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原田知世という歌手ほど、紆余曲折を経た歌手も珍しいのではないだろうか。予備知識の一切ない人が時代関係なくアトランダムに彼女の楽曲を聞いたなら、およそ混乱するに違いない。「時をかける少女」と「雨のプラネタリウム」と「彼と彼女のソネット」と「ロマンス」が、全部同じ歌手だなんて、馬鹿な、と。彼女のディスコグラフィーを俯瞰で眺めるとその種々雑多ぶりにあらためて驚く。 角川春樹と大林宣彦の溺愛が滲み出るアイドル女優(+ちょっと歌もやってます)というポジションを振り出しに、後藤次利とのタッグによるクールな売れ線歌謡ロック、透影月奈なる変名を用いてのちょっと欧州風味のエレガント・ポップ、鈴木慶一との内向的な三部作に、トーレ・ヨハンソンとの素朴であっけらかんとしたスウェ―デン路線、羽毛田丈史との60〜70年代のなつかしの洋楽の再現、現在は、高橋幸宏とのエレクトロニカ・バンド「pupa」に、伊藤ゴローとの共同作業。うん。やりたい放題過ぎ。しかしこれで聞き手が混乱しないのが、歌手・原田知世のプロデュース能力。 様々な路線を試みてはいるものの、彼女は、その時々でしっかりと腰を据えて継続的に作品作りをしている。スウェディッシュならスウェディッシュ、洋楽カバーなら洋楽カバー、と、その時々のフォーカスがびしりと決めて、ぶれない。受けそうだから、と、余計なことに手出しを一切しない。常にコンセプト重視。今の原田知世はコレ、と、明確に聞き手にアプローチしつづけている。コンサートで角川映画の主題歌をうっかりセットリストに組み込むことすら、しない。 そして、それぞれの時代ごとにきちんと自分なりの回答も見つけているのが、彼女だ。彼女は常に作品を成功させて次のステップに向かっている。何かと評判の悪い後藤次利とタッグを組んだ時代ですらも、一定の成果はあげていると、私は思っている。アレはアレで歌唱に独自のクールネスが漂っていて、良い楽曲の時はいいよ――駄作多すぎではあるけどね。 また、順を追って丁寧に聞いていくと、うっかり芸能界に足を踏み入れた長崎の少女が、歌手としての自意識に目覚めて、試行錯誤を繰り返しながら自らを築きあげていく、その過程、みたいなモノも見えてくる。様々なチャレンジを試み変幻する彼女ではあるが、その根本にあるのはとてもシンプルなのものだ。歌が好きで、自分の歌いたい歌を探して、見つけて、歌う、それを続けていただけなのかな、と。 時代に反発するでもなく寄りそうでもなく、淡々と彼女は歌いつづける。ビジネスとギリギリの折り合いをつけながら。「アイドル」という烙印の押されたシンガーとしては極めて稀有な道を彼女は今も歩いている。
なぜかアナクロなピコピコSF感をフィーチャーしたデビューシングル。テレビドラマ「セーラー服と機関銃」の主題歌だったというが、いったいどういう発注だったのだろうか。リズムやメロディーなどのベースの部分は「セーラー服と機関銃(夢の途中)」を意識したようなつくりなのだが、仕上がりは真鍋ちえみの「ねらわれた少女」と同質の、SFジュブナイル歌謡になっている。田舎の少女を攫ってきていきなりマイクの前に立たせて歌わせたような拙すぎる歌唱に、どことなくやっつけ臭い楽曲(――B級な親しみやすいヘンテコさはあると思うけどもね)。 まさか25年以上活動しつづけるシンガーのデビューシングルとは、とても思えない。ほんの3ヶ月前まで長崎の中学生だったのだから、仕方ないことなのだけれども、それでもやらせてしまう、角川春樹の仕事の速さには驚きしかでてこない。ちなみに原田本人はこの時点では歌手にも女優にもなるつもりはなく、ドラマ撮影が終わったら長崎に戻るつもりだったそうで、転校手続きも取らずに都内の親戚宅に下宿していたという。7点。
一転、今度はユーミンの「魔法の鏡」っぽいノリのアイドルソングなのだが、こちらはジュブナイルSFなドラマ版「ねらわれた学園」主題歌。発注と仕上がりがどう考えてもテレコになっているような……。ドリーミーで華やかなアイドルらしい雰囲気は出てきたがまだB級っぽさは濃厚。初期の二枚はいわゆる仕込みの時期。薬師丸ひろ子主演映画作品のテレビドラマ化、というわかりやすい二番煎じ戦略でお披露目しつつ、少しずつキャラクターを浸透させていこうとしている。6点。
