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浅川マキ ディスコグラフィー オリジナルアルバム 編



 北陸の片田舎の役場の年金係の若い女が、ふらりと歌を歌いたくなり、村を出、東京に出てくる。 彼女は米軍キャンプやキャバレーをまわり、67年にムード歌謡『東京挽歌』でレコードデビューする。浅川マキである。
 寺山修司に見出され、彼の小屋であったアンダーグラウンド・シアター「蠍座」にて公演をはじめて行ったのが、68年。「夜が明けたら」で再レコードデビューを果たすのが69年である。 以来、98年に至るまで彼女は淡々とアルバムをリリースしつづけた。
 寺山修司に始まり、萩原信義、今田勝、坂本龍一、山下洋輔、坂田明、吉田建、泉谷しげる、つのだひろ、後藤次利、近藤等則、本多俊之、渋谷毅、Bobby Watson、 原田芳雄、土方隆行、飛田一男、向井滋春、セシル・モンロー、山木幸三郎、川端民生、山内テツ……。マキの周りにはいつもギラギラした男がいた。刃をきらめきのように鋭く冷たい輝きを湛えた音の粒が、あった。 70年代の空気を閉じ込めたようなざらっとしてブルージーなアルバム、80年の「One」以降の無機質で実験的なアルバム、そのどれもが特異な《浅川マキの世界》としかいいようのない空気を保っている。かぐろく、硬質なのだ。
 「アンダーグラウンド」それは彼女のキーワードである。彼女の音楽は、地下深くで蠢動する音楽だ。 光差す地上のみで生きる者はけして出会うことのない音楽、闇の中に眼を凝らした者だけが掴むことのできる音楽だ。 彼女は誘いも、また拒みもしない。ただそこにいる。時代の呼吸に合わせることなく、いまも淡々とそこに居、そして歌っている。 現在は新宿ピットインを中心にソロライブを続けている。大晦日公演も継続している。都会の、その闇はいまだ深く、マキは今もそこにいる。

 彼女のオリジナルアルバムのほぼ全てがいまは、入手困難となっている。CD化されたものすらほんの僅かだ。 一度CDされたものも彼女の意向ですみやかに廃盤になったという噂もある。 それでもわたしは、彼女の歌の染みる歌を聞きたい。彼女の歌は、時代を超越する圧倒的な訴求力を持っている。


◆ 浅川マキの世界  (70.09.05/54位/4.7万枚/TOCT-27041)
cover
1. 夜が明けたら
2. ふしあわせという名の猫
3. 淋しさには名前がない
4. ちっちゃな時から
5. 前科者のクリスマス
6. 赤い橋
7. かもめ
8. 時には母のない子のように
9. 雪が降る
10. 愛さないの愛せないの
11. 十三日の金曜日のブルース
12. 山河ありき
(浅川マキ/浅川マキ/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
(浅川マキ/浅川マキ/山木幸三郎)
(浅川マキ/むつひろし/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
(北山修/山木幸三郎/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
(Traditional/山木幸三郎)
(安井かずみ/アダモ/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
 ファーストアルバムは新宿・蠍座での実況録音盤(――と書かれているがいわゆる今で言うライブ盤)。構成・演出は寺沢圭とあるが、彼は寺山修司のことだろうか。全編曲はニューハードの山木幸三郎が担当している。 浅川マキの世界、というタイトルだが、後の浅川マキを知っているものからすれば、これは明らかに寺山修司の世界。まさしく天井桟敷という感じ。ハードロック転向以前のカルメン・マキやら、「白呪」の頃の美輪明宏やら、J・Aシーザーやら、三上寛やら、森田童子やら、つまりはそういった当時の前衛アングラ演劇の系譜にある音楽です。 演歌的な湿った情の世界といい、曲間に入るSLのSEやら、街角ショートインタビュー、子供の演じる小芝居などなど、 70年のアングラの空気ってこんなだったのかな、と生まれる前のわたしはお勉強するのでした。 それにしても、この暗さのリアリティ―というのは、物凄い。


◆ Maki U  (71.09.05/22位/2.7万枚/TOCT-27042)
cover
1. 少年
2. 眠るのがこわい
3. ジンハウス・ブルース
4. 花いちもんめ
5. ゴビンダ
6. 少年 (part 2)
7. めくら花
8. 雪の海
9. 港の彼岸花
10. 私が娼婦になったら
11. ゴー ダウン モーゼ
12. 朝日のあたる家
(浅川マキ/浅川マキ/山木幸三郎)
(寺山修司/下田逸郎/山木幸三郎)
(浅川マキ/H.Troy-F.henderson/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
(Traditional/山木幸三郎)
(浅川マキ/浅川マキ/山木幸三郎)
(藤原利一/浅川マキ/山木幸三郎)
(喜多条忠/山木幸三郎/山木幸三郎)
(浅川マキ・なかにし礼/鈴木薫/山木幸三郎)
(寺山修司/山木幸三郎/山木幸三郎)
(Traditional/山木幸三郎)
(浅川マキ/Traditional/山木幸三郎)
 前作の実質プロデューサーであった寺山修司の作詞作品が三作、さらになかにし礼、喜多条忠作詞の作品もある。これらは、土着的、演歌的な浪漫の世界をひきずったファーストの延長とも言える作品だけれども、一方で、インドのトラディショナル「ゴビンダ」や黒人霊歌「Go Down Moses」、ブルースの「ジンハウス・ブルース」などがちりばめられ、これらの楽曲が不思議な違和の光を放っている。寺山修司の引力圏から離れ、より「浅川マキの世界」へと向かった1枚といえるかな。 このアルバムの白眉は新宿・花園神社での録音による「朝日のあたる家」。これは、もう、まさしく時代の音だなぁ。 マキの持つ寂しい明るさ、のようなものが私は好きだ。 ちなみに70年代のマキのアルバムのプロデュースは後にりりぃ・森田童子なども担当する寺本幸司、ディレクションは越路吹雪担当で知られた渋谷森久である。


