ま:荻野目の「流行歌手」と「ノンストッパー」ってアルバムを聞いてから安室聞くと、被り具合がよくわかると思うよ。
T:「TRY ME」とかはその流れだったんだ、じゃあ。
ま:アレは平さん(=平哲夫:元ライジング社長)は狙ったんだと思う。
T:うーん、勉強になった。
ま:て、まぁ荻野目とかWINKの流れ――ファン少なめ、歌手としての主体性低め、そのかわり品質がめっちゃいい。 商品としてしっかりしている――こりゃなんか違うなぁ、と思ったのが最初。
T:私とまこりんさんの、J-POPに対するイメージで共通しているのはそのへんですね。
ま:うん。そのあとにビーイングが来て、ライブしない、テレビ出ない、どんどん実存が希薄になって。 で、「J-POP」という言葉を知って、あぁ「WINKってJ-POP」だったんだぁ、という。
T:なるほど。そのビーイングがブレイクする中で、「J-POP」という言葉がくっついてきて。 より実体のない、ぼんやりしたイメージが、「J-POP」という言葉で括られるようになった、という。
ま:あ、一応言わせていただくと、荻野目は当時聞いていて、Winkほど「違う」とはさほどは思わなかった。 さほど大ヒットもしなかったし、岩崎宏美あたりの「実力派」ということで当時は処理していた。荻野目に関しては「今思うと」という感じ。リアルで感じた違和感はWinkから。
T:やっぱWINKなんだ。
ま:荻野目はWINKと比べるとざらざらしている。ギラギラと歌謡曲という感じ。
T:WINKより本人の色みたいのはありますしね。
ま:ただ、傾性としてそっちというのは確かにある。荻野目のそのあたりはいまだに安室が歌謡的ギラギラさを持っているのと同じだと思う。 今の安室って、完全洋楽志向ながらも、でこぼこしているでしょ。
T:そうそう、曲は完全に洋楽なんだけども、洋楽じゃあないんですよね。
ま:とはいえJ-POPじゃない。
T:ドロドロしている。
ま:あれはやっぱり歌謡曲なんじゃないかなぁとわたしは思っている。


  ■80年代=「歌謡曲/ニューミュージックの時代」を検証する

T:いまだに歌謡曲っていう匂いだとか、エッセンスっていうものは確固としてあるわけですけど、 90年代からいつのまにか、「J-POP」っていう言葉で全部括られるようになったでしょう。
ま:うん。
T:で、80年代までは、フォークとニューミュージックとロックとアイドルとか、メジャーとマイナーとか、 そういうジャンルの線引きというか。ロック畑の人が歌謡曲を嫌ったりとか。そういう線引きがはっきりしていたわけですよね。
ま:でも80年代にあったメイナーとかメジャーとかそういった枠組って、端的にいえばつまり「ニューミュージック」対「歌謡曲」 って構図だったと思うのよね。たださ、「ニューミュージック」自体が今の「J-POP」と同じ、非常に 曖昧な実体のない概念だったのかなぁと、今振り返ると思ったりする。
T:送り手が作った言葉ですよねあれも。ユーミンだっけ。
ま:一説にはね。あと音楽評論家の富沢一誠とかあのあたりとか。 ただJ-POPと違うのは、メーカーや流通発の商業的な「商品としての」差異というよりも、直の製作者発の「作品として」の差異という意味合いが強いかな。
T:「ニューミュージック」って、70年代のフォークでも演歌でも歌謡曲でもロックでもない音楽だ、 ということでそういう呼び方を提案したってことですよね?
ま:確かに最初はそうだったけれども、最終的には「歌謡曲」でないモノは全部ニューミュージックと言われるようになった。
T:ロックも?