「原田知世をスターにさせるぜっっ」角川春樹と大林宣彦の二人のおっさんが本気を見せた!! ユーミンも巻き込まれるように傑作生み出した!!というそんな一曲。呉田軽穂でも荒井由実でもなく松任谷名義でリリースしているあたりでその本気度がわかるよね。いきなりこう変わっちゃうんだから、アイドル歌謡って面白いよなー。 いうまでもなく、映画「時をかける少女」の主題歌。SF的なガジェットを用い、甘い少女の恋を描きながらも、普遍的な愛に昇華している。ユーミンはこの年発売のアルバムの「REINCARNATION」から、SF・オカルト的な世界観を積極的に詞のなかに投入するようになっていくけれども(――「VOYAGER」とか「青い船で」とか「天国のドア」などなど)、その端緒であり、最も成功した作品といってもいいかもしれない。ユーミンのアイドルポップスのなかでも屈指の作品。 危うすぎるサビのハイトーンに漂う無自覚ゆえのピュアネス。このフラジャイルさこそが、少女(アイドル)!!――て、角川春樹と大林宣彦が力こぶる姿が見えるってモノ。オタク少年の永遠のアンセム。この曲と映画の大成功で、原田知世の初期イメージが完全に決定する。9点
「時をかける少女」が、チャート上位をぶっちぎっている最中にリリースされたシングル。83年夏上演のマクドナルドがスポンサーについた主演ミュージカル「あしながおじさん」のテーマ曲、ということで劇場で売られていた。もちろんレコード店でも販売。大手メーカーからの発売でなく、角川からの、しかもパンフレットとのセット販売ということで「レコード」じゃないよ、というわけで、オリコンでの集計はなされていないが10万枚限定でプレスされて完売している。この辺いかにも出版社が母体の角川らしい戦略。角川が楽曲の権利を持っているので、どのレコードメーカーからも出せるのはもちろん、流通ノウハウも持っているのでメーカー通さなくってもしっかり出せる、と。ポニーキャニオンとの契約の一年が終わって、さてどうしよう、という頃でもあったので、試しにこういう実験的な販売をやってみたのかな、と。今となってはさして珍しい手段ではないけれどもさすがカドカワはやることが早い。 楽曲は牧歌的でセンチメンタルな典型的ユーミンナンバー。ユーミンバージョンも一ヵ月後の8/25にシングルが発売されて(――カップリングは「時をかける少女」)最高9位のスマッシュヒットとなっている。これらを全てコミコミにした今冬発売のアルバム「VOYAGER」はメガヒットを記録している。「守ってあげたい」→「時かけ」→「ダンデライオン」と、ユーミンのセカンドブレイクの引き金はカドカワが引いたこと、忘れちゃーいけません。7点
映画「愛情物語」主題歌。東芝EMIに移籍。今回は、オメガトライブの諸作品や悲しみがとまらない、北ウイングなど、この頃、歌謡曲作家として一気に注目が集まってきた康珍化+林哲司コンビへ発注。詞は映画の世界との連動して前作同様「あしながおじさん」がテーマ。そんなに知世のあしながおじさんになりたいのは春樹はっっ。――と、私情の入り混じりも楽しむのが春樹時代のカドカワ。 作品は、前作のユーミン的世界をなんとか継承しようとしたのか、歌謡感の薄いニューミュージック調だけれども、ユーミンのアルバムの中の1曲のような地味めで渋めの作品になってしまったというか、ヒットはしたものの印象が薄いっす。常に薬師丸の後追いだった原田だけれども、歌でも名作連発、ヒット街道を驀進した薬師丸との分水嶺が、ここに生まれる。春樹本人がメガホンを取ってしまった映画本編とともに、プロデューサーの思い入れが強すぎると逆に失敗するよねー、な一曲かと。6点
大林宣彦監督の映画「天国にいちばん近い島」主題歌。またまた移籍、今度はCBSソニー。作家は康+林コンビで連投。前作の渋めの作りを反省したのか、サビの盛り上がりも心地良く、歌謡曲らしいわかりやすさを出している。サビにタイトルを無理目にねじ込んでいるあたりが微笑ましいけどね(――そういえば、カドカワ映画の主題歌ってあんまりタイトルを歌詞に入れたりってのは少ないよな。「探偵物語」も「セーラー服と機関銃」も「守ってあげたい」も「WOMAN〜Wの悲劇より〜」も、売れた主題歌は、いっそ、歌と映画は関係ございませんっていう佇まい)。 それにしても、恋人=神様みたいなもってきかた、春樹のピグマリオン幻想、びんびん感じさせますよね。ホント、このあたり、一本筋の通った変態さんですよ、春樹はっ(←誉め言葉です)。とはいえ、こういう自我の希薄な透明度の高い少女像を作り出したからこそ、当時のアニメ系オタ青少年(ex.ゆうきまさみ とりみき)が彼女に熱狂したわけで、趣味と実益兼ね備えてもいるぜ、春樹っっ。まったく抜け目ないなっ。 元祖森ガールといっても過言でない森村桂のピュアな世界と、原田知世の透明な存在感ってあうんじゃない、という計算が映画以上にうまくいった曲。B面の「愛してる」は多分今回の映画主題歌の最終選考に残ったひとつなのだろう、詞・曲ともにA面とほぼ相似の世界を持っているけど、個人的にはこっちの方がぐっときます。詞のフレーズがいちいちよくって、原田の歌唱がピュアで一途過ぎる。原田知世のベスト・オブ・カップリングといっていいかと。7点にカップリング分でプラス1。
