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わたしの家庭教師の記憶


大学一年生の秋も深まってきた頃。わたしはある家庭教師センターの登録を受けてすぐに、ある一人の生徒を受け持つことになった。

高校三年生で12月の半ばに○○大学工学部の推薦入試を受けるという。その小論文対策に90分で週一回の授業を受け持ってほしいとのことだ。
家庭教師センターの担当者曰く、「地域でトップクラスの上位の県立××高の生徒で、学校の成績もトップクラスで皆勤賞でクラブ活動も熱心だが、最近受けた模試の成績がことごとく悪いらしく、生徒と家族の落ち込みが激しい。明るく励ましてやってほしい」とのこと。

わたしの性質と、文学部在籍という事実と、登録時に提出した履歴に軽くアイキャッチとして入れた高校の時の読書感想文の類の賞を書きこんだ(なにか賞をもらったことがある。今はすっかり名前もなにも忘れてしまったが)のが目に入ってこの依頼が私のもとに舞いこんだのだろう。

わたしは「『工学部』の小論文の傾向などまったくわからないのですが」と担当者に訊ねた。
「入試の小論文ですから、専門的なことはきかないと思いますし、ひとまず普通の小論文指導で大丈夫だと思いますよ」
担当者はそう返した。
「じゃあ、いわゆる小論文対策用の参考書に書かれているようなテーマが出ると考えて、参考書に書かれているようなことの指導で構いませんか」
担当者は「そうですね」とうなづいた。
わたしは安易な気分でその依頼に応えることにした。
成績優秀で上位の○○大学の推薦を受けるほどだし、学校もよくは知らないが、周囲のトップ高というのだからさほどの問題もないだろう、という気がしたのだ。


ちなみに、この時わたしは公募推薦と指定校推薦の別も知らなかった。わたしの兄弟や友人など、推薦を使って早々と大学受験をクリアーした者を何人かしっていたが、それと同じだとわたしはてっきり思いこんでいた。 その友人達の誰もが今振り返ると指定校推薦だったのである。

ちなみに大学の推薦システムを知らない人のために説明すると、指定校推薦というのはいわゆる一般的なイメージでの「推薦」と考えていい。学校同士の信頼関係に基づいて優秀な生徒をリリースする制度である。そのためその数は極めて限られているし、その枠に入ることは非常に難しいが、枠に入ればほぼ合格といっていい。
一方の公募推薦はこれはただの「ちょっと早い普通の受験」である。推薦を受けるに値する一定の水準をクリアしていれば、誰でも受験することができるし、そのクリア基準もさほど高くはない。普通に高校に通っていて、その大学を受験するというのなら持っていて当たり前ぐらいの基準といっていい。だから当然試験による当落が普通に起こる。

大学受験時に自分が推薦を受けることなど微塵も考えていなかった(というか高校の成績がズタズタだった)わたしはそういった制度の別などまったく知らなかったのだ。それに担当者はそのことを一言も口にしなかった。

だが、今考えればどう考えてもあれは「公募推薦」以外ありえない。なぜなら生徒の通う県立××高校に○○大学への指定校枠があるはずがない。 県立××高校がトップクラスなどというのがまったくの誇張だからだ。県立××高校は偏差値でいったら50ジャスト。大学進学率は50%。中堅もいいところである。その高校が上位の○○大学の指定校枠を持っているはずがない。 が、そういったことがなにもわからなかった私は「トップ高校で成績優秀」「○○大学志望」「推薦」の言葉に目くらましされたまま、授業を受け持つことになる。

わたしは自分が大学受験に使った小論文の参考書を底本にして授業をすすめるつもりでいた。
初回授業冒頭。あらかじめ書いてあるという小論文を赤で直しながら指導してみようと思ったわたしは思わず固まってしまった。
直すとか直さないとかいうレベルでない。確かに生徒の国語力は今時分に家庭教師に申しこむに当然だろうな、というレベルであった。が、それにしてもひどい。
テーマに沿ったような沿ってないようなことがだらだらとエッセイのように字数あわせで書いてある、というレベル。 小論文といえどもあくまで「論文」である。これを「論文」というにはあまりにもなんというか、考えがない。幼なすぎる。 起承転結とかテーマとか構成とかというレベルでない。まとまった自分の考えがほとんどないのだ。
それから90分わたしは何を教えたのか。今、まったくもって覚えていない。自分の性格からするに色々なことを捲くし立てたのではないかな、と想像する。
ただひとついった言葉で今覚えているのが「短い文章を書くときはテーマは絶対ひとつに絞り込むこと。『これがいいたいのだ』ということを相手にわかるように明確に書くこと。『この文章のいいたいことはなにか』といわれた時に一文に要約できるような文章にすること」である。