ま:坂本龍一もさだまさしも矢沢永吉もニューミュージック。全部同じハコ。
T:ああー。その、何を言おうとしていたかというと、その「ニューミュージック」の発端に比較すると、 「J-POP」ってのはそんな確たる意味付けもない、ということを言おうとしてたんですけど。でもその、 全部ひっくるめてニューミュージックになっていったという話は、J-POPに通じるものがあるなあと。
ま:まぁ、根拠の希薄さに関してはほとんど同じだね。「J-POP」も「ニューミュージック」も。実際ニューミュージックも「なにを持ってニューミュージックなの?」という壁に、その言葉が生まれてから すぐ至るようになったようなのね。
T:つーか、非常に都合のいい言葉だったんじゃないかという。
ま:作家で区別といっても、74年に森進一「襟裳岬」がヒットして以降、ばんばんNM系の作家による歌謡曲のヒットが出てくるし。 じゃあ、音楽的な志向っても、色んな畑の人がいて統一したものは出せないし。 結局『自作している人はみんな「ニューミュージック」』みたいな世界になっていく。 昔の富沢一誠のテキストとか読んでると面白いのね。なにをこの人こんなムキになって、ニューミュージックか否かを区別しているの?と。
T:ははは。
ま:ほとんど精神論の世界。太田裕美は自作しているけれどもあんなのは歌謡曲だ、とか、井上大輔はもう歌謡曲は書かないといっているから注目、とか。
T:わはははは!ファシズムだな。
ま:ニューミュージックのセクト化。
T:でもニューミュージック/歌謡曲という対立構造というか、線引きはあったと。
ま:それは、テレビに出ているか否か、ってことだったんだと思う。今考えれば。
T:「ザ・ベストテン」に出るか否か。
ま:そう。「夜ヒット」とか「ベストテン」に出る人か否か。富沢一誠もレコ大とかベストテンとか紅白とか、むっちゃ気にしているの。当時のテキスト見ると。 歌番組のなかでNM系アーティストがどのような位置にあるかと。
T:それでうっかりテレビに出演していたら・・・。
ま:武田鉄也の刑ですよ。
T:武田鉄也の刑!?(笑)どういうんですかそれ。
ま:「母に捧げるバラード」だっけ?アレで紅白に出たらNM系仲間からハブにされて干されたんだって。
T:わはははは、ハブ(笑)。切ねえ〜。
ま:で、吹っ切れて「幸せの黄色いハンカチ」とか「金八」とか役者を目指したら、歌も偶然またヒットしたという。
T:曲がどうかは関係ねえのかよ!
ま:曲とかは関係ないの。テレビに出るか否か、それだけ。
T:「なんばしょっと〜」とか言ってるからハブられたわけではないんだ。
ま:ははは。
T:この曲はニューミュージックじゃねえ、とか。そういうんじゃないのね。ニューじゃねえとか。
ま:うん。「ニューミュージック=マイナー=活動の場はラジオとライブ」「歌謡曲=メジャー=活動の場はテレビ」、 差異としてはこんくらい。まぁNMって言葉はある種今までの「歌謡曲」のアンチテーゼとして生まれた概念であったはずなんだけれどもね。 だからフォーライフとか自分たちでレコ社作ったりとかするわけで。
T:でも陽水も拓郎も結局歌謡曲側っていうか、コミットしてるわけですよね。
ま:というか、井上陽水の所属事務所はホリプロだし、ディレクターは山口百恵と同じだし。全然根っから歌謡曲じゃんと。
T:うーん。自分の考えだと、80年代まではジャンルの差異とか線引きがはっきりあった時代だと考えていたんだけど、そうでもないと。
ま:いや、ただ線引きをしようとはしていたんじゃないかな。だって井上陽水は「ホリプロ」という名前を出したら仕事ができないと、実質ホリプロなのに別の会社の名前で活動していたわけだし。
T:音楽的には線引きが崩れていたけども、構造としてはあったと。
ま:住み分けとして、「メジャーたるべき人」と「マイナーたるべき人」、役割としてそういうのはきちっとあったんじゃないかなぁ。 ただ中身を見てみると、同じじゃん、という。だってよくよく考えてみればジュリーとかだって自分で曲書いたりとかするし。 井上大輔とか、平尾正晃とか歌謡曲作家と思われている人だって、洋楽被れで自作の人だったわけだし。 送り手側が線引きをして、聞き手側がそれを素直に受けとめたというか。 結局フォーライフにしたって、発足して数年でイモ欽トリオとかわらべとか、アイドル歌謡とかをやりだすわけで。
T:わはは。あれフォーライフでしたっけ!?
