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2005 加藤登紀子コンサート 

「Now is the time 〜今があしたと出逢う時〜」

加藤登紀子のビジネススタイル

(2005.11.25/和光市民文化センター)


1.Power to the People  2.自由に生きるってどんなことだろう  3.時には昔の話を  4.この空を飛べたら  5.島唄  6.そこには風が吹いていた  7.ひとり寝の子守唄  8.檸檬  9.絆  10.今があしたと出逢う時  11.花筐  12.おっ! 祭り  13.Iphupho 夢  14.Passion  15.MAMA  16.青い月のバラード  17.残照  18.Revolution  19.百万本のバラ  20.知床旅情  21.あなたに 


Pf:Themba Mkhize key:細井豊 Dr:沼直也 Gt:告井延隆 Bs:Victor Masondo


 前々から気になっていることがあった。 加藤登紀子のことである。
 もちろん、彼女の歌、彼女の表現スタイルに魅了されたのは、ずいぶん前のことで、それはいまでもそうなのだが、 それとは、別に、彼女のことで気になることがあった。 それは「加藤登紀子というビジネススタイル」である。

 「知床旅情」「琵琶湖周航の唄」「この空を飛べたら」をはじめ、70年代にはヒット曲を数多く放った加藤登紀子だが、80年代に入って以降、ヒット曲には、めぐまれていない。 久々のヒットとなった「百万本のバラ」、また映画『紅の豚』のテーマになった「時には昔の話を」、さらに「島唄」のカバーなど、その後も広く知れ渡る曲を歌ってはいるのだが、セールスという形での成果はあまりでていないというのが実情だ。 ちなみに「百万本のバラ」のオリコンデータによる売上枚数は7.8万枚である。
 もちろん、アルバムのセールスもそれに準じており、80年代以降にオリコンウィークリーチャートベスト100にランクインしたオリジナルアルバムは、「百万本のバラ」ヒット直後にCBSソニーに移籍してリリースした88年作品『TOKIKO 1 愛さずにいられない』これのみである。

 シングルにおいてもアルバムにおいても目に見えるセールスという点では、さっぱり、というのが、ここ25年の彼女なのだが、 しかし、彼女は、その25年近く、ほぼ毎年オリジナルアルバムをリリースし(年に二枚、三枚リリースしている年すらある)、今の加藤登紀子を表現している。
 しかも、そのアルバムの内容というと、坂本龍一や上野耕治、ムーンライダース、Mark Goldenburg、菅野よう子にアレンジを頼んだり、あるいは、パリで、ウィーンで、北京で、L.Aで、ヨハネスバーグで録音したり、 表現スタイルも、バンドサウンドの時もあれば、テクノ系の打ち込み、時にはオーケストラをバックに一発録音、 ジャンルは、フォーク、ロック、歌謡曲、テクノ・ニューウェーブ、ロシア民謡、サンバ、タンゴ、シャンソン、ファド、中国歌謡、琉球歌謡などなど、じつに多彩。 さまざまな挑戦をしている。

 ここまで贅沢で充実したアルバムを、どうやって彼女は作りつづけているのだろう。
 もちろんその一方を支えるのは、彼女の旺盛な創作意欲であろう。が、その一方、ものを作るに"先立つもの"が、このセールス実績で、何故。

 彼女がいまでも積極的にコンサート活動をつづけていることに鍵があるのではなかろうか、と私は直感した。
 加藤登紀子は、いまでも、毎年50本以上ものコンサートをおこなっている。年100本とまではいかないが、多い年では80本を越える年もある。 これだけのライブの数をこなす歌手は、60代の歌手では日本ではおそらく彼女だけだろう。 世界レベルでも、これはなかなかないことじゃなかろうか。 加藤登紀子は、ひそかに日本屈指のライブアーティストなのだ。
 というわけで、その鍵を探しに、わたしははじめて加藤登紀子のコンサートに訪れた。 2005年11月25日、和光市民文化センター。40周年記念コンサートツアーと題されているが、 彼女にとってこのライブは、毎年の、数十のうちのひとつ、である。特にメモリアルなイベントライブでは、ない、



 会場入り口の行列を見ると、ほぼ加藤登紀子と同世代の60代の客が目立つ。 年齢は50〜70代がボリュームゾーンか。わたしと同世代の20代の客というのは、まず見当たらない。 男女比は、女:男で、7:3。女性の方が多いが、男性も意外といる。