澤井信一郎監督の映画「早春物語」主題歌。なにも言わなくても少女は大人になる。「逢いたくて」のリフレインに漂う、透き通った、殺意にも似た女性の情念。知世が、歌わされているのでなく、歌っている。中崎英也の歌謡感を伴いながらも冴え冴えとしたメロディー。タンゴ調のイントロが一転、歌にはいると優雅なワルツになる、ロマンチックかつスリリングな、大村雅朗のアレンジ。一見、凡庸なようでいて、歌唱が伴うと途端、強いタッチとなって響く、康珍化の詞。全てが伴って、そして、原田知世が歌手に開眼した。氷のナイフを抱くような冴えた一曲だ。彼女は初めて自分の歌を得ている。彼女の、本当の意味での歌手としてのスタート地点はこの曲のように感じる。映画「早春物語」は彼女にとって初めてのそして大きな挫折となってしまったけれども、この歌は大きな財産となった。それまでの彼女は、現在的に言えば、いわゆる「キャラ萌え」的な構図で消費されていたわけだけれども、ここからは歌にも芝居にも本人の自我がしっかりと滲み出てくるようになる。彼女を安直なヴァージニティーでくくることは、もう出来ない。 アルバム「PAVANE」収録の萩田光雄アレンジ、後の「Garden」の中西俊博アレンジとの聞き比べも面白いので是非。それぞれのアレンジャーの趣向の凝らし方が楽しく、原田知世の歌手としての伸張や変化も、よくみてとれるんだよね。ちなみに、この年の紅白歌合戦にどういう風の吹き回しかしらないが出場、本物の純白の薔薇を一千本縫いつけた豪華な夜会服を纏いながら、この歌を歌唱している。10点
ええい、これも入れちゃえ。「早春物語」と同時上映だった、つかこうへい原作・脚本、井筒和幸監督、志穂美悦子主演の「二代目はクリスチャン」の主題歌。原田知世、渡辺典子、原田貴和子、野村宏伸の当時角川春樹事務所所属の四名による特別ユニット「BIRDS」の名義で発売された。ユニット名は角川書店のロゴの鳳凰から。何でこんな企画になったのかというのは、「早春物語/二代目はクリスチャン」が角川映画10周年記念作品だったというのと、「We are The World」がこの年大ヒットしたから、だろうな。カドカワ版「We are The World」作りたいよぉって、思っちゃったんだろうな、春樹。 「人間の証明」のテーマソング以来、「復活の日」のジャニス・イアン、「幻魔大戦」「汚れた英雄」のローズマリー・バトラー、「里見八犬伝」のジョン・オバニオン、「悪霊島」のビートルズ「Let it be」などなど、海外のアーティストに莫大な金を払って権利を買い取ったり、あるいは歌わせたり、またはそれ風の英語曲を無名の歌手に歌わせたりと、露骨なまでに洋楽コンプレックスを醸し出していたカドカワ映画の、一連の流れのひとつにある曲。もうね、力いっぱいにむず痒い。赤面してはっと顔を伏せて乙女のようにいやよいやいやいやしたくなる。 カドカワ・スター総出演って企画なのに、その頂点にいて最も数字持ってる薬師丸ひろ子がこのシングルの半年前に独立していないのがそもそもおマヌケだし、この四人だって二年後にはみんな綺麗にカドカワ辞めてるし、野村ヒロノブは歌が下手すぎるし、英語詞がどう見ても英検四級レベルで、中学生が作ったんですか? だし、四人の発音がそれに見合った中学レベルなのがなお切ないし、曲は「マイウェイ」も真っ青なベタすぎる展開だし、ズジャーンてイントロからもう、ちょ、待っ、だし、コーラス隊はむりくりに盛り上げてるし、もういたたまれなさ過ぎる。なぜこんな歌作った。存在を全力でなかったことにしたい。これらがある意味でいかにもカドカワらしいあたりがもう、どうにもフォロー不可能。映画自体は「蒲田行進曲」ふたたび、という思惑通りにヒットしたものの歌は大コケ。カドカワ映画主題歌史の恥部かと。4点
「早春物語」のその後が、86年の知世の一年。つまり女優として大きな壁にぶつかる一方で、歌手として開眼した彼女。18歳を迎えて学校を卒業し「職業」として選択したのは、意外にもシンガーだった、という、そんな1年。撮影した映画「恋物語」が公開されずペンディングになる(――後にスペシャルテレビドラマというあまり望まれぬ形で消化された)一方で、初の全国ツアーに望む、そんな彼女のこの年のシングル一枚目。本人出演の日本生命のCFソング。 ユーミン一派の田口俊の作詞に、「愛情物語」「天国に〜」の林哲司作曲ということで、詞曲は以前のアイドル・原田知世の世界観に近いのだけれども、随所でギターが不必要に主張する、大沢誉志幸や吉川晃司で見せたアレンジに近いアプローチを試みた大村雅朗のアレンジメントが、どこへ向かうんだ、知世、という。ご存じのように、この後すぐに後藤次利サウンドプロデュースの歌謡ロック時代がやってくるわけで、今回は「これまで」と「これから」のブリッジあたるような、予告編的作品といっていいんじゃないかな。B面の「もう妖精じゃない」なんてタイトルからしてまさしく象徴している。このぐらいのさじ加減でやっていけばたぶん旧来のファンも満足だったのだろうけれども、更に彼女は加速していく。6点
