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「だったら文章に残しちゃいなよ」症候群


「こんな物語が読みたい」とか「こんな小説を書いてみたい」とか「この話ってこう思うんだけれども」とか「こんなものを見てしまって、こう感じたんだけれど」などなど。 いろんな人とのおしゃべりのなかで「へぇ。こんな面白いものの見方や意見や妄想があるんだなぁ」と感心することがとても多い。 そんな時私はいつも相手にいう。「それ、私だけに言うなんてもったいないし。だったら文章にでも残しちゃいなよ」と。

とはいえ相手からかえってくる言葉は大抵こんなもの。
「いや。文章に起こすほどの立派なことじゃないし。勝手に思っているだけだから。第一私に文章力なんかないし。それに時間だってないからさぁ。だいたい書いたところで誰に見たいわけでもないし」
そういうリアクションが返ってくるたびに(――――じゃあ、この文章力でサイトを開いて自分勝手なことを書き散らしている俺の立場はどうなるんだよ、というツッコミはさておき)もったいないなぁ、と私は思わずにはいられない。

サイト宛てに来るメールやBBSの書きこみなんかもそうで、私のテキスト読んでのインスパイアなのか、自説をおしゃべりする人が時々やってくるんだけれども、そのたびに「私くんだりなんかにもったいないよなぁ」と思わずにはいられないのですよ。や。嫌味じゃなくホントに。
こんなつまらない私相手になんかじゃなく、好き勝手に自分の世界で語りまくっちゃえばいいのに。と。


それがしち面倒っていうのは充分わかるですのよ。自分もそうだから。
もう、何でこんな面倒なことをやっているのか、自分でも自分ことがよくわからなくなるし、 適当にラフなおしゃべりできる相手をひっ捕まえて、そこでとうとうと語りまくっちゃってこの身の内にわだかまっている無駄なリビドーを消化してしまいたくなる時とか、もううんざりするほどありますよ。
実際若い頃の私なんかはそんなおしゃべりばかりで。私の知人・友人の類で「まこりんのTPO関係なしの身勝手な俺論」を聞いたことがない奴はいないわけで。 とはいえそんなわたしの実りの少ないおしゃべりはちょっと傍迷惑だったりするわけで。―――や。色々迷惑かけていたなぁ、と振り返って思うことしきりだったりするのですよ。 とはいえ今でも時々やらかしちゃいますが。

もちろん、傍迷惑なのはつまらないわたしだけの話だろうけれども、それ以外にもおしゃべりで済まさずに文章に起こすことによるメリットはいっぱいあると思う。
その中でも、ひとまず自分の中でわだかまっている思考を脳みそのなかから追い出して客観視することができる、っていうのは1番大きいんじゃないかなぁ。

いやぁ。ああいったおしゃべりってホント(―――少なくとも私にとっては)無益なのよ。
しゃべり尽くしたその瞬間はすっきりするんだけれども、根っこの部分でわだかまっているのか、しばらくして結局似たようなことをまたべらべらしゃべったりなんかして、 脳みそが完全なリピート状態になっているというか、思考が足ぶみしているというか。ホント、馬鹿。

それをじっくり、というかぐだぐだ考えて文章に起こすと、ひとまずそんな思考の無間地獄から抜け出せるような感じがあるのね。自分の考えを外化できるというか、 「と、こういう考えをしていた自分がいたとさ」みたいに今現在の自分のものでない「別物」として客観視することができるような感じがあるのね。
それは一種の錯覚なのかもしれないけれど、少なくとも心の中のわだかまりというのは、おしゃべりで済ました時よりか段違いで綺麗さっぱり浄化する。
あ、もうこのことは考えなくてもいいかな、と頭の中のドロドロとしたものが消えて実にすがすがしい気分になる。
自分の脳みその容量を超えて持て余していた自分の考えを文章という別の場所に移しかえて脳みそを綺麗にお掃除するって感じ。
パソコンのハードディスクの容量いっぱいになっちゃったから、アプリケーションや今すぐに必要でないものはCDやDVDに焼いちゃうって感じに近いかもしれない。ほら、脳みそは外づけで容量増やすことできないからさ。
ともあれ、わだかまっている自分というものを折りを見てきちんと整理つけるというのは、精神衛生上とってもいいことだと思うのね。 実際「わだかまりまくっている自分」というのをそのままにしておくと、自分の知らないところで顔や行動に出ちゃたりして社会生活に悪影響を及ぼしたりもするわけだし。

―――や、「わだかまりまくっている自分」っていうのは、表に出していないつもりでも他人からはまるわかりですよ。はっきりいって。
「なんだかわからないけれども、偉そうに知った顔しているよなぁ」とか「なんでこの人、根拠もなく上から目線なの?」とか「言葉の端々がなんか鼻につく感じだよなぁ」って印象で顔になんとなく雰囲気でてきます。絶対。
(――――そういう印象の風采のあがらないおっさんやお兄さんって、よくいるでしょう。え?見たこともない?それは羨ましい。 ああいう人は自分のわだかまりを文章で外化することはもちろん、友人や家族とのおしゃべりでひとまず小出しにすることもできない可哀想な人なので、好意を持っているなら話を聞いてあげるがいいと思いますよ。私はもちろん好意もなにもないので「本でも書いたらおじさん」(@森高千里)とアドバイスするだけですが)


それに「書いても自分以外の誰も見ないものだったら、意味ない」っていう意見も、小説などならば投稿なりすればいいし、そこまでのクオリティーではとか思うのであれば、それこそネット上にサイトなりブログなり適当に無料なところで挙げちゃえば、すぐにどこかの誰かが読んでくれるわけで問題なしだし。
立派でもない面白いものでもないゴミとしか思えないと思いこんでいる自分のわだかまりが、もしかしたら他の人にとっては必要だったり面白かったりするかもしれないじゃないですか。 少なくとも話を聞いた私は面白いと思ったんだから、他にそれを面白いと思う人がいる可能性だって充分あるわけでしょ(――――っていうか、わたしに話している時点で「もし本当につまらんと思っている話」ならいくら親しいからといってわたしに対して失礼千万なわけで)。
それなのになんで持て余しているそのわだかまりをきちっとでもだらっとでも文章にして外出ししないかなぁ、とわたしは思って仕方ないのですよ。


ということで自分を安定させるために、あるいは社会生活を円滑に行なうために、みんなみんな文章を書くといいよ。そしていろんな感情や情報を垂れ流しにするといいよ。くだらないとかつまらないなんて自分で決めるよか、外にひとまず出したらいいと思うよ。
だって、あらゆる胎児は生まれたがっているし、あらゆるボタンは押されたがっているし、あらゆる車は走りたがっているし、あらゆる歌は歌われたがっているし、あらゆる言葉は綴られたがっている。そういうものじゃないですか。
と、今の私は「だったら文章に残しちゃいなよ」症候群にかかっているのでした。ちゃんちゃん。


2005.02.02
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