メイン・インデックス歌謡曲の砦>中森明菜「 Special Live 2005 Empress CLUB eX 」

cover
中森明菜
「 Special Live 2005 Empress CLUB eX 」

(2006.01.11/AVBC-22458/エイベックス)

1.傘がない 2.別れの予感 3.アデュー 4.踊り子 5.接吻 6.アサイラム 7.サザン・ウインド 8.窓 9.リバーサイド・ホテル 10.飾りじゃないのよ涙は 11.赤い花 12.私は風


手のひらの大きさに限りがあるのならば、同時につかめるものの数も限られる。 新たななにかを手にすることを決めたならば、今あるものを手放す覚悟がなくてはならない。
かつての「中森明菜」という歌手が手にしていたさまざまなもの――それはみずからすすんでなのか、あるいはやむにやまれぬものがあってか、はわからないが、それらの数多くは、いまや手のひらからこぼれていってしまった。 しかし、そのかわりに手にしたものがある。
それは一体なにか。気になる方は、ぜひともこのライブビデオ「 Special Live 2005 Empress CLUB eX 」を見ていただきたい。

中森明菜は、かつてのヒット曲のメドレーを歌わない。 立ちあがって踊りもしない。 華麗な衣装を何着もとっかえひっかえあらわれもしない。 かつての若々しい声の張りも喪われ、容色の衰えも、否定は出来ない。
そんな彼女が、ただ、椅子に座って、数百人の聴衆相手に淡々と、歌う。そこには、なんの装飾もない。 ただ、それだけのライブなのだが、どうしようもなく魅せられる。
歌とともにさりげなく動かす手先や視線、ふとした表情の変化に、 凡百の言葉では語れない、深い物語がある。

ここには"かつて"の魅力はないのだが、しかしそれは、魅力の質が違っている、ということに過ぎず、 その昔、テレビカメラの前で何度もわたしたちにみせた聞き手を呪縛する力、その点のみでいえば、むしろ、さらに増している。 今の明菜は、ただそこにいて歌うというそれだけで、強い磁場を生む。



この作品は、以前ライブレポートで述べたように、05年7月に品川 CLUB eXで行われたスペシャルライブをおさめたものである。 セットリストはカバーアルバムシリーズ『歌姫』からのものがメインに据えられている。 このライブからちょうど10年ほど前、渋谷のパルコシアターで行われたスペシャルライブ『歌姫』に繋がるものと位置づけていいだろう。
今回のライブは、アルバム『歌姫』での、千住明のペンによるオーソドックスなオーケストレーションから離れ、大きくアレンジされている。 近年の明菜の音楽的な右腕となっている上杉洋史の手によるものなのだが、打ち込みをさりげなく多用しながら、 時にジャズ、時にボサノバ、時にハードロック、と、大胆かつさまざまに変化している。 このライブは、ただのアルバムの再現ではなく、アルバムシリーズ『歌姫』がもちえたかもしれないもうひとつの可能性もまた示唆している、といっていいだろう。 「踊り子」や「窓」のアレンジは、正直、驚いてしまった。

音楽的な冒険ももちろんだが、今の明菜の歌手としての表現力をここでは楽しみたい。
みずからの懐に歌を引き寄せる力は、アルバムで既に証明済みであるが、 やはり彼女は、映像をともなうとさらにその力は増す。 「別れの予感」「アデュー」の深い悲しみ、 「接吻」〜「アサイラム」〜「サザンウインド」のパートの静かなくつろぎ、 「リバーサイド・ホテル」の憂愁、 「赤い花」「私は風」の血を吐くような激情、 20代の彼女では、けっして表現できなかった感情の繊細な機微が、いまでは、昔からの能力のようにさりげなく自然に表現できてしまっている。
そして、瞬間瞬間でさまざまに変化する歌の表情の、そのむこうにあるのは、全てをやさしく抱擁しようとする中森明菜の姿である。 歌で、全てを抱きとめ、愛そうとする、彼女の切なる姿である。 それは神聖ですら、ある。
彼女の意思の如何にかかわらず、彼女は歌のために生きている。

それにしても、ライブでのこのテンションが、なぜ、テレビのスタジオで再現できないのか、これが不思議で仕方ない ――というのは、蛇足がすぎるのだが、やっぱりファンとしてはそう思わざるをえない。なんででしょうね。

2006.01.22
中森明菜を追いかけてのインデックスに戻る