 同行したゆずな嬢と「パンフレットを買うかどうかと」と話しながら入場すると、 チケットの半券を切られる、その場でパンフレットを渡された。 パンフレットは、入場者全員に無料配布。そんなにコンサートに入り浸っているわけではないので、なんとも判断できづらいが、ともあれ、ポップスでこれははじめて。 しかも全色カラーで20P。かなりしっかりしたつくり。
 内容はネームが中心でもりだくさん。加藤登紀子自身にきく歌手生活40年をふりかえるインタビュー。親交のあるなかにし礼、松本零士、中島みゆき、坂本龍一、和田アキ子らから40周年の加藤登紀子へのメッセージの数々。 これまでの軌跡の一部となる写真や当時の記事。 さらにファンクラブ会員によるニューアルバム「今があしたと出逢う時」座談会。 最後にはディスコグラフィー、ニューアルバムの歌詞まで掲載してある。 おそらく今回のツアー全ての箇所で配っているものなのだろうが、 資料として、また読み物としても、よくできている。 加藤登紀子という歌手をよく知らない人――「知床旅情」しか知らない人が、彼女がこれまでなにをしていて、今はなにをしているのか、その概略がなんとなくわかる作りになっている。
 また、パンフレットに挟んであるプリントを見ると、ライブによくあるアンケートや、また他のアーティストのライブのチラシの他に、今回の40周年記念コンサートツアーのライブDVDの告知があった。 加藤登紀子は98年以来、大手レコード会社との契約の一方で、自身のレーベルでのアルバムやシングルのリリースも行っている。その一貫として今度はDVDもトキコ・プランニングでリリースするようだ。

 会場入り口となりにコンサートのいつものごとく、CDとグッズの販売場があった。 ただ、開場してすぐだからなのか、あまり人気はない。グッズは、件のDVDの予約の他は、自著など些細なものが中心で、特にコンサート用に何かを作っている、という感じではない。 グッズを買いあさるような熱狂的なファンがライブの客層ではないのだろう。
 CDはユニバーサル以降のものが中心。――と、ぼんやりと見ていると、『CD購入者は、ライブ後に加藤登紀子のサインがもらえる』との告知を見る。 へーー、そういうことをするんだ。素直に驚いたが、あまり気づくものがいないようで、こちらもさほど購入者は目立たない。
 客席は、満席ではないが、八割方うまっていた。1200人強収容の会場で、1000人は埋まっているか。 わたしは二階席最後尾に近い席で参加した。



 ライブは、いきなりジョンレノンの「Power to the People」(――もちろんアルバム未収録)からはじまった。 真紅と黒のドレス。ドレスとあわせた真っ赤なリードギターを弾きながらの、ロケンロール登紀子。 そして、いきなり客席とのコール・アンド・レスポンスをもとめる、ロケンロール登紀子。 ――や、お登紀さん、そんな自分のレパートリーでない曲をいきなり歌って、それでいきなりノれるほど、 客席は温まっていないだろ。 それにエレキ片手のロケンロール登紀子は世間一般のコンセンサス、まだ取れていないし。
 とはいえ、おかまいなし。 いきなりの暴走についていけない客席に 「怒っていない? なんか怒られているみたいに見えたわ」 などとかましてつきすすむ登紀子。
 舞台は、極めてシンプルだ。特に凝ったセットはなにもない。 照明の変化だけで見せている。

 この日のライブは二週間前に南アフリカから来日したばかりというVictor Masondoがベースで、Themba Mkhizeがピアノで参加。 そのこともあって、この日のセットリストは、ニューアルバム『今があしたと出逢う時』と、彼らが参加した2000年のアルバム『蒼空』からがメインに据えられていた。
 「ひとり寝の子守唄」や「この空を飛べたら」など、いわゆる往年のヒット曲も組み込まれていたが、ほとんどがリアレンジされていて(――アレンジはMasondo、Themba両氏が参加した2001年のセルフカバーベスト『MY BEST SONGS』のものに一番近かった)、 40周年記念と銘打たれているものの、懐メロコンサートという印象はない。舞台で表現されるのは、あくまで『いまの加藤登紀子』。 正直、ここまで新曲やあまり知られていないアルバム曲で構成してくるとは、思わなかった。

 舞台の上の加藤登紀子は「女には一生エロスが欠かせない。恋をしなくちゃ」などと気を吐いたそのすぐ後に「一生ひとりの男と添いとげる。それも大切。彼がなくなったあとに気づくものが絶対ある」 などと支離滅裂で、なんとも天然でひとり上手のハイテンションなのだが、 自分だけしか見えていない、ということはけっしてない。
 舞台の上の彼女は率直で、暖かい。客席を包むやさしさがある。
 彼女は、あまり浸透していない歌を歌うとき、それらの曲が出来た時のこと、どういう契機で、なにを思って、その歌を作ったのか。あるいは、この曲をどうして今日歌おうと決めたのか、 けっして大袈裟でなく、さりげなく、それを歌う前に伝える。しかもその語りが、彼女の豊かな経験が反映しているからなのか、じつにうまい。
 インド洋大津波で多くの死者をだしたスリランカのヤーラ国立公園を訪れた時に頭の中で鳴り響いたという「蒼空」。 カンボジアで見た光景を思って作ったという「残照」。 アルバム『蒼空』のレコーディングで訪れた南アフリカのソエト(アパルトヘイト時代の黒人居住地区)で見た美しい光景。 藤本氏の死後、二年間、オリジナル楽曲が作れなかった、と語った後に歌った「檸檬」や「絆」。
 客席に座る聞き手は、彼女の飾り気のない語りとそして続く歌とで、まだ知らない歌にそっと共感の触手をしのばせる。 こういう場面が、いくつか、あった。 なるほど、こうやって彼女は会場全体を巻きこんで自分のものにしていくんだな。 知名度のあまり高くないオリジナル楽曲が続いたが、客席は充実しているように感じた。 そこには、今の彼女から客席に座るひとりひとりへのメッセージがあったからだ。

