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久保田早紀  全アルバムレビュー


cover  アメリカ文化の溢れる基地の街、立川と瀟洒で穏やかな武蔵野の住宅地、国立のちょうど境で生まれた久保田早紀、本名、久保田小百合。
米軍キャンプでの通訳を経てソニーの海外事業部に勤める父と、基地のハウスメイドからセールスクラークを経て結婚、専業主婦となった母を持つ。

 彼女が芸能界引退後に本名で出したエッセイ「回想録 〜メモリー〜 午後の頁から……」(レムナント出版)を読むと、歌手・久保田早紀の世界をかたちづくった様々な諸要素がそこに書かれていることに気づく。

 名取の祖母に薦められ大学まで続けた日本舞踊、基地からの土産にもらったアメリカンポップスの楽譜、私立中学の受験に失敗した傷心の心を癒したバッハの『G線上のアリア』、 ギリシア神話への憧れ、教会の日曜学校で聴いた美しい讃美歌と聖書の物語、映画好きの母に連れられて日比谷で見た様々な名画とその音楽、国立の物静かな並木道に欧州の香りを感じ、またビートルズ、モンキーズにはじまり、ウイングス、ピンクフロイド、レッドツェッペリン、タイガース、荒井由実、洋邦の境なく様々なポップスに浸り、憧れた。 カルメンマキ&OZ時代のマキに憧れ、髪にパーマを当てて、不良の真似事のようなこともした。―――彼女は典型的な戦後日本の中産階級の子女、当時のニューミュージック系歌手にありがちなおだやかな生い立ちといえる。

 エスカレーター式の私立に通い、短大の卒業を迎えようという頃、マスコミ関係の就職を志望していた彼女はソニーの「ミス・セブンティーン」に、アイドル歌手のオーディションと知らずに応募する。 このコンテストが直接のきっかけとなり、彼女はソニーのディレクター金子氏と出会い、歌手としてデビューすることになる。 しかしそれより少し前に「音楽で自分を表現することができるのでは」と思うきっかけになった音楽の出会いがふたつあった。

 ひとつは当時イランの開発プロジェクトに参画していた父が、現地からの土産として届けたイランのミュージックテープ。 もうひとつは、レコードショップで見つけたポルトガルのファドの女王、アマリア・ロドリゲスのレコードである。
 ここに和でも洋でもないもうひとつの世界を見た彼女は、これが私も求めた世界と、自らの音楽を紡ぎ出すことになる。 この世界は、そのままデビューシングル「シルクロードのテーマ 異邦人」とアルバム『夢がたり』に繋がる。
 「異邦人」140.4万枚。「夢がたり」57.2万枚。彼女はデビューでいきなりスターダムにのし上がり、そしてこのイメージに呪縛されていく。

 彼女の持っている世界は「シルクロード」の世界だけではない。あくまでそれは彼女の音楽を形づくる一部分でしかない。 基地の街から流れてくるアメリカン・ポップスも、テレビから流れる日本のポップスも、クラッシックも、讃美歌も、映画音楽も、彼女の音楽の血であった。 しかし「シルクロード」以外の久保田早紀の表現をマスが要求することはなかった。
 彼女の商業歌手・久保田早紀としての活動は久米大作氏との結婚までのわずか5年あまりであったが、その遠因はやはり「異邦人」の大ヒットにあるのではないかと私はどうしても思ってしまう。
 「回想録」のなかで彼女はこのように記している。
20代でわたしが知ったことは、曲を作り続けるということと、曲が売れるということは必ずしもイコールじゃないということ。
売れないリンゴをいつまでもお店に並べておくことはビジネスとしては失格。でも、趣味でリンゴを作るのはその人の人生。
……(中略)……
私のリンゴは"趣味のリンゴ"、うまく説明できないけれど、こんな音楽を作っていこうと決めました。
 ショービジネスの舞台から去り久保田早紀の名前を捨てた彼女は、その後、教会音楽を歌う音楽伝道師・久米小百合となった。
 短い間ながらも様々な紆余曲折を経て、こうした賢明な考えに辿りついたのだろう。 とはいえそこにヒット曲という化け物に飲み込まれたもののの不幸を感じずにはいられない。


・付記  「いつまで経っても売れない趣味のリンゴ」と自ら例えた久保田早紀の音楽。しかしそれを求める者は、少ないながらも、決して絶えることはない。 そして2007年には、ついに全てのオリジナルアルバムが復刻されるに至った。「趣味のリンゴ」も案外捨てたものではない、そう思いませんか ? 久米小百合さん。
 趣味だろうとなんだろうと、時代の波に洗われてもなお残るのは、本物だけなのだ。


