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所ジョージ 「20周年カニバーサミー」

冗談ばかりの純情

(1997.07.02/VAP/VPCC-81216〜7)

ディスク: 1 1.Opening Gambles 2.花婿 3.感謝のニューアルバム 4.組曲 冬の情景 5.西武沿線 6.一年中クリスマス〜セロリ・パセリ 7.純情 8.昔の車で乗ってます 9.春二番 10.まったくやる気がございません 11.寿司屋 12.ミミソラソ 13.ちり紙 14.車庫証明騒動歌

ディスク: 2 1.畳 2.チリ紙の台 3.決定版フォーク大全集(完結篇) 4.精霊もどし 5.雨のしずく 6.騒いでいようぜ 7.Time is green peas 8.西武園恋唄 9.生活の基礎 10.彼女にします 11.白いTシャツ 12.せみ パート1 13.どぶがたまってかわくように 14.Ending Gambles


ある夜、私はちょっと精神的にまいっていた。
生きていくのがどうしようもなくやるせなく重ったるく憂鬱で、目を閉じるのすら億劫に感じるほど落ちこんだわたしはそのとき、どういうわけか、所ジョージの「20th caniversamy」を手にとって、CDトレイに乗せた。

ら、もう、これが笑える笑える。 つまらない憂鬱なんかふっとんじゃった。
もうね、深刻に考えるのなんて時間の無駄よ。無駄。 ほげほげ適当にちゃらんぽらんに流れるままに生きていくのが1番だよね。 と、立ち直った私が薦めるのはもちろん、このアルバム、所ジョージの新曲・再録音たっぷしのデビュー20周年記念ベストアルバム「20th camiversamy」(←カバーサミーと読む)。

えー、あのね、知らない人がいっぱいいるだろうからいうけれども、所ジョージさんって本業は歌手なのよ、歌手。なんてったって芸名の名付け親が宇崎竜童なんだから。でもって「歌手だった人」じゃなくって現役でちゃんと歌手。オリジナルアルバムは、最新のアルバムが通算17枚目で2002年発売だから、ほらね、ちゃんと現役でしょ。 ただ副業のテレビタレントとしての収入と比べるとそれはもう微々たるモノだろうけれどね。
例えていうなら、餃子が上手いと評判なラーメン屋みたいなもんで、おまけのはずの餃子が飛ぶように売れて、ラーメンは誰も注文しない、という状態。でもね、所ジョージの場合、売れないラーメンもバッチシおいしいのです。これはもう、私が保証します。
とはいえ「歌手・所ジョージ」の存在を知るようになったのは、思いっきり最近で、彼が司会を務めていたフジテレビ系音楽番組「MUSIC HAMMER」で毎回即興でお披露目された「お祝いの歌」からなんだけれどね。いやぁ、世代的にいって「所さんのただものでない」以前の所さんは知らないんだよなーー。
そんな歌手としての彼をよく知らない私たちににとってこの「20周年カニバーサミー」は入門編として実にいいアルバム。



所ジョージの音楽のいいところは「トンでもなくいい加減」なところなんじゃないかなぁ。 基本、コミックソング、パロディーソングなんだけれども、それを笑えるように「ちゃんと」いい加減にこなしてくれているのですよ。 ワンテイクでノリ重視で、もう、レコーディング時間って一体どれくらいよ、という。
このアルバムの新録音の部分はアルフィーの坂崎幸之助とのギター弾き語りがメインなんだけれども、 これがもう、とにかく面白い。ほとんどギター漫談の世界。元々ふたりはアルフィーブレイク以前からの付き合いということで、息がぴったりというのはもちろんなんだけれどもさ、 なんというか、ギターで遊びながら、二人がぐだぐだ歌ったり、語っている、という、そのまんまなんだもの。 歌い始めて「あ、こんなもんかな」といったり、「二番なんだっけ?」とか、歌いながらあまりの馬鹿馬鹿しさに自分で笑ったりつっこみいれたり、しまいにゃ、 ふつーに歌の途中でやめて雑談したりとかしだす始末。 しかもそれをせっかくの記念アルバムに本テイクに使うものですか、フツー。ふたりも凄いが、スタッフもすごい。いいかげんすぎ。 ま、一トラック目「オープニング・ギャンブルズ」の挨拶で「このようなくだらないCDを買った皆様に」とか「私の曲がなかなか世間に認知されない」とか「『全日本・商売で歌を作っているのだからこの次はどうするの?会』 会長・所ジョージ」とかいっちゃっているわけで、もう、確信犯的にふざけているのはわかるけれどもね。