◆ LIVE   (72.03.05/67位/0.6万枚/TOCT-27043)
cover
1. 別れ
2. 赤い橋
3. にぎわい
4. ちっちゃな時から
5. 朝日のあたる家
6. かもめ
7. 少年
8. 死春記
9. ピアニストを撃て
10. オールド・レインコート
11. ガソリン・アレイ
12. さかみち
(浅川マキ/浅川マキ)
(北山修/山木幸三郎)
(浅川マキ/かまやつひろし)
(浅川マキ/むつひろし)
(浅川マキ/Traditional)
(寺山修司/山木幸三郎)
(浅川マキ/浅川マキ)
(真崎守/浅川マキ)
(寺山修司/山木幸三郎)
(浅川マキ/R.Stewart)
(浅川マキ/ディブ・グルースィン)
(浅川マキ/浅川マキ)
 71年12月31日、新宿・紀伊國屋ホールでの年越しライブの模様を収録。マキのバックを固めるのは今田勝、稲葉国光、つのだひろ、萩原信義ら。ライブのくつろいだ空気が音から漂っている。 この作品は「オールド・レインコート」〜「ガソリン・アレイ」の流れが最高。わたしはロッド・スチュワートよりもマキだね。それにしてもこの時期、トークのマキが案外明るい。それがちょっと驚き。お客さんと楽しそうに会話しております。また「かもめ」は歌詞がファーストと若干違う。個人的にはこちらの詞のほうが好きかな。 ちなみにマキは「夜があけたら」以来ライブでは今田勝トリオと共にまわっていたが、このアルバムを最後に彼らとは離れることになる。


◆ Blue Spirit Blues   (72.12.1/TOCT-27044)
cover
1. Blue Spirit Blues
2. 難破ブルース
3. 奇妙な果実
4. あの娘がくれたブルース
5. HUSTLIN' DAN
6. ページ・ワン
7. 灯ともし頃
8. 町
9. 大砂塵
(浅川マキ/S.Williams)
(浅川マキ/B.Smith)
(Lewis Allan)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/J.Crawford)
(寺沢圭/山木幸三郎)
(浅川マキ/浅川マキ)
(森須九八/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
 萩原信義とマキが膝をつめて作ったブルースのアルバム。"浅川マキ with 萩原信義"のアルバムといってもいいくらいじゃないかな。萩原信義のフォークギターが泣きまくり。これがいいんだ。 「ハスリン・ダン」も「あの娘がくれたブルース」も「灯ともし頃」も、いい。山下洋輔との出会いとなった「奇妙な果実」もいい。 このアルバムから76年の『灯ともし頃』までが、70年代のマキ――フォークでブルースなマキの、最盛期なんじゃないかな。この時期のアルバムはどれもこれもよくて困ってしまう。 ちなみに、このアルバムの詳しい事情はマキの自著「こんな風に過ぎていくのなら」の「あの娘がくれたブルース」の章で書かれている。ジャンゴ・ラインハルトのアルバムをミキサーに聞かせ、このアルバムのような温かみのある音がほしいといったこと。マキと萩原の要請から、ディレクターの渋谷森久氏がオルガンを弾いたこと。それでも満足する音が出来ずに、レコードプレスの工場に回したマスターを破棄して、もう1度ミックスダウンしなおしたこと。などなど。いろいろ興味深いエピソードがある。


◆ 裏窓   (73.11.05/72位/0.5万枚/TOCT-27045)
cover
1. こんな風に過ぎて行くなら
2. 裏窓
3. あの男が死んだら
4. セント・ジェームス病院
5. ロンサム・ロード
6. 引越し
7. Trouble in mind
8. 翔ばないカラス
9. 町の酒場で
10. ケンタウロスの子守唄
(浅川マキ/浅川マキ)
(寺山修司/浅川マキ)
(浅川マキ/Irving Berlin)
(浅川マキ/Joe Primrose)
(浅川マキ/Gene Austin-Nathaniel Shilkret)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Richard.M.Jones)
(真崎守/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(筒井康隆/山下洋輔)
 M-3は73.04.13明大前キッドアイラックホールで収録。M-4、5は73.06.15神田共立講堂で収録。 政治の時代が暴風となって過ぎ去った後の、残された若者のからっぽの心を歌ったかのようなオープニング「こんな風に過ぎて行くなら」をはじめ、「引越し」「ロンサム・ロード」など、どこか白茶けていて虚ろさと開放感が入り混じったような作品が印象的。絵にすると「肩をそびやかせて、とぼとぼと歩いているひとりの男」かな。状況はシビアだけれども、どこか明るく吹っ切れた感じが好ましい。 もちろん「Trouble in mind」「セント・ジェームス病院」など、たとえようもなくダルでルージーな歌もいいし、寺山修司の覗き趣味が図らずも表出してしまった「裏窓」も傑作。 筒井康隆作詞、山下洋輔作曲の異色作「ケンタウロスの子守唄」は、萩原信義のギター一本で歌われ、これまたなんとも切ない。ちなみにこれの同名小説が栗本薫の初期のSFにある(「幽霊時代」所収)。


◆ Maki Y  (74.12.20/80位/0.5万枚/TOCT-27046) 
cover
1. わたしの金曜日
2. 港町
3. ジン・ハウス・ブルース
4. キャバレー
5. あんな女ははじめてのブルース
6. 今夜はおしまい
7. 戸を叩くのは、誰
8. ボロと古鉄
(浅川マキ/山下洋輔)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
(浅川マキ/Henry Troy-Fletcher Henderson)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
(浅川マキ/浅川マキ)
(寺山修司/浅川マキ)
(浅川マキ/Oscar Brown Jr.-N.Cautis)
 今回は山下洋輔・森山威男・坂田明・稲葉国光という編成。おそらくライブ録音であろうが、ジャケットに詳しいことは記載されていない。これはもう露骨にジャズ。もう、むせ返るほどの体臭の感じるこてこてのジャズ。ニグロの魂がマキに憑依している。時に重々しくブルージーに、時に身軽にスウィングする。海の見える夜の闇の深い裏街の片隅で、落ちぶれた酔いどれ男の見る幻のような、そんなアルバム。個人的には「戸を叩くのは、誰」のしみじみとした孤独感から「ボロと古鉄」のちょっと投げた感じのする流れが最高。


