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工藤静香「黄砂に吹かれて」

(1989.09.06/S7A-11038/ポニーキャニオン)


時代を掴んだポップス系歌手には、ある時、これはもう神の采配としかいいようがないような、傑作連発症候群とでも言うべき、傑作をたて続けに出してしまう時期がある。

工藤静香もこの突然傑作連発症候群にみまわれた。

「FU-JI-TSU」あたりからあやしかった。
ソロデビュー当時、彼女は誰もがおにゃん子最後のアイドルとしてその生を静かに終えるに思えた。 彼女は確かにおにゃん子出身としては出色の歌の上手さであったが、とても次があるとは思わなかった。大抵ブームというものは才能の有無にかかわらず、無条件で引きずりこんでしまうものだし、そのブームにのったものはその終わりとともにと強烈な逆風にまみえることになる。 事実、おにゃん子一の実力とルックスを兼ね備えていた河合その子は良作を出しつつも、苦戦を強いられていた。であるから、おにゃん子終了という引き潮に工藤静香も巻き込まれ、海の藻屑になるのではとおもわれた。
が、彼女はその逆風に負けるようなタマではなかった。

「FU-JI-TSU」で状況が明らかに変わる。おにゃん子色を完全に脱色、中島みゆき作詞曲を軽く歌いこなす。

そして、次作「MUGOん……色っぽい」から傑作連発となる。それは「恋一夜」、「嵐の素顔」、「黄砂に吹かれて」まで続いた。これら四作は戦略的局面からみても、純粋に楽曲単体としてみても高クオリティーで、実際商業的にも大成功する。彼女の代表曲はこの四作といっても過言ではない。

この時期、静香のスタッフの目標は「ポスト明菜」であったことは間違いないだろう。
明菜が年齢を重ねるにつれて、格上演出でぽっかり空いたヤンキー系キャラで歌謡ロックというラインを核に攻撃をしかける。

化粧品会社のキャンペーンソング「MUGOん……色っぽい」で掴んだライトユーザーの興味が冷めない速さでベスト盤『グラデーション』とイメージをがらりと変えたシリアスなバラード「恋一夜」のリリース。
ランキング番組上位確定組になったところで直球ど真ん中、派手なツッパリ系歌謡ロック「嵐の素顔」で一気に明菜サイドへの猛攻をかける。
そうこうしている間に、明菜は自殺未遂事件を起こし、明菜プロジェクトは凍結。
天の利を得た静香班は明菜の異国情緒路線にも手を伸ばす。
それが「黄砂に吹かれて」となる。

この時期の静香の大攻勢はリアルタイムを生きていた一人としてはっきり覚えている。
明菜・聖子を筆頭に美穂・静香・南野・浅香の四天王が力を蓄え、それぞれの力が拮抗というのが女性アイドルのおにゃん子以後の87、88年あたりの勢力図であったが、これが半年もせずに、明菜・聖子が滑り落ち、他の四天王陣が停滞ないし凋落し、一気に工藤静香がトップに、という構図に一転した。
実際、今までクラスメートがナンノだ、ミポリンだ、明菜だといっていたのが次々と工藤静香へと流れていったのは実に圧巻であった。
結果「黄砂に吹かれて」はオリコンウィークリーチャートの首位を1ヶ月以上守り、「ザ・ベストテン」最終回の1位を飾ることとなる。

これで静香時代がくるのだ、と当時の私は確信していた。
いうなれば中森明菜が近藤真彦宅のバスルームで剃刀をあてたその瞬間に落とした『歌謡曲女王の鍵』を静香が拾ったのだ、と。

が、結果から先に言えば、彼女は拾った鍵を鍵穴に差しこまなかった。
彼女が何故鍵を差し込まなかったのか。
差し込まずに、アルバムやシングルリリースのローテーションを緩め、趣味の絵画を描いたり、テレビでもラフに歌ったりするようになったのか。
それは、わからない。

ともあれ、このテンションはこの時だけでそれ以降ぱたっとやんだというのは、やはり不思議だ。
スタッフの問題か、本人の問題かわからないが、この「黄砂に吹かれて」を頂点にまったく勢いがそがれてしまう。
「くちびるから媚薬」はまだ良かったが、「千流の雫」から樹海に入り、「私について」「ぼやぼやできない」、「Please」と迷走が続く。この時期「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」など彼女の活動のメインであった歌番組も相次ぎ終了となり、売上も漸減していった。

今の時点から、個人的な意見をいわせていただければ「黄砂に……」は静香には早すぎたのかもしれない。実際、この異国情緒・ミスティック路線は元々彼女の素質にあっていないし、背伸びの感はぬぐえない。
もっと、歌の表現力や声の演技力をつけて、以後臨めばよかったのだが、スタッフはこのシングルの成功を土台に「くちびるから媚薬」から「私について」まで推し進めてしまう。
でもって、「ぼやぼやできない」でふりだしに戻ってしまうのだから、なんともご愁傷様としかいいようがない。

そうした停滞を(売上面で)打破したのはドラマ主題歌となった「メタモルフォーゼ」であった。ここから、彼女のタイアップの歴史が始まる。彼女もまた、他の90年代歌手と同様にヒット=タイアップという図式が続く。
「慟哭」「激情」「Blue Velvet」「きらら」……。しかし、アーティストパワーという面では「黄砂に吹かれて」の頃とは比べるべくもないといったところである。

何故、歌謡曲のトップランナーとして彼女は爆走することはなかったのか。「黄砂に吹かれて」を聞くたびに「もっと可能性あったのになぁ」と私は今でもつい思ってしまうのである。
ま、そんなことは後の祭であるし、本人は旦那と子供にかこまれて幸せそうで、趣味のアクセサリー作りなり、サーフィンなり、絵描いたりして人生楽しんで、で、時々ちょっと歌を歌って、とこれからの人生左団扇でなにも文句もないのでしょうがね。


2002.12.10


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