ジュリーは歌謡界の帝王です。 でした。じゃないよ、現在形で「です」。 少なくとも、男性歌手で非演歌系はすべていまだに彼の影響下でしょう。 まじで。 女性演歌歌手の源泉であり、頂点であり、集成であるのが美空ひばりであるとしたら、非演歌系男性歌手のそれは絶対ジュリー。 って、まあ、今ここで、ジュリー最強説を提示してしまうには自分的にだるいので、(でもいつかやるっっ、絶対)今回はイントロダクションということで、軽いジャブ。 沢田研二の意外な名曲「無宿」を今回は紹介。 この曲はアルバム『Coco-lo First 夜のみだらな鳥達』(1986)に初収で、何度もこちらは再販されていて入手しやすいが、出来れば完全限定のライブ盤『架空のオペラ '86』を聴いて欲しい。 目覚ましが 鳴っているよ いまわしい朝が追いたてる 時にはゲイポリス風、時にはセーラー服、時にはオカマの将校風、時にはネイティブアメリカン風とコスチュームをとっかえひっかえし、バーボン噴き出しや電飾パラシュート、カラコンにエクステンション、血の滲んだ包帯、腰にスヌーピー人形と歌謡曲をギミック満載で演出したジュリーが苦々しく吐き捨てるように「この世は全てエンターテイメントさ」と歌っている。 正直、皮肉がきつすぎだと思うが、そういわざるをえない、そんな切実な事情が歌唱を通じてひしひしと感じ、私は思わず頭を垂れてしまう。 しかし、「真実(ほんと)のことは なにもあるわけないだろ」と「太陽を盗んだ男」や「悪魔のようなあいつ」のあの冷たいジュリーの眼でいわれたら、正直しゃれにならんよ。 「退廃と虚無を前提とした遊戯感覚」これがジュリーのキーポイントですな。 さらにライブ盤『架空のオペラ '86』では曲間に「I hate you」「Son of a bitch」とジュリー毒づきまくり。 さらに以下のような歌詞が付け加えられている。(こちらは聞き取りなので不正確) 真実のことはなにもある訳ないのさ 水だ霞 霧だ ガスみたいなものさ 私達はアイドルというもの、タレントというもの、スター、芸能人、まぁこのさい呼称はなんでもいい、舞台に立ち歌い踊り演じる者達を常に伝統的な「百姓-遊行芸人」という関係と同じく「憧れながら嘲る」という関係で見てしまうが(それはまさしく「ハレ」と「ケ」の関係であるとか、そうした小難しいことを勉強したければ民俗学の本でも読んでください)、その結果が頂点に立っているはずのスターのこうした「吐露」であったり、岡田有希子であったりするなら私達は芸能者との距離の取り方を変えなくてはならない。 彼らは所詮、パンと娯楽をねだる群集の為にコロシアムでライオンの餌食にされる異教徒達と同じなのか。 そして私達はそこまで残酷なのか。と。 ただ、こうしたジュリーの苦しみの色は突然現れてきたわけではない。 原点回帰アルバム『G.S I love you』(1980)で自分史をひも解き始めた頃から始まっていたと見える。 彼は当時、テレビ番組では「1等賞を取りたい」であるとか「ライバルはマッチ」であるとか、またレコ大で「聖子ちゃんや俊ちゃんと一緒に並びたかった」、「僕は顔のしわを化粧で隠して一生懸命レコードを売っている」などと発言をしていたが、これは半分リップサービス半分真実であったのだろう。 確かに80年に入り、百恵引退、ピンクレデイー解散にたのきん聖子デビューと一気に音楽界の地図が塗り替えられ、新御三家陣が一気にセールス低下するなか(この時期郷はベストテン番組・賞レース拒否で乗りきった)、「TOKIO」以降コスプレ路線を強化することでジュリーは善戦したが、レコード売上げで提示するしか彼のレゾンデトールを保つことができなかったとのが彼の真実と私には見えた。 この時期のジュリーのアルバムを平岡正明はこう分析している。 30歳を過ぎ、自分の根へ、GS→ロック→ポップスと遡行し、一台のラジオにぶつかってしまうと言う不幸な自己検証を行ったのが『ストリッパー』(『G.S I love you』の次アルバム。1981年作)の沢田研二である。ストリップしてもそれ以上はなにもない ちなみに平岡氏はこの現象の背後には「日本の戦後史」と「帝国主義の文明の循環コード」があると看破している。