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ジュリー小話 マスコミ嫌い


 もうとっくに旧聞に属するが、久世光彦の急逝のマスコミ報道で、 久世氏の自宅に駆けつける、あるいは葬儀に訪れる沢田研二の姿がちらりと映ったが、 相変わらずマスコミのインタビューにはまったく受けず、カメラに顔を向けることもなかった。
 あるテレビ番組では車の助手席にいる沢田の細君の田中裕子はしっかり映すものの、となりの運転席にいるはずの沢田研二の姿は丁寧に外して、という徹底ぶり。 沢田研二のマスコミ嫌いは、マスコミやファンとのあいだでは、有名な話であるが、 ここまで浸透しているものなのか、と驚く。

 新幹線暴行事件や、田中裕子との不倫スキャンダルなど、ゴシップジャーナリズムに追っかけまわされたかつての記憶が、心底彼には耐えられなかったのだろうか。 どんなにマスコミ嫌いを標榜した人気者でも、その多くは人気に翳りが見え出すと下世話に彼らにすりよるものだが、 一方、沢田研二はそれをきっぱりとした姿勢で退けている。 そのゴシップジャーナリズムへのスタンスは「テレビ」への、「芸能界」への、スタンスへと彼の場合敷衍していく。
 全盛期に「嘘と虚飾の芸能界」と言い放ち、「芸能界」のど真ん中にいながら、距離を保とうとしていた沢田研二であるが (――その姿勢は「ミス・キャスト」や「無宿」など、歌にも現れている)、 独立して以降の彼はその姿勢をさらに強め、みずからの納得する形でないかぎり、決してマスメディアにその姿を表さない。
 かつての人気者が、安易なナツメロ番組や、バラエティーに現れるのは今のテレビの常であるが、 彼の姿をそこに見るのは実に難しい(――で、時々そういったプログラムに出ると、『かつてのギラギラのスーパースター・ジュリー』が、そこらにうろついているおっさん、といった気さくを通り越した親しみやすさで、ギャグを飛ばしまくってサービスいっぱいでノリノリだったりして、もう、なんともかんも、だったりする)。

 今の沢田研二はなにをやっているのだろう―――。
 テレビでの彼しか知らない――テレビ以外で芸能と関わることをしらない多くの人は、そう思うが、 しかし、彼は、かつての人気をうしなって以降20年近く、 ずっと毎年オリジナルアルバムを毎年制作し、全国ツアーを年何十本も敢行し、一ヶ月公演の音楽劇を主演し、 映画にも出演し――と、テレビとまったく関係のないところで実に精力的に活動している。

 こういったタイプのスターというのは、実に珍しい。
 世間的には「テレビに出ない=落ちぶれた」という扱いであることは、充分わかっているだろうに、 かつてのテレビスターが、あえてこのような手段をとる。
 彼のスタイルにもっとも近いタイプのスターを探すとすれば、中森明菜がそれに近い。
 彼女のマスコミ嫌いも相当なもので近年はテレビと関係のないところでの活動へとどんどんシフト行っている。 心酔しきっているファンを幻滅させるようなぶっちゃけトークやおどけた不細工な表情をサービス精神という名で披露するあたりも似ているよな。
 とはいえ中森明菜は沢田研二ほど徹底していない。 過去の映像の放送に関して、沢田ほど厳しくはないし、 ナツメロ要請のテレビ出演に関しても、わりとすんなり受け入れることが多い。

 ー―というか、沢田研二が厳しすぎるのだ。
 過去の映像くらい許してやってくれよ、ジュリー。今の「俺たちが最高」なのはよくわかったからさ。
 つまりは、「夜ヒット」やら「セブンスターショウ」などなど、テレビで見せ付けてくれちゃったらしい伝説のステージが見れなくってじたばたしている後追いファンの戯言なんですが。 あ゛あ゛あ゛あ゛若かりし頃の素敵ジュリーがみたいよー―っっ。ていうね。 そんなジュリーのマスコミ嫌い、ある一面はカッコいいけれども、ある一面はひっじょーに困ったチャンだな、という。
 誰か、ジュリーのつもりにつもったマスコミに対する不信感をぬぐってあげてください。ジュリーのこわばった心をほぐしてあげてください。 そして「怪傑ジュリーの冒険」の「夜ヒット」版をリリースしてください。――って結局それかいな。

2006.03.20
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