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栗本薫 「ぼくらの時代」

(講談社/1978.10)



 78年作品。江戸川乱歩賞を受賞した栗本薫名義のデビュー作にして最大の売上となっている。ミステリー仕立てではあるが、おそらくこれは庄司薫の69年発表の芥川賞受賞作「赤頭巾ちゃん気をつけて」の本歌取りだ。「赤頭巾ちゃん〜」を今の若者たる私=栗本薫・中島梓が書いてみたら、という作品。
 ひらがなを多用したわかりやすくも軽妙な一人称文体。20歳前後の少年の皮肉と青臭さの入りまじった視線と、そこから映る社会と大人たち。そして、作者の「薫くん」と物語の語りべたる主人公の「薫くん」の擬鏡像的相違。これらはすべて庄司薫「赤頭巾ちゃん〜」からの引用と言っていい。
 庄司薫の「赤頭巾ちゃん〜」をはじめとする「薫くん四部作」が1969年、学園闘争の終焉間近の当時の若者の精神風土とシンクロしているように、栗本薫の「ぼくらの時代」をはじめとする「ぼくらシリーズ三部作」は1978年の当時の若者の精神風土とシンクロしている。
 「赤頭巾ちゃん〜」のバックグラウンドに学園闘争があるのとは一転、「ぼくらの〜」にいる若者は、アイドルをおっかけたり、アマチュアロックバンドの活動に勤しんだり、やおい同人誌作りに血道をあげている。十年の間に若者の関心領域は政治からオタク(――などという便利な言葉は当時なかったが)へと大きな転換をした。それが「赤頭巾ちゃん〜」から十年経った新たな若者の姿。これが「ぼくらの時代」なのだ――そういう作品と捉えていいだろう。
 「赤頭巾ちゃん〜」同様にあえて主人公を「薫」と同じ名前にしたのも、しかも作者の名前も同じにあわせたのも、全て栗本薫・中島梓の計算だろう。前年に中島梓名義で発表した実質的なデビュー作である評論「文学の輪郭」において、中島は「赤頭巾ちゃん〜」を村上龍の「限りなく透明に近いブルー」とともに取りあげ「弱者の文学」と評し、共感している。
 庄司薫は本名の福田章二名義で58年にデビューするが、即断筆。10年ほどの潜伏を経て、庄司薫の名で「赤頭巾ちゃん〜」で再デビューという経歴を持っている。「赤頭巾ちゃん〜」はいわば、文学に挫折した作者・福田章二/庄司薫の、「主人公=わたし=作者」であって当然という当時の文壇の私小説主義を逆手に取った最大のギミックである。発表時、多くの人が現役浪人生の私小説だと思い込んだという。しかしその後の庄司薫は策に溺れる形で、「物語内の主人公・庄司薫」と「作者である庄司薫」を分離させることがあたわずに「薫くん四部作」の終了をもって筆を再び折ることになるのだが、栗本薫の場合はいささか違っていた。
 既にテレビ番組でレギュラーを持つほどのポプュラリティーを得ていた中島梓・栗本薫は、「ぼくらシリーズの主人公・栗本薫」と「小説家・栗本薫」との擬鏡像的繋がり(――その盲腸ともいえるのがグインサーガ第一巻をはじめとする70年代末の栗本薫名義の小説の一人称『ぼく』によるあとがきだ)をあっさり切り捨て、自らをメディア化し、より一層客体化、キャラクター化させていく。
 中島梓名義によるエッセイ・評論の類に存在する「わたし=中島梓」は、吾妻ひでおの漫画に度々登場する名キャラクター「作者・吾妻ひでお」に近しい。「小説道場」に到っては「小説」を巡る入れ子的なメタフィクショナルストーリーといってもいいだろう。道場主・門番・門弟、それぞれが実在の存在でありながらも虚構化、キャラクター化され、「JUNE小説」という作品内物語と、物語を書くことによって変容し成長していく書き手達の「自分探しの物語」の二重が、シンクロしながら紡ぎだされてゆく。門弟達の作り出した各作品と「小説道場」とを立体的にみると、それはあるいは筒井康隆の「電脳筒井線」と「朝のガスパール」のごときは実験的な可能性をも立ち上がってくる――というといいすぎだろうか。
 ともあれ、デビュー以前には「早稲田文学」にかかわり、「群像」から評論家としてデビューしていた78年の中島梓・栗本薫はいわゆる「文壇」側の人間だった。そのような彼女が、物語作家として向こう岸に渡るために必要だった手続きのひとつが「ぼくらの時代」だったのだろう。「わたし」に拘泥する当時の『文壇』に向けて一定のわかりやすい解を与えながら、自らの求める物語=キャラクター小説を作り出していく。それに最も「使えた」のが、庄司薫の『わたし』でありながら私小説ではなくキャラクター小説だった「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった、と。
 そう考えると、グインサーガ、魔界水滸伝、伊集院大介シリーズなど、魅力的なキャラクターによる様々な物語が次々と生みだされるのと対照的にひっそりと「ぼくらシリーズ」が終焉するのも、必然だったのかもしれない。
 ヤマトブームや24年組ブームをはじめ、漫画やアニメーションにおいてはサブカル・オタク文化が勃興するものの、文学表現においてそれに対応するライトノベルやボーイズラブが存在しなかった――だからこそそれを栗本薫は(デビュー以前から)生み出すのだが――、そんな70年代末の、過渡期に生まれた文学とオタクの間の始祖鳥、それが「ぼくらの時代」、あるいはそんな言い方もできるだろう。




2010.03.11
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