(素晴らしい論考なので機会があれば一読を、「歌謡曲みえたっ」(ミュージックマガジン社)に載っています) なにも、ない。だから、ひとまず売上という結果で資本主義のルールに乗るが、そんなものは本当はいつ捨てたってかまわない。 この時期の彼にはコスプレの影に、自己と自己の周囲への嫌悪感が漂う。 それを最もよく表しているのが平岡氏が言うように『ストリッパー』所収の「シャワー」と「テレフォン」であろう。 そして、全曲井上陽水作品『ミス・キャスト』(1982)で佯狂とアイロニーの極致へ、さらに高橋睦郎全作詞、筒美京平全作曲で源氏物語テーマの『女たちよ』(1983)で虚無の発露へと向かう。 奴の特技は 右手で愛しているとラブレターを書きそして、ついにポップスとの決別がやってくる。 86年「Co-co-lo」結成。 「Co-co-lo」はツインドラムの特異なバンド形態で以前のバックバンドである井上堯之バンドや吉田建、西平彰らのエキゾティックスとはあきらかに音を異にしている。 というか、こんな音色のバンドメジャーではいまだ見たことねーーよ。 簡単に言えば、ベース、ドラムメインで果てしなくずんどこどこどこ、オカズ程度でキーボードがチャラって音色。 あまりにも地味、あまりにもストイック。 シングルこそ「アルフ・ライラ・ウィ・ライラ 千夜一夜物語」、「女神」などヨーロピアン・中近東路線で中森明菜、佐藤隆あたりの異国情緒のノリだけど、アルバムになるとこれがあのジュリー??と思わず耳を疑ってしまう。 もちろん、売上げも低迷。 で、詞作はかなりの部分はジュリー本人が担い、しかもはっきり言って「私小説」と「異国情緒」が交じったよくわからない路線。 多分、自己の周囲に対する嫌悪感が日本文化全体への嫌悪まで深化し、異国へと向かったのだろう。 このへんは明菜と同じように見える。 リアルな私小説と憧憬としての異国が同じスケールで描かれている。 ちなみに彼は当時、テレビ番組のドキュメントでアラビア地方を訪問し、ベドウィンの精鋭部隊に体験入隊したりなんかしている。 ちなみに、詞作の傾向が以上のような形になったのは、当時の彼が渡辺プロからの独立、元ザ・ピーナッツ伊藤エミとの離婚とついで田中裕子との再婚、さらに交通事故などなど公私共にトラブルに見舞われ、心身ともに不安定だったことにもよるだろう。 例えば「"B" side Girl」「あの女」(『Coco-lo First 夜のみだらな鳥達』所収)などはまさしく田中裕子のことを歌っているではといったら、ワイドショー的で生々しすぎる話だが。 A面になれない、本妻になれない彼女はしかしながら「僕の愛をとまどいながら尽くしてくれ」、そんな彼女にジュリーは「さよならは言えやしないけど」といい、「She is so Beautiful!」と称える「"B" side Girl」。 「あの女がわからない」と思いながら、電話を掛けようか掛けまいか逡巡し、思わず公衆電話を見つけるたびについ車のスピードを落としてしまう「あの女」(なんと作詞が浅川マキ!!!!!)。 「無宿」の唐突な「75日もすれば」も、つまり、そういうことだろう。「人の噂(スキャンダル)も75日」。 しかし、こうした路線はスキャンダルの収束と共になぜか収束。アルバム3作でCo-co-loも解散となる。 でもって、吉田建を再び迎え「Muda」「ポラロイドGirl」で別れたはずのポップスと再会、ギンギラジュリーが唐突に復活する。 別にギンギラジュリー嫌いじやないけどさあーーっ、というかむしろ好きだけどさぁ。じゃあ、Co-co-loの中年のルサンチマンてんこもり、実存的疎外感と救済願望って一体なんだったの???と私は思わずにはいられない。 結局ジュリー、バッシングされて欝だっただけ?? 沢田さんの中で解決しているようにはみえないんだけどなぁーーー。 だけど、以後の『彼は眠れない』も『単純な永遠』も『パノラマ』も『Rally love ya!!』も佳盤だから、いいや。 ぶっちゃけ、自己模倣の感はぬぐえないけどね。 ともあれ、ジュリーの憂鬱な自己像がこのCo-co-lo時代の作品には漂っています。 そんな意外なジュリーが見てみたいというなら、是非。 正直素人にはオススメできないが。 |
2003.03.05