遠回りしたことさえ 今は愛しく思える よかったね、明菜。 不意にこのアルバムを聴いてそう、思った。 今まで中森明菜のファンをしていてなにより辛かったのは(もちろん、トラブルなどによってリリースするはずの新譜やコンサートがが中止になったり、というのもあるが)ゴシップ誌などから伝えられるスキャンダルやトラブルから想像できる彼女の内面の深刻さであった。 咽喉が焼け付くような飢餓感。胸の底に風が吹いているような欠落感。そして絶望とそこから湧き上がる怒り。 それは歌によって昇華された部分もあったが、彼女の自我は歌という器だけでは収まり切れずにたびたびのトラブルを生んだ。 そうしたトラブルの行く末を見守りながらも、彼女は生きる事が辛いんだろうなぁ。 と、私は心を痛めていた。 その明菜が今、「憧憬」のような歌を歌う。 どんな絶望も哀しみも祝福や喜びがいつしか色褪せるように静かに過ぎ去ってしまう。 それはとても当たり前のこと、でもそんな当たり前のことがありがたく思えてくる。 もう2度と誰かと歩くことはないって決めてたこの海へ 『アルテラシオン』収録「SUNFLOWER」を萌芽に『シェイカー』の「風を抱きしめて」「月は青く」、『SPOON』の「YOUR BIRTHDAY」「雨の日は人魚」、さらに『歌姫2』を経て、このアルバムで彼女は自らを静かに解放しきったようにみえる。 このアルバムは優しさに満ちている。 これはその昔『不思議』や『STOCK』でみせた悪意に満ちた自己解放の真逆の方向にあるもう一方の彼女の自己解放だと思う。 歌唱についてちょっと詳しく。 中森明菜という歌手はその昔はリミッター切れかけの怒涛の感情を歌うのを得意していた。 「難破船」にせよ「TATTOO」にせよそこにあるのは圧倒的な感情のパワーである。 そんな彼女が今、日々の暮らしの中にある些細な心の振幅を歌ってそれがすばらしい。 なにも絶望とか虚無とかそんな大袈裟なものでない、一人の女がこの浮世で風に吹かれるようにようよう生きている、ただそれだけの、だけど誰もが感じたことがある、そんな頼りなくも心細い様がこのアルバムの明菜の歌にはあるのだ。 明菜はちあきなおみのような、こうした鼻歌まじりの悲しみが出せる歌手になった。 と、こここまでは中森明菜という歌手にとってこのアルバムの位置というか、中森明菜歌手論を前提にした、そういったものの感想。 こっからは、作品論的にいってみましょ。 というのも、このアルバム構成がかなりしっかりしているのよ。 まず、オープニングは「Rain」。 外は春雨が音もなく降っている。明菜は曖昧な別れで終わった恋を想っている。 「この恋を思い出にしたくない」「2度と会えないなら突き放してほしかった」と歌いながらもなかば明菜は諦めかけているように聞こえる。 未練がましげに後ろを振りかえり振りかえりしながら、恋を忘れていく姿が見える。 そして雨あがり、光さして、空に虹がかかり「虹」。これはやわらかくはかない祈りの歌で、「Rain」と同じく内向的な歌、部屋の中で窓の向こうにかかる虹を眺めている、という感じ。 そこに乾いた風が吹きはじめて「風の果て」となる。明菜は外に出て、あたりをさまよい出す。この曲はなんかZABADAKみたい。古川昌義のガットギターが印象的、楽曲は民族色が強いが、ここにあるのはジプシーのような彷徨ではない。 そして、午後の強い日差しを受けて「I HOPE SO」。工藤静香が歌いそうなロックバラード。明菜はさらに力強く歩を進める。 つぎは、午睡の夢のような「VEIL」。 そして夕闇が訪れ「夕闇を待って」。この曲は、本人は今井美樹みたいといっていたが、私はどちらかと言うとユーミンの昔のアルバムのど真ん中にある箸休めの曲に近いと感じた。 「川景色」とか「夕涼み」とか「まぶしい草野球」とか。 夜、丘の上で流星を眺める「憧憬」。 悪夢のような「紡ぎ唄」「うつつの花」(このサビの「泣いて泣いて泣いてどうする」はどうだろう。なんとなくクールファイブの「神戸、泣いてどうなるの」(「そして神戸」だっけ??)を思い出すぞ)と続きラストは「days」。 そう、アルバムの曲の流れがそのままある一日の流れとなっているのですね、これが。 丁寧な仕事。プロデューサーの武部聡志の力量はさすが。『Spoon』の仇はとったって感じ。 明菜が身につけた今の繊細な歌唱は日常的な些細な感情の起伏を表現するにもっとも適しているし、それをコンセプトとして「ある1日の時の流れ」にまとめる、というのは大正解としかいいようがない。 個人的ベスト・テイクは岡本真夜作品の「Rain」かな。 今までも小林明子とか小坂明子とか竹内まりやとか少女趣味の強い歌手の唄を明菜が歌うといい感じで中和されていてほどよくなるというのがあったが今回も同じ効果で良い。 ただ最後の3曲はズルズルっとなったって感じかねぇ。 「紡ぎ唄」「うつつの花」みたいな暗い歌はいらなかったと思うぞ。しかもあんまいい曲じゃないし。あと「Days」も締めとするには締まらない凡曲。 ともあれ、全体としてはまた新たな局面を迎えた1枚で全体の印象でいえば、悪くない。 なんとなく不思議と近作の谷山浩子を思い出した。 |
2003.05.14