薬師丸ひろ子「Woman ―Wの悲劇より」
1.Woman ―Wの悲劇より 2.冬のバラ
そこはかとなく漂う死の匂い (1984.10.24/WTP-17660/東芝EMI) |
そういえば、84年末のヒットチャートは面白かったね――。 まず、安全地帯「恋の予感」に明菜の「飾りじゃないのよ涙は」のヒット、さらにその2つを手がけた井上陽水の「いっそセレナーデ」が本人久しぶりのシングルヒットでランキング2、3、4位が陽水作品なんて事態が発生。ちなみに1位はチェッカーズの「ジュリアに傷心」。 また西城秀樹「抱きしめてジルバ」、郷ひろみ「どこまでアバンチュール/ケアレスウィスパー」、河合奈保子「北駅のソリチュード」(作曲筒美京平)とケアレス・ウィスパー合戦勃発。 ちなみにこの闘い、ランキングでは河合奈保子、総売上では西城秀樹に軍配が上がった。 また松本隆に目を向けると、松田聖子は佐野元春作曲の「ハートのイヤリング」で虚飾が恋の破局へと向かう、第一期松本隆時代のフィナーレを飾る完璧なプロダクトを残したかと思えば、対する薬師丸ひろ子「Woman ―Wの悲劇より」では作曲にユーミンを招聘、松田聖子の更に上をいく高レベルの作品を作り上げた。 ということで今回は薬師丸ひろ子「Woman ―Wの悲劇より」(作詞 松本隆/作曲 呉田軽穂=ユーミン/編曲 松任谷正隆)の話。 今回は珍しく曲から攻めてみたりする。 まず、イントロがいい。これから起こる悲しい出来事の予感のように静々と心に響いてくる。 曲構成としては結構単純なんだけど――A−A´−サビ−A´−サビ−コーダって感じ??、Aメロからサビへの飛躍感ってのがものすごーーく感じるのね。 ひらうたの部分はものすごい抑制的で淡々としている。かつ、なぁんかコードやメロ自体もちょっと聞いていて不安定な感じ、それが涙を必死にこらえているような、感情の奔流をひたすらに押えているような効果になっている。 でもって、歌詞で言えばAメロ最後の「声が……」の部分でもう感情が耐えきれない、もう溢れてしまう。 となってサビで感情の奔流がどばっとあふれる。 「声が……」から「あぁ時の河を渡る船に」に渡る部分で鳥肌ぞぞぞっです。 またサビの歌い上げるところの悲しい解放感っていうの??それがなんともいいのよ。夜の星が一面と広がったのような音で、美しいものを見る時になぜか湧き起こる悲しい感情と同質のものがここで味わえます。 しかも歌が終わっても、最後まで聞いていただきたい。 イントロとおなじ荘厳なシンセ音が流れるのだが、それが最後、まるで命のともし火がふと消えるように、心臓の微かな鼓動が止んだ時のように、はた、と終わるのよ。 これが、もう、凄くいい。 もう、完全決まった―――って感じ?? ユーミンと旦那のマンタはやっぱり凄い。 でもって、この効果は歌詞のイメージの牽引力から得られるものだと思うわけですよ。 ということで次は歌詞の話。 何故か歌詞には不思議と死のイメージが漂っている。と思うのは私だけ?? よく見ると、別に「死」を具体的に表す言葉はなにもないのだが、曲と合わさるとどこか「死」の匂いが漂ってくるのよ、この曲は。 全体としてのイメージの下敷きに小説版の「Wの悲劇」を置いているのは確かだろう。 物語は冬の山中湖畔の別荘での殺人事件から始まる。それは和辻家の血の因習が生んだ悲劇へと流れていく。 ということで、歌詞としては冬で雪が降っていて、それをお屋敷から眺めていて、近くに水があって、なんとなくカタストロフの匂いがあって。 というところに、松本隆のガジェットと組み合わされると、こんな歌詞なのかなぁ、という感じだ。 詞だけ見ると、ぱっと見、テーマは殺人事件とは関係なく「恋の終わり」にしか見えない。 