◆ 灯ともし頃   (76.03.05/64位/0.6万枚/TOCT-27047)
cover
1. 夕凪の時
2. あなたなしで
3. それはスポットライトでない
4. 夜
5. Just Another Honkey
6. 思いがけない夜に
7. センチメンタル・ジャーニー
8. 何処へ行くの
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Williams)
(浅川マキ/Barry Goldberg-Gerry Goffin)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/R.Lane)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Les Brown-Ben Homer)
(浅川マキ/浅川マキ)
 マキの歌はいつだって夕暮れ時から始まる。誰もが帰るべき巣に帰る灯ともし頃、どこにも帰りつく場所のない者たちは自らの孤独な道のりを確かめるように、ふと、後ろを振り返る。 「Blue Spirit Blues」収録の「灯ともし頃」は淋しくも強い者たちをさりげなく歌って美しかったけれども、それがタイトルとなったこのアルバムもなんとも寂しげで負け犬の哀愁の漂う、それでいて心の矜持だけは決して捨てない強いものたちの歌が並んでいて、やっぱりいいアルバム。
 アケタの店で、オケとボーカルを同時録音したというライブ的な勢いのある音。しかもバックを務めるのはいつものつのだひろ、萩原信義、吉田建らに加えて近藤俊則、坂本龍一と新しい面子もちらほら。それぞれ実力派のプレイヤーの力強い演奏に、マキはさりげなく、しかし堂々と対峙している。水際立っているなぁ。 「夕凪の時」の夕闇からさりげなくはじまり、「それはスポットライトでない」、「思いがけない夜に」と夜の底を徘徊し、「何処へ行くの」でまぶしい朝陽の向こうへと駆け出していく、この流れもいい。スタンダードの「センチメンタル・ジャーニー」が、マキとしかいいようのないダルで根無し草の哀感の漂う一曲になっているのは驚く。 70年代のマキのベストと推す声が多いのも納得の作品。
 ちなみに日本のレコーディングエンジニアの第一人者である吉野金次氏が(――以前にも『浅川マキの世界』『裏窓』など散発的に担当はしていたが)今作から以降マキの全アルバムのミキシングを担当することになる。


◆ 流れを渡る  (77.03.05/TOCT-27048)
cover
1. あの人は行った
2. 知人を訪ねて
3. 私のブギウギ
4. 流れを渡る
5. If I'm on the late side
6. 二人の女のうた
7. あなたに
8. 波止場
9. 罪人小唄
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(成田ヒロシ/南正人)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/浅川マキ)
(浅川マキ・吉田建(訳)/R.Stewart R.Lane)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/浅川マキ)
 これは前作「灯ともし頃」の続編といっていい作品。プレイヤーもほぼ前作と同じ。 やっぱロッドスチュワートの「If I'm on the late side」は最高だし(――マキの歌う汗臭い男の友情の世界は、なんとも云えない良さがあるなぁ)、南正人のカバーの「わたしのブギウギ」も風に吹かれるように生きる女っぷりがいいし、ビリー・ホリディと過ぎゆく時代を歌った「ふたりの女のうた」もマキ節としかいいようのない。いいなぁ。 ただ前作と比べるとちょっと勢いが足りず、マキの圧倒的な世界を楽しむにはちょっと物足りないかな。長閑としていて、なのに時折見せる刃のような鋭さがマキの魅力だが、「知人を訪ねて」とか「波止場」とか、ちょっとほのぼのし過ぎかと。それにしてもラングストン・ヒューズの詞は本当に淋しい。


◆ 浅川マキ・ライヴ 〜夜〜  (78.02.05/TOCT-27049)
cover
1. 町
2. あなたなしで
3. 淋しさには名前がない
4. 港の彼岸花
5. オールドレインコート
6. If I'm on the late side
7. あたしのブギウギ
8. あなたに
9. 港町
10. 裏窓
11. 難破ブルース
12. にぎわい
13. それはスポットライトでない
(森須九八/浅川マキ)
(浅川マキ/Williams)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ・なかにし礼/鈴木薫)
(浅川マキ/R.Stewart)
(浅川マキ・吉田建(訳)/R.Stewart R.Lane)
(成田ヒロシ/南正人)
(浅川マキ/浅川マキ)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
(寺山修司/浅川マキ)
(浅川マキ/B.Smith)
(浅川マキ/かまやつひろし)
(浅川マキ/Barry Goldberg-Gerry Goffin)
 元々ライブレコーディングが実に多いマキだけれども、今回は72年の「Live」以来の、堂々と銘打ってのライブ盤。初出の曲も一切なし。 収録は京大西部講堂にて。ゲストに泉谷しげる、渋谷毅など。M-1からM-7まではベスト盤「Darkness 3」に収録している。 マキのライブ盤はどれも音に人肌の温もりがあって、本当にその場にいるかのようなシズル感・立体感があるんだよなあ。色々あるけど、みんな好きなようにやって、それでいいからね。そんなマキの思いがストレートに伝わってくる。


◆ 寂しい日々   (78.12.1/TOCT-27050)
cover
1. Too Much Mystery
2. どうしたのさ
3. コーヒーひとつ
4. MR.マジック・マン
5. 面影
6. ナイロン・カバーリング
7. 女が笑う
8. 寂しい日々
9. 暗い日曜日
(浅川マキ/B.Cruttcher-H.Banks-R.Jackson)
(浅川マキ/C.Womack-M.Womack)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Eli Fisher)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ 山本安見(訳)/M.Levin)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ 橋本千恵子(訳)/J.Mareze-F.Eugehe Gonda-S.Rezso)
 A面は萩原信義、白井幹夫、つのだひろなどこれまでマキのアルバムライブを支えたパーマネントグループとの作品。 B面はそこに山下洋輔を迎えての作品となった。マキはこのアルバムの後、パーマネントグループを解体する。ちょうどこれまでのマキとこれからのマキを象徴するような作品となったといえるかもしれない。 A面は「Too Much Mystery」「MR.マジック・マン」など、マキらしくない、ポップ感が強い明るいアレンジに驚く。ちょっとこれはマキっぽくないよなぁ、と思っているところに、B面はやっぱり"ザ・ダークネス"なマキで魅せてくれた。ジャジーで妖しい不吉なマキ。ただ「ナイロン・カバーリング」「暗い日曜日」(――シャンソンってマキにしては珍しいな)の二曲だけでもっていっている。 とはいえ、今までのマキではない、変わりゆく時代の中での新しいマキを作り出そうという意図はわかるのだけれども、それが成功したのかどうかとなると微妙なような。A面B面で分裂する構成といい、まさしく過渡期という感じ。 ちなみに「ナイロン・カバーリング」とはコンドームのこと。