――と、いうわけで、後藤次利プロデュースによる「原田知世・ご乱心時代」突入。本人出演のトヨタ「カローラ」CFソングとして、それまでのメディア制限も一気に取っ払い、積極的に歌番組に出演するなど、大々的にプロモーションを組んだが、結果は「時かけ」以降初のベストテン・チャートインならずという結果に(一週間後に発売したアルバム「NEXT DOOR」の先行シングルという意味あいもあったし、アルバムは前作よりも売上伸びたのだから、これはこれでいいのかも、だけどね)。「早春物語」で初めて見せた切れ味鋭いクールネスをマイナーアップな歌謡ロックで更に発展的に展開させよう、クルマのタイアップも取れたのでその辺の要素も加味させて、という狙いすましたような作りに見えて、これ、実は堀ちえみ向けのデッドストックからのサルベージだった、というのだから、ポップスって面白い。 後藤プロデュース時代は原田知世ファンにはことさら評判の悪いようだけれども、この曲に限って言えば挑戦する価値のあった曲だったんじゃないかな、と。ゴツゴツとあたりの強いインダストリアルなゴツグの本気サウンドに、透き通って刃のように光る原田のボーカルが、絶妙に調和している。知世の意外なハードネス、クールネス、凛としているのにどこか妖しげなのだ。他のゴツグプロデュースの本気のアイドル歌謡――河合その子とか工藤静香とかね、とも違って、どこか異質な雰囲気がある。秋元の詞も濫作以前の時代のものなので、物語性がきちんとあって丁寧なつくり。雨の夜の車内の、終わりかけの男女の張りつめた瞬間をしっかりと描写している。最大の山場の「やさしくするのはやめて/もうこれ以上」がきちんとドラマチックに響くのは、詞曲・アレンジ・歌唱がきちんと有機的に結びついている証拠。「早春」以前の、歌わされているだけの彼女では絶対ものにできなかったはずだ。これが一回きりだったなら美しきチャレンジだったのだが……。9点
ほらね、秋元康に任せると、すぐこういうダレた詞、書くようになるんだから。テーマ不在。「大人の女性=不倫、報われない愛」とか、「ひとまず『雨プラ』路線でもう一曲」とか、そういう安直な企画会議しか見えんぞ。曲・アレンジはチョッパーバキバキでゴツグファンはニヤニヤする作りだけれども、悪く言えば手癖っぽい。典型的な二番煎じ作品。 曲そのものよりも、クラシックバレエ仕込みの過剰な振り付けがこの歌の最大の見所かも。やったらめったら美しい跳躍や回転で魅せます。指先までしっかり神経が行き届いてて、体の芯が全然ぶれない。およそ作品と関連性が見えないのでファニーな振り付けにしか見えないんだけれどもね。ってわけで、早くもこの路線にも限界がみえてしまった彼女なのであった。6点
知世、只今絶賛迷走中。この年の3月公開の映画「黒いドレスの女」をもって、姉貴とともに角川春樹事務所から独立した原田知世。ちょうどその頃、国鉄が分割民営化しJRになるというので、歌詞公募による「新・鉄道唱歌」という企画が、「いい日旅立ち」「二億四千万の瞳」と国鉄キャンペーンソングを制作したソニー酒井政利陣営によって進行中だった。独立し、果たしてどうしようという暗中模索の原田知世はその企画を掴み、そして生まれたのがこの曲。カドカワ独立直後の薬師丸ひろ子がNTT発足のキャンペーンソングとして歌い85年に大ヒットした「あなたを・もっと・知りたくて」に倣い、「薬師丸がNTTなら、原田はJR」と、公社民営化キャンペーンの企画に乗ったのだろうが、曲ありき、キャンペーンありきで、聞いても彼女が歌う必然は一切感じられない。 「いい日旅立ち」風のフォークタッチで、古きよき日本的な情緒がなんとなく漂うがそれだけの、特に言わんとしている事はない、雰囲気だけ「いい歌」っぽくした中身のない歌。今までの原田知世ともこれからの原田知世とも一切つながりは見受けられない。カドカワを独立し、代わりに大きな庇護が欲しかったからといって、「雨プラ」「空に〜」と、歌謡ロック路線に限界が見えてきたからといって、こんな二番煎じの安易な企画はいただけない。 分割民営化直後からJR各社は独自のキャンペーンを打つようになり、JR共同のキャンペーンとして作られたこの曲はキャンペーンソングとしても有名無実化、思惑が外れ、セールス的にも惨敗する。およそ意味のなかったシングルだが、ここでの失敗はその後の彼女に大きな影響を与えているようにも思える。企画ありきで、自らの音楽性にズレがある曲を歌うことが以降の彼女に一切ないからだ。5点
