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中森明菜
「初めて出逢った日のように」


表現力の広さに感心

(2004.07.07/POCE-3601/Utahime Records)

1.初めて出逢った日のように 2.初めて出逢った日のように(カラオケ)


この曲は前シングル「赤い花」の同曲歌詞差替えバージョンである。
この2枚のシングルのジャケットは明菜の頬と目が大きく映し出された同じ写真を使っているが、それをカラーとモノクロとに分けている。並べると金のエンゼル銀のエンゼルという感じであるが―――われながら例えが古い、この2曲が双子のような関係であるということを示唆しているように見える。
元々は韓国ドラマ「All in」の主題歌の日本語バージョンとして松井五郎日本語詞のパク・ヨンハの歌う「初めて出逢った日のように」が存在した。 そこに川江美奈子の新たな日本語詞が嵌めこまれ「赤い花」というタイトルでリリース。 そして今回はパク・ヨンハの歌う詞と同じ「初めて出逢った日のように」がリリースというわけである。ややこしいなぁ。

明菜サイドは元々この2曲は同じシングルに入れてリリースするつもりであったらしい。そこに、パク・ヨンハ版の日本でのリリースの兼ね合いから「初めて出逢った日のように」を後に分けての発売というかたちになったという。
つまりは成り行きで生まれた企画であって、そういった意味では、大ヒット御礼企画であった「ミ・アモーレ」+「赤い鳥逃げた」、アルバムの構成上生まれた「永遠の扉」+「陽炎」などの今までの同曲異歌詞モノと比べるとその意味的な部分ではひとまず希薄といえる。
とはいえ、歌手・中森明菜のデモンストレーションという意味では以前の同曲異歌詞と比べてもなかなか興味深い点が何点か見うけられる。


「初めて出逢った日のように」の松井五郎の歌詞は韓国ドラマの主題歌ということを忠実に意識した詞作に感じる。

―――運命に流され、幸せな結末にはまだまだ遠い道程。けれどもう迷わない、二度とこの手は離さない。初めて出会った日のようにただ二人がいればいい、それだけでいい。

不幸だけれどその不幸が二人には幸せという典型的な恋愛ヒロイズムを歌っているわけで、山口百恵の演じた赤いシリーズのような大時代的な韓国の恋愛ドラマの主題歌らしい大味な恋愛道行ソングといえよう。
原曲とその背景をある程度練りこんだプロの詞作だな、と感じる。言葉遣いもこれといった尖ったところはないが、すんなり歌に嵌めていっていて違和感がないし、所々でさりげないフレーズがきちんと耳に残る。
とはいえ、どこかルーティンワークという感も拭えない。出力8割ぐらいで流して作っているというか、そつがなさ過ぎるというか。

「初めて出逢った日のように」を鑑賞した後に一方の「赤い花」の川江美奈子の詞作を見ると、こちらはいおうとしていることを歌詞に一生懸命つめこんでいる感じがあるな、という事に気付く。
もちろん、「赤い花」は明菜だけが歌う歌であるので、彼女のキャラクターというものを考慮にいれなければいけないわけで、そういった点も確かにあろうが、それを差し引いても、ちょっと濃い目に煮詰めすぎかな、と思う。
入れようと思った印象的なキーワード、エッジのある言葉、歌詞のテーマ、とにかく詰めるだけ詰めたといった感じで、妙に才気走った詞作に感じる。ちょっと力みすぎ。ゆえにゴテゴテっとしているのに通しで聞いた時に逆に耳に残る部分が少なく、どこか散漫になってしまっている感があるのだ。
ただ、彼女の詞作が情熱ほとばしっているのは確かなわけで、そういった慣れていない部分に関してはこれからだな、という期待は持てる。 ――慣れれば自然と肩の力が抜けてくるものだし、力の入れどころというのも見えてくるものだしね。
これは要はキャリア数十年の手練のヒット作詞家と、まだまだ駆けだしの若手の作家の違いといえよう。


アレンジはともに武部聡志によるもので、また2曲ともアレンジの差異はあまり見られない。比べると「赤い花」はパーカッション類がかなり前に出ている。一方「初めて出逢った日のように」はピアノの音が印象的になるよう仕上げている。
これが武部氏の解釈した「明菜だけの歌う『赤い花』」と「韓国ドラマの主題歌『初めて出逢った日のように』」の違いということだろう。


肝心の明菜の歌唱であるが、なるほどな、と感じた。
「初めて出逢った日のように」はかなり丁寧に歌っている。
丁寧に、というか、落ちついて、抑制を効かせてじっくりと歌っている。バラードらしいメロディーの起伏の美しさを強調して、滑らかに端正にすぅっと立って歌っている。
歌姫シリーズであるとか、あのあたりの歌唱に近い。声の出し方伸ばし方にも小さく歌いながらも、細かで絶妙なコントロールを感じる。

これを聞いて一方の「赤い花」を聞くと、これがずいぶんと荒々しい歌い方であることに気付く。
「赤い花」は抑揚のつけ方、ブレス、ビブラート、歌への感情の出し方がずいぶん露骨であるし、言葉の一つ一つを叩きつけるように歌っているようなところがある。
書道でいうなら「初めて出逢った日のように」が止めやはね、はらいに忠実に従い、何度の書き直して書いた楷書体であるとしたら、「赤い花」は筆の勢いに任せ、書きなおしなしで一気に仕上げた荒々しい一筆書きの草書体である。
「初めて出逢った日のように」の歌唱には綺麗に掃き清められた端正さがあり、一方「赤い花」の歌唱は生々しく、シズル感に溢れている。
「赤い花」は字がにじみ、また筆からぽたぽたと落ちた墨が半紙を汚していたりもするが、それすらも味になっているところがあるのだ。
これはもちろん先ほど述べたそれぞれの詞の方向性とパラレルである。
この2つはどちらがいいとか、そういうものではなかろう。――ま、好き嫌いはあるだろうけれどね。わたしは「初めて出逢った日のように」のほうがちょっと好きかな。
どちらも一定の水準をクリアしているし、その表現力の広さには素直に感心する。
中森明菜の今の歌唱力、表現の幅というものを知るにはちょうどいい二枚のシングルといえるだろう。

とはいえ、韓国ドラマブームは恣意的なブームなわけで、個人的にあまり好意的に感じないし、またコリアンポップスと明菜の接点も希薄だと思えるので、まぁ、楽曲のリリースというのは諸般の事情があるわけで、こうしたトライアルもたまにはいいかもしれないけれど、早くアルバムか派手なオリジナルシングルだしてよね、というのが私の正直な本音だったりもする。

2004.07.13
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