谷山浩子、今年の新作は、これ。36年のキャリアの中から今まで音源化されることのなかった提供楽曲を一堂に会して、ピアノ弾き語りで一気呵成に瞬間パックしてアルバムに仕上げましたよ、という作品集。全21曲にDVDのおまけまでついてくるという大盤ぶるまい。レコーディングは2008.6.4〜5のパルテノン多摩にて、会場にはファンクラブの会員をいれてライブ形式で行った――というわけでタイトルの通り「タマで弾き語り」というわけ。こまかい商いをいろいろ集めてみました、というだけに見えて、なかなか度胸のあるアルバムだよ。 これは「創業35周年記念第三弾アルバム」と位置づけといっていいんじゃないかな。 昨年発売の再編集「静かでいいな」「フインランドはどこですか?」の一連の流れにあるアルバムと私は感じた。 「静かでいいな」が「谷山浩子のはじめの一歩」であるとしたら、「フィンランドはどこですか?」は「現在進行形の谷山浩子」、そして今回の「タマで弾き語り」は、その間の35年を埋めるアルバム、という感じ。 一番古い楽曲の初出がデビュー以前の1970年、新しいのが2006年。これだけのスパンのものをひとつの作品集として、しかもライブ形式によるシンプルな弾き語りというスタイルでまとめている。 これはもう、誤魔化しようがない。小手先の小細工でどうとなるものでない。アーティスト・谷山浩子の才能が、くっきりとうき彫りになってしまう。 シンガーでありライターである谷山浩子は、一体どういう表現者なのか、根本になにがあるのか、そして35年という時間の中でなにをやってきたのか。すべてまるはだかだ。 それをあえてやるというだ。35周年ということで腹を括ったのか、はたまたそれだけ彼女が図太くなったということか、あるいは天衣無縫なノープランなのか。 さてはて、私が聞いてまず驚いたのは、こんな名曲が埋もれていたのか、というその単純な事実である。 だれしもおとずれる少女(少年)期の終わりを暗喩でさりげなく歌った佳曲「こわれたオルゴール」(河合奈保子提供曲)にはじまり、夭折の美を歌って悲しい「イカルスの子守唄」(石野真子提供曲)は「わたしの恋人」の世界を蒸留して濾過したよう、日常の悲劇が幻想的なメルヘンの世界に広がる「イマージュ」(木ノ内みどり提供曲)は後の「洗濯かご」にも通じる傑作であるし (――それにしても松本隆との共作がこれだけ、というのは驚き。表現する方向の限りなく近く、斉藤由貴、太田裕美と共通する人脈もあるのに……)、「ガラスの天球儀」「Morning Time」は、恋愛とファンタジーの融合した一品で今まで収録が見送られたのかが不思議なほどにいつもの谷山さんの世界。 さらに、三原順「はみだしっこ」のイメージアルバムからの「冬の果実〜グレアム〜」はひりひりとするほどの生きる痛みと不条理を歌っている。90年代に入るとこのような歌の増える谷山浩子だがこの時代にもつくっていたとは、これまた驚きだ。 どれもこれも傑作であり、これらに一貫してある瑞々しい詩情が眩しい。 そしてまた驚いたのが、谷山浩子、意外にもバラエティーがとても豊かなのだ。 校歌、市歌、社歌のたぐいから、童謡、CMソング、アニメの劇伴、さらに10代の女性アイドルソング――。 様々なその時々の発注を受けてこれらの歌は生まれたのだろうが、本当に、それぞれが色んな方向性を持っている。 実に多様性に飛んでいて、その裾野は広い。 しかしながら、核となる「谷山浩子」の音楽性は揺るがない。だから散漫でとっ散らかっている、という印象にはならない。 聞いていて、「あ、これ、谷山さんの歌だ」と、メロディーから詞から、やっぱりわかってしまうのだ。 「ねこねこでんわ」「ねこじゃないもん」であいもかわらずのぶりっぶりのロリータ声でごろにゃんしても、コーラス隊と共に勇ましく「ヤマハヤマハヤマハ――ッ」と連呼しても、谷山浩子は谷山浩子。磐石なのである。 「谷山浩子」を山で例えるなら、円錐形のコニーデ型、富士山のようにすっくと綺麗な佇まいといっていい。 35年の間、サウンドはフォークからニューミュージック、テクノからアイリッシュ・プログレ系、さらにシンプルな弾き語りへと回帰し、と変化を遂げ、詞は私小説とファンタジーのあいだを行ったり来たりしながら、少しずつ視野を広げていった彼女であるが、芯にある部分はなにひとつ変わっていない。そこにあるのは極めて豊饒でしなやかな音楽性である。それを改めて痛感した。やっぱり彼女は本物なのである。 このアルバムを聞いて、これから彼女は、もっとシンプルで、もっとストレートなアーティストになるんじゃないかなぁ、という予感がした。 これだけの手練手管のテクニシャンのストレートというのは、それはもうそら恐ろしいわけで、つまりわたしは楽しみにならずにはいられない。 |
2008.10.09