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柏原芳恵「ロンリー・カナリア」

歌詞の妙味


(1985.01.01/フィリップス/7PL-181)


エーーー、ご覧なっている皆さんもいい加減だいたい見えてきたと思うけど、私、歌謡曲の歌詞ってのが好きなのね。
そこには万葉の御代から連綿と続くやまとごごろがあると思うが、どうか。……と大段上で構えなくてもいいけどさあ。

 歌詞ってのは曲を分りやすく形象(かたど)らない?
 メロとかリズムとかアレンジとかって、結構抽象概念じゃない。音から受けるイメージってのは確かにあるんだけれど、そこに言葉をに乗っけてこそ、そこに具体的な意味が彩られるというか、イメージが定着するというか、そんな感じしません?

 ただ、どうも近頃の傾向では歌詞の部分ってのは軽く見られているような気がして、実際ヒットチャートにはついでのように作詞して印税稼ぎするアーティスト気取りばっかりだし。
 別に色んなタイプがいてもいいけど、もっと歌詞で真剣に遊んだりするアーティストだって昔みたいに居てもイイじゃない? なんて思ったりもするわけで。
 日本語が使えるから小説が書けるわけではない様に、作詞だってそんなちゃらっと作れるものじゃないと思うのですよ。やっぱり、そこは真剣にやらないと。おちゃらけた歌でも、中島みゆきみたいな歌でも。
 だから、歌詞からアプローチした歌の面白さみたいなものが再認識できたらなぁと、このサイトではこっそり思っていたりします。
 でもってただのナツメロ・アーカイブスってだけでなく、こういう歌を作ってくれよーーーって言う??そんなのも裏にあったり、と。



 と、いうことで、今回はそんなこんなで中島みゆきの歌の話。
 歌謡曲の歌詞って、子供の頃、なーんも考えずにただ聞いたり歌ったりしていたものでも、ある程度歳を重ねて歌詞をじっと見て、「えっっ、こんなこと歌っていたの??」なあーんていう再発見があったりするから面白いですよね。 でもって、そんな謎掛けみたいな歌詞が一番多いと思うのが中島みゆきと阿木耀子の二人だと思う。
今回はそのなかで柏原芳恵が歌った「ロンリー・カナリア」。ちなみに中島みゆきもアルバム『回帰熱』(89)で、セルフカバーしとります。

最初聞いたのは中島版だったのかな。この曲、とにかく最初聞いたときはピンとこなかった。

このまま高速へのりましょうよ 混んでない西のほうへ
電話なんて諦めてよ 手を解かないで

(作詞/作曲 中島みゆき)――以下同じ

 中島版も柏原版も共にかなり甘ったるいしなだれかかるような歌い方。
 一組の男女のドライブの情景が詞のテーマだろう。男性の肩にもたれている助手席の女性の姿が見えるよう。 西へ向かう高速。中央高速かな。ユーミンの「中央フリーウェイ」を想起するのも悪くない。つまり中産階級のクルージング感覚。

 ――なるほど甘い恋歌なのだなと、ここまでは一聴してわかっただが、なんでこれでタイトルが「ロンリーカナリア」なのと当時中学生の私には不可解だった。
 確かに歌唱には甘さと共に隠しきれないほどの物悲しさが漂っていて、確かに歌唱だけを見れば「ロンリー」なんだけれども、そっから先が、なんか、ようわからん。と。なわけで、あまり印象に残らなかったのですわ。



 ところが、大学生になったある日の私が歌詞カードを見つつ、気付くわけですよ。
 ああっっ、そう言うことだったのかぁっっ。なるほどねぇ。と。
 キーワードはここ。
向こうは 雨降りで 町は晴れよ
帰ったら なんて言うの
困らせると あなたの眼が 悲しく曇る
 この意味が昔っから引っかかっていたのだが、一番の「このまま高速へのりましょう 混んでない西のほうへ」とつなげて考えると、ああっそういうことだったのか。

 この歌、不倫の歌だったんだねぇ。その瞬間、わかった。雲が晴れたように全部分った。
 このドラマには歌の主人公と相手の男性の他にもう一人、男性の本命の彼女もしくは本妻が影にいるのね。んで、彼女のもとに男が帰った時、車が濡れている理由を問われたらなんて言い訳するつもり? と尋ねているということなのね、ここは。
 で、そんな意地悪に男のひとみが悲しく曇っている、と。

 もちろん、雨の降っている西へ誘ったのは彼女の罠。そして、罠にかかってしまった男。
 で、サビはこう書かれている。
にがい蜜 かじってみた小鳥みたい
震えている ロンリー・カナリー
 震えている悲しいカナリアは、罠にかかった男であり、罠に掛けることでしか愛していると表現できない女、その両方にかかっているのだろう。
 そう考えてみると、男が「若さにはアクセルだけでブレーキがないと少し辛そうに呟い」たり、「若さには罪という文字よくにあうとため息つい」たりと自責の念に駆られてるのも納得。
 また「電話なんて諦めて」も、もう一人の女性への電話なんだなとわかるし、「傷つけるつもりがなくて 傷つける 恋はそれ自体罪なもの」の部分にも合点がいく。
 で、それらの一部始終が車内での出来事。だから、乗用車を硝子で囲まれた鳥かごと見立てて、ふたりは「悲しいカナリア」なわけだ。
 なるほどねぇ……。
 中島みゆき、ちゃんとプロの仕事しています。
 中島みゆきの歌詞って、はっきり言って歌詞に説明的な描写が少ないから、一回歌の世界に入りそこねると「この歌ってなにを歌っているの?」となりがちだけど、一回シンクロすると全てがタイトに決まっていることに驚く。  この「ロンリー・カナリア」もまさしく、そのタイプの歌。



 で、柏原芳恵。
 70年代的アイドル歌謡を振り出しに抒情フォーク歌謡、テクノ歌謡、ツッパリ歌謡と安定した売上げとは裏腹になかなか自分のモードが決まらなかった嫌いがあったけど、この「ロンリー・カナリア」と前作「最愛」で、びしっと座標が決まって作品が安定してきたように私には感じた。
 いわゆる、「純正歌謡曲歌手」という佇まい。ちあきなおみ、小柳ルミ子、高田みづえ、研ナオコ、テレサ・テンあたりのラインの歌手。
 演歌でもポップスでもなく、「歌謡曲」。適度な湿り気と翳りと色気の世界。この時期から「A・r・i・e・s」までがわたし的なツボ。
 アルバムも良くって……。『最愛』(84)の「たわむれの恋のままに」なんて絶品。 ほか、『待ちくたびれてヨコハマ』(85)の「車内風景」。『Aries』(87)の「最後のセーラー服」なんかもいいですね。
 ただ「花嫁になる朝」(86)はやり過ぎだったかと。
 平尾昌晃作曲でB面が「古都の恋めぐり」って、ルミコの「瀬戸の花嫁」と「わたしの城下町」ですか? ってかんじで。
 ジャケットの林静一の絵とか、汽車のSEに歌中の子供の台詞「わたし、大きくなったらお嫁さんになる!」とか、発売記念の「柏原芳恵プライダルキャンペーン」(寿色紙とか祝辞テープのプレゼントという内容、抽選で一組のカップルの結婚式に柏原本人が出席)、やりすぎ感漂いまくり。 それも今やいい思い出ですが。


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