授業は受験までたったの5回であった記憶している。 その回数の少なさに、とにかく私は一人焦っていた。
形にするには問題が山積だし、回数は少ないし、授業の時間も短い。とはいえ、家庭教師なので自主延長が過ぎると他の家族に迷惑がかかる。 それにそもそも「小論文」の教え方という段取りそのものがわたしにはまったく見えていなかった。

毎回宿題としてテーマと時間、字数を決めて書かせたテキスト数作ににその場で赤を入れながら、構成を中心にした事を教えるのに半分。 さらにそのテーマに見合ったモノの見方、自分なりのテーマの引き出し方に関する話を半分という感じだったが、そのほとんどが仕込みナシのぶっつけ本番であった。 一応あらかじめ宿題として出したテーマに関連することをある程度頭のなかにまとめて臨みはしたが、とはいえ彼の書いたテキストを読まなくてははじまらないわけでほとんどぶっつけ状態といって間違いなかった。

正直いって、その場でぶっつけでの文章の添削指導というのは辛い。答えがある科目でないので―――もちろん誤字などの明らかな間違いは注意できるが、こう教えればああ教えれば、というのがとめどなく後でやってくる。今だったらあらかじめメールでテキストを送ってもらってそれを授業の何日かまえに目を通して、仕込みをいれて授業という流れになるのだろうか、そんな便利な時代ではなかった。
また構成を赤で直すといっても、もともと彼のなかにテーマとなるものが薄弱であるのだから、直すにもてだてがあまりない。文章の順序などを教えたところで核となるテーマがないようでは「ない袖はふれない」わけで虚しい作業である。「ここはこうしたほうがいいよね」などと一応直すそぶりはしたけれども意味があったかどうかと考えると難しい。
それなりにわたしも必死であったが、そもそも特に自分の意見のないぼんやりした人を仮初めにも出されたテーマに嘘でもいいから自分なりの答えを返してくれるようにするのに1ヶ月半、授業時間450分というのはあまりにも短すぎる。土台無理な話なのだ。 ひとまずこれ以上生徒を落ち込ませないように、と注意を払いながらも、5回の授業はすぐに終わった。
結局生徒の文章力はさほどあがることはなく、××大学の小論文の試験は最初にわたしが担当者から聞いたような一般的な出題でなく工学のジャンルに特化した専門的なテーマだったようで、もちろん生徒は不合格となった。


よくよく考えてみれば、家庭教師センターにしてみれば受験直前に数回などというのはこういってはなんだが「捨て仕事」なわけである。 受験直前に焦って駆けこむ生徒やその親というのは必ずいるものだが、そういう場合は大抵手遅れなのだ。 幸運にもうまくいけばそれっきりだし、浪人になったとしても大抵が家庭教師ではなく大手の予備校へと移るのにきまっている。だから適当にこなして、後は野となれでまったく問題がないのだ。
そもそももし本当にユーザーの為になる担当者であるなら、まずきちんと事情を把握するべきであるし、そのことを親と生徒、そして教師にそれぞれに伝えるべきであろう。 もし大学生教師がすべてのことを慮ってうごいてくれるものと思っているのなら、それは職務怠慢である。―――とはいえ、家庭教師や個別指導塾などはそういった大学生講師の善意で成り立っているというところが少なくない。
すくなくとも教師担当であるものに県立○○高がトップ高であるなどという間違った事実を伝えてはいけないし、公募推薦を本命においているという危なっかしさもわかっていたならあらかじめアナウンスすべきであろう。 ―――まあ、あの時の担当者をみるに彼もまたなにもわかっちゃなかったんだろうなという感じがするが。というか、そもそもこの業種は素人人材派遣業くらいにしか思っていない節がある。って本気で受験に臨む人はそもそもカテキョや個別にいかないもんな。それでいいのか。