◆ 夢がたり  (79.12.08/1位/57.2万枚)
cover 1. プロローグ…夢がたり
2. 朝 
3. 異邦人 
4. 帰郷 
5. ギター弾きを見ませんか 
6. サラーム 
7. 白夜 
8. 夢飛行 
9. 幻想旅行 
10. ナルシス 
11. 星空の少年
(inst./萩田光雄/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)

 極東・日本から、父が単身赴任するイランを経て、憧れのアマリア・ロドリゲスの居るポルトガルまで。 極東に住む少女の幻想道中記――――それが彼女の「シルクロードのテーマ」であり、このアルバム『夢がたり』の世界といっていい。
 憧れの距離がシルクロードの距離であり、その距離を埋めるのが少女の幻想。 それはこのアルバムにおいて既に神話的、物語的にまで昇華されている。見事なまでの完成度といっていい。 幼い頃教会の日曜学校に通い、キリストの説話や讃美歌に親しみ、更にギリシア神話にも傾倒していた彼女の、デビューにして決定的なアルバムといえる。

 生まれ変わりの朝のような「朝」にはじまり、説明不要の「異邦人」、古い物語を読むような「帰郷」や「白夜」、ファドの憧れが滲み出た「ギター弾きを見ませんか」、少女の幼い恋の終わりを歌って秀逸な「ナルシス」、 ほとんど神話と響く「星空の少年」。見事なまでの楽曲陣。思わず惚れる。

 デビューシングル「シルクロードのテーマ 異邦人」(140.4万枚/年間第2位)と共にこのアルバムも大ヒット(57.2万枚/年間第4位)を記録する。 しかし、序文で書いた通りこれが彼女への後々の仇となる。完成度の高さは確かだが、ヒット歌手として立つにはあまりにも時期が早すぎたのではなかろうか。
 酒井政利氏プロデュースによる海外戦略三部作(―――いうまでもないが他の2作は「エーゲ海のテーマ 魅せられて」ジュディ・オング、「アフリカのテーマ 風の大地の子守り唄」ちあきなおみ→黛ジュンである )のひとつとして、曲はもとより、彼女の存在そのものがデビューの時点で一気に消費尽くされてしまったようにみえた。 それを跳ね返すほどのタフネスをまだデビューしたばかりの彼女に求めるのはあまりにも酷というもの。
 ファンにとっては痛し痒しの傑作。あまりにも早すぎた一枚。


◆ 天界  (80.06.21/11位/6.6万枚)
cover 1. シャングリラ 
2. 天界 
3. 碧の館 
4. 真珠諸島 
5. アクエリアン・エイジ 
6. 葡萄樹の娘 
7. 25時 
8. 田園協奏曲 
9. みせかけだけの優しさ 
10. 最終ページ
(山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄) 

 全作曲は久保田早紀、作詞は山川啓介と久保田早紀で分担( 多分久保田の詞が前提でそこで物足りないようであれば山川が作詞、補作するような感じだったのではなかろうか )編曲は萩田光雄。 前作「夢がたり」とまったく同じ布陣であるし、世界観もほとんど同じといっていい。双子のような作品といえる。

 インダスのほとりで運命に身を任せる「シャングリラ」、ポリネシアの真珠取りの少年に抒情を感じる「真珠諸島」、黙示録のような不吉なSF「アクエリアン・エイジ」、避暑地の別荘を舞台に少女期の終焉を歌う「田園協奏曲」、幻想文学のような妖しさを湛えた「碧の館」、 紫色の砂漠の夜明けに神々の裁きの声が響くという「25時」など。前作よりも多少世界観の幅は広がったが同じラインでの延長といっていいだろうし、クオリティーももちろん高い。しかし、売上は引き潮のように前作から一気に下がった。

 彼女には当時、先鋭的作品を連発していた24年組といわれる少女漫画家達( 萩尾望都、山岸涼子、大島弓子ら )と同質のものがあるようにみえる。
キーワードは異文化への憧れと宗教的神秘である。 現実という此岸から彼岸――もうひとつの世界を望み見るようなところがあって、彼岸への飛躍のツールとして「異文化」「宗教的神秘」がつかわれている。


◆ SAUDADE  (80.11.21/54位/1.0万枚)
cover 1. 異邦人 
2. アルファマの娘 
3. トマト売りの歌 
4. 18の祭り 
5. 4月25日橋 
6. サウダーデ 
7. 九月の色 
8. 憧憬 
9. 真夜中の散歩 
10. ビギニング
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀・山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)