◆ ONE  (80.04.05/ETP-80125)
cover
※ 未CD化
1. 午後
2. あの男がピアノを弾いた
3. 都会に雨が降る頃
4. For M
5. ピグノーズと手紙
(浅川マキ/山下洋輔)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/山下洋輔)
(浅川マキ/山下洋輔)
(浅川マキ/浅川マキ)
 パーマネント・グループを解散し、モダンジャズへのめりこんでゆく浅川マキ。このアルバムは、誰もが楽譜なしのフリーセッションで生まれた。山下洋輔、近藤等則、川端民生、山内テツが参加。 ドキュメンタリータッチのカメラアイな詞がスリリングな「午後」、山下洋輔の絨毯爆撃のようなピアノがものすごい「あの男がピアノを弾いた」など。B面は、近藤等則と山内テツとのフリーインプロヴィゼイションに歌を同時録音という17分の大曲「ピグノーズと手紙」のみ、という実験っぷり。 このアルバムを契機に更にエキセントリックな音世界へとマキは向かう。 ちなみに「あの男がピアノを弾いた」のあの男とは阿部薫のこと。


◆ ふと或る夜、生き物みたいに歩いていたので、演奏者たちのOKをもらった (81.?/ETP-90042)
cover
※ 未CD化
1. 今夜はおしまい
2. ふたりの女のうた
3. あなたに
4. You don't know what love is
5. あの男が死んだら
6. ボロと古鉄
7. あの男がピアノを弾いた
8. ふしあわせという名の猫
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(不明) 
(浅川マキ/Irving Berlin)
(浅川マキ/Oscar Brown Jr.-N.Cautis)
(浅川マキ/浅川マキ)
(寺山修司/山木幸三郎)
 京大西部講堂・アケタの店で収録。坂田明、渋谷毅らが参加。「Maki Y」の空気に近いアルバムと言っていいかな。瀟洒なジャズの音色でマキがスウィングする。「ボロと古鉄」のボーカルとサウンドの対峙が今作の最大のハイライトかな。 これまでのマキとこれからのマキのはざまにあるような一枚。


◆ MY MAN  (82.02.21/TOCT-6934)
cover
1. MY MAN
2. 港町
3. ちょっと長い関係ブルース
4. 貧乏な暮し
5. グッド・バイ
6. ふたりの女のうた
7. 今夜はおしまい
8. 夜
9. ロンサム・ロード
(浅川マキ/C.Pollack-Maurice Yvain)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/板橋文夫)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Gene Austin-Nathaniel Shilkret)
 CD化時にはM-10に「MY MAN」のアナザーバージョンが収録。本多俊之、渋谷毅らが参加。この時期にしては珍しく、全体のタッチは70年代のアルバムに近い。再録音曲が半数で、手馴れたものという磐石のアルバムだが、その分、新しさというのはさほどは感じない。 とはいえ、「ちょっと長い関係のブルース」のほとんど子宮で歌っているような生理的な歌唱や、ワンコードのフリーインプロを完全無視で冷淡に歌う「貧乏な暮し」など、聞きどころは多い。 今まで築きあげた世界をすべて披露しているかのような手堅い作品。このアルバムをもって、70年代の空気から完全決別する。


◆ CAT NAP  (82.10.21/ETP-90196)
cover
※ 未CD化
1. 暗い眼をした女優
2. 忘れたよ
3. こころ隠して
4. むかし
5. 新曲"B"
6. 夕暮れのまんなか
7. マシン
8. 今なら
(浅川マキ/近藤等則)
(浅川マキ/近藤等則)
(浅川マキ/近藤等則)
(浅川マキ/近藤等則)
(浅川マキ/近藤等則)
(山内テツ/近藤等則)
(近藤等則)
(浅川マキ/近藤等則)
 プロデュース、近藤等則。 時代が移り変わるにつれて、マキが歌ってきた風景が街から少しずつ消えていく。マキがかつて歌った魚脂の匂い漂う波止場も、野良猫が横切る路地裏も、西陽の当たる四畳半のボロアパートも、小便臭い名画座も、アジびらが舞う学生街も、全てが、なくなってしまった。 そして代わりに、24時間のスーパーマーケットが、近代的な高層ビルが、整然と並んだ建売住宅が、巨大な蛇のように中空をのたうつ高速道路が、街を埋めつくす。そして全てが美しく、清潔で、居心地よく、なっていく。 ならば、私も変わっていこう。そうマキが思ったのか、どうか、知らない。マキは、このアルバムを大きな契機として、かつての世界を捨て、新たな世界へと旅立ってゆく。
 マキはこのアルバムで、フリージャズ、時にはパンク、ラテン、レゲの世界へも踏み込んでいく。確かに旧来の作品群からは一線を隔した新しい領域であるが、ただ、このアルバムに関してだけいえば、マキの良さを導くことが出来なかった美しき失敗作と私には響く(――が、マキ自身は相当気に入ったようで、数少ないベスト盤にこのアルバムからの楽曲が収録されることは実に多い)。 なにより、歌が聞こえない。そして、なにを表現しようというのか、いまいち捉えることができない。ただ、ひたすらエキセントリックな音の群れが、マキによりそうことなく、疾風のように通り過ぎていく。それを驚きもせずクールにマキは見つめている。そういうアルバムといっていいだろう。ただ、一曲目、「暗い眼をした女優」。これだけは、例えようもなく、イカしているんだぜ?


