何故か我が家は大して金もないのに、新しモノ好きなのか、やたら新しい家電が多かった。 電子レンジや大型の冷蔵庫は物心つく前からあったし、大型テレビ、浄水機や空気清浄機、ソーラーシステム、ウォシュレット式トイレ、外部取り付けしてジャクジー風呂になる装置も80年代中頃にはあった。 かといって両親が家電分野に造詣が深いとかそういったわけではまったくない。 例えば父親はデパート行ってふらふらとしていたところ、店員にそそのかされて、使いもしない豪華オーディオセット一式を買ったり、――――値段は知らないが、横幅がスピーカーを含めて2メートル弱ある。それがレコード針がぼろぼろの状態のまま、私が一度も起動するのを見たことなく、親の寝室に転がっていた。 また母はというと、「良い睡眠は良い布団から」という言葉に騙され、家族全員分の高級羽毛布団を訪問販売で買ったり、使いもしない物などを大量に買っては「可愛かったから」とか「いいと思ったから」等といって家に眠らせるという。 つまりふたりそろって、無定見で見栄っ張りなだけなのだ。 もちろん、子供(つまり私やその兄弟)にもモノ的な部分においては、甘やかせるだけ甘やかられていて、テレビゲームのソフトは成績が上がっただとか、なんとか理由をつけて、ほぼ毎月のペースでねだり、そして実際買いあたえられていたし、テレビゲーム用のテレビは2台あった。 と、そんな親がある日、ビデオデッキを買ってきた。 いわく、「夜更かししてテレビ見るのは、よくない。だから見たいテレビ番組はこれで録画して明日見なさい」と。 時期的にはたしか83年末か84年前半だったと思う。 84年後半にはファミコンが我が家に導入され、それ以前の話だからそのくらいだろう。 ビデオの導入はわりと遅めだったのだ。とはいえ、まだ周りで購入していない家庭はいくらでもあった。 で、そんなわが親(ここでは正確には母)が買ってきたのが私の母のキャラを知っている人なら一発でわかるだろうが、それはかの有名な「βマックス 」、いわゆるベータであったのだ。 もちろん、購入当初、私は小学校入学直後なのでこの時の「ソニー=β」VS「松下=VHS」のビデオの記録媒体戦争のことなど知らない。 ただ友達の家にあるビデオデッキとはなんか違うみたい、くらいしかわからなかった。 が、ほどなくしてビデオデッキも全域に普及し、近所にレンタルビデオショップなどができるようになってから気づくのであった。 「あ、うちのビデオデッキって負けメディアなんだ」と。 最初はなんで店の中にあるたくさんのビデオタイトルの中でうちのビデオでみれるものがこんなに少ないのか、わからなかった。 「これはうちでみれないの」と母に言われても皆目わからなかった。 が、ビデオにはベータっていうのと、VHSというのがあって、うちのはベータだからベータしかみれない、と、だんだんわかり、店に並んでいるものはほとんどがVHSという事実から、「あ、うちのおかん、ババひいたんや」と、気づいたわけである。 ちなみにこの事実に気づいてほどなく、母はまこりんのつるしあげを食らったわけであるが、母は「だってベータのほうが安かったんだもん」とのたまった。 記録媒体は高いか安いで選ぶもんじゃねぇだろっ、とおもったが、私の母はそういうキャラなのでなにもいえなかった。 また、もっとちなみにいえば83年末段階では既にβ対VHSの大勢は既にVHSに流れていたようである。 だから安かったんだな、きっと。 とはいえ、全てはあとの祭りである。それにテレビ番組の録画に関しては支障はなかったのだから、そのビデオはそのまま使われていた。使っていたのはほとんど私だったけどね。 84年紅白も、「ザ・ベストテン」も「アメリカ横断ウルトラクイズ」もベータで録画されていたのである。 「ウルトラクイズ」は何回見たか知れないなあ。特に第10回とか、何回見たことか。 が、形あるものはいつか壊れる。このベータも最後の日を迎える。 これは強烈に覚えている。 「ザ・ベストテン」最終回はベータで録画したのだ。 でもって、その翌週のスペシャル「さよなら ザ・ベストテン」録画のためテープを用意し、ひとまず前の最終回をもっかいみよう、デッキを再生したら、突然動かなくなった。 嘘、まじかよっっ、信じられん。 親に泣きを入れる。 修理せい。いや、それでは時間が足りない。どうしよどうしよ、うわーーうわーーーうわーー。 と、親は「ベータ不便だからVHSの新しいの買いましょう」 この一言によって、今まで録ったビデオテープはすべてなかったことになったわけである。 もちろん、親は私のことなど知らずにまったり商品を選んだので新デッキが届いたのは「さよなら ザ・ベストテン」放送後であったのはいうまでもないことである。 ということで昭和の頃のテレビ番組のビデオは基本、私の手元に残っていない。 この時の喪失感が古い歌番組や歌謡曲に執着するようになった原点なのではと思っている。 そんなくだらないも恥ずかしい自分史の一端である。 多分、ベータも若い人は知らないのかもしれない。 私が8トラックのデッキの実物を見たことがないように。 (関係ないが、つい最近、二十歳の大学生の子に仕事でまわってきた500円札見せたら「実物はじめてみた」といわれた。……。) そして対立したVHSも今は少しずつその活躍の場をDVDに譲り、勇退しようとしている。 記録媒体の移り変わりの速さを思わずにはいられない。 ―――ま、VHSは普及台数が莫大であるからコンパクトカセットのように絶滅は免れるであろうが。 関係ないが、我が家のデッキのVHS転換後、VHSのテープのでかさや、起動の遅さ、画像の悪さなどに驚き、ベータの品質的な優位性とその不運を私ははじめて知ることになる。 だからといってベータに出戻りするほど酔狂でもなく、金銭的な余裕もなかったが。 とはいえ、そんなβであるが、聞くところによると、なんと民生モノも昨年までは製造していたという。 世界のソニーの意地をそこに垣間見た私であった。 |
2003.10.14