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定食メニューな安易な会話に無自覚な人達


ある友人と話していた時、相手がいきなり背中に炎を背負って炎上しだした。
「だからぁさぁ、『○○さんってなんて呼んだらいい?』とかそういうことを聞いてくるやつっているじゃん。聞いてどうしようというんだ、あいつらは。聞いてあだ名で呼び合って、それでたのしいんか、と。え、お前は女子高生か、そうなんか?と」
――まあ、感性からいったらそれは女子高生なのかもしれない。
「だいたいさぁ、名前なんて記号っすよ、どうとでも呼べってなもんですよ。だいたいもともとの名前があるじゃないのさ。"君にしかない唯一の名前"ってやつが。それをああ呼ぶこう呼ぶって。知るかっつうの。もう無駄な馴れ合いの極致。」
――聞きながら、こいつも世慣れしていない、世の中渡りベタなキャラだなあ、とわたしはしみじみしてしまった。



世の中には意味のない会話が本当にいっぱいあると思う。
呼吸のついでに声帯もついでに震わせちゃいましたよというレベルの"あぁ"とか"うん"とか"えー"とかそういうレベルに近い、意味のない会話。 ただその場の空気を繋ぐだけのコミュニケーションのためのコミュニケーションとでもいうべき言葉ね。
炎上した彼ほどではないけれども、とはいえ私もそういった会話を嫌悪とまでは呼ばないけれども"なんだかなぁ"と対処に困ってしまうタイプの人間だったりする。

「なんてよべばいい?」に類する個人の身辺の話。家族や郷里や出身校や年齢といったあたりの話。 あるいは"男同士だったら""女同士だったら"でかならず出てくるお約束の話。男なら「野球・サッカー」「女」「ギャンブル」……、女なら「コスメ」「ファッション」「男」……。これで年がもっといったら"うちの坊主が……"とかの「ウチの子」話になったりなんかして。
こっちがそういった方向に水をさし向けたわけでもないのに、というかむしろどうでもいいのに、なぜか繰り出させるこれらの会話。こういうのに非常に私は困ってしまう。 お互いさしあたってそれほど親しくもないし、とはいえこの会話のない微妙な間を何とかしたいし、というそういうあなたの気持ちはわかるけれどもさぁ、と困ってしまう。
その"社食の日代わりAランチ"とでもいうべき定食メニューな安易な会話ってどうよ、と。社食の定食ですら揚げ物のコロッケが日によって海老コロッケになったりコーンコロッケになったりするのにその変わり映えのなさって何よ、と思ってしまう。



世の中には意味の希薄な定食メニュー会話に対して"無自覚の人"と"そうでない人"がいて、そのあいだに深くて暗い川が流れているんじゃないかと、私は常々そう感じている。
私のような"そうでない人"というのはさしあたってさほど親しくない人と話す時は雑談であっても、それなりの意味というかおもしろさというか場の盛り上がりというか、そういったモノ、話終わった後なにかがプラス方向になるようなモノをと、多少なりとも会話でサービスするものなんだけれども、"無自覚の人"って多分、そういったことを考えてないんだろうなぁ、と私は思ってしまう。
「この話を彼に振ってはたして話膨らむか」とか「これ訊いたところで向こうのリアクション読めるよなぁ」とか、"無自覚の人"って会話のあいだにそういうことを考えているように少なくとも"そうでない人"からは見えないのよ。 で、そんな"無自覚の人"のありきたりでちょっと退屈な話に"あぁ、いつものこれね"と辟易しつつ、社交辞令を織り交ぜながらちょっとは話が盛りあがるようにさりげなく話の水先案内するってのが"そうでない人"の定食メニュー会話の会話の処世術なんじゃないかなぁ。と思う。

まあ、確かに毎回毎回面白くってためになって盛りあがりまくる会話というのもヘンだし、 どんな人でもお互い親しくなれば、意味のまったくない、ほとんど呼吸音とおんなじといったしょうもない会話が自然と増えていくと思うんだけれども、それはお互いの距離が近づいた結果であって、距離を縮めるためにそういった会話を差し向けるのって本末転倒でない?と私は思ってしまう。思ってしまうんだから仕方ない。



なもんだから、サイトの掲示板でも"はじめまして。面白かったです。これからもがんばってください。"に類する短い挨拶書き込みやあるいは"この年齢で、男性なのに、よくご存知ですね"というわたしのパーソナリティ―に関わる一言感想の書きこみというのに、非常に困ってしまう。
こういった書きこみをする人達はいわゆる"無自覚の人"なだけで悪気はないんだろうな、というのがわかるゆえに困ってしまう。"あ、どうも"と社交辞令で返す以外にどうすればいいのよ、と。 これが何度か応答があってそのあいだの一言ならまだわかるけれども、これだけで一体なんの言葉を返せば、と困ってしまう。

それにサイトのわたしのプロフィールにしたって、ホントは載せるつもりはなかったんだけれども(――だって批評や感想の書き手なんてのは具体性のない抽象人格で充分なわけだし)とはいえ"無自覚の人"ってのはとかく他人のパーソナリティーを無自覚に気にかける人が多いわけで、何度も聞かれるのに面倒くさくなった私は隠すつもりもないしと載っけちゃったのだが、そしたらそしたで今度は以上のようなわたしのパーソナリティーを含めた感想を書いてくる人がいるし、 もうどうすればいいのよ、と。そんなに俺個人を気にかけてなにしたいのよ、と。俺に抱かれたいのか、と。

て、不覚にもユーザー批判の方向に話が展開してしまった。
ともかく世の中には馴れ合い目的の意味のない定食会話が嫌いだったり、苦手だったり、嫌いとまでいわないけれども対処に困ったりとか、そういう人がいる、ということに気づいて欲しいです。マジで。
でもって"無自覚の人"は「自分は"無自覚の人"である」ってことくらいは気づいて欲しいです。直さなくてもいいから。 今回はそんな"そうでない人"の心の叫びなのです。


2005.05.22
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