◆ WHO'S KNOCKING ON MY DOOR  (83.08.01/ETP-90234)
cover
※ 未CD化
1. まだ若くて
2. ともだち
3. あの男がよかったなんてノスタルジー
4. 町の汽船
5. 時代に合わせて呼吸する積りはない
6. 暮し
7. 霧に潜む
8. 最後のメロディ
9. コントロール
(浅川マキ/後藤次利/後藤次利)
(浅川マキ/浅川マキ/後藤次利)
(浅川マキ/後藤次利/後藤次利)
(浅川マキ/本多俊之/後藤次利)
(浅川マキ/浅川マキ/後藤次利)
(浅川マキ/浅川マキ/後藤次利)
(浅川マキ/向井滋春/後藤次利)
(浅川マキ/後藤次利/後藤次利)
(浅川マキ/後藤次利/後藤次利)
 「CAT NAP」の世界をさらに追求。このアルバムには二人の男がいる。ひとりが、このアルバムのプロデューサーである後藤次利。もうひとりが、この年に逝去したマキのかつてプロデューサーである寺山修司。 ふたりの男の一方がマキのこれからであり、一方がこれまで、である。その狭間にマキは佇んでいる。 今という時を生きながら、そしてかつてを振り返りながら、しかしマキの心には感傷はない。ただカメラアイのように、ただ、マキは答えを出すことなく、見つめている。
 後藤の作り出すあるいはポップス的な、あるいは実験的なトラックに、溺れるでもなく、拒否するでもなく、また、寺山のかつての姿にかつての言葉に、なにを見出すでもなく、マキはただ、そこにいる。過去と未来に分裂されながら、その様子すらもドキュメントである。 聞き手が取り残されてしまうこと、必至。入り込みにくいにもほどがあるが、ゆえにマキの孤高性がより際立っている、ともいえる。 ディープなマキのファンにしか、わからない世界。寺山と自身の対比とも聞こえる「まだ若くて」、新宿を闊歩するゲイの青年の内と外の世界を描いた「ともだち」など。 「時代に合わせて呼吸する積りはない」とは、寺山の言葉なのだろうか。言葉が突き刺さる。


◆ 幻の男たち  (83.?/ETP-90263)
cover
※ 未CD化
1. 夢なら
2. 花火
3. 電文「カッテニシテヨ」
4. トーキョー暮れて行く
5. 九月
6. 四重奏
7. 街の女
8. 炎の向こうに
9. また聞こえてくるワルツ
10. 今夜はオーライ
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ/本多俊之)
 全編曲・全演奏が本多俊之。マキと本多俊之が正面から相対して作ったアルバム。このような作品群をマキはDuoシリーズと銘打ちこの後もリリースしていく。バックトラックは決して作りこまれていない。サックス一本であったり、あるいは、マキのアカペラであったり、意味深なシンセ音がマキの歌とほとんど関係なく鳴っているという、そういう曲もある。ひと組のシンガーとプレイヤー、男と女が、まるでお互いの心を読みあうかのように対峙している。ふたりの間にはとほうもない漆黒の深淵がある。そんな印象をもつ作品。 二分、三分の小品が並ぶが、そのどれもが息苦しく緊張感に満ちている。音が鳴っているのに歌が流れているのになぜか静寂ですらある。 ちなみに、同名のビデオ作品、またエッセイ(講談社刊)もある。「幻の男たち」――それは、マキの目を通して映るプレイヤーたちの姿なのかもしれない。


◆ SOME YEARS PARST  (85.02.21/WTP-90319)
cover
※ 未CD化
1. 流れのままに
2. ワルツに抱かれて
3. A King of Loosing Time
4. SOME YEARS PARST
5. 向こう側の憂鬱
6. いまは
7. ダンサー
8. 新しいと言われ、古いと言われ
(浅川マキ/山内テツ)
(浅川マキ/本多俊之 山内テツ 浅川マキ)
(山内テツ・浅川マキ(日本語詞)/山内テツ)
(浅川マキ/山内テツ)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之)
 プロデュースは本多俊之と山内テツ。今までにないポップセンスの光る作品になっている。 「WHO'S KNOCKING ON MY DOOR」「CAT NAP」の世界をわかりやすく展開といったところか。80年代のポップなブラック・コンテンポラリーのアルバムといっても成立してしまう余地がある。 もちろんこんなに実験的でサウンドの重い作品、当時の売れ線ソングにはなかったんだけれどもね。 「新しいと言われ、古いと言われ」というのは、まさしく当時のマキの立ち位置そのものだったのだろう。ナツメロ歌手と言われてもおかしくないキャリアのアーティストが、こんな時代の先を行く、先進的で実験的なアルバムをつくっている。それは不思議な構図だ。 どっちでもいい、ただ最高の音楽がそこにあるから、歌うだけ。ファンキーだぜ、マキ。


◆ ちょっと長い関係のブルース  (85.06.29/WTP-90339)
cover
※ 未CD化
1. また聞こえてくるワルツ
2. dark change 暗転
3. ちょっと長い関係のブルース
4. 秋意
5. 夜
6. MY MAN
7. セント・ジェームス病院
8. このごろ
9. 炎の向こうに
10. さかみち
(浅川マキ/本多俊之/渋谷毅)
(渋谷毅/渋谷毅)
(浅川マキ/浅川マキ/渋谷毅)
(浅川マキ/渋谷毅/渋谷毅)
(浅川マキ/浅川マキ/渋谷毅)
(浅川マキ/C.Pollack-Maurice Yvain/渋谷毅)
(浅川マキ/Joe Primrose/渋谷毅)
(浅川マキ/浅川マキ/渋谷毅)
(浅川マキ/本多俊之/渋谷毅)
(浅川マキ/浅川マキ/渋谷毅)
 Duoシリーズ。本多俊之に続いて、今度は渋谷毅とのさしの勝負に臨む。渋谷のピアノのみをバックに歌っているアルバムだが、渋谷のピアノは端正で瀟洒で都会的でありながら、あくまで懐深く、まるで優しい父親のようにマキの歌を受け止めている。これは本多俊之と渋谷毅の素質の違いか、あるいは年齢の違いか。おなじDuoシリーズでも「幻の男たち」に漂っていた不穏さというのは、まったくない。
 「CAT NAP」以降旧来のファンを置いてけぼりにして暴走したマキだが、このアルバムはマキのジャズシンガーとしての確かさが味わえる作品で、 70年代のマキの作品が好きという人にも安心して薦められる。