ま:そう。ニューミュージックサイドにしたって、八神純子・サザンオールスターズあたりを嚆矢にテレビに出まくるようになって。 竹内まりやあたりになると賞レースにまで参加するようになるし。ニューミュージックの「自作でマイナーでテレビに出ない」なんて構図はぶっ壊れて。 でまぁ、それで富沢一誠は精神論に行くわけだけれども――
T:引っ張りますね、富沢さんを(笑)。
ま:嫌いだから。
T:わははははは!
ま:で、一方歌謡曲サイドも、中森明菜とか小泉今日子とかあたりもセルフプロデュースを前面に打ち出すようになって。 吉川晃司とかチェッカーズが出てくると、もうなにがなんやらという感じ。
T:カオスですね。
ま:うん、本当に。線引きがぐちゃぐちゃ。


  ■「歌謡曲/ニューミュージック」は、いかにして「J-POP」になったか

T:チェッカーズはかなり言われた存在ですよね。ロックなのかニューミュージックなのか歌謡曲なのか、と。
ま:ただね、あれはGSなんだと思う。ニューミュージックという概念があったからそう言われただけであって。 つまりフミヤはジュリーと。ショーケンでもいいけれども。
T:新説が次々飛び出すなあ。なんか本人達は相当うざがっていたみたいですけどね。 ロックなのかアイドルなのかとか言われることが。
ま:そのヘンの屈託は、あの時代のセルフプロデュース系のアイドルはみんな持っている。"「フツー」ってなにbyキョンキョン"とか。
T:チェッカーズのデビューって83年でしたっけ。
ま:うん。
T:あの辺にデビューした人達がボーダレス化に貢献しているのかなあ。
ま:それはあると思う。
T:音楽的にはボーダーが融解しているけれども、見方としてはまだ70年代から引きずっている線引きがあって。 それと戦っていたような部分が。
ま:この時期になると、テレビに出る出ないとか、自作する/しないではなく、どういうスタンスでどういう品質の音楽をドロップしていくかという、そういう世界に入っていくようになるわけ。 この段階でJ-POP的な素地は出来てきたんじゃないかなぁ。
T:なるほど。
ま:つまんない退屈な自作よりもハイレベルの職業作家の作品のほうがいいならそっちも歌っちゃうよ、 てなかたちのセルププロデュースがアリになってきた。
T:でも80年代のっていま聴くとニューミュージックだろうがなんだろうが、なんか歌謡曲臭っていうか。そういうの強烈に感じますけどね。
ま:それはあるよね。濃い味だし。エグミというか。主張が強い。
T:歌謡曲と対決している、みたいなのも含めて、歌謡曲の影が濃厚にある。
ま:意識しているからこそ出てきてしまうというか。そういった感じはあるよね。「意味性」への強い希求というか。 あるいは「意味がない」ということを一生懸命主張し――「意味がないという意味」がそこに生まれていたり、と。
T:それはありますね。エゴがある。
ま:直線的な「意味」の一方で、フォーク的なメッセージソングを端緒にした「意味」とは違ったベクトルの「反意味としての意味」なんてのも出てきて……。
T:その、だからさっき言った90年代のビーイングとかの、凸凹を極力なくしたみたいな。そういうのは80年代のものには感じない。 右を聴いても左を聴いても、表現が違うだけで、そういう意味性というのは強烈にある。その凸凹してるところがたまらないんですけど。
ま:80年代はあくまで「反意味」だから。ビーイングとJ-POPになると、意味があるとかないとかそういうことをまったく主張しなくなるから。強いて言うなら「無意味性」というか。 もうなにもない、あるのかないのかもわからない。ただ音だけが流れていく……。
T:だから、80年代のその凸凹感って、何かに対しての発信だったり、カウンターだったり。そういう構造的なものから生まれてると思うんですよ。
