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メイン・インデックス少女漫画の館>「僕の命を救ってくれなかった『エヴァ』へ」感想


「僕の命を救ってくれなかった『エヴァ』へ」感想  その1

なぜか流行った私にとって不愉快な作品の意味を探して



(三一書房/1997/切通理作 編)


私が大学受験のために上京していた頃の話だから、もうすぐ8年も前になる。
投宿していた友人の部屋で友人は「ちょっといい?」といってテレビをめったに見ない12chに合わせた。
ブラウン管には不思議なアニメが流れていた。
どうやら話の佳境らしく、前後を見ていない私にはどうにもわからないのだが、やたらと見ていて癇に障る。
ストーリーは思わせぶりで、もったいぶっていて、キャラクター達は陰湿でネガティブ。
ロボットに乗っているのだから、ガンダムとかそういった類なのだろうが、無駄にストーリーが主人公達の内面に向かっていて、何がしたいのか、作者の意図がわからない。
なにより、キャラクター達の吐く台詞台詞がいらいらさせられる。
「一体なんなのこれ」と訊きたいのだが、友人はひどくこの作品が気に入りらしく、ブラウン管に視線丸ごとのみ込まれていて、とても話しかけられるような気配ではない。
なにこれ……。
これが、その後90年代アニメのメルクマールともなった「エヴァンゲリオン」とのファースト・コンタクトであった。

この作品は、内容そのものはまったく何もなく、内容の虚無の裏返しとしての華麗なフレームを楽しむマニエリスティックな作品なのでは、とわたしは初見で感じた。
この作品は、随所に様々な作品の意匠をパクっていることはある程度のモノならわかる。
そうした過去の作品群からの引用による、過剰ともいえる演出、デコラティブなハッタリの連打で制作サイドと視聴者のあいだに共犯関係を作り上げるというやりかたでロートルのアニメマニアの心をつかむというやり口だ。
であるから、神話や心理学からの援用による演出も、実際はそこに意味などなにもなく、それは敢えていうなら、作品を語り合うため制作サイドからのファンサービスと私は感じた。
世の古今東西を問わず解けない謎ほど人を魅了するものはないのだから……。
作者は作品を楽しむためのちょっとした「サービス」を施しただけにすぎない、と。

正直言って、この作品がある程度年齢のいったコアなアニメマニア、まさしく制作側のガイナックスの面々と同世代で、ヤマト・ガンダムブームをリアルで体験したもの達が支持するというかたちであれば、ある程度は納得できた。
というより、こんな作品は行き詰まった宮崎勤一歩手前の香ばしいアニヲタぐらいしか共感なんかできやしない。
いくらアニメ好きだからってこんな作品に手を出すほど終わったオタがこの世にそんなにいるなんて思えない。
なにより、この作品に漂っている死臭に似たいやな匂いにいくらなんだって、若い感受性の鋭い子ならいくらなんでも気づくだろう。
だって、作り手のこいつら、アニメ作るしか能がない癖して、もう、アニメに対する夢も希望もないし、そんな自分に嫌気がさしているぜ。

しかし、そんな私の見立てとは裏腹に、どんどん、わたしと同世代のちょっとオタっぽいよなーーーという人は見事にこの作品にはまっていったのだった。
それからしばらくして、この「エヴァ」ブームは水面に広がる波紋のようにコアなアニメおたくから、普段アニメなど見ないような一般層へと広がっていく。
なぜ、これほどの人がこの作品にシンクロしてしまったのか。
私は結局この作品に対する不快感というものをぬぐうことはできなかったので、一層その理由がわからなかった。
それにこの作品にシンクロした親しい友人に訊いても、なぜかはっきりとした答えが出てこない。
不思議とこの作品にシンクロしたものはシンクロしたもの同士で内部の会話に終始してしまい、外部へと明確な言葉で発することということがないという傾向があったように思えた。
内部への連帯と外部への拒絶。
そう、まるでファンはそのままカルトの信者のようだったのだ。
実際、新聞などのメジャーのメディアはこの作品をなぜか流行っている理解のできない奇妙なものとして扱っていたと記憶している。
だって、作品単体としてみた時の劣悪さは相当なものだったのだから。
世の常識的な判断を持つ者は理解できないであろうし、また、なんの因果か理解してしまった者はわからない者への説明もしようともしないのだから、そこには永遠の溝しかない。
この理解の溝はカルト信者とその脱会を迫る親族という構図と全く変わらなかった。


ともあれ訪れたブームはいつか去る。
劇場版完結編の上映とともにほとんどのファンのマインド・コントロールはとけたようだ。
しかし、「アレは一体なんだったのか」という疑問はわたしの中でわだかまっていたし、それを解決したいというような気分も残っていた。
(なんてったって「80年代の夢、再び」といった感じの狂躁状態だったしねアニメ・漫画などを中心としたサブカル言論界では)

でもって、偶然この本を手にする。
「僕の命を救ってくれなかったエヴァへ」。
というところで、ここからこの本の感想なのだが、長くなりそうなので、以下次回。

ちなみにこの作品に関する、わたしの率直な感想に近いのが、これ。
自分だけがナイーブで傷ついていると思いこめる鈍感さ。
エヴァにまつわる言説はたいていこうした鈍感さが貼りついている。
ここで行われているのは苦悩の特権化だ。
苦悩を特権化する者は解決を求めているのではなく、苦悩できる自分に酔っているだけなのだ。
無論それは……(中略)……消費文化の落とし子にこそ許されたわざだ。
自分探しゲームは本当の自分を立てることで、いまここにあるみすぼらしい自分を回避する自己慰藉だ。
……(中略)……
「気持ち悪い」他者でも、首を絞めてはいけない。他者への恐怖のあまり関わりを絶ってもいけない。
「いとおしい」他者でも、底の底まで奪い尽くすほど愛してもいけない。
それは貧相な自己愛への転落を招くだけだ。

(「噂の真相」97年7月号より)



2003.01.23

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