◆ アメリカの夜  (86.03.01/WTP-90388)
cover
1. あいつが一番
2. 女
3. CHROME SISTER
4. あの男のウォーキング・テムポ
5. アメリカの夜
6. ふたりは風景
7. 深い一拍
8. 孤独
9. POSSESSION OBSESSION
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/M.Bolan)
(浅川マキ/山内テツ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/J.Oates-D.Hall-S.Allen)
 再び本多俊之プロデュース。「CAT NAP」以降創作意欲に火がついて、実験的なアルバムを矢継ぎ早に発売したマキ。 それはマキにとって新たな挑戦ではあったし、中には素晴らしい表現となっているものもあったが、お世辞にも大成功といえるものでない作品も、またあった。歌が率直に届きにくいアルバムもあった。 とはいえ、その路線もこのアルバムでようやくひとつの成果を得たのかな、と。そんな印象を私は持つ。 タイトル作「アメリカの夜」や「POSSESSION OBSESSION」の都会的なクールネスを私は薦したい。これは今までのマキでは出せなかったものであり、しかも、きちっとマキの歌として成立している。 アルバム全曲が同じ曲順でベスト盤「Darkness 3」に完全収録されているので、今でも容易に楽しむことができる作品であるので是非一聴していただきたい。 ――ちなみに、「アメリカの夜」とは、ハリウッド映画の撮影技法のこと。夜の風景をより映像的に「らしく」撮影するために、あえてレンズにフィルター加工を施し、昼に撮影するのだそうだ。 マキの、眼の怪我を隠すためにつけるようになった大き目のサングラス、そのレンズから見る景色は、彼女にとっての「アメリカの夜」である。


◆ こぼれる黄金の砂 -What it be like-   (87.02.25/CA32-1370)
cover
1. KEEP ON KEEP ON
2. 憂愁
3. こぼれる黄金の砂 -What it be like-
4. 放し飼い
5. MUSIC LOVE
6. あなたのなかを旅したい
7. あんたが古いブルースを歌えというから
8. ZERO HOUR
9. HERE TO STAY
(浅川マキ/Cecil Monroe)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ Daryl Hall John Berry)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Cecil Monroe)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Bobby Watson)
(浅川マキ Cecil Monroe/浅川マキ)
(浅川マキ/山内テツ)
 「アメリカの夜」での成果を更に押し進めたマキ自身のブロデュースによる作品。 "ポップスのアルバム"というコンセプトで、前作からの土方隆行、ボビーワトソンに加えて、渋谷毅、ホッピー神山、セシルモンロー、つのだひろらが参加。マキのアルバムにしては珍しく派手なアルバムになった(――が、これがポップスか、というと、こんなエッジ感のあるポップスは、もう既にポップスではないだろうよ)。 セシルとマキのボーカルの掛け合いにホーンセクションが心地いい「KEEP ON KEEP ON」や「ZERO HOUR」、ホッピー神山の派手なシンセに「サインはなしだぜ」と突き放すマキが良い「放し飼い」などはこのアルバムだからこそ。 中島みゆきの「36.5℃」のようなアルバム、マキに当て嵌めるなら何かとなると、このアルバムかなと、私は思う。実験的で各プレイヤーが好き勝手やっているようでありながら、作品として世界をもっていて、かつ聞き手を選ぶような部分がマキにしては珍しく少ない。 まさしくマキとしかいいようのない世界の広がったオンリーワンの《ポップ》アルバムだ。……それにしてもこれ、凄くいいタイトルだよな。


◆ UNDERGROUND  (87.12.25/RT-5089)
cover
1. 一冊の本のような
2. ちょうどいい時間
3. YS ムーンライト
4. 夜のカーニバル
5. わたしたち
6. TOW (曳航の恋歌)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/Bobby Watson)
(浅川マキ/Bobby Watson)
(浅川マキ/Bobby Watson)
(浅川マキ/Bobby Watson)
(浅川マキ/Bobby Watson)
 今回はBobby Watsonにプロデュースを任せている。 "アンダーグラウンドの女王"マキがあえてアンダーグラウンドと名づけるのはかくなる意思か。彼女の自信が漲る実験的アルバムである。全六曲で、収録時間は40分強。曲の尺が長い大曲ばかり。 アドリブのポエトリーリーデイングなのか、言葉の断片から様々な情景が浮かんでは消えていく九分を越える大曲「YS ムーンライト」(――タイトルは60年代、YS-11で東京-大阪-福岡を結んだ深夜航空便からか)をはじめ、 Penelope Peabodysとのボーカルの掛け合いに流浪の哀愁漂う「あたしたち」、マキの育った北陸の海辺の風景から今現在の都会の闇だまりでうずくまるように歌っているマキへとワープする「TOW(曳航の恋歌)」(――しかし、これ、バッキングのキラキラシンセに驚く)など、これまでのアルバムとはまた違った不思議な空気がアルバム全体を満たしている。 都会の夜更けの夢の切れ切れを繋ぎ合わせたようなイマジネイティブな作品集。傑作。


◆ 幻の女たち  (88.05.26/RT28-5147)
cover
1. ネオン輝く日々
2. 夜の匂い
3. メッセージ
4. ジンハウス・ブルース
5. あなたに 〜 カスバの女 〜 Shang-hai
6. La Valse 女たちのボレロ
7. エトランゼ
8. 放出したエナジー
9. Rapsodie de la Russie
10. 男からの声
(浅川マキ/浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/H.Troy-F.henderson/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ)〜(大高ひさを/久我山明)〜(不詳/B. Hilliard-M. Dellugg)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ/本多俊之)<
(森脇美貴夫/浅川マキ/本多俊之)
(本多俊之/本多俊之)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之)
 「幻の男たち」(1983)に続く本多俊之とふたりきりで制作したアルバム。前作「幻の男たち」と比べてより演劇的になっているといっていい。散文詩めいた、芝居の科白めいた、沈んだマキの呟き。そこに闇の舞台だからこそ成立する虚構が生まれる。真っ暗な舞台にひとつのピンスポット――その真ん中にマキがいる、わたしたちは息をつめて、彼女の一挙手一投足を見つめている。そんな視覚を感じるアルバム。はりつめた孤独な夜間飛行、というかんじ。 現在発売中のベスト盤「Darkness 2」の一枚目はこの二枚からのセレクション。今でも聞くことのできる曲が多い。