 A面(M-1〜M-5)はポルトガルはリスボンでの録音。
 ついに憧れの地、ポルトガルでのレコーディングを敢行するのだが、何かが違う。パラパラと哀しみ零れ落ちるようなギターラの音色は美しいのだが、どこか彼女の声としっくり馴染まない。
 憧れの果て、シルクロードの西の果てに辿りついた彼女はここではじかれる。
 雲の上を歩いているような底抜けの陽気さと海の底のような哀しみ、音の素朴さと人懐こさ、そんないかにものファドらしさを出そうという努力は、作品のそこかしこから感じられるのだが、なにかが違うのだ。
 ひとついえることは、バックトラックは確かにファドであるが、久保田早紀の声はファディスタの声ではない、ということだ。

 果たしてこれこそが自身の求めていた音楽なのか。彼女自身も迷ったのではなかろうか。A面を通して聞いていると、結局今までの完成度の高い久保田早紀の歌はただの擬似ワールドミュージックだったのでは、という気分になる。
 そうした疑念を持ちつつB面にひっくり返すと、B面の東京で録音されたいつもの楽曲は「ただの」歌謡曲に聞こえてくる。
 ポールモーリアチックな「九月の色」、ど歌謡曲アレンジの「真夜中の散歩」など、旧態依然とした泥臭い歌謡曲の世界。ここでさらに萩田光雄アレンジの限界も露呈される。
 歌謡曲とファドの間で引き裂かれた結果、さまざまな彼女の問題点が浮き彫りになるが、要はこういうことである。
 ワールドミュージックと歌謡曲の間で都合よく手前味噌で曲を作り上げてきただけで「久保田早紀の音楽」なる確固たるものはまだ何も作られていなかったのだ。

 ここから以後数作、彼女は自己確立のためもがき苦しむこととなる。これはいつか来るべき壁であり、挫折であった。 このアルバムはそんな必然的失敗作といっていいだろう。
 東の果てから西の果てへ。シルクロードの旅を終えた彼女は、自らを求める旅に出ることになる。


◆ AIRMAIL SPECIAL  (81.05.21/33位/3.3万枚)
cover 1. プロローグ 
2. オレンジ・エアメール・スペシャル 
3. キャンパス街'81 
4. 日本の子供達 
5. 1999 
6. アミューズメント・ゾーン 
7. 上海ノスタルジー 
8. アンニュイ 
9. パノラマ 
10. 長い夜
(久保田早紀/久保田早紀/佐藤準)
(山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(山川啓介/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/佐藤準)
(川田多摩喜/久保田早紀/萩田光雄)
(川田多摩喜/久保田早紀/佐藤準)
(久保田早紀/久保田早紀/萩田光雄)
(久保田早紀/久保田早紀/佐藤準)
(川田多摩喜/久保田早紀/萩田光雄)

 前作での必然的失敗を経て、このアルバムでは大きく方向転換を行う。
 アレンジャーは萩田光雄から佐藤準へ。さらにエスニック路線を凍結する。と、その状況下で出てきたのは、国立→八王子育ちの品のよいお嬢さんである久保田小百合(―――久保田早紀ではない)の日常的な部分であった。
 今までのような、まだ見ぬ風景を念写したような、虚構性の強い幻想的な作品ではなく、東京に住む女性、久保田小百合が見る日常の街の風景を歌った歌が並ぶ。 A面は当時の竹内まりやのようなカレッジポップスとメッセージソングの世界。B面がアーバンポップスの世界。その中にサービスのようにいつもの異国情緒な「上海ノスタルジー」がまぎれこんでいる。

 「プロローグ」で「鏡に映った横顔は あなたの知らないもうひとりの私」と静かに変化を宣言。ははぁ、いつもと違うな、と思ったところ、いきなり次は無理めのアップテンポ「オレンジ・エアメール・スペシャル」に驚く。 清涼飲料水のイメージソング、っーことは爽やかにカルフォルニアの青い空ってなイメージ。久保田早紀にそれを求めるのか。サビの「Full of sunshine L.O.V.E.」の無茶っぷりに聞き手を唖然とさせると次の「キャンパス街'81」では「青春は見えない回転扉」などと竹内まりやバリに爽やかにかつメロウに歌い上げる。 この歌、御茶の水をイメージした歌だそうで、彼女曰く「御茶の水は日本のカルチェラタン」だそうで、って、そういう言い草ユーミンだけでいいような……。んで、さらに「日本の子供達」では高らかに日本人としての誇りを歌い、「1999」は来るべき未来の希望を語り出し、ってこれはなんだかゴダイゴっぽいピースフルでなんだか嘘っぽい。

