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田中美奈子 「MINAKO COLECTION」

(1992.08.25/徳間ジャパン/TKCA-30635)

1. SEASON 2. 恋のバカンス 3. 涙の太陽 4. ギリギリしてる 5. 出来過ぎLandscape 6. TRUTH OF DREAM 7. 夢をあきらめないで 8. Tell Me Why 9. Dancing in the Shower 10. 左手で誘惑TONIGHT 11. Stay Here 12. Pretty Angel 13. マーメイド 14. 風にのって


85年のおニャン子ブームを端緒に、86年の岡田有希子の自殺、87年の堀ちえみの電撃引退、そして89年の中森明菜の自殺未遂、松田聖子、南野陽子の事務所移籍前後のトラブル……。
「テレビの向こうのファンの『恋情』をもよおすテレビの国のお姫様」という古典的なアイドル方法論は結局平成の壁を突き破ることが出来なかった。
その代わりに現れたのが「テレビの視聴者(=ファンではない)の『性欲』をもよわせるアイドル=セクシー・アイドル」である。
過激なコスチューム、磨き上げられた肢体。もう既に成熟しきり、男性の手に消費されることを待っている「商品としての女性」。 オナペットとしてメディアの俎上に上っていることを決して隠蔽しないアイドルである。
それまでのアイドルにあったもの。綿菓子のように甘くふわふわとしたものや、雲母のようにはかなくきらきらしたものはないそこにはない。かわりにあるのは生々しい経血と精液の匂いである。


このラインのアイドルとして登場した一人が田中美奈子であったと記憶する。
同時期にでた同業他者が、森高千里、杉本彩、かとうれいこ、岡本夏生らであったと記憶する。
まだ「アイドル=歌手」という構図が残照のように芸能界に残っていたからか、彼女らの多くがアイドル歌手として活動した。 特に田中美奈子は森高千里と共に歌手としての面を前面に押し出した活動であった。

実際彼女はよく歌番組に出ていたし、楽曲を担当する作家陣も小室哲哉、屋敷豪太、織田哲郎、小比類巻かほる、ESSEXなど豪華だったし、しかもシングルは結構色々なタイアップをつけていたし、 ということで売りこみ満々。だがビックリするほど話題にならなかった。少なくとも当時の男子校のヤローども(――つまり私の周りでは)には。

需要があまりありそうにも思えないのにやたらメディアがプッシュしまくっているよなぁ、と、当時の私は子供ながらに妙に醒めた気持ちでテレビにうつる彼女の姿を視聴していた。
実際、ビジュアルから男性週刊誌的な話題にはなっていたようだが、おっさんがCDを買いに走るわけはなく、もちろんビジュアルから女性受けするはずもなく、本来のアイドルのメインユーザーである10代のガキんちょにしてみたらあまりにもバブル全開でケバ過ぎて引いてしまい……。 結局1曲もベストテンヒットを放つことなく5年ほどで彼女は歌手活動を終えることになる。

当時を懐かしむ気持ち半分でベスト盤「MINAKO COLECTION」をじっくり聴いてみたが、やっぱりなんとも微妙な味わい。

クラブ受け狙い直球の「Dancing in the Shower」や「左手で誘惑TONIGHT」(それにしてもよく当時でこのあたりの曲をシングルに切ったよな。その勇気には感服する)のESSEXアレンジのハウス作品が彼女の音楽のメインストリームといっていいだろう。この延長線上に小室時代が訪れるとみていいかな。
などと、そんな興趣を催したり、す、る、が。それ以上に、なんっつーか彼女の声が無駄にキンキンし過ぎだよ。おい。

後期の「SEASON」「恋のバカンス」あたりになると少しはやわらかい歌いかたになるけれども、うーん。 決して下手じゃないんだけれども、情感というか音符の裏にある艶というか、彼女の表現の方向が全く見えないよ。
各曲のクオリティーは時代性を鑑みたら充分及第点といえるものだけれども、ゆえに彼女の棒のような歌い方がどうにも咀嚼できない。 「なんで歌っているの」感バリバリ。 聴く限り彼女は最後まで歌手として明確な方向を見定めることはできなかった模様。


結局平成突入直後のセクシーアイドル第1期生は森高千里以外のほとんどが歌手として成功することなかった。
さらに次の飯島直子、飯島愛、細川ふみえ、CCガールズの第2期が来るに到って、より一層「セクシー・アイドル」というカテゴリーが明確になる。 グラビアとバラエティー番組が活動フィールドという現在ある形になったのはこの頃であろう。以降、セクシーアイドルがマイクを手にするということは何かの冗談や企画以外になくなっていく。
さらにアイドルにあった一方の「歌手」の部分はガールズポップであるとか、プロデューサー主導型アイドルだとかに変形していく(―――ちなみこのアルバムでは「ギリギリしてる」とか「SEASON」あたりにスタッフのビーイング系ガールポップへの野望が垣間見えてなんとも、いとおかし)。

田中美奈子はいわばアイドルというものが形態を変えるちょうど途上のアイドル。始祖鳥のような存在であったといえる。 作品を聴くに確かにそんな過渡期にふさわしい微妙な人材と作品群。これを聴くと当時の森高千里のウルトラCぶりがよくわかる。


2005.02.20
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