ま:それは確実にある。だってユーミンとかYMOの面子とか当時のインタビューとか見ると「なにも表現したいことはない」的なことを必死になって言っているもの。 したいことないのならするなよ、と。
T:意味がない、っていうのがフォーク勢らへのカウンターという意味ですもんね、だって。
ま:そうね。表現したいことがないということを必死で表現していたんだろうね。あれは。
T:それが、その発信する対象がなければ、必然的に意味もなくなり、凸凹感も失われていくわけですが―
ま:そうね。本当に表現することがなくなり、ただ音だけの世界になっていく。
T:そうなっちゃったのはなんででしょう?ビーイングに行き着いたというのは。洗練ということなのかなあ。
ま:ひとまず具象的なところをもう一個言っておくと、「ニューミュージック」と「歌謡曲」という対立がなくなったのは、 簡単に言えば「テレビの歌番組がなくなった」というのが一番大きいと思う。
T:ああー。
ま:89〜90年頃に「Mステ」以外綺麗に消えたでしょ。だからアラモの砦としての「テレビに出るか否か」という判断がなくなって、この概念は消滅した、と。
T:そう、「ニューミュージック」と「歌謡曲」という区分けすらも消えて、これらの言葉が死滅したのがJ-POPの時代でしょう。
ま:そう、みんな並列になって。ポップスになっちゃった。
T:だからそれはなんでかなという話をしたかったんですけど、歌番組かあ……。
ま:その直後に、NM系アーティストのシングルメガヒットの時代が来るわけ。小田和正の「ラブストーリーは突然に」をきっかけに。
T:ユーミン、中島みゆき、陽水…。
ま:対立構造がなくなって蓋がとれた形になって、どばっとNM側からヒットが出てくる。 ……だから、J-POPっていうのはニューミュージックの勝利の形態なんじゃないかなぁと思ったりもする。
T:ニューミュージックの勝利!
ま:うん。
T:それは考えたことなかった。
ま:J-POPの始祖としてNM系大御所の名前が出て来ることはあっても、百恵とかそういった名前は出てこないでしょ。今でも。
T:筒美さんとかは?
ま:リスペクトされるのも「洋楽翻案者としての筒美京平」だし。
T:うーん・・・。じゃあ、歌謡曲は負けたんですか。
ま:うーん、わたし的にはそういうことになるかなぁ。
T:自分は、J-POPっていうのは、あらゆるジャンルの線引きっていうのが曖昧になって、全部ひっくるめたもの、 ボーダーレス化した状態を表す言葉が「J-POP」だと思っていて。音楽的な言葉ではなくて、状態のことだと。 その中に歌謡曲は…入ってないんだろうか?
ま:ニューミュージックが歌謡曲を併呑してJ-POPになった、という解釈じゃダメ?
T:自分はですね、リアルタイムでは90年代のものばっかり聴いてきて。ある程度年齢いってから70年代なり80年代のものをあれこれ聴くようになったんですけども、 ニューミュージックとか歌謡曲という言葉、それからそれにまつわる匂い・・・みたいなものが、 90年代になってめっきり消えたということが不思議でしょうがないんですよ。 エッセンスとしてはあるけれども。歌謡曲風、とか。でもJ-POPなのよ。
ま:それは「歌謡曲にある歌に興味のない人でも思わず引きこまれてしまうような大衆性」みたいなモノ?
T:うーん、なんだろ。芸能臭ってのも違うかなあ。
ま:大衆性じゃ違うわけ?
T:大衆・・・ある意味大衆なんだろうけども、100万人から買っているわけだから。
ま:三波春夫や美空ひばりにあるものを沢田研二や中森明菜は背負っているけれども、それがJ-POPの歌手にはない、という意見ならわたしはわかる。
T:なんだろ、やっぱ凸凹してないってことだと思う。
ま:カオスでないってこと?