◆ Nothing at all to lose  (88.12.21/CT32-5369)
cover
1. 見えないカメラ
2. Tokyo アパートメント
3. Kaleidoscope
4. 明日、大丈夫
5. アメリカの夜
6. Nothing at all to lose
7. Love time
8. 向こう側の憂鬱 (U)
9. トレモロ
(浅川マキ・太田恵子(英詩)/Bobby Watson/本多俊之 Bobby Watson)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之 Bobby Watson)
(John Solt/Bobby Watson/本多俊之 Bobby Watson)
(浅川マキ/Tony Maiden/本多俊之 Bobby Watson)
(浅川マキ/浅川マキ/本多俊之 Bobby Watson)
(浅川マキ John Solt(英詩)/Bobby Watson/本多俊之 Bobby Watson)
(浅川マキ・太田恵子(英詩)/Bobby Watson/本多俊之 Bobby Watson)
(浅川マキ/本多俊之/本多俊之 Bobby Watson)
(浅川マキ/Tony Maiden/本多俊之 Bobby Watson)
 このアルバムは、いい。 80年代のマキのベストはこのアルバムじゃないかな。 マキの、都市での、人肌の触れ合うことのない孤独な私生活とその心象風景。その模様がドキュメンタリータッチに淡々と続くのだが、しかし、アルバムを1枚聞いたあとには、ひとつの物語のような、そこに立体的なひとつの生が浮かび上がる。 古いマンションのエレベーターで起きた1幕を描いた「Tokyo アパートメント」、ふられて酔いつぶれた女の思考のループがいかにもな「明日、大丈夫」など些細な風景にリアリティを感じる。 サウンドとボーカルの距離も安定して、いい。


◆ 夜のカーニバル  (89.04.26/CT32-5421)
cover
1. Kaleidoscope
2. あんな女ははじめてのブルース
3. 暗い眼をした女優
4. こころ隠して
5. 町の汽船
6. 霧に潜む
7. あの人は行った (inst.)
(John Solt/Bobby Watson)
(Langston Hughes 斉藤忠利(訳)/山下洋輔)
(浅川マキ/近藤等則)
(浅川マキ/近藤等則)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/向井滋春)
(浅川マキ)
 88.12.24、池袋文芸座オールナイト公演、1987.07.03〜04、新宿紀伊国屋ホール公演、京大西部講堂でのライブ音源からセレクションした、久々のライブ盤らしいライブ盤。 80年代に多く発表した実験的な楽曲、それらをマキは舞台でどのように再現したのかがこのアルバムでよくわかる。


◆ STRANGER'S TOUCH  (89.12.13/TOCT-5604)
cover
1. 都会に雨が降る頃
2. ピグノーズと手紙 (U)
3. 見知らぬ人でなく
4. 男からの声
5. あいつが一番〜Chrome Sister
6. ちょっと長い関係のブルース〜今夜はおしまい
7. ダンサー
8. あの娘がくれたブルース
9. 電文「カツテニ シテヨ」
10. 向こう側の憂鬱 (V)
(浅川マキ/山下洋輔)
(浅川マキ/近藤等則)
(浅川マキ/Tristan Honsinger)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ)〜(浅川マキ/M.Bolan)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/本多俊之)
(本多俊之)
 これはそのまま「Nothing at all to lose」の続編的アルバムといっていいかな。台詞や効果音など、さまざまな音響の向こうに、都市生活者の孤独が浮かび上がるようなアルバム。 「このアルバムを聞き終えたとき一本のシネマを見たような印象を受けるなら、嬉しい」と歌詞カードに書いてあるが、じつにその通り。この世に存在しない映画のサウンドトラックのようなアルバム。 意外にも芝居っ気があるんだね、マキさん。新曲はひとつもないものの、様々な効果やリアレンジで、まったく新しいオリジナルアルバムになっている。 M-3では原田芳雄が参加。M-8は酔いながら道をとぼとぼ歩いているていで歌う。聞こえるか聞こえないかの声で歌っている――が、これがいい。また「あいつが一番〜Chrome Sister」もびっくりアレンジで面白い。「ダンサー」はちょっとやりすぎで怖いのですが、それもまたマキ。


◆ BLACK -ブラックにグッドラック   (91.02.20/TOCT-6008/9)
cover
【Disc.1】
1. 憂愁 (U)
2. 憂鬱なひとり歩き
3. 少年 (U)
4. FLASH DARK
5. 今夜は自由に眠られてくれ
6. blackにgood luck
7. また、ね
【Disc.2】
1. 無題

(浅川マキ/下山淳)
(清水俊彦/下山淳・池畑潤二・奈良俊博)
(浅川マキ/浅川マキ・奈良俊博)
(浅川マキ・John Solt(英詩)/下山淳)
(清水俊彦・浅川マキ/下山淳・池畑潤二・奈良俊博)
(清水俊彦・浅川マキ/下山淳・池畑潤二・奈良俊博)
(浅川マキ/浅川マキ)

(浅川マキ・清水俊彦/浅川マキ・本多俊之・渋谷毅)
 「CAT NAP」以来、後ろを振り返らずに実験的につきすすんだ浅川マキの究極系といったアルバム。二枚組で1枚が一曲のみ、しかもタイトルが「無題」という、もう見た目からしてものすごいが、聞いてみるともっとすごい。なんだか大変なところに行き着いちゃってます。 爆音ギターに、うなりまくるベース、眩暈の嵐のような音像に、マキが、時におらぶように、時に知ったことかとつきはなすように、歌うともなく、呼吸するように歌っている。今回、すべての詞が清水俊彦の詩集「直立猿人」を参考したもので、浅川マキが頭をよぎる氏の詩の断片を自由に歌ったものなのだが、これもまぁすごい。現代詩をそのまま歌っているよ。 昔なつかしの「少年」を大胆にリメイクした「少年 (U)」とか、マキの語りがラリラリですんごい「FLASH DARK」、なにがなんだかわからないとしかいいようのない「憂鬱なひとり歩き」などすごいすごい。すごすぎて大好きだぜ、このアルバム。マキでしかありえないシュールリアルな超作。 「『クレージー』って、褒め言葉でしょ?」(「また、ね」)そのとおりですね、マキさん。


