接頭、接尾に「J」とつく言葉ほどインチキの匂いがするものはない。軽薄でいかがわしくって、ペラッペラで。 「Jリーグ」という以来、国産モノにはなんでも「J」をつけりゃいいと思ってやがるのか。J-POP、J-RAP、J文学、Jミステリ、J-BEEF、J-phone、JJ、JR、JA、JRC、JTB、J-WALK、8時だJ……。(どんどんずれていることは、秘密だ)。 ええいっ、責任者でてこい。 と、今回も冒頭から脱線しまくりなのであるが、そんないかがわしい「J」を冒頭に掲げたレコードのレーベルがある。その名もコロンビアの「J-ROOM」。 クラシッククロスオーバーな「いやし系」は元々「J」の匂いがぷんぷんだったわけだが、それを見事に名にし、体現してしまったレーベルで、いわゆるエルダー向けに「J」でクラシカルで癒しな音楽を作っているらしい。 という、そんなレーベルで今、本田の美奈子ネェさんはクラシッククロスオーバーでかんばっているのである。 つーことで、今回の新譜「時」。発売記念にドットをつけた朝霞のマドンナなのだが、ってこりゃ運が悪い。書上奈朋子ネェさんの「psalm」に溺れて「だから今時のクラシッククロスオーバーなんてジャンルは退屈なんだよ」といきりたっている私の耳に届けられたのがその「今時のクラシッククロスオーバー直球」の作品っていうんだから、もう果てしなく運が悪い。 そりゃ、確かに美奈子ネェさんの歌はうまいけど、中産階級のイヤなお文化っぽさが漂うこの路線をずっと続けるのか、と思うとちょっと不安。 「いやし系」というくくりにおさまっていいのか。「J」のいかがわしさをそのまま背負うつもりなのか、美奈子。 今作は前作「Ave Maria」のそのまま延長にある作品といえる。良くいえば前作よりこなれているし、悪くいえば、特に変節も感じられず、前作よりも楽曲選出や楽曲のプロダクションなど周囲のテンションは落ちいてるように聞こえる。 前作における「Time to say Good bye」や「Jupitar」、「Amazing Grace」のようなポップでわかりやすくかつ美奈子の歌唱力が堪能できる楽曲が少ないのはちょっと残念。 しかし、そのなかにあって美奈子の歌声だけが以前よりもまた延びている。ハイトーンで歌い倒していき、絶好調。 プッチーニの「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」とか、ヴィラ・ロポスの「ブラジル風バッハ」の「アリア」とか、歌声に思わず圧倒されてしまう。 またテンションが落ちたとはいえ、岩谷時子と井上鑑によるオリジナル曲の「時」だけはダントツに光っている。「つばさ」以来の彼女であるからこその名曲といっていい。これは絶対残る。 またラストを飾る「この素晴らしき世界」(ルイ・アームストロングの反戦歌として有名)も泣ける。これは94年の「Junction」収録からもれた楽曲なんだって。今だからこそこれは収録したのだろうな。 と、まぁ、それなりにそつなくしっかりとまとまっているといえばそうなのだが、しかし、本田美奈子がこのままこの路線を突っ走っていいのか、というと、冒頭の「J」への苦言の通り、ちょっと疑問だったりする。 正直いってスリルが足りない、そしてドラマが足りない。そしてなんだが微妙にインチキっぽい。 もっと大きな歌手になれると思うんだけれどなあ、本田美奈子は。以前のような流行りモノのうたかたポップスをやる必要はまったくないけれども、こういうお文化な仕事が彼女の最終地点かというと違うといわざるを得ない。 岩谷時子、井上鑑というラインは変えなくてもいいから、次はオリジナル楽曲がメインでハイトーンボイス以外の声も楽しめるアルバムにして欲しいよなぁ。もしクラシックなどのカバーにするにしても、せめてテーマを絞って「題名のない音楽会」っぽさを払拭してくれると嬉しい。 でもって今後は、クラシックや映画音楽だけでなく、ロシア民謡とかファドとか、世界各国に散らばっているトラッドな歌なんかに注目していくといいと思うけれど、どうかな。 それにしても類稀なる歌唱力ゆえにアイドルとしての居場所がつくれなかった本田美奈子と現代音楽に対する知識と意欲ゆえにポップス系アレンジャーとしての居場所のつくれなかった井上鑑がタッグを組んでいるというのも考えてみれば興味深い。 あ、そうそうCDのおまけが「シール」ってのはやめたほうがいいかも。しかも隅っこに「375」マークがあるし。ひと昔前のアイドルのアルバムじゃないんだからさ。 |