メイン・インデックス歌謡曲の砦>生稲晃子 「麦わらでダンス」


生稲晃子 「麦わらでダンス」

静香のライバルにはなれず……

(1988.05.21/ポニーキャニオン/7A-0856)


工藤静香のソロデビューでなんとなくなし崩し的に活動休止となったうしろ髪ひかれ隊。
このグループが元々、生稲晃子ありきのグループであったことはあまり知られていない。っていうか、わたしもよく知らないんだけれどもね。

――最初、生稲晃子のソロデビューが画策されていたんだって。それが、ソロにさせるにはまだおニャン子での活動も短く、時期尚早かなというところに、先発の「うしろ指さされ組」の解散が決まり、「じゃあ、ソロで行くには難しいおまけもくっつけてうしろ指の後継グループにでもしない?」 ってことになって、おまけの工藤静香と斉藤満喜子を入れて「うしろ髪ひかれ隊」のデビューになった、と。そんな感じっぽい。

その後、軒先貸して母屋をとられる方式でメインに工藤静香が出張るようになり(―――だってしょうがないじゃん、あきらかにあとの二人と比べて歌がうまいんだもん)、でもって工藤静香がソロデビューに成功、うしろ髪の存在が有名無実化して、って頃にようやく生稲晃子のソロデビューとなった、と。 で、そんなデビュー曲が「麦わらでダンス」。

うしろ指→うしろ髪が担当していた「ハイスクール奇面組」→「ついでにとんちんかん」主題歌枠はそのまま生稲担当になり、この曲は「ついでにとんちんかん」のオープニングテーマとなり、そこそこヒットしたと記憶する。オリコンデータによると、最高位8位、売上7.5万枚で、おニャン子クラブ最後発のソロ・デビューでは成功した部類といえると思う(――彼女以降のおニャンコソロデビューでベストテンランクインを達成した歌手っていたっけ?)。

「うしろ髪ひかれ隊」ってかなりわかりやすいキャラ分けがされていたと思う。工藤→ツッパリ・カッコイイ担当、生稲→お嬢様・カワイイ担当、斉藤→なんだかよくわからない人担当。このキャラ分けって新御三家、たのきん、キャンディーズ、中3トリオ、などにもあてはまるアイドル3人組黄金分割なわけだけれども、それが「うしろ髪」にもあてはまるかな、と。 (――ただ、この采配は素でそうなったというよりも、秋元先生の狙いだったのかな、と思えてしまうあたりがおニャン子系プロダクトなんですが。)

そんなわけで、この曲も改めて聞いてみると、当時の工藤静香の楽曲と好対照になっているようにもみえて、趣ぶかかったりする。
マッチと俊ちゃん、淳子と百恵、秀樹とひろみのように、いい意味で相反することをやっているなぁ、と。

これはスタッフも意識して作っていたんじゃないかなあ、と思う。っていうか、レコ社・事務所・プロデューサー・ディレクター・作詞家・作曲家、全部が全部工藤静香と同じなんだもん、どうやろうと意識しちゃうだろうよ。


歌は典型的なゴツグ節で、原田知世の「太陽になりたい」とかと同系統の、やたらスピーディーでアレンジがやたらぐちゃぐちゃとして、てんこもり、というアレ。
「バカ!」とか「ウインク!」なんて合間の細かいギミックが決まりまくった、いかにも完成度の高い泥臭アイドル歌謡で、 全体にうっすらと「うしろ髪」の世界を引きずっているあたりがまた「うしろ髪」を脱色しようとしていた静香と比べて面白い。
しかも、生稲晃子はこの歌を自身のキャラクター無視でダンサー引き連れてバリバリに踊りまくりで、これもまた妙に面白かったと記憶している。
や。本人は本気100%だったんだろうけれどもね。その本気っぽさが可愛気になるあたりがいかにも3人組の「お嬢様」担当って感じで(―――静香がそれをやると本当に怖くなっちゃう)。

とはいえ、生稲晃子VS工藤静香はこの生稲ソロ・デビュー前後というほんの短い間だけの話。
この時点の工藤は87年10月期以降、5クール連続連続ドラマ起用、という大技でポピュラリティーを勝ち得る途中の段階。 このあとに、駄目押しの「MUGO・ん…色っぽい」「恋一夜」の連続大ヒットで、完全に別次元にいってしまった。
一方の生稲はというと、「おニャン子歌手はファーストシングルが最大売上」の法則にしたがって見事に伸び悩み、3年弱で歌手廃業。

まあ、仕方ないといえばそれまでだけれども、生稲晃子VS工藤静香の対比がもちょっと見たかったかなぁ、と思ったりもする。 とはいえ、生稲晃子が工藤静香レベルにまでブレイクする機会はどこにもなかったものなぁ……。




ちなみに――。アルバム「生稲 De Dance」に収録されたリミックスバージョンも結構好き。 中山美穂のリミックスアルバム「Makin' Dancin'」を担当したM.I.D.の手によるものでかなり無茶しております。


もっと、ちなみにーー。
残された斉藤満喜子がその後うしろ髪の存在もすっかり世間から忘れ去られた90年に「鏡の中のBaby Face」という曲でひっそりソロデビューした、ということは誰も知るまい。 しかもそのプロデュースができちゃった婚でいきなり解散してしまったアイドルデュオ「Babe」の片割れ、近藤智子(――富田靖子似の方)のプロデュースであるということなどもっと誰も知るまい。
ってこのふたりの掛け合わせってポニキャン廃物利用かよっっ。(―――なんて私が思ったかどうかわ、秘密だ)

って、ここまで書いたところで読者のかたからの指摘。斉藤満喜子のデビュー曲は88年の「やりたい放題」とのこと。うわぁん、ワタクシ勘違いしておりました。マッキーごめんよ。おまけの子呼ばわりして。ちゃんとうしろ髪解隊後にすぐソロデビューさせてもらえたのね。 って、まぁ、次のシングル「鏡の中のBaby Face」まで二年あいたけれどな。


2005.03.21
偏愛歌手名鑑のインデックスに戻る