 なんじゃこりゃ、このアゲアゲのハイテンション。無理めの陽気さについて行けないままB面にひっくり返すと一転、こちらは先ほどのポジティブさが嘘のような暗鬱な日常の横顔を見せる。
 恋人に振られ呆然、地下鉄のホームのベンチで電車をいくつも見送る「アミューズメント・ゾーン」、どこにも行けず狭い部屋にうずくまっているなどと人に知られたくないからと部屋の明かりを無理に消して誰もいないひとり芝居をする、というとっても中島みゆきな「アンニュイ」、喫茶店での別れ話に出会いの頃の風景がパノラマのようにまぼろしとなって広がるという「パノラマ」、 ラストは孤独な女性のひとり寝の儚い妄想をうたった「長い夜」――この曲、硝子細工のように繊細で美しい傑作だけれども、暗すぎますってばさ。 行き場のないわだかまりに満ちていて、こちらが息苦しくなるほど。

 結果からいえば、この盤は意欲作といえるけど、成功とはいえなかったんじゃないかな。
 A面は無理に表情を明るく作ろうとしすぎで、躁状態のようであるし、B面はその反動でいつにもまして暗く沈んでしまって、鬱状態に陥っているように見える。
そんな躁鬱が表と裏になって一枚にコンパイルされているのだが、いまいちその意図がわからない。 バラバラでつながりがまったく見えないように私は感じる―――そんななかでいつもの通りの路線の「上海ノスタルジー」がやっぱりよく、結局彼女のお里はここかな、と。

 これは作品の狙いというよりも、この時期の彼女の精神状態が素直に反映された結果なんじゃないかなぁ。
 「異邦人」のヒットとその後の不発、さらにアーティストとしての壁にもぶつかり、精神的に不安定だったんじゃないかな。 新しい自分を、新しいヒットを。しかし先が見えずに焦燥と不安の日々。それがこのアルバムにそのまま表現されているのでは、と。

 そんな迷いの果て、彼女は幼い頃日曜学校に通った教会のことをふと思い出す。
 ―――「神様なんてナンセンス。自分の神様は、自分。」そう強がっていた少女が、再び教会の扉を叩くのは、このアルバムをリリースして数ヶ月後の話である。


◆ 見知らぬ人でなく  (82.07.21/83位/0.1万枚)
cover 1. ザ・シティー 
2. 見知らぬ人でなく 
3. らせん階段 
4. 夏の夜の10時30分 
5. ジャスト・ア・フレンド 
6. 木々が大きかった頃に 
7. ねがい 
8. ロンリー・ピープル 
9. ステージ・ドア 
10. 車窓
(久保田早紀/久保田早紀/井上鑑)
(久保田早紀・三浦徳子/久保田早紀/井上鑑)
(久保田早紀/久保田早紀/井上鑑)
(三浦徳子/久保田早紀/井上鑑)
(久保田早紀・三浦徳子/久保田早紀/井上鑑)
(三浦徳子/久保田早紀/井上鑑)
(山川啓介/久保田早紀/若草恵)
(久保田早紀/久保田早紀/井上鑑)
(久保田早紀・三浦徳子/久保田早紀/井上鑑)
(久保田早紀/久保田早紀/井上鑑)

 1981年10月、彼女は地元八王子・めじろ台のプロテスタントの教会で洗礼を受ける。歌手として、ひとりの女性として迷っていた彼女はこれをきっかけになにかを吹っ切る。

 今作は前作「AIRMAIL SPECIAL」のテーマの延長線上にある作品といえる。前作は「都市で暮らすある女性(久保田小百合)の個人的な日常」であったが、それを普遍化させて「都市生活者の日常」というところまでテーマを持っていった。 ここにある久保田早紀の描いた日常は彼女にとっての日常でもあるし、都市で暮らす者誰しもがあてはまる日常でもある。――――こういう捉え方は実にユーミンっぽい。 それを宣言するように、一曲目が「ザ・シティー」、タイトルからして「街」をテーマにしている。
 「ザ・シティー」は、「誰でも最初は罪のない少女 ここで暮せば嘘と本音がわかる女さ」とクールに決める部分が残る。 さらに次の「見知らぬ人でなく」では、この街ですれ違う誰もが、見知らぬ人ではなくそれはわたしだと、彼女は告げる。運命の気まぐれのによるひとときの旅路、それが街で暮すこと、街で生きること。街そのものが浮き草のように時代にまかせて漂流していると彼女は見ている。 本来の彼女の持ち味であるミスティックな部分と今回のテーマが見事に融合した良作といっていい。 「らせん階段」は別れのタンゴ、「木々が大きかった頃に」は国立時代の追想(―――歌中にでてくるマリアンヌやジュリアとは日曜教会で一緒だった立川の米軍キャンプで暮していた少女のことか)、「ロンリーピープル」はスタジオ帰りの久保田が見た夜明け前の東京の景色をスケッチした歌―――孤独な朝帰りにふと新たなインスピレーションが彼女に舞い降りる、その瞬間を歌にしている。「ステージ・ドア」はコンサート終えた彼女の一景である―――「スポットライトを浴びながら 明日のコラム 少し気にしている」という、ところがいかにも歌手らしい。
 アレンジャーは井上鑑、前年寺尾聰の「ルビーの指輪」と『リフレクションズ』の大ヒットで台頭してきた彼の初期の瀟洒なアレンジが楽しめる。

