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トイレットペーパー・パニックって一体なんだったのさ

〜73年、石油危機騒動に関するひとつの妄想的考察〜



  ―――なにゆえ、トイレットペーパー――


世の中にはいろんなよくわからない出来事が多々あるけれども、その中のひとつで一体なんだったのだろうといくら考えても考えても全く理解できないのが、73年のオイルショックに伴うトイレットペーパー・パニック。

第4次中東戦争が起こりました。アラブの産油国が石油生産の削減と原油価格の大幅引き上げを行いました。日本は石油の備蓄がなかったので大変です。ここまではわかる。で、なんでそこで、トイレットペーパーを買い漁るのよ。

ガソリンとか灯油とか、石油から生まれたプラスチック製品とかを買い漁るならよくわかる。ある意味理にかなっている。 それがなんでよりによって「トイレットペーパー」なのよ。
だってトイレットペーパーってせんじつめれば「紙」でしょ、原料は草木でしょ。石油とぜんぜん関係ないじゃん。なんで石油が手に入らなくなって真っ先にトイレットペーパーが手に入らなくなるのさ。
どう考えてもわからない。理解不能。脈絡ないにもほどがある。もし本当に石油がなくなったとしても、もっと先に手に入らなくなるものが山ほどあるでしょうが。
――それにしてもさ、トイレットペーパーって存在自体、現代の生活を支えているプライオリティーの高い商品にはさほど思えないんだけれども。だってなくてもさぁ、別に新聞紙をほぐして使うなり、古くなった手巾をトイレットペーパー代わりに尻拭き用に使っておしめ方式で使うたび洗濯・煮沸でやっていくなり、いくらでもやり用はあるとおもうし。 「石油がなくなる」という一大危機に直面した時に最重要項目が「トイレットペーパーの確保」ってのはホントどんな特殊な思考回路の持ち主だ、と脳みその中をのぞいてみたくなる。
とはいえ、理解不能の私をおいてけぼりにして、トイレットペーパーの買いだめに当時の主婦達は走った。猛烈に走った。無駄に必死さを撒き散らしながら、走った。


ちなみにその後トイレットペーパー以外の商品にも買いだめ騒動は広がるんだけれども、それらも「洗剤」「砂糖」「ノートなどの紙製品」(これはトレペ繋がりだろう)と、あまり石油とは関係ないところがなんとも笑える。強いて関係あるのは、洗剤か。

このトイレットペーパーパニックは大阪は千里ニュータウンでトイレットペーパーの特売にできた列を勘違いした誰かから広まった噂、という説があるらしい。最初は北摂地区のみの限定的な騒動がテレビのワイドショー的なトピックとして取り上げられ、全国に飛び火したんだとか。
――それにしてもこれだけ世間を騒がした有名な集団ヒステリーなのに、社会学的見地での研究とかあんまり私の目には入ってこないなぁ。今軽くググって見たけれども、そういったモノも見つからなかったし。結構面白い研究材料だとおもうんだけれどなぁ。どういった速度で噂が広まったか、どの地域がどの世代がその噂に1番狂乱し、買い付けに走ったか、他の商品の買い付け騒動にまで広がったのはいつでどこの地域がそれぞれ発端か、とか。いろいろ調べてみて、面白いこととかでてくるとおもうんだけれど。


ちなみに当時すでに現役主婦であった―――とはいえ結婚1年目でまだうぶうぶ、の母にあの時の騒動について聞いてみると、曰く「自分はトイレットペーパーを買いだめを全くしなかったので、あの時買占めに必死だった人達のことはよくわからない」との答えが返ってきた。
うーん、さすが私の母だと、感心しつつ「何で買い占めにはしらなかったの?」と更に質問すると「並んで買うのがかったるかった」って、やっぱりね。うちの血筋はみんなそうだよ。
て、ここで、まこりん家のやる気のない家風について語っても仕方ないな。閑話休題。


  ――騒動=「戦争体験のトラウマ」説――


なんとなくなんだけれども、あの時買占めに走っていたのは私の母よりも1つ前の世代がメインっぽい感じがする。 あの集団ヒステリーは「終戦」を若いうちに体験しているか否か、っていうのが大きくかかわっているような気がするのだよ。ホントに全くの直感と憶測でしかないんだけれどもね。 ―――ちなみにうちの両親は終戦直前の生まれ。戦争の記憶っていうのはもう皆無といっていいので終戦後生まれの「団塊の世代」とノリ的にはほとんど同じ。