 アンコールは「百万本のバラ」「知床旅情」。最後の最後にとっておいた「お約束」に、ここで会場全体が大合唱になる。 さらにオーラス「あなたへ」(――モンゴル800のカバー)で登紀子は客席に降りだす。 登紀子は、会場の客に握手をしながら、あるいは二階席に手を振りながら、歌う。 そうなるともう会場は大炎上。総立ちで全員合唱。 ――それにしても60代が中心のコンサートで総立ち、というのもすごい。 しかも二時間ちょっと前に「Power to the People」で煽る登紀子に面食らっていた面々が、いまや、よく知らないモンパチのヒット曲を登紀子にノせられ大合唱、なのである。 おそらくそういう所作になれていないのだろう。立ち上がって必死に手を振ったり、体でリズムをとって歌うおじさまおばさまたちのパワーは、ちょっとほかのコンサートでは見れない。あつい光景だ。
 加藤登紀子の場を変える力の強さに感服した。 こうやって、日本各地はもちろん、ニューヨークで、パリで、北京でも、ライブをしてきたのだろう。



 アンケート用紙に記入して、会場玄関にむかうと、CD販売場が大混雑。 DVDの予約やら、その他のグッズも捌けている。 そして加藤登紀子のサインを求める長蛇の列がロビーを取り囲むように出来ていた。 
 数百人はいるだろうか。時計を見ると、22時。 あれだけのライブをした後に、加藤登紀子はこれから自らのCDを売りこむためにもうひと働きだ。 果たして、何時間かかるのだろう。それを考えると、もう、感服、というしかない。



 コールアンドレスポンスや、弾き語りの歌のリクエスト、客席におりての歌唱など、客席とのコミュニケーションを密にとって、時に「お約束の歌」をいれつつも、舞台の上は、あくまで現在形の自分。 あくまで新曲やマイナーな曲をメインに据え、そのかわりに聞き手の共感の触手にからめとられやすいようにMCでさりげない導入を入れる。 さらにパンフレットを無料で配布して、今の自分のやっていることもきちんと紹介する。 そのように「かつての自分」を求めてくるであろう聴衆に対して、 かつてをけっして否定せず、時にはその片鱗を見せつつも、一方で、さりげなく今の自分も聞き手に伝える。

 そしてコンサート後に熱が高まり、購入意欲が増している客にむけて、即売会兼サイン会を行って、さらに購入意欲をそそる。 これを年間50回以上。毎週よりも数多く、加藤登紀子はこなしている。 そしてCDやDVDなどの音楽アイテムは、大手の会社と契約しつつも、それでフォローできない部分は、自主レーベルでリリースし、今の自分を率直に表現する。 このようにチャートでは見えないところで、加藤登紀子は今の自分を多くの聴衆にアピールし、ライブで人を集め、CDを売っているわけだ。

 なるほど、加藤登紀子のコンサート活動は、全てが有機的に結びついていて、無駄なところがなにひとつない。 コンサートが、資金を回収する場にもなり、また仕掛ける場にもなっている。 結果、かつての彼女の姿を覚えていて、なんとなく訪れた聴衆を、今の自分にフィールド引きずりこむ場になっている。 テレビに出なくても成立する、ヒット曲がなくても成立する、磐石なスタイルが出来ているといっていい。
 ただ、これがほかの歌手にも援用できる手段なのか、と考えると、これが難しい。 彼女ほどバイタリティーのある歌手、というのは、おそらくいないからだ。

 これだけ積極的に歌手活動しながらも、その一方で、 加藤登紀子はUNEP親善大使として世界を駆けめぐり、さらに藤本氏の残した鴨川自然王国の仕事を引き継ぎ、さらになにやら書き物を執筆し(――HPの更新も旺盛)、書や陶芸など、みずからの趣味も存分に楽しんでいる。 ひとりで何人ぶんもの活動を彼女はしていて、それらのさまざまな活動が、結果、歌手としての彼女にもフィードバックして、常に感性が水分補給され、枯れない。それが加藤登紀子という歌手の魅力なのである。
 こんなに世界が広い歌手は彼女以外に、まず、日本にはいない。 だから、このスタイルは、彼女しか出来ないだろう。

2006.01.30
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