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河合その子 『Replica』

「おにゃん子」という呪縛

(1990.04.21/CSCL-1120/CBSソニー)

1.ひとときの未来 2.アネモネの記憶 3.さよならの嘘 4.刹那で踊りたい 5.夜明けをほどいて 6.月夜 7.空を見上げて 8.フレンズ 9.恋はやさしく 10.銀色海岸−Mind Lithograph−


見る目さえ確かならばその人の履歴というのはさしたる意味のないものなのではある、とはおもう。 人柄やその人の目指すものというのは目を見開いてじっくり対峙させてみればたいていわかるものだし、その時に出自というのはさしたる役割ははたさない。と。 とはいえ、人はとかく、出自や肩書きというのを気にしてしまいがちだ。 みず知らずの人を即座に判断する時にはやはり、その出自を念頭にせざるをえないわけだし、 そんな時はそうしたわかりやすいアイコンというのに、人はどうしても頼ってしまう。それは仕方のないことだと思うし、責めることは出来ないだろう。 先入観や偏見なくしては、付き合いのとば口がわからないということもよくあるわけだしね。 翻っていえば、人という生き物はそうやって他者をあらかじめ規定して、はじめてコミュニケーションができる生き物なのだろう。

人とのつながりというのは、そういった面倒な手続きが必要であるわけで、先入概念を逆手にとって成功する人がいれば、それに引きずられて上手くいかない人もいる。 前者はまぁ、いい。問題は、後者。彼らを見る私の心には「不器用だなぁ。なんとかしてやりたいなぁ」という判官びいきの感情がどうしても育っていくのである。
というわけで、今回の作品は河合その子の『Replica』である―――といって、私が何をいわんとしているかわかる人は既におわかりであろうが、 このアルバム、全作品が河合その子自身の作曲によるアルバムなのである。



「河合その子」といえば、「おにゃん子クラブの一員」というのが一番強いパブリックイメージだと思う。
「おにゃん子クラブ」のパブリックイメージというのは「素人の女子高生を集めて、放課後の課外活動のノリで学芸会レベルの歌を粗製濫造したアイドルグループ」といったところといって間違いないわけで―― たしかに、このイメージは間違っていない。そうしたコンセプトによって『夕焼けにゃんにゃん』という番組は作られ、「おにゃん子クラブ」というグループは生まれたというのは事実なわけだし、 とはいえ、これはあくまでコンセプト。実際は、レコード会社や事務所のオーディションを受けた歌手・タレントの候補生がもおにゃん子のメンバーには多くいた(―――もちろん、加入当時は本当にずぶの素人、というメンバーもいたであろうが)。 そして、その歌手候補生の中に河合その子もいたわけである。

おにゃん子以前に既に彼女はソニーのSDオーディションを受け、事務所はナペプロに所属していた。 実際、譜面もデビュー時に既に初見で読めていたというし、彼女はデビュー曲で既にピアノの弾き語りを披露していた。
歌もおにゃん子加入時は口元の締りのない意図的なキャンディーボイスであったのが、おにゃん子脱退後の「青いスタシィオン」以降は本来の歌唱力を発揮、「悲しい夜を止めて」では早くもなまめいた低音やパワー唱法の魅力もリスナーに披露していた。 その実、彼女はしっかりとしたプロ志向の歌手だったのである。

が、彼女の活動には常に「おにゃん子クラブ」という壁がそこあったように思えた。 パブリックイメージとしての「おにゃん子クラブ」=「しょんべんくさいお嬢ちゃんの素人芸」という認識が彼女の歌手としての成長を阻害したように私には見えた。
彼女の初期の人気が「おにゃん子クラブ」によって作られたというのは、事実認めざるをえない。 実際、事務所、レコ社もソロとしていきなりデビューさせるにはなにか足りないと見たから彼女をおにゃん子に加入させたのであろうしね。 とはいえ、初期の人気と交換してもお釣りが来るほどおにゃん子以降の彼女は「元・おにゃん子」という足枷に苦しめられた(ように私には映った)。

『Mode de Sonoko』以降はアルバム制作のプロデューサーとして自身も参加し、「雨のメモランダム」以降はシングルのリリースと、テレビでの歌唱披露を止め、アーティスト活動に徹底し、そして『Dancin' in the light』では作曲まで担当。そして、その次の『Replica』では全曲の作曲まで担当する。 ものすごい勢いで彼女はセルフプロデュースの道へ歩んでいくのだが、それと同じようにものすごい勢いで彼女はファンを減らしてしまった。

考えてみると「マスのおもちゃで大人のいいなりの素人の女子高生アイドル」と「自身でプロデュースするシンガー」というのは真逆の方向性といえるわけで、 つまりは、彼女は歌手として一人立ちしようとすればするほど、歌手としてのポピュラリティーを失うという矛盾にぶつかってしまったのではなかろうか。
まっとうに歌手活動をしていくには初期のファンという層は斬り捨てていかなければいけない層といえるが、 しかし、旧来のファンを斬り捨てる代わりに手にいれていかなければならない新しいファン層は「元・おにゃん子」というイメージによって手に入れることがむずかしい状況。 (ま、正直いって私だって、ちゃんとアルバム聞くまで『エ――!?おにゃん子―!?』と思って避けていたわけだし、そうしたイメージというのは仕方ない。 誰だって、冒頭でいったように、内容以前に出自や肩書きで、というのはよくある話だしね。しかし、彼女はそのギャップがありすぎるよ。)

これでは、活動が袋小路に陥ってしまうのも道理というものだ。 河合は『Replica』を最後に歌手活動を休止、数年後、後藤次利氏と結婚し、正式に引退となる。



『Replica』という作品自体は非常に優秀な90年代の「ガールポップ」だと思う。 作品だけ見れば、彼女が、今井美樹や岡村孝子、平松愛理のように20代のOL層あたりに支持されるという展開は充分考えられるクオリティーとポピュラリティーを持っていると思う。 ビジュアル的にも典型的な美人顔であるし、おしゃれに装えば「OLの憧れる歌手」という路線は導きやすい答えなんじゃないかなぁ。
「ひとときの未来」などは今井美樹の「プライド」や「PIECE OF MY WISH」のように、OLがカラオケで歌いたくなるような作りの名バラードであると思うしね (これはもちろんあくまで作品だけを見れば、の話なのだけれども……。)。 ともあれ「元・おにゃん子」という足枷は彼女にとってはあまりにも大きすぎた。


工藤静香のように、おにゃん子時代のファンを納得させながら歌手活動を広げていくことも出来ずに(工藤静香はテレビ画面ではおにゃん子の風味を消していたが、コンサートではうしろ髪時代の歌を歌ったり、MCで「会員番号の歌」をおどけて歌ったりしていた)、 また渡辺満里奈の様に徹底しておにゃん子時代を封印して活動することも出来ずに(渡辺は96年8月8日の「おにゃん子再結成」で芸能活動している元メンバーのなかで唯一出演を固辞した)、 ある意味あまりにも生真面目に活動しすぎたのが彼女なわけだが、それが花開かず、引退というのはあまりにも可哀相、という気が私はする。


このアルバムで私が好きな曲は、ラテンフレーバーの「夜明けをほどいて」、「刹那で踊りたい」、「アネモネの記憶」など。 彼女のアルバムは他に『Rouge et Bleu』と『Dedication』などをよく私は聞く。 一緒に「もったいないなぁ―――」とため息をつきたい方は是非とも聞いていただきたい。

2004.03.12

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