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「お客様は神様です」


「お客様は神様です」という三波春夫の有名な言葉がある。この意味をほとんどのひとがユーザー迎合、ユーザー至上主義の言葉と解釈しているように思える。 わたしも長らくそう解釈していた。
言葉の頭に「あなた方」を補完しての解釈である。
「あなたがたお客様は神様です」
「私の歌を聞くあなたがたお客様はわたしにとっては神様でもある」という意味になるが、これはよく考えてみればまったく違う解釈も出来るかもしれない、ふと思った。

その違う意味というのは冒頭に「私の」という言葉を補完してみるとわかり易い。
「私のお客様は神様です」
「三波春夫にとっての本当の客は目に見えない神様で、それを聞いているわたし達お客は神様のついでにご相伴に預かっているだけに過ぎない」という意である。

芸能という本質でいえば、この考えのほうが正しい。芸能の源流はすべて神事であり、それはすべて神への捧げ物である。わたし達はそのついでに楽しませていただいているに過ぎない。 諸般の芸能に通じていた三波春夫という人間を考えれば、大衆迎合の意としてこの言葉を発したとはむしろまったく考えられない。これは後者の意でなかろうか。

確信は持てないのでなんともいえないが、この名言には隙があり、まったく逆の意とも取れるということ。それをユーザー至上主義として解釈するのはむしろまったく意に反するという可能性もあるかもしれない、ということをあらかじめ知っておいたほうがいい。
むしろ戦後の歪んだ高度消費社会がこうした解釈を呼び起こした、そういう可能性があるのではなかろうか、と私は穿った考えをしてしまう。

戦後から現在までの日本人の「仕事」観は「お客」のための仕事であったといえるかもしれない。しかしその結果、オーナーはユーザーに過剰に媚びては疲れ果て、ユーザーはあらゆるモノ・コトに飽食するという情況に陥った。「お客」の際限なく肥大する欲望をひたすら受けとめるだけの「仕事」。これはある種の袋小路である。
これからの時代「自己に内在する『神』のための仕事」という考えも一方で出てくるのではなかろうか、と私は思っている。それはなにもボランティアに参加したり、一定の宗教活動を行なったりなどという狭義のものではなかろう。自分を見つめながら「自分のために」相手にサービスするという考えである。

2004.12.22
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