恋人に対して「いかないで そばにいて」といい「愛せないというのなら 友達でもかまわない」という、その声が震えている。 って歌詞なわけ。 が、サビの「時の河を渡る船にオールはない 流されてく」となるとそんな別れの一場面がとーーんとぶっ飛ぶ。 この時間と空間の広さ。悠久なもの偉大にものに抱かれる感じ。 でこう続く。 「横たわった髪に胸に 降り積もるわ 星の破片」 冒頭で「雪のような星が降るわ」といっているから「星」は「雪」の見立てだろう。 と、ここまでくると、これは普遍化された心中のイメージに近い。と私は思う。 流れに任せた小舟に男と女がいる、横たわった二人の体には雪が降り積もる……。 とこの後も「一瞬で燃え尽きて灰になってもいい」と不穏な言葉が続く。 ラストは「朝の陽が差すまで眠り顔を見ていたいの」としめるが、「眠り顔」でなく、自らの命の絶える瞬間まで恋人の死に顔をみている女の姿にしか見えない。 そして、白々とした夜明けには、まるで美しい風景の連なりのようにつがいの男女の亡骸があるのである。……。 ーーーつっーことで曲終わりはまるで命の火が消えたように私の耳に残ったのです。 曲や詞単体では感じられないのだけれど、曲と詞が合わさると相乗効果となって全体的でロマンティックな「死」のイメージに繋がっている曲、というのがこの曲の私の評価です。 (わしって、心中に対してロマン持っているんだなぁー、気がつかんかった。) 多分この詩作の発展形として中谷美紀の「いばらの冠」(作曲/坂本龍一)があると思う。 「いばらの冠」は不倫の果ての自殺。である。 「あなたの硝子の家壊したみたい」といい「このまま海の底まで沈みたい気分なの 私を消去して」と告げる。 でもって「このまま眠りたい 星の降る桟橋で 夜明けに凍えている亡骸を抱きにきて」と歌う。 ガジェットは「波」「星の粉」「桟橋」と水辺で星で死のイメージなのでかなり近い。 ただこの傑作、映画版の「Wの悲劇」とはまったくリンクするところはなにもありません。 だって、映画の「Wの悲劇」って原作を劇中劇にした全くのオリジナルのバックステージストーリーなんだもん。 松本先生は原作は渡されたようですが、脚本は渡されなかったみたいですな。 まぁ、角川映画の主題歌って映画とおよそ関係ないものがほとんどだったから、それでよかったのかもしれませんが。 ちなみに映画ももちろん傑作です。 舞台の主役をもぎ取るため三田佳子に代わってスキャンダルにまみれる薬師丸、記者会見の席上での号泣のシーン。 薬師丸の恋人世良正則はそのスキャンダルを事実と思い込み不義理をなじり彼女に手を出す、そこで薬師丸「顔はぶたないで、私女優なんだから」 初舞台、緊張する薬師丸、袖で深呼吸をし、目をくわっと見開き、「ぎゃ――っ」と大絶叫し、舞台に飛びこむ。「私、殺してしまった。おじいさまを刺し殺してしまった」 などなど、冒頭の「大丈夫だと思います」からラストシーンの薬師丸の泣き笑いまで見所満載。 角川映画では「時をかける少女」「麻雀放浪記」と並ぶトップクラスの良作映画だと私は思います。 ただ、惜しむらくは映画の劇中劇の「Wの悲劇」――演出は蜷川幸雄、をもっとちゃんとみたかったなぁ、っていう。きちっと頭から尻尾まで作ったっていうじゃない。もったいないなぁ。これ舞台版を劇場公開と同時にビデオかなんかで出せば結構売れたと思う。 あと、ちゃんと原作に沿った「Wの悲劇」も映画で見たかったなぁ。 確かこれが最初にテレビで放映された時、ミステリーファンでSFファン―――ということで薬師丸に関しては好意的であった、の母が見て、ぽかーーーんとしてたもん。 |
2003.11.27