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柏原芳恵 『ハイヒールを脱ぎすてた女』

謎の奇盤

(1986.10.15/32LD-86/フィリップス)

1.クレヨンで描けない昼と夜の物語  2.しなやかな夜をはさんだビスケット  3.アンティックな女(マスコット)  4.ひとり(孤独)  5.ハイヒールを脱ぎすてた女  6.夢以上・恋以上  7.グッドバイ・セレモニー−ロンリー・ハート達の街角−  8.都会のマーメイド  9.イチヂクは木の下で 10.女ともだち


 祝、BOX発売。――ということで、柏原芳恵のアルバムを何か紹介しようと思ったんだけれども、なかなかいいのがない。悩みに悩んだ末、86年発売のこのアルバムの紹介。

 柏原芳恵はひそかに結構聞いている。アルバムも基本的に「サマーセンセィション」以外は全部持っている。 アルバムにも隠れたいい曲がいっぱいあってたのしめるだが、いかんせん全体の作りの悪いアルバムばかりなのでいまいち薦めるとなると難しい。
 彼女のアルバムのほとんどが、シングル選考落ち寄せ集め楽曲をただ集めましたといわんばかりのもので、雑な作りで統一感がない。(――と、いきなりほとんど聞いているといいながら悪口から入る私)

 実際、彼女って80年代アイドルにしてはシングルの売れ行きに比べて珍しいほどアルバムの売れゆきがものすごく悪かったよぅ。
 シングルは81年の「ハローグッパイ」から86年の「春ごころ」まで連続ベストテンランクインという記録を持っているにもかかわらず、アルバムの方はベストテンランクインした作品は中島みゆきのカバーアルバム『春なのに』のみ。ベスト盤もオリジナルアルバムも含めてたったそれきりなのだ。
 ―――ちなみに比較。シングル売上げで最も彼女に近い位置にいた同期の河合奈保子のアルバムはというと、ファーストの『LOVE』から87年の『JAPAN』まで84年の『さよなら物語』を除く全作がベストテンにチャートインしている。

 そんな彼女のアルバムの中で、ある程度のコンセプトを立てて作られたのだろうなぁ、と感じられるアルバムは、フォーク歌手からの楽曲を中心に作られた83年『夢模様』、カバーアルバムだが柏原のキャラクターに合った楽曲を選定した労苦が見られる84年の『最愛』、 筒美京平+船山基紀による歌謡テクノにチャレンジした84年の『LUSTER』、そして今回紹介する『ハイヒールを脱ぎ捨てた女』のA面。

 柏原芳恵の王道ってのは「フォーク臭の強いしっとり歌謡曲」だと思う。 実際アルバム曲もそのほとんどが、そのベクトルで作られているし、実際私が好きな彼女の曲もそういった路線。 「車内風景」「最後のセーラー服」「ベイエリアホテル」「花咲けども」「たわむれの恋のままに」「ラストステーション」……。
 ――が、『Luster』や『ハイヒールを脱ぎ捨てた女』のA面のような、鉄壁の保守的歌謡曲のベクトルに何故か存在する継子のようなこれらのアルバムもなかなか捨てがたいわけで。
 ま、『Luster』は「テクノ歌謡」で筒美京平+船山基紀というわかりやすいレッテルがあるから評価しやすいし、実際これを名盤として薦すファンも多いのだが、一方『ハイヒールから脱ぎすてた女』に関しては作品自体がとりとめがないせいか、不思議と評価対象から今のところ外されているようにみえる。 ちょっとこの作品忘れているんでない?? そんな気持ちもちょっとばかりあったりもするさっ。するともさっ。



 ってわけで、『ハイヒールを脱ぎすてた女』の話のなんだけれども―――。 このアルバムで変わっているのは実はA面のみ。B面に関してはいつもの安定マイナーな柏原芳恵の路線。シングル「女ともだち」のA/B面+国安わたる作曲の3曲、「イチジクは木の下で」「グッバイ・セレモニー」「夢以上・恋以上」など佳曲が並んでいて、思いっきり危なげがない。これはこれで大好きなんだけれども、ここはパスということで(「女ともだち」の詞は主客を反転させて松本伊代の「さよならは私のために」で再利用したよね、川村真澄さん)、 今回はA面のみの話なのだが、その問題のA面が、これが、また、妙にエキセントリック。
 とにかく、歌詞が凄い。歌詞がもはや、文学的といっていいほどデコラティブで、比喩が難解。
恋の振り子は今日も頭上で揺れている
昼と夜とをめまぐるしく生きる 彼女の時間を 彼はせっせと落葉拾い
チクタクチクタク  彼らはまだ愛し合っている

(「クレヨンで描けない昼と夜の物語」)

さくさくさく 夜が彼女を優しく食べているわ
さくさくさく 夜が彼女を丸く削っていくの

(「しなやかな夜をはさんだビスケット」)