今になって冷静に考えてみると、この時の生徒もその親も家庭教師センターの担当者もわたしも大学受験についてなにもわかっていなかったのだ。 わたしがあの時に戻れるのなら、こうアドバイスするだろう。
「いまこうやって小論文の書き方を教えることが無駄とはいわないけど公募推薦は運がほとんどだからこれを本命視したら火傷するよ。ちゃんと受け皿を用意して受かったらラッキーぐらいの心持ちでいること。模試の成績と赤本でかるく過去問を解いた感じで自分のレベル設定して、一般で受けるところも見定めなくちゃ。もし、自分の目指しているところと現状がかけ離れているなら浪人覚悟。もう腹を括りなさい」

この時の生徒を今振り返って考えるに『中間・期末考査などのその時その時の学校で行なわれるテストはきちんとこなすけれど、大学受験に必要となる体系的な知識の蓄積がまったくない』というタイプだったのだろう。 中堅校以下のレベルの真面目な成績優秀者というのは、このパターンに陥りやすい。
それなりに受験対策がしっかりしている高校(=高偏差値校)でないかぎり、高校で行なわれる授業をいくら完璧にこなしてもあまり大学受験には結びつかないという残念な事実が、実はひそかにある。
あまり偏差値のレベルが高くない高校から難関大学を突破している人をわたしは何人か知っているが、しかしそういう人は高校時代、高校での授業をおよそ無視して予備校やあるいは独学で受験対策の学習スケジュールを作り上げて遂行した人ばかりであって、いわゆる「従順な真面目ちゃん」で国公立や有名私大への合格切符を手にしたという人はわたしは聞いたことがない。
それが「どういった理由で」というのは一言では言い表せないほど色々あるが、ともあれ、上位高校でなければ上位大学には入りにくい、というのは傾性としてそれは確実にそして眼前としてあるのだ。であるからこそ、大学進学を望む生徒やその親はあらかじめ高校進学に際して相応のレベルの高校を志願するわけである。
しかし「従順で真面目で教師の覚えはいいけれども要領が悪い、というあまりにも善良すぎる生徒とその保護者」は入試直前になるまでそのことがわからない。

ともあれ、これ以上言い訳をしても仕方ない。学校も両親も生徒も家庭教師センターもわたしもみんな無知で無責任で、1つの不合格という結果だけが残る。


大学受験担当、しかも付け焼刃の小論文授業なんてこりごりと思った私は、以来家庭教師の仕事を2、3こなしたものの全て中学生を対象にさせていただいた。

それからしばらく。塾で講師の真似事を一時期させてもらっていた頃、いままで学校の授業の補習として週一回来ていたある高校三年生の生徒が「小論文」の書き方を指導して欲しいと、相談してきた。 わたしは以前の悪夢がぼんやりと過ぎった。

話を聞いてみた。2ヶ月後、福祉系の学部の推薦入試を受けるという。学校からの指定校枠で、小論文だけなのだが、自信がないから見てくれとのこと。
もっとつっこんだ質問をすると、昔から障害者福祉に関心があって、3年になってからは新聞の福祉関連の記事をスクラップしているという。そのノートを今持っているというので見せてもらった。
見開きの左側には新聞の記事が、右側には彼女のものであろう感想・意見などが書かれていた。さらにどういったものが試験のテーマとして出題されているか知っているかと尋ねると学校の教師からここ5年の出題テーマは聞いてきて、それを試しにもうすでに書いていて今、鞄のなかにあるという。
これだけ仕込みがあるなら、充分。充分過ぎるほどだ。確かに試しに書いた小論文を見るに、文章のおぼつかなさはあったが、自分の視点やテーマがあるので、小手先を装えばすぐに完璧な小論文になるだろう。しかし、生徒はそのおぼつかなさが不安のようなのだ。わたしはその依頼を引き受けた。

成果はすぐにあがった。ニ、三度の指導で充分モノになったが馴らすためにひとまず受験までの2ヶ月続けさせた。もちろん、合格である。 あの時の生徒の分の埋め合わせにはなったかな、その生徒の合格の報に、私はそう勝手に感じた。


2004.12.11
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