90年秋、中森明菜の復帰第一弾アルバムとして予定の立っていた『Gazer』――その告知は既に業界内外になされていたが、いつまで経っても発売の目処がたたなかった。 そのかわりに、唐突にリリースされたシングル。それがこの「水に挿した花」である。 日テレ系「水曜グランドロマン」テーマ曲としてチャート1位を獲得し、ヒットしたが、しかし、中森明菜はこの曲のリリースに際してのプロ―モーション活動は一切行わなかった。 ジャケットに明菜のポートレートが使われなかったところも見るに、急ごしらえのシングルであることは明白だった。 当時の中森明菜の周辺の混乱がよく見てとれる一曲といっていいだろう。 ◆ 「水に挿した花」は『Gazer』に収録予定の一曲であった。 『Gazer』に収録される楽曲は、この時点で既にすべて出来上がっていた。 作詞は許瑛子、只野菜摘。作曲は広谷順子、比山貴咏史、関根安里、川上明彦。 当時同じ事務所に所属していた6名が、中森明菜のためにと90年の春から夏にかけて、10数曲を膝をつめて作り上げていた。 「Dream in Dream、心の旅 内外から表現、宇宙と心と自然をテーマ、メディテーション、安らぎと悲しみを同時に伝えられるようなもの」 許瑛子はこのアルバムにかようなコンセプトシートを残している。また許瑛子はこのアルバムに「アウト・オン・ア・リム」(シャーリー・マクレーン著 当時のユーミンも傾倒したスピリチュアル系ベストセラーの先駆け)をイメージしたとも語っている。 『Gazer』は瞑想と救済をテーマにした精神的な重いアルバムとなるはずだった。 しかし、このアルバムは発売されることはなかった。 中森明菜がこれらの曲をレコーデイングしたかどうかも不明である。 「これらは、中森明菜が歌うため生まれた曲」 彼らは、どこか誰かの歌手に『Gazer』収録予定の歌をあてがうことを一切せず、シングルとなった「水に挿した花」以外の10数曲全てを、静かに封印した。 それがこれらの歌の必然だった。―――そう、許瑛子は述懐している。 ――その一部、タイトル曲の「GAZE」(作詞:許瑛子 作曲:関根安里)、「EVER」(作詞:許瑛子 作曲:比山貴咏史)、は許瑛子氏のサイトで確認できる。 (ってか、「GAZE」すげぇ、聞きたいぞ。 「霧のかかる悩み 輪郭のない砂漠 まとわりつく破滅 悲しみという泉 世界が崩れ ゼロに戻るとき 耳をすまし 見つめてる」 って歌詞、まさしく明菜の歌だろって感じだし。 ◆ 「魂が肉体から離れるイメージ。体を離れて自分が自分を見ている。 もし、あの頃に戻してあげるよと言われて、あの頃にもどったら……」 「水に挿した花は」かようなコンセプトで作られた詞だという。 淡々としたピアノの音に誘われて歌われる深い絶望と、儚い救済願望。 つかの間の幻に己の全てを投げかけ、祈る。 その決して果たされることのない無垢なる希求が、悲しい。 明菜は、歌いながら静かに己の魂を慰撫している。 眠れ、今は何も考えずに、静かに眠れ、と。 まさしく悲しみと癒しの同居する一曲といっていい。 これが『Gazer』のコンセプトだったのだろう。 自殺未遂事件直後の明菜でなければ、歌うことの出来なかった一曲といっていい。 あらゆるトラブルを乗り越えて、この歌の魂だけが明菜の元に届いた。それゆえにこの歌は、強い。 中絶された歌たちの魂の分も受け継ぐかのように「水に挿した花」はリリース時のトラブルとはうらはらに( ――イヤな時期にリリースした曲はそのときの記憶がよみがえるから歌いたくないと明菜は公言してはばからないにもかかわらず )明菜は歌いつづけている。 中森明菜でなければ、決して歌えない歌のひとつだ。 |