今まで信じてきたものが全て否定され、今までそこにあったものが全て焼き払われて、なぶり殺しにされ、身も心もなにもかもを失ってしまった経験。このトラウマを若い頃に味わってこそ引き出された騒動のような気がわたしはするのだ。
全てがちゃぶ台返しにされたあの時のように、今の安定も平和も繁栄も全て次のちゃぶ台返しまでの束の間の夢。そういう観念が根底に眠っているからこそ引き出された騒動なんじゃないか、と。そんな風におもうんだよね。


例えば、小松左京とか筒井康隆とか手塚治虫とか、戦時中少年であった作家の作品を読むと、幼少・少年期に戦争で見た数々の死体と数々の破壊が色濃く彼と彼の作品を縛っているなぁ、なんて私は感じずにはいられない。
あの時見た死体は自分である、みたいなそういう観念がやたらめったら強いな、と。

――彼らは偶然死んで、私は偶然生き残って、気がつけば、ここで平和を謳歌している。では彼らと私の間にそこになんの差異があるのか、なにもありはしない。彼らがある日突然正体のみえぬ何者かに殺されたように、私もまたそうやっていつか殺される運命に違いない。そうに決まっている。そうでなければ割に合わない。彼らの死んだ意味がない。だからこんな暢気な平和は嘘なのだ。幼いあの日のような日々かいつかやってくるに決まっている――
こんな罪悪感とないまぜになった終末意識があるようにわたしにはみえる。

そうした終末意識が、戦争を被害者として味わったこの世代の心の奥に強烈に眠っているんじゃないかな、と。
そんな彼らの集団無意識に「石油危機」というのは現代の繁栄の危機を象徴するに格好のトピックだったんじゃないかなぁ。と。
「ついに来た、とうとう来た。くるべき時が来た」とパニックになるにおあつらえ向きだったんじゃないかなぁ、と。

そういう文脈でいえば「トイレットペーパーパニック」は、足をおんぼろ汽車からマイカーに代え、手に入れるものをサツマイモからトイレットペーパーに代えた、終戦後の食糧難の買い出しのリピートだったんじゃないかなとも思えたりする。

またその後やってくる小松左京「日本沈没」ブームも、「ノストラダムスの大予言」ブームも、この世代の日本人の「終戦トラウマ」の一貫なんじゃないかなと私は思ったりする。
―――話を脱線。「日本沈没」はこれまさしく「終戦」のメタファーでしょ。日本という国はなくなり、日本人は世界各国に散り散りになるわけだし。 実際の「終戦」では日本国は解体されることなく、日本人も相変わらずそこに住むことになるわけだけれども、日本人という民族意識や国家意識ってのは「終戦」を境に一気に綿抜きされ、そこで大文字の「日本」が解体されたのは確か。結果、今のわたしたちは、アメリカ人にもなれず、さりとて日本人にもなりきれず、いろんな国々の文化を節操なく中途半端にとり入れてその場その場で生きている「核のないいつも宙ぶらりんな日本人」でしかないわけで。そういった意味では「日本人」というものは終戦で散り散りになったともいえるわけだし。て、長い蛇足のついでにもいっこ、小松左京に関する蛇足。「首都消失」ってのはアレは天皇制のメタファーだと思う。


ってことをぐだぐだいっているが、私は生まれていない以上、あのオイルショックの空気感を全く知らないのである。
っていうか、買いだめ実働隊だった方は語ってくれ。お願いだから。「昭和」の記録として。
あれだけの騒動なのに、実体験者のリアルな言葉というのをいまいちわたしは聞いたことがない。 一見馬鹿馬鹿しい騒動であったかもしれないが、あれほど日本中を巻き込む騒動になった以上、なんらかの集団無意識というか、時代精神というものはあったはずなんだから。
当時の思わずがんばっちゃったであろう当時30〜50代くらいの主婦の方、一体何を恐れていたの。何を予感していたの。どうするつもりだったの。どう世の中を見ていたの。老人ボケする前に、棺桶に脚つっこむ前に(――って失礼ないい方だな)教えてくださいな。


2005.03.12
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