ま、でもそんな二人の姿が70年代の純情ギター小僧の牧歌的な放課後のその後、という感じでなんかいいんだよなぁ。 あ、このふたりはまだ高校の放課後の世界で生きているんだなあ、という、部室で楽器をいじりながらくだらない馬鹿話で盛り上がっている、という、そんな懐かしい世界のその後を生きているんだなぁ、と、馬鹿馬鹿しい歌の向こうにそんなほわっとした気分にもなったりしてね、そこもいいのよ。 そんないなたい感じが、「騒いでいようぜ」とか「純情」とか、楽曲にもちらほらあってね。 冗談めかしてないと、愛とか夢とか語れない照れ屋で純情な少年っぽさが、なんかいいのですよ。 あぁ、俺もあの時青かったなぁ、なんておもわず振り返っちゃうわけですよ。

以下、印象のある曲ピックアップ。



「花婿」
はしだのりひことクライマックスの「花嫁」のパロディー、というか嫌がらせ。 キヨスクの週刊新潮を片手に花婿は電車に乗って嫁いでいく、のだそうだ。 「戸籍かけて負けた」とか、まあ、ふざけています。所さんの悪ふざけには悪意がないのがいいよなぁ。 スカッと馬鹿馬鹿しくって、ねちっとしていない。 これは所ジョージが婿養子であることの自嘲も含めてという一曲目なのかな。

「感謝のニューアルバム」
いきなり坂崎とのぬるーーい微温な掛け合いがまた、いとおかし。 「もともと持ってる幸せが、迷惑を買ってはじめてわかる」という意味で、「感謝のニューアルバム」というタイトル。 確かに、冗談で生きていない人にとっては、これははた迷惑なアルバムではあるな。 もう、ふたり自由すぎ。

「組曲 冬の情景」
多分、彼の代表曲。この曲だけわたし聞く前から、知っていました。 1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が……とか、スケーターワルツでツーーラララ、ツ――ラララってやつ。 でもまあ、これは「あかとんぼ」とか「ネコニャンニャン」とかのいわゆる「あのねのね」風というか、ちょっと今聞くと、微苦笑って感じがしないでも。 今となるとさすがに爆発力は欠けるかなあ。

「西武線沿線」
埼玉県民のわたしは大爆笑。曲中唐突に野口五郎の「私鉄沿線」になるところは何度聞いてもわらえる。 埼玉県にその名を轟かすパンツで動く汽車、って動くわきゃねぇだろっっ。
隣に住んでる高田のおババ(高田馬場)が年増えん(豊島園)で、
その娘の花子に子ができない、花、子がねぇ―(花小金井)
1人で悶えて性部、乳部(西武秩父)をねりま(練馬)わす 小手先(小手指)だけの反応(飯能)が悲しいしくざ(田無)(井草)
花見で見るのが桜だい(桜台)、スーパーマンは不死身だい(富士見台)
(いきなり相撲中継調になり)
東ぃー 稲荷山、かたや武蔵関、ただいまの決まり手は武蔵横手で入間川の勝ち

この部分、西武線の駅名を無駄に練りこんで無駄に上手い。あ、ちなみに昔西武新宿線の狭山市駅は入間川駅といっとりました。
しかし、所さん、歌いながら自分の歌につっこみすぎ。

「昔の車で乗ってます」
「昔の名前で出ています」のパロであり、フォルクスワーゲンへのいやがらせのような讃歌のような。  「車 車屋に戻しても ローン消えない下取り価格 だから 昔の車で乗ってます」 「フォルクスワーゲン外車です だけど国産車より数多い みじめ 昔の車で乗ってます」 って、あぁ、あいかわらず無邪気に失礼。 でも「くやしいか、ザマミロ、だったらタレントになってみろ」って、それ、言っていいのか?

「まったくやる気がございません」
これはもう、露骨に植木等へのオマージュ。 無責任でC調な植木等が所ジョージにのりうつりった。 「働く気もない だけど会社も休まない」とか、「長生きするため生きているだからあんまり動かない」とか 「何なら何まで上手くいく、上手くいかなきゃ笑ってる」とか、いいなぁ、この歌。私の今後のテーマソングにしたい。 間奏で唐突に「赤城の月も今宵限り」と国定忠治するも確信犯的にぐだぐだになる、これも笑える。

「ちり紙」「ちり紙の台」「畳」
こういう独居独身男のペーソスでまくりの世界も所さんの世界だよな。 あんまりに暇すぎてひとり遊びで畳の目を数えてしまう、 そんな20代前半の退屈な貧乏大学生のような世界を正面切って馬鹿馬鹿しく表現しております。