 前作の延長にありながら、今作は前作のような不自然さはない。歌手として精神的に安定したのだろう、前作のような無理に明るい表情を作ることもなければ、またその反動の落ちこんだ姿もみられない。 いかにも彼女らしい繊細なメロディーと紗のかかったような幻想的なボーカルで、都市とそこにすむ者の風景を自然に描いている。
 「見知らぬ人でなく」と「AIRMAIL SPECIAL」でひとつのシークエンスといっていいだろう。前作でこなせなかった課題をこのアルバムで乗り越えた。
 ラストは「車窓」――――「旅に出るなんて思いもしなかった 見送ってばかりいたわたしだから」。都市をテーマにしたこのアルバムは都市からの旅立ちで終わりとなる。住みなれた街が遠く後ろにかすみ、再び彼女は旅に出る。そして次の作品である。


◆ ネフェルティティ  (83.04.21/ランクインせず)
cover 1. ネフェルティティ 
2. ジプシー 
3. ソフィア発 
4. 砂の城 
5. ジャワの東 
6. 肌寒い午後の日 
7. 愛の時代 
8. 冬の湖 
9. 最終便
(久保田早紀/久保田早紀/若草恵)
(久保田早紀/久保田早紀/若草恵)
(久保田早紀/久保田早紀/若草恵)
(川田多摩喜/久保田早紀/若草恵)
(久保田早紀/久保田早紀/若草恵)
(川田多摩喜/久保田早紀/若草恵)
(川田多摩喜・久保田早紀/久保田早紀/若草恵)
(久保田早紀/久保田早紀/若草恵)
(久保田早紀/久保田早紀/若草恵)

 久保田早紀、復活の狼煙。
 前作ラスト「車窓」で街から旅立ったその先に迎えていたのがこの「ネフェルティティ」の世界だった。 この世界は、決してただの異国情緒の世界ではない。彼女の身の内にあるひとつの「幻想世界」である。

 彼女は自身が求めている世界は「地域としての異国」そのものではなく、エキゾチシズムの向こうにある幻影、つまりは「ファンタジーの世界」であるという事に気付いたのではなかろうか。
 例えば、ここで歌われているエジプトはエジプトであってエジプトではない。ジャワもソフィアもここに描かれているのは、現実にある1都市や島そのものではなく、東京に暮らす夢見がちな女性が紡いだ幻想の世界なのだ。
 それは今まで無意識下で行なっていた作業だったのだが、「SAUDADE」によって弾かれ、「見知らぬ人でなく」と「AIRMAIL SPECIAL」で自己の足元を見つめたことによって、それがより顕在化され、より強調されたように感じる。
 このアルバムで久保田は意識して幻想的な異国を歌っているし、アレンジもそれに見合わせて、緊張感の高いど派手なものになっている。ちなみにアレンジャーは若草恵。

 彼女はこのアルバムのレコーディング前ブルガリアへに一人旅をしている。そのせいだろうか、寒々とした冬ざれた楽曲が目立つ。 ボレロのように破局が波涛となって押し寄せる「砂の城」は欧州の冬の暗い海が見えてくるようだし、 孤独な東欧紀行の「ソフィア発」、成田空港の北ウイングから北の国へと旅立つ孤独な女性を描いた「最終便」などはまさしくブルガリア紀行の成果であろう。 冬の薄曇りのような「肌寒い午後の日」「冬の湖」といった曲も欧州的なセンスが漂う佳曲だ。