◆ 黒い空間  (94.12.21/TOCT-8654)
cover
1. ワルツに抱かれて
2. 語り
3. ロンサム・ロード
4. あなたに
5. 貧乏な暮し
6. MY MAN
7. 炎の向こうに
8. 暗い日曜日
9. 都会に雨が降る頃
10. あの人は行った
11. 語り
12. Love Time
(浅川マキ/本多俊之 山内テツ 浅川マキ)

(浅川マキ/Gene Austin-Nathaniel Shilkret)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/C.Pollack-Maurice Yvain)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ 橋本千恵子(訳)/J.Mareze-F.Eugehe Gonda-S.Rezso)
(浅川マキ/山下洋輔)
(浅川マキ/浅川マキ)

(浅川マキ/本多俊之)
 池袋文芸坐ル・ピリエでの大晦日公演にプラス94年新録「ワルツに抱かれて」「Love time」という布陣。 熱のこもった小劇場でのデイープなライブ。その模様が90年代のものとはにわかに信じがたい。 久しぶりに70年代の、「夜が明けたら」のマキのファンにも優しいアルバムになっている。


◆ こんな風に過ぎて行くのなら  (96.06.26/TOCT-9489)
cover
1. 今夜はオーライ
2. 埠頭にて
3. Some Years Parst (U)
4. あの男が死んだら
5. ネオン輝く日々 (U)
6. 別れ
7. まだ若くて
8. Mid-Channel
9. コントロール
10. こんな風に過ぎて行くのなら
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/飛田一男)
(浅川マキ/飛田一男)
(浅川マキ/Irving Berlin)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/後藤次利)
(浅川マキ/後藤次利)
(浅川マキ/後藤次利)
(浅川マキ/浅川マキ)
 アドバイザーとして土方隆行、後藤次利の名前が明記されている。 80年代は70年代に築きあげた世界を否定し、実験的、音響的なアルバムを連発していたマキだが、このアルバムでようやくひとつの地点に落着したように聞こえる。 80年代の一時期のアルバムのように、各プレイヤーが暴走しマキの歌が聞こえない、ということもなく、逆にマキの声ばかりが厳前と立ちはだかり息苦しくなる、ということもない。プレイヤーも自然に演奏しているし、マキの歌も自然に立ち上がっている。とはいえ、もちろん70年代の諸作のようなだけの世界ではない。 80年代のマキを通り過ぎたからこその、新たな、そして穏やかな地平がここには広がっている。
 70年代の名曲「こんな風に過ぎていくなら」「別れ」「あの男が死んだら」と80年代の「コントロール」「今夜はオーライ」、さらに新曲とそれぞれが出自の違う楽曲が渾然と並んでも、まったく違和感がない。ポップスとして非常に聞きやすく、それでいてマキでしかありえないという世界が作られている。このあたりはヒットメーカーとして名を挙げた後藤次利の成果だろうか。 オールドロックなギタープレイに「あの頃の頃忘れてもいいだろう だけど忘れなくてもオーライ あんたの都合いっとくれ」と旧友に投げかける「今夜はオーライ」、「オーイ、聞こえるかい 元気なんだろ オーイ 手紙はしないぜ 面倒くさがりの仲間だったろう」と今は会えなくなった友人に歌を贈る「some year parst (2)」には、ほろっとしてしまう。マキには、骨っぽく男くさい友情が本当によく似合う。傑作といって差し支えないかと。


◆ 闇のなかに置き去りにして  -BlackにGood luck-  (98.11.26/TOCT-24004)
cover
1. INTERLUDE
2. 向こう側の憂鬱
3. 別離 
4. 閉ざす
5. いい感じだろう、なぁ
6. 無題
7. 愛さないの愛せないの
8. 暮らし
9. あなた、オーライ
10. INTERLUDE (instrumental)
(浅川マキ/Hal David Shaper-Georges Delerue)
(浅川マキ/本多俊之)
(浅川マキ/土方隆行 横山達治)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/土方隆行)
(浅川マキ/渋谷毅)
(寺山修司/山木幸三郎)
(浅川マキ/浅川マキ)
(浅川マキ/土方隆行)
(Hal David Shaper-Georges Delerue)
 まず一聴して、83年作品「WHO'S KNOCKING ON MY DOOR」と90年作品「BLACK -ブラックにグッドラック」がふと脳裏に過ぎった。 このアルバムは、「BLACK」と同じく、清水俊彦の詩集「直立猿人」からの作品、「別離」「無題」を収録している。また、「WHO'S 〜」からの作品「暮らし」も収録している。そういった流れからのイメージももちろんだが、これら3作に漂う「死」のイメージ、それがなにより似ている。
 「WHO'S 〜」は寺山修司の死を契機にして生まれたアルバムであるが、このアルバムに満ちているのも紛れもなく『死』である。ただ「WHO'S 〜」「BLACK」での「死」は、あくまで生者として死に立ちあっており、死に対して冷徹に線引きしているようなところがあるのだが、このアルバムではその境界はゆるやかに溶解してしいる。 死の中、闇の中にまさしく飲み込まれるような雰囲気が漂っている。「闇の中に置き去りにして」というタイトルも、どこか孤独なマキの、遺書めいた、死出の旅立ちに向かう者のいまわの一言のようにも感じる。 70年代の夜のさかり場に紛れ込んだような「いい感じだろう、なぁ」あたりもいいが、「閉ざす」「暮らし」「無題」の深く立ち込める黒い闇の世界がすべてを覆ってしまっている。
   このアルバムの発売前の仮題が「ラスト・レコーディング」であった。いかにも最後のアルバム、という、しんしんとして死神の手が闇の向こうから忍び寄るような作品だけに、この「ラスト」が「最後」でなく「最新」の意味であることをわたしは願うばかり。




大幅変更 2008.12.20
2003.07.01
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