ある日、突然わかるときがある。 それまで大してよくわからないものどもが不意に「腑に落ちる」というか、体でわかるときがある。 それはそれまで嫌いだったはずの食べ物を気紛れで食べてみて、その妙味が突然わかるような、そんな感じに似ている。 ある日、私は気持ちが沈んでいた。 何をしても落ちつかない。どんなものも色褪せて見える。何もしたくない。 なにか特別な理由があるわけではない。ただ、どうしようもなく気鬱だったのだ。 テレビも本も今はいらない。誰とも話したくないし、なにもいいたくない。 そんな時、ふと、筆すさびで歌を詠んでみた。 いわゆる「短歌」である。 ひとつ、ポツリと歌を落とす。 と、続けざま歌が生まれた。 不思議なものである。歌を詠むとまるで殺風景な部屋に1輪だけ季節の花を生けたような、そんな少しだけ華やいだ心になるのである。 思いつくまま、十数首をあげ、ふと自分の心を覗くと、すさんだ気持ちが綺麗になくなっていた。 いままで、俳句だとか短歌だとかそういった詩歌に対してこれといった興味も、学もなく、あんなもののどこがいいのだろうね、と知ったような顔をして小馬鹿にしていたのだが、なるほど、実際詠んでみるとこれはこれでありだな。と。 その時突然その魅力に気づいたのである。 和歌というのは気紛れに描く落書きや短い手紙のようなものと似ているのかもしれない。 肩の力を抜いて、気持ちの空いた時に、なにも考えずふらりと創る。 そして、良いとか悪いとか、上手いとか下手というのは、この時あまり関係ないのだ。 なぜならこれは自分へ宛てた手紙のようなものだからだ。 ちなみに、その時の歌を数首。
数日経った今、これらを眺めると、ずいぶん気持ちの落ちこんだものもあれば、物語的なものもあるし、可愛らしいものや呑気で日常的なものもある。 自分のその時のありようみたいなものが多面的に現れていて楽しい。 これからは、ちょっと時間が空いたりなどしたら歌を詠んでみるというのもいいな、と思った。 こうして今まで見えなかったいろんなモノの魅力というものがだんだんわかっていくのだから、生きていくというのも満更悪くない。 |
2003.10.18