 その他の曲に注目すると……。 「ジャワの東」は彼女が幼い頃見た映画「ジャワの東」の追想だろう。射るような激しい陽光、むせ返るほどの大海からの湿気――それらが錆びついた心の箱の中に静かに閉じ込められている感じがあって、膨大な光を感じながらも冷え冷えとした感触が耳に残る。 「ネフェルティティ」は古代エジプトを歌っているが、ピラミッドの頂上から見た古代エジプトの街並みが、現代の無国籍な都市のタワーから見下ろした街の風景と二重写しになるようなところがあって面白い。このテイストは次作で大きく前に出てくる。

 どれも秀逸な作品ばかりが並んでいる。このアルバムで作家として歌手として「異邦人」で背負ったコンプレックスを解消し、やっと自分を取り戻せたのではないか。


◆ 夜の底は柔らかな幻  (84.10.01/ランクインせず)
cover 1. メランコリーのテーブルクロス 
2. 月の浜辺ボタンがひとつ 
3. ねじれたビーナス 
4. 9月のレストラン 
5. 寒い絵葉書 
6. 夜の底は柔らかな幻 
7. ピアニッシモで… 
8. フェニキア 
9. 見えない手
(久保田早紀・三浦徳子/久保田早紀/久米大作)
(久保田早紀/久保田早紀/久米大作)
(三浦徳子/久保田早紀/久米大作)
(久保田早紀・三浦徳子/久保田早紀/久米大作)
(三浦徳子/久保田早紀/久米大作)
(久保田早紀・三浦徳子/久保田早紀/久米大作)
(三浦徳子/久保田早紀/久米大作)
(久保田早紀/久保田早紀/久米大作)
(久保田早紀・三浦徳子/久保田早紀/久米大作)

 最高傑作。
 キリスト教的世界、神話世界への憧憬、国立の景色、幼い頃聞いたポップスたち、名画たち……。 彼女のなかにある諸要素がこの1枚につまっているし、また1曲1曲ごとをみてもその諸要素は見事に溶けあって一つのものになっている。
 「異邦人」以来連綿と続いた少女の夢想する非日常的な異国・幻想世界と「AIRMAIL SPECIAL」から表に出てきた都市で生活する日常の世界というふたつの相反する彼女の世界がこのアルバムで止揚される。 夢見る都市生活者。これがこのアルバムのテーゼといっていいだろう。
 幻想の向こうにある非日常的な異界が、今住むこの平凡な街と地続きであるのなら、この平凡な街とそこで暮すわたしたちだって、充分幻想的ではないか。都市もまた、ひとつのファンタジーなのではないか。 誰しもがファンタジックな物語の世界に生きている。平凡に生きる誰にもファンタジーはすぐそこの扉のむこうにあって、いつだって私たちを待っているのだ。
 これがこのアルバムのメッセージであり、彼女が「久保田早紀」の活動で見つけたひとつの答えなのではなかろうか。
 ここにおいて彼女は、自らの手の平に乗れば、あらゆるどんな世界もファンタジックな物語世界へと変じて表現してしまうところまで至る。彼女が夢を見るのにもう大袈裟な舞台装置は不要だ。
 これが国立の並木道にヨーロッパの街並みを幻視した夢見がちな少女の咲かせた大輪の華である。

日常的な都市世界と非日常的な幻想世界が混交している作品として顕著であるのが、「メランコリーのテーブルクロス」「寒い絵葉書」「夜の底は柔らかな幻」「フェニキア」といったあたり。

・「メランコリーのテーブルクロス」
 毎日がカーニバルのように喧騒溢れる都市。けれど、ふと扉を開くとその向こうには原始のままのアフリカの夜が広がっている。 びりっと音を立ててひきちぎるように都市の喧騒が剥落して、その向こうには幻想的な世界が待っている。そんなシュールな作品だ。

・「寒い絵葉書」
 砂丘をバックに浅黒い肌とゆえにまぶしい白い歯を見せて笑った世界を飛びまわる恋人の異国での写真、それは街で暮す彼女の部屋の冷蔵庫の中で眠っている。 台所の冷蔵庫――都市世界と、砂漠の写真―――異国世界、この印象的な対比が面白い。 ちなみに、この曲は海外を飛びまわっていた彼女の父のイメージがちらちらかすめる。この写真は実は父の写真なんじゃないかな。

・「夜の底は柔らかな幻」
 一番の歌詞はこうだ。

森林の間をぬって 箱舟が静かに流れに上るの
風が止まった夜

傾いた半月だけが 切り絵のように貼りついている
いつかも来た夜

 夜、森林のなかを流れる大河を遡る箱舟。その先にあるのはエルドラド ? 幻の古代都市 ? そんなイメージが広がる。
 夜の底とは、星々の輝く夜の底。密林の奥で見た原始の夜空のイメージ、それはなんて柔らかな幻。  が、一転、二番ではこうなる。