アルバム「Schmatz」先行シングル。当時フランスでチャート一位に輝いた、エルザ「T'en va Pas」の日本語詞カバー。これは、大貫妙子の日本語詞がホームラン級、すばらしすぎる。原詞は離婚して家を出て行く父親に向かって幼い娘が「パパ行かないで」と懇願するというもので、文学的ふくらみとか一切ないど直球の詞なんだけれども――当時13歳のエルザが歌うにはそのほうがリアルだったんだろうね、これを超訳的に換骨奪胎、原曲にある別れの切なさ、悲しさ、宿命の変えがたさをきちんと保持しつつ、それらを全て抽象的かつ典雅な比喩表現にし、普遍的な歌へと昇華している。出会いと別れから人の営みの悲しみが透けて見えてくるのだ。原詞とは違って、絶望に終わらず、その先の希望が仄見えるあたりも好印象。この曲の日本語詞は大貫さんしかないと、原田本人の指名だったというけど、大当たり。 後藤次利のアレンジも原曲を尊重しながらも更に進化したといった作りで、より一層繊細で、クラシカルで、ドラマチック。朝靄の向こうから、まぼろしのようにエレピの音が立ち上がってきて、すっと歌にはいり、歌の情感が強く湧き上がるとともにそれに追い掛けるようにはいってくるリズム隊もすばらしく、「こんなに近くにいて/あなたが遠のいていく/足音を聞いている」から間奏、コーダにいたる部分は総毛だつ。もうね、今までの歌謡ロック路線はなんだったんだ、という。後藤時代の楽曲は現在ほぼ全て封印されているが、この曲だけは別格。原田知世のその後の歌手活動に大きな影響を与え、更なる飛躍のきっかけとなった、薫り高き名曲。大貫妙子も同年のアルバム「A Slice Of Life」で即カバー(アレンジは仏人のジャン・ミュジー)、自らのレパートリーとし歌いつづけている。 ただし、当時の歌番組の歌唱映像を見ると、ヘプバーンめざして大失敗した?みたいなモンチッチ的超短髪姿で、パントマイムにも似たやたらシャープでくねくねとした、およそ曲に不必要なダンスを間奏で披露したり、と、まだまだ知世のご乱心続行中だったりする。10点
再びトヨタ「カローラ」CFソング。キャッチコピーが「キャンパストップの太陽族のカローラ」なので、タイトル、歌詞でがっつり当て嵌めとります。「雨プラ」「空に〜」のクールで翳りただようマイナーアップに限界を感じての能天気で爽快なメジャー系への転向なのだろうが、コレは成功。売上も微妙に盛り返している。「雨プラ」が雨の夜の首都高あたりをイメージとしたら、今回は真夏の湘南あたりの海岸沿いという感じ。歌詞も特に意味なし系で、ゴツグ先生のアレンジもいろいろ派手メな仕掛けが所々でスピーディーに炸裂する楽しい作り。夏向けで車のタイアップソング、それ以上でもそれ以下でもない、という、確信犯的に爽快なバブルガムソングに仕上がっている。60年代風の衣装や、全然ギター弾いてない謎のバックバンド風外人モデルも含めていかにも下世話であっけらかんとゲーノーカイなシングル。この曲をもって、ゴツグの歌謡ロック路線は終了、知世のご乱心も終息する。狙いすましたような油っ気のある歌は以降、なくなる。8点
ソニーとの契約を終えて、歌の活動が一切なかった89年。女優としての活動も映画「彼女が水着に着替えたら」程度で、あまり大きな活動がなかった。代わりに「夜のヒットスタジオ」スタッフの企画でウィーンの大舞踏会に参加したり、「世界の車窓から」の千回記念でヨーロッパを鉄道で横断したり、旅番組で姉とともにスペインのマジョルカ島に行ったり、また完全なプライベートで二ヶ月間イギリスにホームステイしたり、と、歌も芝居も関係のない、やたらと旅づいた一年だった。映画の仕事はそこそこあるし、CMもそれなりにある、けれどもカドカワにいた頃とは確実にまわりの風景がかわっていきつつある。そのことを本人は少なからず意識していたのだろう。これらの海外への渡航は自分を見つめるための小休止だったのではなかろうか。端的に言えば88年までの活動は「時をかける少女」で勢いづいた人気と名声に任せるままの活動といえるものだった。果たしてその勢いが殺がれていきつつある。歌に関しては迷走気味の作品とセールスがそれを端的に表している。このままでは「原田知世」という名前だけで大きな仕事が舞い込むことも少なくなっていくだろう。では自分は何がやりたいのか、どうありたいのか。自らを見つめなおした、その回答のひとつが、「歌」だったのだろう。再び歌う道を彼女は歩みだす。 そして90年にフォーライフに移籍、二年ぶりのシングルとなったのが今作。自分にあったサウンドをもう一度見直して作られたというが、和製フレンチポップではじまりモダンジャズで終わるという構成で、オシャレで品が良くまとまり良作ではあるが、優等生過ぎる嫌いもある。今井美樹的というか、BGMとしてさらっと流れてしまってそれっきり、「女優の歌仕事」の一言で済まされてしまう危険もあるのだ。以前の後藤時代のように鬼面人を驚かすようなことを避けようと意識したのかもしれないが、もう少し踏みこんでほしかったな、と。ともあれ、新たなスタートとしては及第点といったところか。このシングルの三ヵ月後に発売された3年ぶりのアルバム「Tears of Joy」で彼女のサウンドの輪郭がようやくはっきりする。ここから先の原田知世は、完全にアルバムアーティスト、シングルのみで語ることはおよそ不可能になる。7点