T:そうそう。だってジャンルでいったら、90年代なんて結構カオスですよ。音楽的に言えば、95年から99年あたりってかなりカオスですよあれは。 でもなんかそのわりに凸凹感がないというか、みんな並列で。
ま:音楽的にはカオスかもしれないけれども、受け手が綺麗に分衆化されたカオスだから。 ある意味整理されていて、相互がぐちゃぐちゃになっている感じ――本当のカオスとは受けとれないなぁ。 「こういう人はこれを聞くよね」的なバラエティーであって、どんな人も老いも若きもの何もかも入り乱れたカオスではない。
T:住み分けが出来たと。それが80年代とは違うんですね。
ま:うん。それは80年代と明らかに違う。
T:だから、不思議なんですよね。いまの話でいくと、90年代ってボーダレスの時代だと思ってたんですけど、 そういう意味で80年代よりも受け手の住み分けは出来ているし、80年代のほうがカオスなんじゃないか。
ま:90年代はボーダーレスというより、「自分の居心地のいい棲家」を作るだけのバラエティーが揃いましたよというだけだとわたしは思う。ある意味秩序的。
T:選択肢は増えましたね、明らかに。そういう意味でいくと、「J-POP」って言葉はすごく大きいんじゃないかと思えてきた。 だって「J-POP」って言えばなんでもいいんだもん。
ま:なんかネガティブになっている、「J-POP」という言葉に対して。それでいいのかTSUKASA!
T:えっ(笑)。や、良し悪しだと思ってますよわたしは、もとからこの言葉は。それも含めてサイト名に冠しているわけだし。
ま:そ、そうですか。
T:嫌いな人がいるのもわかる、この呼称は。でも、今日話をしてみて、80年代から「J-POPの時代」の下地は出来ていた、ということですね。
ま:うーん、わたしの言っていること全部思いつきだからなぁ。
T:や、でも納得しちゃうことばっかりですよ?意識を変革させられたというか(笑)。
ま:そ、そうなの?


  ■「J-POPの時代」の功罪、そして未来は?

ま:で、なんとなく〆モードっぽいところに一つ言っちゃっていい?
T:どうぞ。
ま:J-POPにある滑らかさ、均一感の向こうにわたしはマーケティング至上主義―肯定される「ジャンプイズム」を感じたりもするんだよね。
T:ジャンプイズム?
ま:ともあれ、90年代に入ってポップスが売上の勝負になったのは事実だし。人気投票で仕切っちゃうというか。 売上以外の指標を持たないというか。
T:んー確かに。ああ、それでジャンプイズム。
ま:うん。ジャンプってそういう方式でしょ。
T:努力、友情、勝利!のあれかと思った。
ま:ジャンプ漫画にあるトーナメント式勝ち抜き戦を、あそこは雑誌内でもやっているわけだし。 雑誌がいつも「天下一武道会」という。
T:わはは、懐かしいな。
ま:「ニューミュージック対歌謡曲」の時代のNM系歌手ってのは、ある意味そういう制約から半歩引いたところにいたわけだし。
T:数字よりもスタンスというか。それこそ意味性のほうが大事という。
ま:本人もスタッフもそう見ていたというか、実際吉田美奈子とか矢野顕子とかあのあたりの大物の売上って、思った以上にものすごい悪いし。
T:大貫妙子とかね。
ま:ユーミンとかみゆきはある意味奇蹟。その代わりアイドルに提供する楽曲で当てればいいや、みたいなノリはあったと思う。
T:あー。NM系とアイドルの交流ってすごいですもんね、今よりあの頃のが。なんか濃厚。
ま:そういった相互補完の意味合いはあったと思うよ。アイドル勢は格のために、ニューミュージック勢は金のために、お互いを補っていたと言ったらイヤらしい言いかたになるかな。
T:や、正味な話でいいんじゃないですかね(笑)。
ま:そういった構図がJ-POPになって壊れたのが、ある意味不幸かなと思ったりする。 商業的な部分で擦り切れちゃう人って多いじゃない、J-POPの人って。なんかミスチルの桜井さんはいつも悩んでいるし。