 タイトルからして凄い。「しなやかな夜をはさんだビスケット」なんて。
 これらの歌詞は、全て田口道明という者の手によっているのだが、彼が何者か、ということは私は全くわからない。 私が彼の仕事で知っているものはこのアルバムしかないし、今ググって見ても、彼がどうやら80年代に活躍したコピーライターらしい、ということしかわからなかった。
 ただ、確かに田口氏が広告の世界で仕事をしているらしいことはこの歌詞を見ればわかるんじゃないかな。

女のからだは いつも男に向けて広告の明かりを灯す イルミネーション
からだでだますつもりはない からだを誇るつもりもない
だけど愛されるのなら やっぱりからだ

(「アンティックな女(マスコット)」)

 女性の体は男への広告塔だ、と。なんか凄い比喩だなぁ。
 でもって、この部分は柏原の歌い方もものすごい。
 「からだを誇るつもりはない」のまで部分は高慢と思えるほど冷徹に歌っておいて「愛されるなら、やっぱりからだ」で諦めのように揺れ落ちる。
 男に身を委ねる娼婦のような諦めのエロチシズムがある。

 これらの歌詞で面白いのは、歌謡曲の、しかもアイドルの歌詞としては珍しく「三人称」で詞が書かれているところだと思う。
 「私」と、私から見える「あなた」でなく、「彼女」と「彼」。引いたアングルで――いわゆる神の視点で詞が描かれている点ね。 「私」と歌うのは、次の「ひとり(孤独)」だけ。

夢のような 過去が消えてゆく
ひとりだけで ただ歩く もう誰もいない
……
風が運ぶ 春をさけていく
ひとりだけで まだ歌う この私笑う
誰もいない ひとりだけで ただ歌う

(「ひとり(孤独)」)


 それにしてもまたこの歌も抽象的な歌だなぁ。
 過去の全てが夢のように感じる遠い場所――それはつまり、この世ではない場所だろう、でただひとり歌っている、という。さしずめ柏原芳恵は彼岸の歌姫なわけだ。
 悲鳴のようなバイオリンの音が物悲しい。
 ついでに、音的な部分を言うと、こちらは渡辺敬之というものが全作・編曲を担当している。この人もここ以外での仕事を私は知らない。
 調べてみたら桜田淳子への楽曲提供や「座頭市」、「ミンキーモモ」の劇半を担当したとらしいが、どう言った音作りが得意なのだろうか。
 このアルバムに限っていえば、もちろん詞作とのバランスというのもあろうが、歌謡曲という範疇ではなかなかアバンギャルドに感じる。
 「アンティックな女(マスコット)」のハードなビシバシ打ちこみ音に、ギター音のうなり。「ひとり(孤独)」の狂ったようなバイオリンなど、なかなか面白い。排他的で孤高を感じる音だ。他の仕事が知りたくなる。

 A面ラストはタイトル曲「ハイヒールを脱ぎすてた女」。
 すまし顔の広告写真のように近代的で整然とした都会の風景の端に、なにか糊代のような部分があって、それをするすると引き剥がしてみると、その向こうには荒々しい野生の海が広がっていた。といった趣きのシュールな詞である。

ハイヒールを脱ぎ捨てたら 都会が消えた
都会が消えると 澄まし顔の恋も消えた
荒くれた海の匂い 彼女を優しく洗っていく
……
千年も昔から 彼女はこの地に呼ばれていた  

(「ハイヒールを脱ぎすてた女)」)


 と、まぁ、このアルバムの柏原芳恵はシュールかつ妖艶で、自らの性を自らで操る幻の「ファム・ファタル」かのような趣きなのである。
 企画意図が全く読めない、よくわからない盤であるが、興味深い。


 ……と、言葉を綺麗に言えばそうなんですが、はっきりいえばエロイ。エッ、ルォ、イ。色気過剰ですわ、芳恵様。

 もちろん、これはこれでいいのだけれども(――作品としての完成度は高いしね)、ただねぇ、こうした仕事ってのは、後にやってくるVシネやイメージビデオで無駄に色気を振りまく彼女、 というあたりに繋がる危険というのもあるわけでして、私としては「スキャンダルは美しい」だとか「今度は全部見せちゃった」とかのタイトルを見るだけで気分が萎えるようなエロ仕事にこの後彼女が従事するという事実はなかったことにしておきたいわけで。
 そんなこんなでわたし的には「諸刃の剣」といった感もある、奇妙なアルバムだったりするわけで。


 ――――多分なんだかんだ言っても、彼女のあの手の色気が耐えられないような方には薦められない作品だろうしなぁ……。と、最後は微妙にもにょったまこりんなのでした。
(――なんか全体的に今回は褒めているんだか、どうだか、よくわかんない文章だなぁ。)

2004.03.14

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