彼女の誕生日に発売。「早春物語」以来の中崎英也起用。本人出演の佐藤製薬の風邪薬「ストナ」のCFソングでもあった。そして彼女のシングル作品の中で、最も売れなかったシングルでもあろう。タイアップを組み、しかもアルバムからのリカットでも先行シングルでもないのにオリコン週間ベスト100位内にランクインしていない。おそろしい。その後もオリジナルアルバムにもベスト盤にも収録されることはなく、完全に忘れ去られている(――とここまで書いてよく調べたら、91年発表のアルバム「彩」を廉価にて再発売した時にむりくりにつめられている)。それほどまでに歌手としての原田知世は当時求められていなかった。原田に限らず80年代に「アイドル」という烙印を押されたシンガーは軒並み厳しい頃でもあった。セールスの点で言えば、原田知世がアイドル=シングル歌手としての役割を完全に終えたことをしらしめた一曲といっていいだろう。 ただし曲はいい。いわゆるクリスマスソングのなのだが、森雪之丞の乙女耽美な詞に、中崎英也の星屑を散りばめたような静々としていながらドラマチックなサウンド(――サックスとパーカスの音色がかなり印象的)、原田知世の冷たい質感のあるボーカルが絶妙な空気を醸し出している。今まででいえば「早春物語」に一番近い「蒼」をイメージする作品だけれども、それよりもなお怜悧な印象だ。カップリング「Voix Paradis」も同じ路線の凍てついた冬ソングで、ファルセットで歌う原田知世がちょっと幼い印象に聞こえるけれども、悪くない。氷のきらめきのような華麗さと厳粛さが曲全体にただよっている。 女優・原田知世と歌手・原田知世のイメージをひとつの形として止揚しようとしていたのか、この時期の彼女の曲は前シングル「Silvy」と同様に、そこはかとなくフレンチ風味でドラマチック。アルバムを聞くと「雨音はショパンの調べ」の小林麻美のあたりに近い印象を受ける。歌謡感を失うことなく洗練されていて、彼女のイメージにもあっていて、いいところついてるのだけれども、この路線はあまり広く受け入れられることはなかった。結局彼女は更にマニアックに進化する道を選択する。その先に待っていたのがムーンライダースの鈴木慶一だった。8点
二年半ぶりのシングル。鈴木慶一プロデュースで「彼と彼女のソネット」を今回は原詞のフランス語で歌う。アルバム「カコ」からのシングルカットバージョン。フジテレビの深夜番組「文學ト云フ事」のテーマに起用されたことからのカットだろう。スノッブでサブカル感度の高い当時のフジの深夜の実験的プログラムのテーマとなったことで「へー、原田知世って、今こんなことやっているんだ」と認知する層がようやく出てきた。 87年の格調高く王道的な後藤次利アレンジの日本語詞バージョンと比べると、鈴木慶一のエレクトロニカで捩れたアレンジがどうなの?という感、なきにしもあらずだけれども、変化球としてそれはそれでアリか ? アルバムはこのサウンドで統一しているのでこのアレンジも違和感まったくないんだけどもね。アレンジメントに合わせるように原田の歌唱も思いを込めるように情感豊かに歌った日本語詞バージョンと違って、情感を抑えて機械的に楽器的に歌いこなしているように聞こえる。ちなみに、92年のアルバム「GARDEN」制作時に「彼と彼女のソネット」の再録音は既に企画としてあがっていたのだが、権利の問題がクリアにならず延期になっていた、という。8点。
アルバム「egg shell」からの先行シングル。ゲンスブール作のフランスギャルのヒット曲(邦題は「涙のシャンソン日記」)のカバー。しかもB面は「Mr. サマータイム」、というそんな昔なつかしのフレンチ固めなシングル。「T'en va Pas」の評判良かったのでもういっちょフレンチカバーで行ってみよう、ということなのだろう。アルバム「egg shell」の中ではこれらを含めたフレンチカバーの三曲が明らかに違和感アリアリなエキストラトラックになっている。 鈴木慶一の捩れたピコピコ打ち込みアレンジにロリータっぽいのになぜか無機質に響く知世のボーカルという、この時期らしい作品。なにをやろうともいつまで経っても拭えない「少女」のイメージを逆手に取った確信犯的な知世流フレンチ・ロリータといっていいか、と。お馬鹿なキャンディ・ポップに卑猥な裏意味を持たせるゲンズブールの世界を、鈴木と原田のふたりはわかってて、表現している。銀髪のウイッグに太腿注目なジャケット写真とともに、狙ってひねっている。7点。