「純情」「騒いでいようぜ」「雨のしずく」「彼女にします」
結構、直球でフォーク・フォークロックっぽいLOVESONGを歌っても、はまったりするんだよね。 繊細な青年の含羞に、思わずこちらも恥ずかしくなってしまう。こいつぅ、青いぢゃないかよっ。 こういう路線で推し進めていけばそこそこヒットしたのかもしれないけれども、それは彼のキャラクターが許さなかったのだろうなぁ。 彼の場合、八割を冗談で埋めて、で、なんとかこの路線を紛れ込ませられるというか。 そんなところが、中島みゆきが彼を気に入る理由なんだろうな。 とはいえ、「どうせ一度のなにかなら、これで終わるまで、騒いでいようぜ」って、いいなぁ。

「決定版フォーク大全集(完結篇)」
70年代のフォークソングを愛と批判性をもって堂々と小馬鹿にした、彼の代表作のひとつ、といってもいいよね。 「GとCだけ使って歌っている 涙流して本気で歌っている GとCだけで歌ができるならこんな楽なことはない」って、やっぱりこれはさだまさしのことなのかなぁ。

「精霊もどし」
っておもったら、次の曲が明らかに、さだまさしのパロディーだよ。 まったく、所さんもさだまさしをそうやって小馬鹿にしますか。 なんかもう、チャルメラの音色とシリアスなピアノで、もう、なんというか、さだって世界で、メロと詞は「精霊流し」と「無縁坂」と「防人の詩」のごたまぜで「年老いた母」とか「去年の浴衣」とか、これまたさだの世界のコラージュ、もう笑える。 さだのやっていることが馬鹿に思えてくる。 しかもサビの「犬は死にますか 猫は死にますか 運が良くても凄くても 十年前後です」って……。

「Time is green peas」
なんかやったら重いギターの音にかっこいいなぁ、と思ってよく聞くと、チャーハンのグリーンピースがどうちゃらって歌でズッコけてしまう。 「チャーハンのグリーンピースは食べなくていいんだよ」って。 歌い方は矢沢の栄ちゃんはいってる??  途中なぜアグネスチャンが出てくるのか意味がわからないけれど、面白いからいいや。

「西武園恋歌」
今度は「青葉城恋歌」のパロで、またまた埼玉県民所ジョージの自虐系SONG。 出だしの「柳瀬川 注ぐ狭山湖」の「柳瀬川〜」のだらしない音程でまず笑ってしまう。 メロは抒情歌というか、まんま「青葉城恋歌」なのだが、詞がとことんアナーキー。 花見でおっさんが酔っぱらってぽろぽろ狭山湖に落ちて溺れて死ぬという歌、な、の、か、な。 「ここにはまぐり〜〜」の天丼っぷりが不条理でこれまた。それにしてもひどい歌だよなぁ。って、まぁ、ふたりしてそういっているわけだけれども。

「生活の基礎」
ドラム一本によるフリージャズだぁッッ。スーパー早口でお風呂の栓をしないとお湯がたまらないことを所さんは主張しております。

「白いTシャツ」
あ、そういえば彼って、宇崎竜童に見出されてのデビューだったんだな、ということをふと思い出すさわやかロケンローな一品。 バイクに、風になびく髪に、ブルージーンズに、白いTシャツに、夏の一景っていう、こういうのも案外悪くない。サックスの音色が清涼感を届けております。

「どぶがたまってかわくように」
オーラスは「川の流れのように」のパロディー、っていうかこれ、絶対真面目に怒られるよ。 天下の美空ひばりの向かって「どぶ」のイメージで対抗というのも強烈だが、突然「勝つと思うな」なんて「柔」したり、「港町十八番地」風にあぁあぁ唸っちゃうのも、笑える。 歌唱も美空ひばりの物真似っぽくやりつつもデフォルメきつすぎで、酔っ払いが引きつけ起こしてゲロをはいているような歌唱にも聞こえるわけで、なんというか、ひばり風ファルセットをここまで気持ち悪くデフォルメして大丈夫なのか?  大サビ途中で唐突にストップタイムして「これ聞いている人いるのかな」とぼやくのも最高のタイミングで、絶妙に決まっている。思わず噴き出してしまう。悪気のない悪意が、いいね。



しかし、このベストで「ギャンブル狂騒曲」がはいっていないというのが、ちょっと意外だったりする。「パチ、ウンコ」とか「パー、チンコ」とか「さてはなん、きんたますだれ」とか、小学生のように確信犯的にシモに走るこの曲は外せないでしょう、 ってのはありますが、ともあれ、みなさんも所ジョージの馬鹿馬鹿しくも熱いハートにもっと触れてみるといいよ、ということで今回は終わりっっ。
冗談の影で結構良質のフォークでもあったりするのですよ、意外と。ホントに。

2005.11.01
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