クラクション 銀の糸ね
夜露にてらされ広がる くもの巣
恋をなくした夜

 銀の糸は雨。クラクション――彼女は車に乗っている。夜の雨、濡れた車の硝子窓から見える街の灯りは滲み、蜘蛛の巣のように広がっていく。
つまり、一番で歌った「森林」とは森林のようなビル群であり、「箱舟」は乗用車、「流れ」とは大河の流れでなくビルの合間を縫うように走る高速道路の車の流れであり、夜の底とは地上の星座の輝く底。ネオンや車のテールランプの滲む街の情景である。 彼女は現代的な都市の夜の風景に柔らかな異界の幻を見たということになる。

 ではこれは都市を歌ったものなのか、いや、そうではない。サビ部分がひとことが解答である。
 「きっとこれも 夢のどこか」
 どちらも夢のどこかなのだ。日常的な風景も非日常的な幻影もどちらも夢。ふたつの世界を歌っている、というのが正解であろう。
 ファンタジックな幻想世界と都市風景がまるで二重写しのようにみえ、豊穣なイメージが広がる。

・「フェニキア」
 「異邦人」以来連綿と続いた「異国探訪もの」の発展版といっていい。 恋人と別れて、ひとり異国でセンチメンタルジャーニー、抱き合う男女の石の彫像に愛の形は今も昔も変わらないこと気づき、 このフェニキアの空の向こう、いつもの街で暮らすもう逢えないあなたのことを思う。ここにも日常と非日常の対比がある。

   それらのイメージが収束していくのが、ラストソング「見えない手」だ。 タイトルの「見えない手」とはつまり「神の見えざる手」であろう。
都会はメリーゴーラウンド
ベルが鳴るたび 小さなロマンスの窓が開いていくの

かたくなに閉ざされた窓もあるけれど
それでも太陽は心に届くでしょう

見えない大きな手が この街を抱きしめる
そっと瞳を閉じて 私を感じてね
 平凡に見える街の景色もまたそれだけで大いなる神話の舞台と彼女は歌う。
 街は丸ごと神に、神話に飲みこまれている。いつの時代だってそう、ただそれに気付くか気付かないか、それだけの違い。 どんな時もあたたかい見えざる手に委ねられている。……。
 この歌は、アルバムのテーマのすべてであり、そして久保田早紀の仮面を脱ぎ、音楽伝道師となった久米小百合の今後を予言した歌、とも言えるだろう。

 他、印象的な歌について。

・「月の浜辺ボタンがひとつ」
 これは中原中也の「月夜の浜辺」の本歌取りだろう。 貴婦人のえりを飾っていたひとつのボタン、時は過ぎて流れつき、今は月の浜辺で去りし日々を懐かしみながら静かに眠っている。いつか孤独な詩人の手の平で光るそのときまで。 ちなみに中原の詩はこうだ。
月夜の晩に、ボタンが一つ  波打際に 落ちてゐた。
それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが
月に向かってそれは抛れず  波に向かってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
(月夜の浜辺/中原中也)


・「ピアニッシモで……」
 これは森茉莉の小説のように耽美チックだ。白い靄のかかった武蔵野の10月の朝、この一瞬が過ぎれば全てが砂のように崩れる。だから今はピアニシモで……。「枯葉の寝床」のようなイメージ。


 音楽的な点について少し。
 それまでの久保田早紀の作品は、その宗教性、異国趣味、神秘主義的な側面からプログレを歌謡曲に翻案したようなところがあったのだが、 ここで久米大作という名伯楽を引き当てることによっていよいよプログレそのものの様相を呈してくる。音楽的な側面からいってもこれが極めつきといっていいだろう。
 このアルバムはジャケットに小さくこのような言葉が載っている。
Let me express my thanks to the Gods for being given such a wonderful album.
 このアルバムは本人すらみとめる自身の集大成であり会心作、これからの新たな新しい彼女を予感させるアルバムとなった。 ―――ちょうど『夢がたり』を基点に螺旋階段をぐるっと回って、このアルバムで1階上の部分に登ったという感じがある。「夢がたり」と二次元的な座標では同じ地点であるが、以前よりも更に深化した場所、という感じ。
 しかし、結果からいえばこれがラストであり、久米大作は「歌手・久保田早紀」のよき伴侶ではなく、ひとりの女性である「久保田小百合」のよき伴侶となってしまった。
 であるから、この結果がどこかに結びつくということもない。残念としかいいようがない。


