最後の歌謡曲歌手。 このアルバムを聞いて、ふと、こんな言葉が頭をよぎった。 日本歌謡史はその終焉にあたって、中森明菜というガラスの目玉みたいなものをぽっかりあけながら沈んで行くように見える。 平岡正明は96年夏段階でこのように中森明菜と歌謡界を断じた。 それからもう、6年以上が経った。 やはり、歌謡曲というジャンルはもう終わったようだ。 形骸化した歌謡曲を新たにJ-POPなどという言葉で言い表すようになったが、そこには日本の大衆芸能としてあったはずの炎も闇もない。 歌謡曲は死んだ。しかし、中森明菜はまだ歌い止めていない。 これが今の歌謡曲を表す言葉の全てである。 と、ここで結論なのだが、これだけでは淋しいのでここからは長い蛇足。 『UTAHIME D.D』懐かしいアルバムである。 その懐かしさは彼女の過去の曲のセルフカバーという以上のところにある。 かつて歌謡曲が輝かしかった頃。50年代??、60年代??いつの時代でもいい、日本人で一定の年齢以上ならだったら誰しもがイメージとして持っている胸躍らせ、涙に濡れた「歌謡曲」とその「歌手」の再現がこのアルバムの目的である。 遠い過去の記憶。ブラウン管の向こうの華やかな記憶。の、再現。 だから、このアルバムは原曲の当時の音源よりもはるかに、懐かしい。 リアルタイムで味わったことのない過去のフィルムや音源に感じる懐かしさと同質の、現実の懐かしさを越えたハイパーリアルな懐かしさがここにはある。 そして、この目的に中森明菜という歌手が選ばれたのは当然という気がしないでもない。 なぜなら、彼女は最後の歌謡曲歌手であるのだから。 ほとんどの歌謡曲はアク抜きされ、J-POPとなり、一部のものは「演歌」としてセクト化し、縮小再生産の袋小路のパロディーにむかうというのが美空ひばりが死に、中森明菜が自殺未遂をしてからの歌謡曲(であったものの)の流れである。 いまや、現役で歌謡曲を背負っている歌手は実のところ「中森明菜」ただ一人しかいないのだ。 だから、このアルバムは懐かしい。 しかし、ここには過去があるというだけでそれ以外のものはなにもない。 ノスタルジックで甘くて、美しいが、どこかこの作品も袋小路なのである。 ふと、よぎるイメージ。 荒廃した都市の灰色のスラムのビル群、誰もいない薄暗い一室、壊れたかけたテレビのスクリーンに彼女の鮮やかな姿が映る。 「昔、ここに日本という国があったという……」 誰しもが日本という国家システムの崩壊を本気で危惧し始めている中、こうしたアルバムを出すのは退行とはいえませんかねぇ。 「日本を元気にする」とか「プロジェクトX」とかの最近の企画の裏にはたえず「昔の日本はよかった」と「古きよき日本 ありがとう」が漂っていて、老いと死の匂いが強くって、マジ困るんですよ。 おいおい、俺はまだ20代だっての、と。 勝手に国家丸ごと終わりにするなよ、と。 「温故知新」なら話はわかるけど、ただひたすらに懐かしがっているだけだもんなぁーー。 ノスタルジーは甘いが、確実に死に至る病ですぞ。 あっ、珍しく明菜についてほとんど触れていないぞ。 声は年齢分の年輪をきちっとつけて深みが増していてすばらしい。 アレンジは「古き佳き歌謡曲」というコンセプトならではのアレンジで面白い。 「北ウイング」「ミ・アモーレ」「少女A」などはまさしくその骨頂。 単品としては「なし」のアレンジだが、アルバム全体でみると「あり」。 良くも悪くもヒット曲であればあるほど原曲を越えることは出来ないのだから、こういった大胆さでこなすのが一番得策であろう。 個人的には「TANGO NOIR」「SAND BEIGE」が気にいったかな。 |
2003.03.05