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手嶌葵 『春の歌集』

21世紀型抒情アイドルポップス

(2007.02.07/ヤマハ/YCCW-10033)

1. 岸を離れる日 2. 風の唄 3. 徒然曜日 4. 月のかけら 5. 卒業式 6. 花びら 7. 心の調べ 8. 願いごと


 春は、ひとり。
 冷ややかな空気が、流れる。

 「春の歌集」
 早春によくあう、いいアルバムだと思う。
 春休み、人気のない学校の廊下をひとりでひたひた歩いているような、懐かしくも切ない気分になる。
 ――ひと月ほど前までクラスメートと一緒にさわがしく行き交っていた廊下。いまは、ひとり。暖かい午後の日差しが斜めに差し込む。 周りはしんと音もなく静まりかえっているのに、ざわざわと心は揺れる。窓の向こうを見ると、花びらがはらはらと風に散っている。……。

 ファースト「ゲド戦記歌集」は、タイトルの通りあくまで"ゲド戦記のアルバム"だった。 このセカンドこそが、"手嶌葵のファースト"といっていいだろう。 彼女はとてもいい形ではじめの一歩を飾れたのではないかな。
 "春の別れ、新たな旅立ち"をテーマに、派手やかさはなにもないが、しっとりと心に寄り添ってくる、 とても抒情的な一枚だ。アーサー・ラッカムのジャケットイラストも美しい。



 作家陣は前作からの谷山浩子の「岸を離れる日」(――97年アルバム「カイの迷宮」からカバー)、新居昭乃の「月のかけら」「花びら」、さらに元Jungle Smileの吉田ゐさおの「徒然曜日」「卒業式」「心の調べ」と 手嶌と同じヤマハ所属、あるいはヤマハ出身人材が目立っている。
 ピアノや弦をメインに据えたサウンドに、落ち着いた詞、そこに"フェアリーボイス"とコピーのついた彼女の声が乗る。 こういうアルバムが2007年にリリースされたというのが、とてもわたしは嬉しい。

 手嶌葵の歌は一般的にいって、けっして上手い方ではない、と思う。
 圧倒的な声量とか確かな音程とか幅広い音域とか、そういう部分で聞き手を魅了する、いわゆるボーカリストタイプではないし、あるいは、あらゆる歌を自らの懐に抱きこみ自らの歌にしてしまう歌姫タイプでもない。 がしかし、彼女の声には否定しようもない強い磁場を持っているのだ。 ( 彼女のブレス音、あれが、象徴的なんじゃないかな。あんな呼吸、一般的にいったらダメなはずなんだけれども、彼女に限っては不思議と魅力的なのだ。)
 そんな不可思議な彼女の存在感に似合った詞・曲・アレンジの楽曲を作り与える。と、そこに唯一にして無二の圧倒的な歌がうまれるのだ。
 これは、70〜80年代に隆盛を極めたアイドルポップスの作り方によく似ている。 この「春の歌集」はそのもっとも良質な部分だけを抽出して再構築したような、そんなアルバムといってもいいと思う。 手嶌葵は、太田裕美や斉藤由貴や裕木奈江の水脈の果てにある。 彼女の歌は、怜悧な少女趣味。幻でしかないはずの"少女"の歌声である。



 明らかに「徒然曜日」は「テルーの歌」を意識しているよなぁ(――てか、彼女のオフィシャルHPではじめて聞いた時、タイトルといいメロディーラインといい、絶対谷山浩子作品だと思った)、とか、 新居昭乃の「月のかけら」「花びら」は、詞・曲ともにいつもの新居昭乃まんまなのを、これまた手嶌葵はデモテープの新居さんのまんまに歌っちゃって(――物まねレベルだわよ)、"これ、新居さんの新曲ですか ? "って仕上がりになっちゃっているよなあ、とか、 オープニングに「岸を離れる日」というのは間違いないけれど、アルバムのラストかその前に、おっ、と思えるような大きな曲があったら、全体がぐっとしまってもっと良かったよなぁ、とか、 こういうサウンドは、詞が鋭いほうがなおいいんだよなぁ、ぼんやりと聞いていて一瞬はっとなるような、そういう詞がもっと欲しいよなぁ、とか、 1800円で全8曲って、こういう低価格戦略、ユーザーとしては嬉しいけれども、彼女みたいな歌手ではメリットと少ないんじゃないの、とか、 正直に言えば、色々と思うところは多いんだけれども、それだけ期待しているということ。

 手嶌葵も順調に芸能活動を続けていけば、いづれセルフプロデュースに傾くのだろうけれども、今は無意識過剰な"アイドル"で居てほしい。 そして周りは、「ジブリ映画主題歌で脚光を浴びた歌手はみな一発屋で終る」なんて定説を吹き飛ばして、 彼女の存在感をもっと面白がって、もっといろんな楽曲を与えてやって欲しいな、とわたしは思っている。
 このアルバムに「無防備な存在感」という一昔前のアイドルの良さそのものみたいなコピーを掲げるところを見るに、そのあたり、スタッフはよくわかっているとは思うけれどもね。

 ひとまず今後の課題は、谷山浩子以上に彼女に合う作家を探すこと、かな。 結局このアルバムのベストも谷山作品の「岸を離れる日」だったものなあ。
 "谷山―手嶌はゴールデンコンビ"と腹をくくって、延々と提供を受けるのもいいけれども(――1枚谷山プロデュースでアルバムは欲しいかも)、それだけで終わるのも面白くないでしょ。
 え、だったら誰に提供してもらったらいいのよって ?
 うーーん、大島ミチルとか山口美央子とか斉藤由貴とか松本隆とか、ありきたりなところしかわたしは思いつかないわ。



 おまけ。
 ここでひとつ、覚えておいて欲しい名前を挙げる。
 手嶌葵のA&Rディレクターの佐多美保。
 80年代後半に長岡和弘のアシスタントとして、斉藤由貴・谷山浩子のアルバム制作に参加していた彼女、YMC設立以降ふたたび谷山浩子の作品のディレクションを執っている。 谷山浩子に手嶌への楽曲提供を思いついたのはおそらく彼女なんじゃないかな、とわたしは読んでいる。

2007.02.08
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