T:あはは。彼はね、いつも言ってますね、インタビューなんか読むと。商業と表現の狭間で・・・みたいな。
ま:J-POPの時代はユーミンとか陽水とかを生み出しにくいんじゃないかなぁ、とわたしは思ったりする。周りが遊ばせてくれないから。
T:売れないとアルバム2、3枚でクビ切られたりしますからね。売れてから遊べ、みたいな。
ま:売れても遊ばしてくれないんだけれどもね。
T:売れたらもっと売れろ!ってね。売れ続けろ、という。
ま:うん。
T:90年代ってのはまさに、そういう数字主義ってのがエスカレートしまくった時代ではありましたね。
ま:結局、そのバブルも宇多田ヒカルを最後に崩壊しちゃって、現在に至る、という感じなわけだけれども。 で、方向見失ってCCCDとか作ったりとか。わけわかんなくなっていく。
T:CDバブル崩壊。んで焼け野原になったと。90年代の狂騒の跡のような。
ま:でも、今の状態って、そんなに悪いのかなぁ……。
T:うーん…。
ま:売れているものは普通に50万クラスとかない?
T:全然ある。
ま:CD以前の頃に戻ってはないでしょ。100万が奇蹟というわけではない。特にアルバムに関しては。
T:だから、90年代抜かすと別にですよね。
ま:普通。むしろちょっといいくらい。
T:ただ一度バブルを通過してしまうとね、業界的には冷や汗なんだろうけども。
ま:それを抜け出せないんだろうね……。一度知った甘い味は。そうした意味では、J-POP的なものも一つの転機を迎えているのかもしれない。 と、まとめにかかってみる。
T:過去から現在、未来へと話が繋がったという感じで。で、まとめっぽいところで・・・
ま:最後にJ-POPとはなにか、ということをTSUKASAさんの意見と私の意見で言って終わりにしましょ。
T:はい。といっても、さっきも言ったんですけど、音楽的な問題というより、受け手の問題が大きいかなあと。 あらゆるジャンルの差異、メジャーもマイナーもないという状況が出来上がって、受け手側にもその中から好きなものを取捨選択できる、 住み分けが出来てお互い、他人の趣味に意見を投げかけたりカウンターをかましたりということはしない(これは作り手側もそうかな)。 そういう状況をひっくるめたものが「J-POP」だ、と。
ま:じゃあ私のまとめ。歌手としての主体性がない、実体がない。歌い手の「場」が存在しない。―抽象的な言い方だけれども。 彼らのありうべき姿は音源にしか存在しない。音源だけで完全に自己完結している。それ以上でも以下でもない音源がひとつそこに転がっているよ、という。 そこから先に広がらない。という感じ。それがJ-POPなんじゃないかなぁ、と思う。で、それを受け手は好きなようにフォーマットする、と、そういうツールなんじゃないかなぁ。 J-POP、それは音源のなかにしか存在しない「脆弱なファンタジー」である。なんて。
T:この壮大なテーマに対して、語り切れたでしょうかね?
ま:わたしは語りきった感はあります
T:自分も結構、語りきったというか、
ま:やっぱテーマが重かったね





 ―後記―

今見直してみると、はじめてですこしお互い緊張していたのか、ちょっと肩肘張っちゃったかなという反省がある。っていうかわたしばかりが話しすぎ。私は相変わらずちょっと頭でっかちな感じ。これじゃTSUKASAさんの持ち味がでていないし。
しかし、『J-POPはニューミュージックの勝利の形態』とは手前勝手に勢いでいったわりにはなかなか面白いテーゼかなとおもったり。
とはいえ、『J-POP』なるものの転機を迎えている今にこのテーマで語る事はできたのは貴重かな、と思ったりする。


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2005.05.04
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