◆ はじめの日  (96.02.25/ランクインせず)
cover 1. とおきくにや 
2. HIKARI 
3. 優しさの秘密 
4. TOKYO 
5. はじめの日 
6. いつでも…… 
7. サテライト 
8. マリア 
9. エンジェル・ソング 
10. 銀色星のテーマ 
11. ル・アハ 
12. Terah 
13. あなたを賛美しなければ
(賛美歌/ミチコ・ヒル)
(久米小百合/久米大作/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(藤井美保/ヨシオ・ジェイ・マキ/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(牧昭子/ミチコ・ヒル/久米大作)

 エクストラ。
 教会音楽家・久米小百合として讃美歌を歌った「テヒリーム33」とオリジナルの讃美歌を集めたアルバム「はじめの日」の2枚をリリースしているが、わたしの所持している「はじめの日」を紹介する。

 1曲目、有名な讃美歌「とおきくにや」の澄んだ歌声に、あぁ久保田早紀の頃と変わらないな、と感じる。
 が、オリジナル楽曲は「イエスに向かって歌いたい気分さ」(HIKARI)、「この街もこの世界もイエスの光見えてくはず」(優しさの秘密)、とまあ、普通のポップスのサビではありえない歌詞が並ぶ。 まぁ、彼女は教会音楽家で「久米小百合のラブソングは主・イエスへ向けてのラブソング」って本人もいってたしなぁ、そういうことなのだろう。久保田早紀と久米小百合を同一視してはいけないんだろうな。

 とはいえ、独身時代に作ったという「TOKYO」はいかにも久保田早紀なテイスト(――「見知らぬ人でなく」にはいっていてもまったくおかしくない)だし、 「サテライト」「銀色星のテーマ」「Terah」をといったあたりを聴いていると結局久保田早紀も久米小百合関係なく、この人の表現したいことはなにも変わっていないのでは、という気もしてくる。
 久保田早紀の引退から11年。年月によって変わった部分と変わらない部分、人ならば当たり前にあるそれがこのアルバムにもあった。
 ちなみにアレンジはもちろん夫君の久米大作氏である。



◆ 天使のパン  (09.06.24/ランクインせず)
cover 1. アメイジング・グレース
2. 聖なる 聖なる 聖なるかな
3. 天使のパン
4. 丘の上に立てる十字架
5. イエスはそばに
6. いつくしみ深き
7. 道化師の夜
8. 少年
9. Pane e Pesce
10. グリーンスリーブス
11. 主のまことはくしきかな
12. ああベツレヘムよ
13. 主われを愛す
14. イエスはそばに (English version)
15. イエスはそばに (Korean version)
(賛美歌/久米大作)
(賛美歌/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(賛美歌/久米大作)
(久米小百合/久米大作/久米大作)
(賛美歌/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米大作/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(賛美歌/久米大作)
(賛美歌/久米大作)
(賛美歌/久米大作)
(賛美歌/久米大作)
(久米小百合/久米小百合/久米大作)
(久米小百合/久米大作/久米大作)

 元・久保田早紀、くめさゆりの13年ぶり三枚目のアルバム。収録曲はオリジナル楽曲とスタンダードな讃美歌が半々。  参加ミュージシャンは夫の久米大作(――アルバムのサウンドプロデュースも彼)をはじめ、Coba、吉川忠英、仙波清彦、金子飛鳥など。
 85年の結婚を契機に商業作家・歌手としての久保田早紀の名前を捨てて、教会音楽家・久米小百合となった彼女だけれども、ここまで来ると久保田早紀と久米小百合は同等なんじゃないかなと、聞いて思った。
 前作「はじめの日」は《教会音楽家としての初のオリジナル作品集》ということで、「これは神へ捧げる歌なんだ」という、ある面では肩肘張った所があったのだけれども、今回はそうしたしかつめらしい部分は大分薄まっている。
 殺伐とした時代を癒すネオ・トラディショナルソングとして、充分なポピュラリティーとクオリティーを保っているし、なにより歌そのものが久保田早紀時代に見せたものと根幹でまったく変わっていないのだ。オリジナルの「天使のパン」「道化師の夜」など、久保田早紀となにが違うのだ、と。元々久保田早紀の世界ってポップスにあって異常なほど神秘的で敬虔な雰囲気のあったしね。
 それにしてもこのアルバム「異邦人」の頃からまったく声質が変わっていないのは驚嘆する。とにかく声が清新なのだ。一曲目「アメージンググレース」の歌唱(――この日本語詞が素晴らしい!)には思わず涙がこぼれる。洗い清められる一枚だ。

2004.09.15
2007.05.26 改訂
2008.12.20 改訂
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