本人も特別出演した大林宣彦監督の新・尾道3部作「あした」主題歌ということで、久々に完全シングル用に制作された。ベスト盤を含めてアルバム収録はされていない。六分という長尺の、牧歌的で前向きなメッセージソングとなっている。3番のサビなんて子供達とのシンガロングに思わずほっこりとしてしまう。 「時をかける少女」が様々な紆余曲折を経て、師への恩返しというか、同窓会というか、そんな作品ともいえるかも。この時期の特徴で、ちょっとぶっきらぼう気味に歌っちゃっているのがもったいない。カップリングの「平凡な日々」は原田知世作詞・作曲だが、鈴木慶一プロデュースでアルバム「GARDEN」に近いノリ。マニアックで大陸的でなんか暗いです。7点
アルバム「CLOVER」の先行のトーレ・ヨソハンソンプロデュースによるスウェディッシュ・ポップなシングル。当時珍しい12cmのマキシシングル形態でリリースされた。シンプルでキャッチーなポップス。マニアックで音に閉塞感の漂う鈴木慶一プロデュースの時代があったからこそ余計爽やかに聞こえる。 スズキアルトエポCMソングということで、それまでの数年の原田知世のシングルと比べて、テレビから流れる機会が格段に多かった。今までにない新鮮なサウンドとボーカルスタイルに、えっ、これが原田知世なの!? と思った御仁も多いはず。セールスという形ではすぐに響かなかったけれども、ここが自作の売上的成功へのステップとなったのは確実かと。ちなみにこの曲、羽場仁志というわりとズブの歌謡曲畑の作曲家が曲作っている、というのがミソ。スウェディッシュ・ポップって意外に歌謡曲と物凄く親和性が高いのだ。7点。
業界人やらスノッブなサブカル層には認知度が高まったもののなかなかセールスに表れることがなかった90年代の原田知世の音楽だけれども、ここでようやく報われる。先行シングル「ロマンス」がノンタイアップながらFM各局でパワープレイされスマッシュヒット、続けてのアルバム「I could be free」が、実に86年の「Soshite」以来10年ぶりにチャートのベストテンにランクインする。受けなくても諦めずに同じところをこすり続けるってのは、とても大切なことなのだな。 この曲はホント、60〜70年代の古い歌謡曲を90年代的にリファインさせたようなつくり。シンプルでピースフルでちょっといなたい。ダサカッコいいっていう感じ? それまでの原田知世には、いかにも女優然とした虚構性が歌にもまとわりついていたのだけれども、ところがこの歌の彼女はホントに自然体で「素」なのだ。この時期からほぼ全ての楽曲の作詞を手がけるようになるのだけれども、その作詞も作為がなく実にシンプル。こうしてやろうとかこう見せようという、気取りとか気負いが一切ない。原田知世のスウェディッシュ・ポップ時代を代表するシングルといっていい。梅雨明けのように視界がパッと晴れて、彼女の新たな魅力がクリアに見えている。8点。
本人主演のNTV系ドラマ『デッサン』主題歌。民放の連続ドラマに出演することの稀だった原田知世が、ついに主題歌兼任で登場、これは大ヒットか?――というところで、そうはならなかったあたりが彼女らしいというか。歌手・役者としての自意識に目覚めて以降の彼女って、わかりやすいメジャーな方法論ではさほど輝かない人になっちゃってるんだよね。 前向きで爽やかなアッパーナンバーが二作つづいたので、今回はメロウなラブバラードだけれども、シンプルでピースフルなところは同じ。ギターやストリングがやさしく語りかけ、原田のボーカルがまるで「愛しています」とド直球で告白しているかのようで、どきっとしてしまう一曲。原田知世は変な演技をせずに小細工なしで生身の心を差し出している。そこに初恋のような恋の新鮮さと、その一方で普遍的な愛の姿がほの見える。15年目の「時をかける少女」な作品といってもいいかも。「Over The Rainbow」のごとく想いが空を駆けていく。8点
日本テレビ系「おじゃマンボウ」のエンディングテーマ。ラブアンドピース、イェイ、っていう。ちょっとついていけなくなってきたぞ。妙にアゲアゲなノリで「恋をしよう」と聞き手を啓蒙なさる知世様。えーと、おせっかいです。このポジティビティーはサウンド伴わないと下手したらセルフプロデュースの松田聖子路線。イントロもホーンセクションが一瞬、青い三角定規みたく聞こえるし。根暗な鈴木慶一プロデュースからの反動なのか? これは。ここまで行くとやりすぎッス。ごめん。今回はパスイチ。5点
