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「La Strada」という番組で見られた新しいCMの形

(「La Strada」/2005.02.25/フジテレビ系/21:00〜22:54)


そういえば挙げ忘れていたことがあったので、軽く。
2/26にフジテレビで「La Strada」という「人類と道の歴史」をテーマにした教養エンターテイメント番組が放送された。

http://www.fujitv.co.jp/LaStrada/index.html


ナビゲーターが石坂浩二で、まぁ、簡単に言っちゃえば「カノッサの屈辱」のような「世界ふしぎ発見」で(―――狙ったのか放送時間は「ふしぎ発見」の真裏)、それはそれで面白かったのだが、1番興味深かったのが、番組の合間に入るCMだった。

この番組はタイトルからわかるようにメインスポンサーは日産なのだが(―――多分日産スポンサーによる特別番組という縛りでスタートした企画なんじゃないかな)、その日産のCMのほとんどが番組と完全にリンクした特別CM仕立てになっていた。それは例えばこんな感じでなのある。

古代ローマ、アッピア街道とそれを作ったアッピウス・クラウディウスの話を長々としたところに、真っ白なスタジオにクラウディウス役の役者(――もち無名)が登場。「今の車の車体の幅はローマ時代の馬車の幅と同じ」なんて軽くうんちくを語って、このままうんちく話かと思ったらそこに日産の車が後に出てきて「で、この日産のなんちゃらは」なんてクラウディウス役の役者が小ネタを噛ませつつ語り出す。 画面には「ここからは日産のCMです」の文字が小さくさっと出る。で、車のセールスを2、3分役者に語らせたところで幕。本編の次の話へと移る。 番組全体のCM時間帯4,5本のうち3本がこういったタイプ(―――あとは藤原道長・カサノバのバージョンがあった)になっていた。

これに「低予算のようでありながらもこれほど効果的なCMもあるのか」と私はひどく感心した。
なんで効果的かと思ったのといえば、そのCMは簡単にいえば、「視聴者を全く不快にさせない、それでいてザッピングさせる機会を与えないCM」だったから。

なによりも特筆すべきだったのは「番組とCMの境を曖昧」に暈して「番組みたいなCM」にしていたことだけれども(―――タイアップバリバリで「番組そのものがCM」のような番組は腐るほどあるが……)、他にも印象的なところを書き出してみる。

・ CMが番組全体のテーマとリンクしている
・ CMがゆったりしていて目や耳にうるさくない
・ 番組の構成上節目の部分にCMを配置している


これらの要素は、従来のテレビ番組とそのCM(――――大声でおしつけがましいCMがのべつまくなしに、番組のテーマと無関係に、番組構成をぶったぎり、視聴者を不愉快にさせるような位置にわざと何回もはいりまくるというスタイル)とはまったく真逆のベクトルにあるといっていいと思う。
従来のテレビ番組とそのCMのあり様にどれだけ効果があるのか、私は当事者じゃないのでなんともわからないが、現在の一般的なテレビCMって、街の喧騒の最中で無理やりひとを引きとめる大声合戦しているようなもので、広告効果は極めて低くなっているんじゃないかなぁ、と私は思っていた。

確かに「CM」ってのは視聴者にとって要らないものでしかないとは思うし、その要らないものをどうやって視聴者に押しつけ受け入れさせるか、ということをテレビ局と広告代理店は躍起になっているんだとは思う。
でも、例えば、番組の1番いいところで意図的にCMを挟むのは、おいしいものの間にわざとまずいものを挟んだサンドイッチみたいなもので、下手したらサンドイッチ自体食べてもらえなくなるかもしれないし、また有名タレントを使った派手でインパクトの強い濃い目のCMだって、薄味好きの人からしたら「こんなの舌が馬鹿になるわ」と避けられてしまうかもしれないわけで。

必要なのは、「番組」と「CM」をわけて考えずに、テレビという枠組の中でいかにその時間をデザインすることか、ということなんじゃないかな。泥臭い物量攻勢ももちろん一方でありだけれども、そればかりでないTPOにあったデザインをきっちり組んでスタイリッシュに広告するというのも必要なんじゃないかな。 CMを「まずい」ものだとはなから決めつけて「おいしい」もので誤魔化したり、大量に垂れ流したりするのでなく、それなりに旨みのでる料理法を探すなり、多少なりとも番組とフィットした「おいしい」素材に変えるなりといった努力が必要なんじゃないかな、などとわたしはなんとはなしに思っていた。
――――まぁ、そんなくだらないことを思わず考えてしまうくらい今のテレビ番組とCMの関係は殺伐として荒廃しきっているように見えるのよ。はっきりいってテレビ見るのが苦痛に感じることは以前と比べて飛躍的に増えつつあるし、実際わたしのテレビの視聴時間は着実に少なくなっていてきている。

と、そんなこんなのところにこの「La Strada」でポンッと正解を出されたような気がして驚いたのだ。
この成功はなにより「CMも番組構成のひとつ」ときちんと居場所を作って制作した結果なのではなかろうか、と私は思う。
もちろんこれをスタイルとして定着させるにはテレビ局とスポンサーと代理店のより密な連携が必要になってくるわけで、定着することなく「ある種の偶然の僥倖」でおわってしまう可能性というのも高いと思う。
ともあれ、今のテレビやテレビ広告関係者にそれなりに「今のままのテレビCMはだめだ」という人がちゃんといるんだなぁ、と感心した。わたしはこのCMの方法論を肯定していきたい。

こうしたスタイルっていうのはやろうにも、1社スポンサーに近い形でないと成り立たない形だし、レギュラーでやるとしたら毎回のネタ作りが大変だし、定着するには難しいとは思う。 けれども、がんばって欲しいなぁ、ここは。
テレビ屋、広告屋さんには、このスタイルのような「イケイケどんどん」でない新しいテレビCMのスタイルを今後ともしっかり考えてそして定着させていって欲しい。
でないと少なくとも私のような偏屈な視聴者は本格的にテレビ離れを起こすと思う。

などとぐだぐだいいつつも。
CMと番組の境を暈した「番組溶かしこみCM」はそれこそ「てなもんや三度傘」の「当たり前田のクラッカー」の頃からあるものだし、テレビ番組でCMの入る位置ががぐちゃぐちゃになったのは90年代に入ってからだし、ゆったりめのCMにしたって1社スポンサー番組が多かった80年代にはよくあるものだったわけで。つまりはここで「新しい」と思っていることは原点回帰ってことなのかもしれない。
ただ、全ての要素を足してできたであろうこの番組のCMは一視聴者の私にとっては、まったく新鮮に映ったのは事実。


2005.03.01
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