テレビ東京『ワンシーン』主題歌。アルバム「BLUE ORANGE」の先行シングル。シングルだとスウェーデン路線ももう第5弾。さっすがに区別がつきにくくなってきたぞ、おい。60〜70年代のシンプルなソフトロックを髣髴とさせる、ドラムがバタバタしてギターがジャラジャラして、学園祭バンドのノリを保持しつつ最高水準まで蒸留してみました、みたいないつものアレ。悪くはないけれども、今までの曲にまぎれます。セールスも元の位置に戻りつつあり、この路線はこれにて終了。原田知世は大瀧詠一や山下達郎のようにスタイルで音楽するタイプでなく、大貫妙子のようにアイデンティティーで音楽するタイプ、だれたらおしまいなのだ。6点
アルバム「a day of my life」と同時発売のシングル。久々にセルフプロデュース、詞曲ともに自作はシングルでは初、なのだが――な、なぜディスコ。と、リリース時にはおののいたのだけれども、21世紀を迎えるとなぜかJ-POPシーンでは70'Sリスペクトなディスコ歌謡が多発した所を鑑みると、スウェディッシュ・ポップにいちはやく目をつけたのと同じような慧眼だったのかなと思わないでもない――けれども、いやー、唐突が過ぎる。曲自体は結構好きなんだけどね。アルバムでもこの曲だけなんか異次元にあります。スウェーデンから離れて新しいことやりたいのはわかるけど。時々突拍子もないことやるのが、原田知世という歌手です。7点
90年にフォーライフに移籍して以降久方ぶりの本格的ベストアルバム「Best Harvest」に先行する形で発売されたシングル。90年のアルバムタイトル曲「Tears of Joy」のカバー。世間的な認知度は低いが、長年原田知世の音楽に親しんでいたファンなら「わかる」一曲をあえてピックアップしているあたりが憎い。この曲、「彼と彼女のソネット」とともにその後の原田知世の音楽のありようを決定づけたといってもいいものだものね。今回のリメイクは、90年版のハートフルなテイストを保持しつつ、今のサウンドにリファインさせたという感じで、細かい音の質感は違うものの、全体の印象の変化はない。 原田知世は、この曲や「彼と彼女〜」にかぎらず、「時をかける少女」「早春物語」「ロマンス」「シンシア」など、歌いつづけていきたい曲は何度となくセルフカバーし続けている。これら、みんなの知ってるナツメロをカバーしました、という風情が一切ない。自らを刷新し新しいものを生み出す傍ら、きちんと過去の財産も大切にし、今の自分なりに再解釈しつづける、そんな音楽に対して実に真摯な姿勢が垣間見える。7点
NTT DoCoMo「ケータイ家族物語」CFソング、ということでコマーシャルありきのシングル。作曲は久々の登板、鈴木慶一。アレンジは「Summer Breeze」以来の羽毛田丈史。羽毛田丈史とのコンビ時代の原田知世は、ざっくりいえば70年代の女流シンガーソングライター風。ジョニ・ミッチェルとかジャニスイアンとか、その辺のラインを現在的に解釈してみたら、という感じ。サウンド面では同時期の鬼束ちひろにとても近いのだけれども、自意識に凝り固まって中二病な鬼束と違って、あくまで明るく、シンプルで爽やかなのが原田知世。今回も英語詞でモロ擬似洋楽的に迫っております。それにしても、かつて「二代目はクリスチャンのテーマ」で見せたあんまりにもジャパニーズイングリッシュだった彼女が、こうも変わるものなのだから、年月というのは人を変えるのだな。 角川時代の無意識過剰でくすぐったいボーカルとも、初期フォーライフ時代の背伸びなボーカルとも、鈴木慶一時代のいささか無機質なボーカルとも、スウェーデン時代のちょっと武骨なボーカルともちがって、自然体なのにどしっと腰が据わっていて、さりげなく上手いのが、この時期のよさ。加齢のせいか低音に一段とリアリティーが出ているし、ファルセットも以前よりもずっと強靭になっている。彼女って、こんなに優れたボーカリストだったんだなと、改めて驚かされる一曲。8点
DEENとのデュエットによる言わずと知れた吉田美奈子のカバー。BEGIN、宗次郎など10組のアーティストとのコラボによるDEENのカバーアルバム「和音 〜Songs for Children〜」からのシングルカット。いわゆる客演なので、レコードメーカーはDEEN所属のBMGから出ているが、存在感はやはり主役級。フェミニンなDEEN池森のボーカルとの相性も絶妙で、夜更にソファに凭れてまったりしている恋人風なスイートなラブソングに仕上がっている。「カコ」のテイクの原田のボーカルだけを抜き取ってオーバーダブしたカップリングの「THE END OF WORLD」も、鈴木慶一アレンジと打って変わり、ナチュラルであまーい仕上がり。ちなみに今回のミキシングは吉田美奈子の実兄の吉田保が担当している。7点 ≫≫≫≫≫原田知世 全アルバムレビュー へ
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